Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

陰陽道にはまってます

2010年04月30日 | 
 最近、陰陽道にはまっている。もともとバリ研究では呪術に興味をもち、呪師としての影絵人形芝居師の研究をしているが、最近は時間があると陰陽師についての本をめくったりしている。そんな影響か、京都や大阪に行く機会があれば、清明神社に行ってみようと思うようになった。清明とは平安時代の陰陽師として有名な安陪清明のこと。ちょうど明日は午前中から京都の大学で研究会。それならと今日の午後、思い切って一条戻橋近くの清明神社詣に出かけたのだった。
 驚いたのは、意外に観光客が多いこと。やっぱり映画「陰陽師」の影響なのかしら。親子連れがタクシーで来たりする。あの陰陽道の星のような印が社殿に刻まれている。なんといってもこの一帯は京都の陰陽道の聖地のようなところ。かつての平安京もすぐ近くであるし、やはり都を怨霊などから護る人々が必要だったのだろう。
 ところでこの清明神社だが、千利休が最後に住んだ場所であることを初めて知った。清明神社には今なお井戸があるし、茶道には適した場所だったのかもしれない。でもなんで陰陽道と関わるこの場所だったのだろう。帰って調べてみないと。千利休が命を絶ったのもやはりこの場所だったという伝えがあるそうだ。

ダイエットその後 (3)

2010年04月29日 | 家・わたくしごと
 新学期が始まり多忙である。研究室には次々と人がやってくるし、新しい事務的な仕事もゼミ生もどっさりとやってきて、やらなくてはならないことも多い。とにかく落ち着かないのである。
 だからといって体重が減るわけではない。だいたいこういう時期はストレスで甘いものをバクバク食べてあっという間に2キロ、3キロと太る季節なのである。だからこそ、今、私はその誘惑に負けてはならないのだ。
 ちなみに体重は2週間、ほとんど変わっていない。3キロ減った状態で停滞。つまりはカロリーの需要と供給バランスがつりあっていると考えていいわけで、ここでチョコレートたっぷりの菓子パンをひとつ食べれば、あっという間にバランスが崩れるわけだ。正念場、正念場である。踏みとどまることができるのだろうか。
 こういう時期に限って明日から関西出張だ。沖縄を一歩外に出ると、おいしい誘惑が待っているぞ……。やさしそうな手で「おいで、おいで」しながら。Pがんばれ!

そうですか、きれいに拭き取れるんですか!

2010年04月25日 | 家・わたくしごと
 家で昼ごはんを終えて、さあ冷たいお茶でも飲もうか、とコップにお茶を注いだとたん、ちょっと体のバランスを崩したせいで、お茶が半分はいったコップを倒して、机の下の床に巨大大陸を作ってしまった。あらら、やっちゃった。絞ったばかりの雑巾をもってお茶を拭きとる。しかし、一度では水滴まできれいに拭き取ることはできない。また絞るか……と台所に向かおうとしたとき、こんなテレビ通販の広告が始まった。
 「ケチャップやソース、マヨネーズなどなかなか取れにくいものも、このモップを使えば、一回でこの通り。まるでこぼしたことがわからないくらに跡形もなく綺麗になるんです。(ウォー、という歓声) なんといっても、このモップはマイクロファイバーでできていますから、取り難い汚れもこの通り!(ワーという歓声)……」
 そうですか、そうですか。なんて間が悪いテレビショッピングなんでしょうね。こっちは雑巾ですよ。一回なんかじゃあ到底綺麗に拭き取れません。二回、三回と洗いなおして、拭きなおすんです。それでもね、綺麗になるんっすよ。そして使えなくなったら、ポイ。しかも古いタオルでいいんですぜ。ぼくは思うんです。私は高機能の通販商品より、エコと労力を選びますわ。ほら、ごらんなさい。今、お茶をこぼした床を見ても、そんな形跡はまったくわからないですぜ。
 わかってますよ。テレビショッピングに八つ当たりしたって仕様がないんですけどね……。それに負け惜しみの吐露にも聞こえるしね。とにかく間が悪すぎたんだな。間が。

