Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

抗議集会と演劇

2008年08月27日 | バリ
 今、バリの芸術大学は学長選挙をめぐる問題で大騒動になっている。連日、新聞やテレビを賑わせ、さらには大学構内では、3月の学長選挙の結果を正当なものであると主張する教員、学生たちによるデモや抗議集会がほぼ連日行われている。
 私自身は他の大学のこうした問題に関与する気は毛頭ないのだが、実は、私が昨年から調査のために追っているワヤンの人形遣いがこの抗議集会のために、すでに2度もワヤンの上演を行った。
 演劇が政治性を持つと、それは計り知れない力を発揮する。その上演者の知名度が高ければ、その影響力は大きい。しかしその代償も大きいはずである。1965年からはじまった共産党狩り、G30Sでどれだけの演劇人が殺されたことか。私は今、そんなことを考えながらこの騒動の中における演劇について考えている。

出発

2008年08月19日 | 
 今日から約1ヶ月の海外出張である。夜中までバタバタと用意し、朝7時過ぎに大学の研究室でいくつか仕事をしてなんとか11時半頃那覇空港から関空へ。国内線のシートに座ってから着陸30分くらいまでまったく記憶がない。ふと目が覚めると、眼下にちょうど明石大橋、しばらくすると神戸空港の小さな人工島が見える。なんだか急に国内旅行がしたくなってしまう。暑い、暑いと汗を拭きながら観光地をめぐる夏の国内旅行のどれも、私の脳裏に焼きついている。
 今夜、インドネシアの空港に着くと、村から迎えに車が待っているはずで、私は今夜から村落生活である。ちょうど今日からバリでは210日に一度巡り来る「お盆」である。3日間は村で豚肉料理の日々か・・・。若い頃はあんなに好きだった肉料理なのに、やっぱり年をとったのだと実感する。
 とにかく出発!やらなければならないことが現地では山積みである。「無理はしないこと」を自分に言い聞かせなければ。もう若かった以前とは違うのだから。

 

ど派手な道ジュネー

2008年08月17日 | 那覇、沖縄
 今日見たエイサーの地方(じかた)はとっても派手です。前回よりもメンバーも多くて素敵でした。トラックがいい感じですね。ちなみに、この状態で演奏をしながら、次の演舞の場所まで移動していきます。移動するトラックでブレガンジュルをやり続けるバリの若者と、ほとんど同じ「のり」です。

やっぱり道ジュネー

2008年08月17日 | 那覇、沖縄
 やはりこの時期は日々、エイサーが続きます。本日は、前回とは違うグループの道ジュネーです。この地域ではもっとも古いエイサーグループということもあり、規模も人数も大規模。演舞もそれほど演出されておらず、行列を成したままその場で踊ります。
 今年の道ジュネーもこれで終わり。最後にこんなアナウンスがありました。
「今年もまた無事にエイサーを行えました。これで、今年も事件や事故はないでしょう。皆さんありがとうございました。」
 なるほど、踊ることは祈ることなのですね。

またまた道ジュネー

2008年08月16日 | 那覇、沖縄
 道ジュネーのエイサーはただ太鼓をたたいているわけではなく、地方(じかた)とよばれる演奏者がいて、テープやCDの音源ではなく、マイクを通して三線を弾きながらさまざまな民謡を歌い続けるのである。電源がとれないために、小型トラックに発電機を乗せ、その荷台に地方用の舞台を作り、そこで歌い続ける。
 超格好いいではないか!ぼくは太鼓をたたく青年たちよりも、一人でトラックの荷台に座る地方の方が魅力的に思える。沖縄では、小学校の運動会や大きなイベントで、100人規模でのエイサーが行われたりするが、その多くは録音された音源を使うし、その音楽はポップ調の新曲が多い。それ自体を否定しているわけではないが、やはり小規模でも生演奏の方が私は好きである。

