Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

旧陶芸棟から

2012年11月30日 | 那覇、沖縄
 沖縄県立芸大の美術工芸学部が新キャンパスに移転してからもう1年以上が経った。結局、退職するまで一度も新校舎に行かずじまいだった。ガムランが置かれた附属研究所のキャンパスにあった陶芸や織、染色の専攻も今はすっかり移転してしまって、今は空っぽの校舎が残るだけ。作業用のつなぎを着た学生たちのにぎやかな声が聞こえた頃が懐かしい。ガムランにもそんな恰好のまま、作業を抜け出して参加していた学生たちがいた。今だって、そんな学生たちの名前も顔をはっきり思い出すことができる。
 何もない、誰もいない静かな陶芸棟から那覇の街が一望できる。海も島も。ガムランの練習の合間によくここにきて街を眺めた。ここが戦争の悲劇の場所だったなんて想像もできないほど素敵な風景だった。自分がたっている場所だって、首里攻防戦の激戦地だったのに。
 風の便りで、校舎が取り壊されると聞いた。なんだか無性にもう一度この場所に立って、お別れした那覇の街を見ておきたかった。もうこのテラスもなくなるかもしれないのだから。雨あがりの曇った風景で、遠くの島々まではっきりと見えなかったけれど、それでもこの風景を眺めた長い年月を反芻して、ここから見たさまざまな風景を順繰りと思い出すことができた。お別れ……だね。

恰好よくて強い男はモテるのよね

2012年11月27日 | バリ
 やっぱり、恰好よくて強い男はモテるのよね。これってさ、やっぱり、地球上で普遍的なことなのかな? いたよね、高校の頃とか、スタイルいいし、頭はいいし、運動できるし、ケンカは強くて、モテるって人。ぜんぜん、僕とは縁のない話。
 12月の渋谷で二日間上演するワヤン、容姿端麗で武芸に優れたアルジュナが主人公。10月の演目では、武芸に秀でたアルジュナがクローズアップされた演目でしたが、この12月公演では、モテモテのアルジュナが主人公。なんだか、最近、イプセンの「人形の家」のお芝居を観たことで、自分が上演するワヤンの演目に社会性があまりにもないことに恥ずかしさすら感じちゃいますが、まあ、年忘れワヤンってことで、難しいことは考えずに、今回は楽しく上演します。
 アルジュナを演じながら、なんだか、ワヤンの上演中だけはモテモテの主人公になりきってます。でも、やっぱりなにか違うんだよね。その姿から香り出る凛々しさとか、見えない何か。そうだよ。アルジュナはパンに納豆のせて食べないしさ。そういうところから修正しなくちゃ、人形を手にしても、表層を演じるだけなんだよ。でもアルジュナって何食べてたんだろう。インド叙事詩だから、カレー?それともインドネシアのマハバラタだから、ナシゴレン?

電車で子どもの泣き声を聞いたとき

2012年11月25日 | 家・わたくしごと
 週末の晩遅くに中央線に乗っていた時、すぐ近くで子どもの鳴き声が聞こえた。泣き叫ぶわけでもなく、それでも断続的に続く鳴き声。若い父親は突然の鳴き声に動揺したのか、黄と青の保護色に染まった小さなハンカチを子どもの目の前にちらつかせてあやそうと懸命になっている。何事も無いと言わんばかりに無表情な周囲の乗客。あえて、聞こえなかったことにして「この時」を一瞬でも早く過ごしてしまおうとしているのか?
 真っ暗な窓の外を眺めながら、ボクはそんなかよわい子どもの鳴き声に耳を澄ました。すると、突然、自分の子どもがそんな小さかったの頃のことがぼんやりと記憶の中に蘇った。子どもをあやす父親がいつのまにか自分の姿に重なって、ボクは、夢中になって子どもの小さな手を握って泣き顔に向かって微笑んでいる。やわらかくて小さな手…。
 突然、涙が溢れた。他の乗客に気づかれないように、必死にできるだけ暗闇の遠くを眺めているフリをしながら、カバンの中にしまったハンカチを手探りで探した。ちょっぴり涙でうるんだ目が扉の窓に映る。戻れない彼方の記憶。手の届かない過去。どうしてこんなに涙が出るんだろう?どうしてこんなに悲しいのだろう?
 