悲しき亜熱帯

2010年04月24日 | 大学
 「雨」だけなら許せますけどね。そりゃ、そうでしょう。だって4月の沖縄の天気には、「晴れ」か「曇り」か「雨」しかないわけだし、確率論でいえば「雨」は低いけれど、でも「雪」が降るわけではないので、仕方が無いとあきらめることはできるんです。だれかを「お前は雨男だ、雨女だ」と言ってスケープゴートにすることで笑いに変えられるし。でも、4月23日の沖縄が「雨」のうえ、こんなに寒いなんて、私の沖縄生活10年の間の記憶にありません。これは許せないよ。でも誰をね?
 そんな中、見に来てくださった方には感謝です。それに踊り手の方たち、寒かったですよね(緊張して寒さなんて感じなかったですか?)。大学の校舎の壁に素敵なスライドを映してくれるはずのデザインの学生さんたちにも感謝。雨で中庭が使えなくて、映せなくて残念……。でも、ちょっとムーディーな(ぼくはオランダの夜のカフェの風景を思い出しました)照明をつくってくれたデザインの皆さんの感性は、ぼくの好みにぴったりでした。みんな、みんな、ありがとう。
 でもやっぱり沖縄だもの。暖かい方がよかったよね。だから昨日は、ちょっぴり悲しき亜熱帯。4月末の沖縄で襟を立て、ポケットに手を入れるのは似合わない。そんなイメージは「よそ者」の幻想なのかもしれないし、寒い沖縄も「沖縄」なのかもしれないけれど、でもガムランの音とそんな沖縄はうまくかみ合わない。きちっと歯車が噛み合わないんだよ。だから、昨日の気持ちは「悲しき亜熱帯」。

日の出が早まると……

2010年04月20日 | 那覇、沖縄
 このところ日の出の時間が少しずつ早まっている。なんだか夏至に向かって急激にスピードアップしているように感じる。しかしこの日の出の時間、今の私には実に深く関わっているのだ。
 東京に比べると、沖縄の日の出の時間は30分くらい遅い。経度の関係なので当たり前である。その分、当然ながら日没時間は東京よりも遅い。夏至のころは8時でもまだ明るいほどである。8時に子どもが外で遊んでいることも稀ではない。
 さて、この日の出の時間がなぜ私に関わるかといえば、それは朝のウォーキングである。沖縄の太陽の日差しは強く、紫外線も強烈である。つまりは紫外線にあたる前に1時間のウォーキングを終えれば、強い太陽の光に当らなくてすむのだ。これまではまだ暗い5時半に家を出れば、そんな日差しを避けることができたのだが、日の出が早くなるということは、家を出る時間も早めなくてはならないということになる。さすがに、4時台に起きて歩くというのはたいへんだ。早寝早起きでがんばらないと、ますます顔のシミが増えてしまうから。

稽古かレッスンか?

2010年04月17日 | 家・わたくしごと
 夕食を食べながら息子が「明日はテニスのレッスンはないんだ」と話してくれた。息子は週何度か近所のテニススクールに通っているのである。
 「テニスはレッスンって言うの?」と私は息子に聞きなおした。息子は変な顔して「そうだよ。先生に習うのはレッスンだよ。」と教えてくれた。何でぼくがそんなことを聞いたかといえば、「レッスン」という言葉に最近は敏感になっているのである。
 先週、学生の一人が「三線のレッスン」という言葉を私に使ったために、ぼくは学生にこうたしなめたのだ。「日本の楽器にレッスンはしっくりこないな。やはり稽古という言葉を使うべきだ。」
 芸術大学は基本的には「欧米」に満ちている。だいたい多くの学生は「洋楽」を学んでいるわけで、「稽古」なんて古臭い言葉は使わない。ピアノや声楽は「レッスン」というのが常識で、これから声楽のお稽古がある、なんていうとたぶん「お前、頭おかしいんじゃないの?」と思われるだろう。洋楽の場合の「稽古」とは、「武芸や諸芸を習う」という意よりもむしろ、「習ったものを練習する」という意で使われることが多い。レッスンでは「家ではしっかりお稽古しなくちゃいけない」などという表現で、「稽古」という言葉は使われるのである。
 しかし、個人的には和楽器(沖縄の楽器も含めて)にレッスンはそぐわない。やはり「稽古」こそがふさわしいのではないか。芸術大学の学生達よ。君達は日本人なんだ。せめて使い分けをすべきである。しかし洋楽の世界では、「稽古」を「レッスン」と表現する割には、「クラス」を「門下」と読み替えるあたりが怪しい。
 話は戻るが、テニスは一応ヨーロッパ発祥のスポーツだし、「レッスン」で良しということにしようか。