再び道ジュネー

2008年08月15日 | 那覇、沖縄
 今日もエイサーの道ジュネーが家の近くに来た。エイサーは演奏しながら行列をなすことができるが、演舞する場所が何箇所かある。その場所が、家の近くのコンビニの駐車場となっていたのである。バリ・ガムランの好きな方ならわかりやすいが、ブレガンジュルのコンテストと似ていて、いくつかの場所で隊列を組んで移動せずに演舞が行われるのである。数日前見たエイサーと比べると格段に上手なグループで、たぶんいわゆる「一軍チーム」なのだろう。見物人も前回に比べるとずっと多い。
 たぶんコンビニの許可はとっているのだろうが(もちろん、許可せざるを得ないだろうが)、この道ジュネーの20、30分はコンビニに誰も入れる状態にはない。入るためにはエイサーの隊列を横切る必要が出ているのであるし、駐車場で演じられているために車が駐車できないのである。
 エイサーを見ながら店の中を覗いてみる。暇そうな店員が、窓越しにエイサーを眺めている。仕方がないさ。これは儀礼だもの。

道ジュネー

2008年08月14日 | 那覇、沖縄
 今年は旧盆と新盆が重なっていて、昨日が盆の入りだった。沖縄では旧盆の初日をウンケー、中日をナカヌヒー、三日目をウークイといい、特に仏壇のある長男の家では祖先を祀る儀礼が執り行われる。この儀礼の前日はどのスーパーもすごい人だかりで、本土で言えば、大晦日のスーパーやデパートに似ている。祭壇用の青バナナ、青パイナップル、お菓子などが入り口に山と積まれ、儀礼直前という雰囲気を醸し出す。
 この三日間、場所によってはエイサーの道ジュネー(練り歩き)が行われ、町は太鼓をたたく音でにぎやかになる。那覇の街中では昼間は暑いので、たいてい日が暮れてから始まるが、わが家の周りでもこの道ジュネーがやってきた。夜遅く、外でガンガンに太鼓が鳴り、拡声器を通して三線の音と歌が聞こえてくる。道ジュネーの始まりである。驚くことなかれ、その時間は11時20分!外に見に行くとまだ小学生くらいの子供も参加しているではないか。結局、11時40分近くまで演奏と踊りは続いた。
 こんな時間に大勢で、しかも街中で太鼓をたたき、スピーカーを通して歌を歌うなんて東京では考えられない。絶対、パトカーがやってきて音楽を止めさせるだろう。しかし、そこは沖縄。驚くことなかれ、うるさいなんていう人は誰もいないし、数少ない観客も楽しそうに見ている。まさに儀礼空間という非日常的世界の中のコムニタス状態!
 ところで余談だが、この道ジュネー、カタカナで「ミチジュネー」と書いて、フランス語風に発音すると、ちょっと「おふらんす」的ヨーロピアンな感じがする(えっ、ぼく一人だけ?)。これって、エイサーを見る直前に、オリンピックで日本人が出ていたフェンシングの試合を見ていたせいかな。(フェンシングの進行はすべてフランス語なので)。


けもの道

2008年08月13日 | 那覇、沖縄
 最近、ウォーキングの時間を朝から夜に変更。早起きが苦痛なのではなく、日焼け対策である。この1,2年、顔にシミが増えてしまい、これ以上の日焼けから肌をまもるためにはできるだけ行動を日が沈んだ時間に変更する必要があるというのがその理由である。とはいえ、あんまり非常識な時間に歩くと職務質問にあうので、常識的な時間の範囲内である。
 そんな夜のウォーキングで一番やっかいなのが、暗い道である。沖縄の郊外は、東京の郊外に比べると以外に街燈が少なく感じて、とにかく道路が暗い。しかもその道路の「手入れ」がなっていないのだ。場所によっては両側から雑草が茫々に生え、一人歩くのもやっとで、そんな場所を通っていると「ハブに襲われるのではないか」という恐怖心におののいてしまう。
 とはいえ数日の間にだいぶ手入れされていて歩きやすくなっていたのだが、まだ50メートルほどの部分だけが写真の通り。それにしても不思議である。結構、車の通りの多い道路の幅2メートルほどの歩道の50メートルだけがこんな状態で、それを過ぎると美しく刈られているのだ。不思議に思いながらふと車道の上にかけられた看板を見ると、ちょうど行政地域(市)の境界のようで、新たな市名が掛けられている。
 想像の域は超えないのだが、この50メートルは作業を行った行政区とは異なる行政区のエリアなのではないだろうか?ようするに「他人の土地だから草刈の必要はない」ために、その部分だけが宙に浮いたままほっぽり出されているのではなかろうかと・・・。それともハブ体験コーナーとして残しているわけ?

