Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

眠れぬ夜

2007年06月29日 | 家・わたくしごと
 次の日の出来事のおかげで眠れない夜を過ごすパターンというのは、翌日に行われる出来事に不安である場合か、翌日に行われる出来事が待ち遠しい場合のどちらかである。私のこれまでの人生では圧倒的に前者が多い。
 昨晩、私はあまりよく眠れずに、今朝はとんでもなく早い時間に目を覚ましてしまった。部屋のクーラーが切れてから、熱帯夜で苦しんだという現実的なことが影響しているのは否定できないが、実は、久しぶりに待ち遠しいことがすぐ目の前に近づいてきたのだ。なぜなら、明日に行われるガムランの山形公演に出かけるのである。やはり普段と異なる場所で演奏するというのは気持ちのよいものだ。何よりも、沖縄では見ることのできない山間の村落、そして温泉となれば願ったりかなったり。
 ところで、ここまで書いてきて、今日のブログのタイトル「眠れぬ夜」が、オフコースのヒット曲と同じであることに今ふと気づいた。たしかサビの部分の歌詞は、「眠れぬ夜と、雨の日には、忘れかけてた、愛がよみがえる」と小田和正が絶叫していたのではないだろうか。かわいそうだなー、眠れない上にそんなこと思い出すなんて。今のぼくには考えられないさ(沖縄風に発音)。眠れなくたっていっぱい幸せさ(再び沖縄風に発音)。


クワガタ来訪、そしてまた仲間が増える

2007年06月28日 | 家・わたくしごと
 一昨日、早朝に玄関に差し込まれた新聞を取ると、大きなノコギリクワガタのオスがくっついていた。おいおい、先週はカブトムシで、今週はクワガタか!しかし、ともかくわが家に来訪したわけなので、歓待することにした。とりあえずカブトムシが飼われている飼育箱に入れ、食事を提供する。
 私の中では、甲虫類にヒエラルキーがあり、下の方に決して捕獲することのないカミキリ、カナブンなどが存在し、その上にカブトムシ、そしてその頂点にはクワガタがランクされている。だいたい子どもの頃から、毎年、夏になるとクワガタ採りに行ったが、決してカブトムシは捕獲しなかった。まずカブトムシは、少なくても国分寺周辺にはたくさん生息しすぎていて、「見つけた」という喜びがまったくなかった。さらに飼育箱ではやたらと「オシッコ」をして中を汚す上、寿命も短かった。どんなに丹精をこめて飼育しても、その命はだいたい1,2ヶ月でつきた。それに比べてクワガタは、捕獲そのものが困難だった。たとえば、木の穴に隠れるヒラタクワガタ一匹を見つけてから、それを傷つけずに外に出すことに数時間をかけたこともある。だからこそ、それを手にしたときにはこの上ない喜びを感じた。しかもやたらと長生きをした。越冬クワガタなんてざらだった。
 とりあえず、毎日、飼育箱の中を覗く。飼育箱の対角線上の両端に二匹は半分くらいオガクズに埋もれながら、日がな一日を送っているようである。カブトムシとノコギリクワガタが、ゴールデンリトルバーとベンガルトラの赤ちゃん同士のように、じゃれ合うわけはないので、お互いに見て見ぬフリをしていてくれれば、こちらとしては安心である。というわけで、またわが家には小動物が一匹増えたのだった。ちなみについた名前は、「クワ」である。これって名前なんだろうか?


古典を聴く(2) The BEATLES

2007年06月27日 | CD・DVD・カセット・レコード
 先月、品川駅の階段を上りながら、「しらふ」の友人が突然、「Number Nine, Number Nine」と繰り返し言い始めた。どんな話の流れでこの言葉が出てきたのかは全く記憶にないが、一緒にいた30代の女性は、「あの人、またワケのわからないことを言い始めた」と思ったに違いない。しかしNumber Nineと繰り返し言われると、私のようなオジサンは、ビートルズの1968年発売の2枚組のアルバム「The BEATLES」(通称:ホワイトアルバム)の2枚目B面の「あの曲」を反射的に思い出してしまう。
 このビートルズの《Revolution 9》は、ロックのアルバムに入った「現代音楽」で、さまざまな音源を加工し、それらをコラージュしたもので、いわゆるテープ音楽といっていいのだろう。もともとビートルズはライブ活動をとっくにやめていたが、スタジオの機械を駆使して作られる究極の音楽である。私の周りのビートルズ好きは、この曲を好んで聴くタイプと、あるいは絶対に2枚目B面の最後から2曲目のこの曲が流れ始めると針を上げてしまうために、この曲のあとの《Good Night》を知らないタイプの2通りに分類できた。
 私は・・・というと、格好良く「筋金入り」のビートルズファンをきどって、「前者です」といいたいところであるが、実際のところは後者である。《Good Night》を知ったのはLPを購入してからだいぶたった頃で、しかもラジオで知ったくらいである。
 ポピュラー音楽論の授業で私はこのビートルズの画期的な実験的作品を流すことにしている。そしてこんな風に締めくくるのである。
「ホワイトアルバムのこの曲を聴かなくちゃビートルズは語れません。皆さん!」
 先生なんてこんなものである。