テンの行く末

2010年04月16日 | 家・わたくしごと
 村上春樹の『1Q84』の第3巻が今日発売されたと朝のニュースで流れている。夜の9時から熱狂的なファンが神保町の本屋に並んでいたそうだ。なんだか村上春樹の小説も、マイクロソフトが出す新しいソフト、任天堂のゲーム機、ハリーポッターの小説のような存在になっていることに驚く。私はまだ1巻すら読んでいないのだけれど。
 ところでぼくは、きのう佐渡トキ保護センター野生復帰ステーションの順化ケージでトキ9羽を襲った「であろう」テンが捕獲されたというニュースを聞いてふと思いだしたことがある。それは村上春樹の短編小説『人喰い猫』に描かれたちょっと薄気味悪い話だった。それは、どうしようもない状況の中で、亡くなった老婦人を動物の本能によって食べてしまう三匹の猫の話をテーマにしたものなのだが(この話は『スプートニクの恋人』の中にも再び登場する)、この小説では「その後の猫」について考える場面が登場する。私はそれを思い出して、トキを「襲撃」したテンはいったいこのあとどうなってしまうのだろう、と真剣に考えてしまった。テレビに映し出された犯人の容疑をかけられているテンは檻の中でリンゴを与えられて、けなげな姿でうずくまっている。
 『人喰い猫』の小説の中も、この中に登場する「彼女」は「僕」にこう言うのだ。
「でもその猫たちはそのあとどうなったのかしら?」と。そして結局「新聞というのはきっと世界中どこに行っても同じなのね。本当に知りたいことはいつもきまって書かかれてないのよ」と続く。彼女は猫のその後をこう想像する。一つは、「人間を食べたという理由で殺される」、もう一つは「『君たちもいろいろたいへんだったね』と頭を撫でられて無罪放免になる」の二つ。すると「僕」はこう答える。「施設に入れて更正させる、そして菜食主義に変える」。
 昨日捕獲されたテンはどうなるんだろう。確かにどのマスコミも、ぼくがもっとも知りたいこと、「檻に入れられたテンの行く末」について語っていないのだ。まさかトキ保護センターがテンのフカフカの毛皮に目がくらむなんてことはないだろうし……。


誘惑~雨の日のバス停にて

2010年04月15日 | 那覇、沖縄
 朝から雨……雨宿りする場所がない道路沿いのバス停。大きなトラックのタイヤがアスファルトに浮き出たような雨をひいて、霧のような微少な水しぶきをあげながらバス停の前を通り過ぎる。そんなしぶきのせいでメガネについた無数の小さな水滴は、私の視線を遮る。そんな日はすべてが腹立たしいのだ。バスは来ない。この日の時刻表はオブジェにすぎない。
 突然、タクシーがバス停の手前で徐行する。そして運転手は少しずつバス停のある側道に近づいてくる。そろりslowly、そろりslowly。タクシーはバスではないから決してバス停では止まらない。しかし、子どもの歩く速度と同じ速さでバス停の前を、まるでスローモーション映像ようにゆっくり通り過ぎていく。
 その瞬間、バス停で待つ人々はいっせいに近づいてきたタクシーから目を背ける。あるものは穴だらけの砂利がひかれた地面を、あるものはビニール傘ごしに黒い雲を、そしてある者は、用もなく自分のカバンの中に雑然と収まっている「何か」を見つめる振りをするのだ。そしてどの者もこう願う。「早く通り過ぎよ。早く、早く!」 しかしそんな願いもむなしくタクシーの運転手は、バス停に待つ人々をひとりずつ、誘惑するような不気味な笑顔で見つめながら、そろり、そろりと車を進める。まるで陸にあがった海亀のように。
 これが沖縄のバス停の雨の日の風景。雨の日の誘惑の風景。そんな徐行するタクシーの後方にバスの姿が見えたとき、人々の心の中は歓喜で満ち溢れる。そして人が変わったように背筋を伸ばして、たった今までその姿を消し去ろうとしていたタクシーを凝視しながら、誰もがこんな風に思い描くのだ。
 「君の負けだぜ。君の誘惑には負けなかったんだからね。」
 そして勢いよく走り去るタクシーのエンジン音が、ぼくの耳だけには運転手の舌打ちに聞こえるのだ。そして運転手はつぶやくように自分に語りかける。
 「まあ、見てろよ。次はぼくの勝ちさ。今日はほんの少しだけ運が悪かっただけなんだ。」