地方紙

2008年08月11日 | 家・わたくしごと
 「日本の女子重量挙げ、8位ではなくて、6位だったんじゃないかしら」とかみさんが新聞の一面を見て私に言う。新聞を覗いてみると、「大城8位入賞」と夕刊一面の見出しに大きく出ている。確かにこのオリンピックで日本の女子は重量挙げで6位に入賞しているのだ。しかし、6位ではなく8位が新聞の「一面見出し」なのである。
 沖縄に住んで十年近くたった今、こんなことには驚かなくなったが、地方紙というものを知らず、東京で朝日、毎日、読売、産経といった新聞に馴染んでいた私は、引っ越した当初、こうした見出しには驚愕の連続だった。確かに8位に入賞したのは沖縄出身である。だからこそ8位でも新聞一面見出しで取りあげられ、6位入賞の日本人のことは触れられないのである。
 地方紙というのは地元密着型の新聞だ。一面くらいは全国版の内容と同じと思いきや、とんでもない。一面から地元密着型なのである。考えてみれば、バリで調査をするとき、重要な資料となるのがバリの地方紙BALI POSTである。地方紙だからこそ、バリのさまざまな情報が得られるのであって、全国紙ともいえるKOMPASにはバリの情報はほとんど掲載されない。
 「大城8位入賞」もまたこの地方紙の象徴的な記事である。たぶん全国紙で8位はほとんど扱われていないのだろうが、沖縄では、こうして故郷に錦(新聞の一面)が飾れたのだから最高ではないか。東京出身の私はこれまで「東京出身」の選手を応援したことなんて一度もなかったが、こうして沖縄に住んでみて「おらが地方の誇り」というのが少しずつわかりかけてきた気がする。


コーラ

2008年08月10日 | 家・わたくしごと
 先週、友人二人と飲んだときコカコーラとペプシコーラの話になった。コカコーラとペプシコーラの味はともかく、どちらもコーラであるが、そのスタンスの違いについてである。かなりお酒が入ってからの話なので、どれほど信憑性があるかはわからないが、ペプシというのは、ある意味、筋金入りの反骨精神を持っているという。なるほどコカコーラ帝国主義により、世界中でコカコーラが飲まれている中で、「ペプシ」は少数派ながらがんばっているのである。自己主張をし続けているということなんだろう。
 この日一緒に飲んだ私の友人二人はデザイナーでマックユーザーであるが、彼らがいうにはウィンドウズが世界を制覇する中のマックと同じだというのである。確かに酔っ払っている私は「なるほどなあ。いいこと言うなあ。」とただ頷くだけであった。
 二日酔いの翌日、このことをできるだけ冷静に考えてみた。友人と違って私は根っからのウィンドウズユーザーだし、コカコーラであれペプシであれカロリーゼロであれば、こだわることなく飲んでしまう。そのうえ、会議でも発言することなく、ただ地蔵のように黙っていることが多くなっているのだ。情けない・・・・学生には偉そうなことを言っているぼくも結局は多数派としてのうのうと暮らしているんだ・・・。(今思えば、二日酔いで冷静さを欠いていたと思うのだが。)
 今日、かみさんと小さなホテルのレストランで食事をした。セルフサービスの清涼飲料のコーナーに目が留まった。そしてまたコーラのことを思い出してしまった。なぜだか、今日、私はこのコカコーラのサーバーの傍には近づかなかった。今日だけは世間に流されないで、「俺はペプシしか飲まないんだ!」と自己主張してみたかったからである。たぶん、今日だけだと思うのだが。