Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

埋め立て

2017年01月25日 | バリ

  先月、バリの空港に到着前の一枚。これが今、バリで問題になり、繰り返しデモが行われている埋め立ての現場である。この海を埋め立てて一大観光地にしようというバリ州の戦略。確かに空港の近くでそんな場所を作ることができればお金も落ちるだろう。細かな経緯や事情がわからない私がその現状にものを申す資格はない。
  日本だって江戸時代からさんざん埋め立てて今がある。東京も横浜もかつて海だったところは今、高層マンションが林立し、東京の繁栄の象徴になった。昭和40年代にはゴミの島である「夢の島」を埋め立ててつくったことも忘れてはならない。もちろん今はあのゴミが嘘のような夢のような場所へと変貌している。しかもそんな場所がオリンピックの会場になるらしい。
  埋め立ては自然を破壊する。もっともだ。何も間違っちゃいない。でも一方で数百年続いてきた「埋め立て」で日本は豊かになったのもまた事実だ。なぜ今、埋め立てが悪なのかを過去に遡って考えることも重要だ。埋め立てによりどんな問題が生じたのか?今、どんな問題が生じているのか?ぼくはまだまだ勉強不足だ。もっともっと学ばなくてはならない。でも、だからといって「埋め立て」をぼんやり他人事のように眺めていていいんだろうか?自問する日々が続く。


24 hours

2017年01月19日 | バリ

  バリにはたくさんのコンビニがある。デンパサールの街中であれば、ちょっと歩けば24時間営業のコンビニがあり、バイクがあれば買い物には困らなくなった。市場で買い物をしていた私がバリに住んでいた時代からみると隔世の感がある。まあ、便利になったわけだし、別に不満があるわけではない。
  そんなコンビニが増える一方で、このDS Martの歴史は結構古い。これはコンビニの大手チェーン店ではない。バリの万屋が24時間オープンしているといったところ。なのでおしゃれ感は全くなく、店員もひじょうに不愛想である。しかし、市場の延長上にあるようなこの店、実に雰囲気がいい。ごちゃごちゃ感がたまらないのである。
  宿泊先からも近く、この店は最近の行きつけである。といってもかなり前からあった気がする。コンビニ文化がここまでバリに広がる前にはDS Martは存在していただろう。バリらしい雑多なこのお店、利用者も多い。時にはバイクの駐車スペースにも困るほどだ。なんといってもコンビニのように駐車スペースで若者がつどって夜にビールを飲むような雰囲気はない。そんな気にさせない店構えも素敵である。


復帰

2017年01月16日 | 家・わたくしごと

 本日1月16日から仕事に復帰します。火曜日に発熱、水曜日にインフルエンザA型と診断され、39度代の熱を数日出してしまいました。結果としていろいろな方に迷惑をかけてしまいました。本当にすみません(ブログはほとんど独り言状態なんですが)。
 やっと今日から仕事ということで、新入社員でもないのに6時過ぎに目が覚めました。美しい朝焼けでした。ベランダに出て何枚か撮影しようと思いましたが、1枚撮影したところで寒くてそそくさと部屋に戻りました。
 仕事は山積みです。でもここで無理するとまた逆戻りなので、溜まった山を一気に平野にするのではなく、この1週間で少しずつ低くしていこうと思っています。