バリの黒魔術

2007年06月26日 | 
 先週の土曜日、神保町のアジア文庫でバリ人作家A. A. パンジ・ティシュナ『バリ島の人買い』を買って、三日間で読み終える。この作家は戦前にバリで出された雑誌Djatayuの編集長で、バリの文化人としてよく知られている。以前、大学生協で注文したときには、すでに版元品切れで買うことができなかった本である。小説はバリの恋愛関係、黒魔術、奴隷売買をテーマにしてもので、原書は1935年に出版されている。バリ人が書いていることもあって、戦前のバリの様子や習慣が小説とはいえ、忠実に描かれているように思える。
 タイトルは「人買い」であり、バリで以前から行われていた奴隷貿易について書かれてはいるが、どちらかというとこの大半は、黒魔術によって男性が女性の気を惹いて結婚をしようとする企てが詳細に描かれている。
 現在のバリではこの手の黒魔術が存在しているのかどうか、たまに友人や学生に聞かれることがある。さて、そう聞かれても回答に困ってしまう。あるのか?といわれれば、きっと「あるに違いない」と答えるしかない。私の周辺のバリ人の何人かは、「この病気は○○の魔術のせいだ」とか、「魔術のせいで△△になった」とまことしやかにヒソヒソと私に耳打ちするのである。また実際に、私がバリで勉強していた人形遣いの先生のところに、人を不幸にするための黒魔術の依頼にきたバリ人に遭遇したこともある。少なくてもバリ人は、「魔術」や「呪術」は「ある」と信じ続けている。
 「それじゃ、日本人もその魔術にかかるんですか?」と学生がつっこんでくる。「そんなこと、知るわけないでしょう?そんなに知りたいのだったら、バリにいって、魔術師を探して「かけて」もらえるようにお願いしてみたらどうですか?」などと面倒になって私は、無責任な発言をする。この本によれば、少なくても恋愛に関する魔術は、魔術師に高額な経費を支払ったところで、一時的な効果しかないようである。だから小説の中では、その精神状態を「麻痺」させた期間に、公的に認知される婚姻関係を築いてしまおうとする。2度目、3度目と魔術を使っても、その効き目は最初ほどではないという。結局のところ、黒魔術の効力は永遠ではない。「ホンモノの恋愛」をしなければ「ホンモノの関係」は築けないということだ。


七夕近し

2007年06月25日 | 東京
 大森駅の改札口に大きな七夕飾りを見つけた。正直なところ、これを見るまで、七夕が近いことに気づかなかった。季節感を駅で感じることが出来る幸せ。考えてみれば、沖縄で竹林を見た記憶がない。東南アジアには竹が多く、竹の楽器が多いわりには、沖縄で見ないのはなぜだろう?たけのこ掘りなんて聞いたこともないし、だいたい出かけたところで、ハブに噛まれてたいへんかもしれないぞ。
 大森駅の七夕飾りには、たくさんの短冊が吊り下げられている。願い事の短冊。どうして七夕の短冊には願い事を書くのだろうか?彦星と織姫の年に一度だけの恋愛成就にあやかっているのかな? 七夕の短冊は、年に一度の絵馬や願い木のようだ。
 さて私は何をお願いしよう?御守りに書かれた四文字熟語、たとえば家内安全、家庭円満、夫婦円満、学業成就、健康長寿・・・なんていうありきたりの言葉は別にして、もっと下世話な願いはないだろうか・・。
(願い事 その1)原稿が締切りまでに脱稿しますように。
(願い事 その2)大学の事務仕事が減りますように。
(願い事 その3)おこずかいが値上がりしますように。
 一つでもいい。成就してくれ!