ダイエットその後(2)

2010年04月14日 | 家・わたくしごと
 ダイエットを始めてほぼ一ヶ月。毎日、歩く努力。朝は5時半に起きて1時間ウォーキング。万歩計の数はだいたい8200歩前後。出勤も徒歩で、だいたい20分から25分。これで軽く1万歩を超える。帰りもできるだけ歩くようにして、一日の歩数はだいたい17000歩くらいだろうか。二万を目指しているが、そこまで到達するのはこの生活では無理。
 3キロ強は体重が減っている。しかし、このところ甘えが見え隠れしてしまっている。というのは、どうしても「お菓子」を我慢できないのである。研究室には甘いものは一切置いておらず、何かお腹にいれたいときはお茶を飲むだけ。しかし「学科室」という罠があるのだ。教員のメールボックスがあったり、助手が仕事をする部屋には、教員から毎年度集めた「お茶代」でさまざまなお菓子が机の上を飾っているのである。
 ちょっと体重が減るとこの罠にはまりやすい。「いいじゃない。もう3キロも痩せたんだし」という甘え。翌日、体重計に乗っても「ちょっと食べても体重なんて変わらないじゃない」という甘え。「お昼を減らしているんだし、大丈夫」という甘え。三つの甘えにおぼれて、お菓子に負ける……。
 実は、そんな生活に負けたせいで、この二日体重は増加をたどっている。だから「今日はノーお菓子デー」と決定。でも今日はガムランの練習日。休憩時間に絶対、お菓子を見ないように外で休憩しようかな。体重に一喜一憂。なんだか女の子みたい。

夢の中で

2010年04月13日 | 家・わたくしごと
 先週の夢の話。息子と2人で旅行に出かけた。どこに出かけたのか今になってはほとんど記憶がない。ただぼんやりと都会の風景が目の前に続いていたような気がする。丸の内の裏通りのようなそんな場所だったかもしれない。
 夢の中の息子はもう身長が160センチ近い今の年の息子だ。何も言わずにぼくらは歩いている。映像としては車や人とすれ違っているのだが、私と息子の靴音以外は何も聞こえない。不思議な音風景だった。
 ぼくは、そのとき息子と手を繋いだ。それもほんの一瞬だ。そのとき気がついた。もう息子は手なんか繋がなくても、道路側に突然飛び出したり、はみ出したりしないし、迷子にだってなるわけはない。13歳の息子と手を繋いで歩く父親がいったいどこにいるだろう?ぼくは数秒の間にそんなことを考え、すぐに手を放した。息子はそんなことにも気がつかずに、ただ黙って歩いていた。
 当たり前のことかもしれないが、ぼくはこのあと生き続けられれば、いつの日が息子に手を繋がれることになるだろう。ぼくが息子の手を引くのではなく、引かれるときがやってくるかもしれない。それが何十年後のことなのかわからないが、ただ一つ明らかなことは、ぼくはもう息子の手を引くことはないのだ。それは息子が成長した証であり、喜ばしいことなのかもしれない。ぼくは夢の中でそんなことを考えながらも、目に涙があふれた。なんだかとても悲しかったし、空しかった。なんだか人生における一つの時代が終わってしまった気がしたからだ。