ウブッド

2017年01月15日 | バリ

  僕はバリ芸能を本格的に学ぶようになった30数年前から今まで、ウブッドにはあまり永居したことがない。ここに宿泊すれば買い物がしやすいとか、夜に上演される芸能の舞台を気楽に見れるという理由から、何度か宿泊したことはあるが、一人ならば確実に日帰りで、滞在時間も1時間弱である。
  1980年代前半からウブドは賑やかな村だった。といってみたところで、当時を知る友人なんてほとんどいない。賑やかとはいえ、その賑やかの度合いは今の10分の1くらいだった。車の中心は観光客を乗せた白タクかベモの時代なんだから、今の渋滞と路上駐車なんて想像できなかった。あのころからあった店は今でも何軒かは残っているが、そんな時代の面影はもうない。
  ぼくがウブドに行くもっぱらの目的は本屋である。ここにはガネーシャブックショップという比較的バリ関係の書物が充実した本屋がある。ここができてから、年に一度はこの店を訪れる。発見があることもないこともあるが、出向くことが慣習になってしまっているから特に気にしない。訪れることで一つのミッションが完了したように気分になる。かつてはガネーシャに行くついでに買い物でもしようか、なんて気分にもなったが、渋滞する道路のことを考えると躊躇するようになった。不思議なものである。車の多いデンパサールに宿泊しているくせにウブドの渋滞にうんざりするのである。
  変わりゆくのは当然である。別にそれをとやかく言っているわけではないし、初めてこの街(もう村と書くには少々勇気がいるようになった)を訪れる観光客にとっては「こんなものなんだろう」と街歩きをする。それでいい。まさにこれが今のウブッドなのだから。でも私はここに住んでいるわけではないから、30年以上もの間、行くたびに段階的に変化していく街についていけなくなってきているのだ。別に悲しいとも、そういう自分が情けないとも思わないが、こちらも自然体でウブッドに接することができればそれでいいと思っている。背伸びして相手に合わせようとすると、いずれはへとへとなってしまうものだ。


インドネシア風中華食堂「ラハユ」

2017年01月13日 | バリ

 このメニュー表を見て、「ああ、あそこね」「懐かしいわ」なんて思う方は、デンパサール市街の北、トゥリジャタ通りの北にあるこのインドネシア風中華食堂「ラハユ」をごひいきにしていた(している)方々である。中華系のおじさんとおばさん(今ではおじいさんとおばあさんというのが正確なのだろうが)が経営するこのお店、私が留学していた1986年にはすでにトゥリジャタ通りでは有名な食堂だった。うちの下宿でも、作ったおかずがなくなったり、あるいは一品足りなかったりすると、ここに野菜炒めなどをテイクアウトで買いに行った。だいたいそんな時間は各家からお手伝いさんが、そうして1,2品のおかずを買いにきていて、待ち時間も相当だった。
 この通りの先には日本人を含む外国人を大勢教える有名な踊りの先生の家があるし、だいたい私も含めて日本人が代々住んでいた通りなので、知らないうちにここの主人は日本人だとわかると、「こんにちわ」「こんばんわ」「お元気ですか」「何を買いますか?」なんて日本語で聞いてくれる。そんな気遣いが嬉しいものだ。
 今回、数年ぶりにこの店に行ってみた。昔とかわらないたたずまい、決してきれいとはいえない店の内装、そしてやっぱりひっきりなしに訪れるお客さん。ちょうどぼくの注文が最後でお客さんが途切れたとき、主人はぼくの前に座ってこう言った。
 「もう年をとったよ。中華鍋が重く感じるからね。おまえがこの店に最初に来たのは何年だい?」
 「1986年だと思うな。ほとんどここで昼食食べてたかな」
 「そりゃ、お互い年をとるね。今度はいつ来るんだい?」
 「なんだか店がなくなっちゃうみたいじゃないか。8月にはまた顔を出すよ。」
 そんな会話が終わると、彼は何事もなかったように厨房の前に立った。直前の会話がまるで嘘だったかのように、大きな中華鍋を自由自在に操り始めた。「まだ当分、大丈夫だよ。」そんな彼の後ろ姿を見てなんとなく嬉しかった。
 