雨はどこへいった?――三軒茶屋で――

2007年06月24日 | 東京
 不覚にも大好きな天気予報を東京に来る前に見てこなかった。東京は梅雨空が続くと思いきや完璧な晴天である。なんだか那覇といっしょに東京までもが梅雨明けのようだ。家を出て空を見ると、あまりに空の青さと、太陽に照らされて輝く玉川上水の木々の色が美しいので、デジカメで撮影してみた。同じ青空でも沖縄の青空とは何かが違う。そして本土の広葉樹の緑も、その色を反射して屈折した太陽光も沖縄にはない・・・。
 三軒茶屋での打ち合わせに向かう途中、吉祥寺の中古サッカーユニフォームのお店でセルティックの2003-2004のユニフォームを購入、カレーを食べて、渋谷を少し散策。ハンガリー音楽史の古書を一冊買って、三軒茶屋へ。なぜか天気のよい日は財布の紐が緩んでしまう。ただし買ったものはすべてセカンド・ハンド。
 三軒茶屋は高校の頃、1年ばかりお稽古ごとに通ったことがある。渋谷から4,5分で着いてしまうわりには下町っぽいというか、やたらと暗い路地が多いというか、ともかく渋谷とは対象的な雰囲気をもったお気に入りの街だった。特に好きだったのは、世田谷線の駅周辺のゴタゴタした雰囲気だった。どこにあったか記憶はないが、世田谷線の駅のすぐ脇にあった古本屋でバウム『バリ島物語』(昭和17年)を購入した記憶がある。キャロットタワーができて、三軒茶屋もすっかり変わった気がする。
 世田谷通りを歩いていくと、まだ246の方向に向かう細い路地は健在だった。20年以上たってもそのままのたたずまいのお店がいくつもある。すれ違う二人ずれの年配の男性が「路地は変わんねぇなあ・・・」と呟いている。路地の一角にはトタン板で囲まれたような感動的な風呂屋の入り口がある。なんだか心が躍ってしてしまう。だから、そんな気持ちのまま三軒茶屋の街がゆっくり見たくて、大きな窓のある喫茶店に入る。R&Bが静かに流れる店内から、大きな青空と音のない街が見える。携帯電話の宣伝用の旗が風になびいている。照りつける太陽、小走りに歩く人々・・・。いったい梅雨はどこへいったのだろう?


梅雨が明ける

2007年06月23日 | 那覇、沖縄
 朝起きると、真っ青の空、明るい太陽、蝉の鳴き声・・・完璧なる夏の到来。おもぐるしい灰色の雲に覆われた梅雨が幻だったような感覚に陥る。そうだ。梅雨は明けたのである。
 私は梅雨明けのこの日が大好きである。もっとも、これから毎日、「もういいでしょう?」といわんばかりの連日の真夏日が数ヶ月も続くわけで、正直なところそれが待ち遠しいのではない。どちらかというと嫌いである。しかし、突然の亜熱帯が訪れたような今日だけは特別だ。長いトンネルを抜けた瞬間のような太陽の輝きや木々の香りは、何度経験しても気持ちのよいものだ。
 さて、そんなウキウキした気分をよそに、今、私は東京にいる。東京は本格的な梅雨がそろそろ始まったらしい。小雨模様の曇り空は、昨日までの那覇をいやおなしに思い出させる。3日間、傘を持って街歩きなのだろうか?あの雨に濡れた独特のにおいのする満員の車内の乗客の一人になるのだろうか?
 しかし私は幸せものである。3日後には、再び、沖縄に戻る。そしてきっと今日の朝のような真っ青な空と対面できるのだ。東京から沖縄に戻るたびに体験できる梅雨明け。考えてみれば来週は山形で仕事だ。今年は何回梅雨明けのすがすがしい気分を体験できるだろうか?

高橋悠治の弾いたバッハ

2007年06月21日 | CD・DVD・カセット・レコード
 20数年前、高橋悠治の演奏するJ.S.バッハのクラヴィーア協奏曲をどこかのホールで聴いた記憶がある。その頃、私はデンオンから出ていた高橋悠治のこの曲のレコードを持っていて、それなりに個性のある演奏だとは感じていたが、舞台を見て、ここまで凄いとは思わなかった。クラシック音楽の演奏会で、指揮者は燕尾服、オーケストラの団員が男性は黒スーツ、女性は白ブラウスと黒スカートでばっちりきめているにもかかわらず、なんと高橋悠治は、白のTシャツ、ダボダボのズボン、そして極めつけなのは、黒い革靴ではなく、たぶんサンダルらしき履物で登場してピアノの演奏を始めたことだった。
 当時の私には理解不能であり、日本で体験した最初のカルチャー・ショックだった。その衣装のアンバランスが気になりすぎて、演奏がどうだったかほとんど記憶がない。ともかく、ピアノまで歩いてくる速度の遅さ、楽屋に戻るときのけだるい雰囲気だけが目に焼きついている。まるで演奏会を「見に行った」感がある。
 しかしよく考えてみると、なんで現代日本におけるクラシック音楽の演奏では、演奏者が「正装」しなくてはならないのだろうかと考え始めると答えが出ないことに気が付いた。音楽大学ではピアノのレッスンのとき、「きちんとした格好をすること」が暗黙のルールだった。だから女子学生を見ると、その日にレッスンがあるかないかひと目でわかった。私には彼女たちのレッスンの日の格好があまりのもセンスのない服のように目に映った。徐々に私はピアノのレッスンの日には、穴の開いたジーンズ、いちばん汚いTシャツを着るようになった。私は、私なりに答えを探し続けたつもりだった。結局、そんなことも面倒になってピアノを止めた。
 私がかつて聴いた高橋悠治のJ.S. バッハのクラヴィーア協奏曲集のレコードが、初回限定生産の紙ジャケCDが発売したのを知り購入した。若い頃の高橋悠治が、柄物のシャツを着てピアノに向かうジャケット。しかし、背広が「かりゆしウエアー」に変わる現在、これを見ても特別な感慨はない。クラシック音楽のあり様も少しずつ、時代とともに変わってきたことを実感する。だからこそ思うのだ。芸術大学が「古代遺跡」になりやしないかと。