贅沢な食事

2017年01月07日 | バリ

 一人でデンパサールに滞在していると、栄養が偏るか、それとも贅沢な食事のどちらかになってしまうものだ。たとえばナシ・ゴレンを頼めばご飯の量でお腹はいっぱいにはなるが、焼き飯だけだから野菜が不足する。ナシ・チャンプルだってやはり肉類がどうしても多くなるし、野菜のチョイスはあまり多くない。それじゃあ、野菜ものと肉ものを両方注文すればいいのだが、そうなると写真のような豪華でボリュームたっぷりの食事になってしまうのだ。
 いつもは一品だけだったが、今回は前回購入したプラスチック製の器を持参したこともあり、水分がいっぱいのものも家に持ち帰ることができるために、このような豪華な食事を続けたのだった。サテ・バビ(豚肉の串焼き)が10本、それに野菜の炒め物が一杯。これでも350円程度なのだが、それにしても量が多くなってしまう。これはインドネシアだと二人か三人前のおかずの量だろう。しかし短期間の滞在とはいえ、やっぱり栄養は重要。昔のように体力もないわけだからと、結局、今回の滞在はこれに似た食事を続けたのだった。おかげでお腹を壊すことも体調を崩すこともなく絶好調で滞在を終えた。
 ちなみに私は一人でお店で食べるのが嫌いなわけではないのだが、とにかくこの時期のデンパサールは暑いだけでなく、食堂にはハエもたくさんいるので、やっぱり一人静かに部屋にテイク・アウェイで食べてしまった。軟弱になったもんだな。家に持って帰るなんて若い頃は考えられなかったのに。


Tunjuk村へ!

2017年01月06日 | バリ

 年末22日からバリに9日ほど行っておりました。私としては」「9日しか行けない」なのですが、一般的に見れば「9日も行ける」なのでしょう。仕事が年末まである方からみれば当然だと思います。しかも私は正月は実家で過ごすと決めているために大晦日には日本に戻ってきているわけなので。もちろんずっと海外にいようと思えば、2週間は滞在できるわけです。本当に今の仕事に感謝しています。
 9日間のうち6日間は、バリの暦ではワヤンと名前が付けられた週であり、これまで調査を続けてきたサプ・レゲール儀礼が毎日のようにどこかで行われているのはわかっていましたが、今回はこの調査ではなく、自分のワヤンのダランとしてのスキルアップのために、また来年の大学の授業の準備も含めてバリに滞在しました。そういう意味で科研などの調査に束縛されなかったことから、若い時のようにお稽古に夢中になることができました。ある意味、久しぶりに「楽しい」バリ滞在でした。日本の方とは1度、沖縄時代の教え子と食事をしたくらいで、基本は一人。そういう生活も留学時代と同じでした。
 ほぼ毎日のようにトゥンジュク村に通いました。行きは儀礼渋滞などで片道1時間半もかかるときもあり、さすがに「遠さ」を実感しましたがそこが私の学びの場。毎回、この写真の場所を通過する頃は、大声で前の日に習った歌をバイクに乗りながら絶叫しておりました。今回は、自らの稽古のみならず、村の現代的な音楽のイベントにコメンテーターとして参加したりと、予期せぬ状況にも遭遇しましたが、やはり30年以上この村の人々が私を受け入れてくれていることに喜びを感じました。特に今回は村のさまざまな人と話もできたし。こういう滞在もたまには必要だと実感した次第です。若いころの「ガムランやワヤンに夢中になる気持ち」が自分の中に蘇った気がしています。もちろん日本に帰国した今も継続しています…。


謹賀新年

2017年01月05日 | 家・わたくしごと

 遅ればせながら明けましておめでとうございます。年末はソウル、バリと海外にいて31日に日本に帰国しました。お正月の三日間は浜松を離れ、東京におりました。それにしても3日間、とても晴天に恵まれたお正月でした。
 正月に散歩をした玉川上水の遊歩道の木々もすっかり葉が落ちて、荒々しい枝だけが空高く伸びているようでした。あと数か月、私と同様に春を待ち焦がれているんでしょうね。木々は冬眠できても私は無理。数ある予定を一つずつこなしていかないと今年度は終わりません。
 今月からワヤンの公演もありますし、本の刊行準備もしなくてはなりません。なんでもかんでも引き受けているとまたとんでもない一年になってしまうので、いろいろセーブしながらまずやる必要のあることから片づけていこうと思います。今年もよろしくお願いします。