わが家のペット

2007年06月20日 | 家・わたくしごと
 うちのマンションは犬、猫などのペットは禁止である。だからといって、ライオンやタヌキがいいというわけではない。ようするに四足の動物をペットとして飼育することを禁じているのである。
 しかし四足でなければ、たいていのペットは問題にされない。まず、部屋でインコ、文鳥などの小鳥を飼ってもよいとされる。それどころか、わが家の向いの家の玄関ではニワトリが飼われているが、これも問題にはならない。鶏となると小鳥ではないが、ようするに「鳥」は四足ではないからいいのである。
 わが家にも4種類プラス1種類の小動物がペットとして飼われている(生息している)。まず金魚、名前は「金ちゃん」(たまにKing of Kingとよばれる)である。金魚を金ちゃんとよぶのははたして名前なのかどうかよくわからない。次に、ベタ。これは観賞用の魚の種類で、「ベタ」とよばれる。これも名前なんだろうか?続けて、ヤドカリが6匹。これらは海岸で採取してきたものだが、現在は水道水で金魚の餌を食べて、すくすくと育っている。名前は・・・まだない。最後に昨日、子どもが採ってきたカブトムシ、名前はブーちゃん。名前の由来はカブトの「ブ」をとったもの。これも名前としていささか貧弱である。プラス1は、家に多数生息するヤモリで、わが気ではバリ語で「チュチャ」とよばれている。できれば、私としては、金魚はメアリー、ベタはエース、カブトムシはブラッキーなどのかっこいい洋風の名前をつけたいのだが、名前をつける権限はすべてカミサンにあるため、指を加えているだけである。
 実家に家族で帰るとき、このペットたちはどうなるのかといえば、マンションの親切な複数の「誰か」が手分けして預かってくれる。結局、ペットたちは、わが家が飼っているというよりも、マンションの人々によって飼われているわけだ。幸せものである。

クーラーが壊れる

2007年06月19日 | 大学
 今日はガムラン&ケチャ講座の2回目である。梅雨にも関わらず、大半が社会人の受講生は真面目に大学のスタジオに通ってくれる。全5回の講座だが、ガムランとケチャの混ざった曲を作って、最後の日にこの曲の完成披露を考えている。
 さて講座が始まる前、スタジオの中にプラスチックが焼けるような匂いが漂う。あれ?と思っているうちにクーラーが止まってしまう。と、冷静に書いてはみたが、梅雨の沖縄で、20人近くが入るスタジオのクーラーが止まるということはただごとではないのだ。部屋の気温は徐々に上昇する。講座が始まると、ますます室内が暑くなる。防音されたスタジオには窓がない。徐々に息苦しくなる。
 後半のケチャが始まってから、人一倍大きな声を出して指導する。そのせいで、なんだか朦朧としてきたとき、この状況をバリで経験したことを思い出した。暑い中、1時間も詩の朗唱をさせられたとき、こんな不思議な感覚に陥った。そう思ったとたん、この状況が単なる苦痛には思えなくなってきた。それどころか、肉体的な不快を体験する中で、チャッ、チャッという声がシャワーのように降り注ぐと、精神的には至福が味わえるのだ。これはかなり危険な領域に到達しているぞ。なんとかしないとマズイことになってしまう。時計を見ると9時数分前だ。
「ちょうど、9時だから今日はこれで終わりにしましょう。」
 私は極めて冷静を装いながら、ちょっぴり嘘をついて自分を現実世界に引き戻す。危ない、危ない・・・。