 

イプセン「人形の家」を観る

2012年11月24日 | 浜松・静岡
 「フェミニズム」という言葉を聞いても、今や、特別な響きを感じることがなくなった。それは、日本人の「女性」に対する意識がいい意味で変わったのだと捉える向きもあろうが、なんだかあまりにも言葉だけが意味から乖離して世の中に広く撒き散らされたおかげで、無味乾燥な空気みたいな存在になってしまった。タバコ屋のおやじさんが、「あっ、ハイライトですね」というように、「あっ、フェミニズムですね」って感じに…。
 昨晩、静岡で劇団「静火」によるイプセンの「人形の家」を観て思ったこと。夫に操られた「人形」に例えられたステレオタイプの妻(女性)らしさやその生き方に対する疑問、そして「人形」の放棄、「人形」からの開放を、「家」からの離脱により解決するという結末。1911年に初演された日本において、この作品が女性解放運動と結びついていったことを理解するのは容易い。ノラを演じた松井須磨子自身がまるでノラを地でいくような人生を歩いたようにも思えるし。
 大正期、坪内逍遥により演出された「人形の家」は、わが国の新しい演劇として、その後の演劇史に大きな影響を与えたことは事実である。しかし、一部のフェミニストは別にしても、ほとんどの日本人はこの「フェミニズム」を語る物語を皆目理解できずにいたのではないか。女性解放運動など、まるで自分とは無関係な場所に存在し、しかも女性の生き方に関する価値観が今と全く違う時代、この劇はまるで自分の住む世界と無関係なものに映り、自分の生き様に置き換えて考えることなど全く不可能だったと思うのだ。
 しかし、「フェミニズム」が空気になった現代、観客たちはこの話を遠い夢物語として感じる者はいないだろう。男性の多くは「ぼくはヘルメルのような男じゃない」と何度も自分の心に言い聞かせるし、女性は「私は人形なんかに絶対にならないし、なれない」そして「あんな男とは初めから一緒になるはずがない」と自分とは無関係な女としてクールな目線でノラを見つめるのか?しかし、果たして本当にそうだろうか?
 今、人々は、自ら「ノラ」になることを望み、「ヘルメス」になることを夢みていやしないか? 「フェミニズム」が透明になってしまった今だからこそ、心のどこかで封建的時代の「男と女」の立ち位置を「神聖化された理想像」のように崇めてはいないだろうか?だからこそ、今、イプセンの「人形の家」を上演する意味がある。空気のように形を帯びなくなり無味乾燥となった「フェミニズム」について、もう一度、その輪郭を描き、形も意味もあるものへと引き戻さなればならない。

ジャズっぽいんだけどね

2012年11月23日 | CD・DVD・カセット・レコード
 日曜日、渋谷のタワレコで購入したニコライ・カプスーチンの自作自演のCD。8つの演奏会用エチュードは最近、日本のピアニストにもけっこう演奏されるようになった作品。日本ではこの6,7年で有名になった気がします。ジャズっぽく、でもお行儀のよいクラシックの響きもあって、これ、ジャズ好きの人には物足りないし、でもクラシックマニアには中途半端に聞こえるかも?かつてFMで聞いたことがあって、私には違和感なく受け入れられました。ジャズとクラシックの中和感みたいのがいい。でも、やっぱりこれ、クラシック音楽ね。
 それにしても、この作曲家、1937年ロシア生まれで、よくもまあ、ここまでジャズ的手法を習得したものだと思います。しかもピアニストとしてもかなりのレベル。冷戦時代、社会主義のソビエト時代にいったいどうやって、「敵国」であるアメリカを象徴するようなジャズを学んだのだろう?(ネットには西側のラジオを聞いて採譜したとありました)
 この作品、ガーシュインとはぜんぜん違って聞こえます。やっぱりモスクワ音楽院でバリバリにクラッシックを学んだ背景があって、彼の作品があるんでしょうね。カプスーチンが流行り出した頃、なんだかそういう音楽に飛びつくのはミーハーなような気がして無視しましたが、やっぱり一時の流行で終わらず今なおさまざまなCDが発売されるのもわかるような気がします。
 

 

激辛!

2012年11月22日 | 家・わたくしごと
 先週の日曜日、メンバーのNちゃんがバリから帰国して、みんなで練習。Nちゃん、ワヤンの舞台のためにいろいろなもの頼まれてたいへんだったのに、嫌な顔一つせずにすべて買ってきてくれました。ありがとうね。
 さて、Nちゃんが買ってきてくれた駄菓子系おみやげ。バリの唐辛子せんべい。というより、とうがらしがたっぷりふりかけられたクルプック。たいしたことないでしょ?と一気に4枚、続けて食べてみる。
 ところが……おなかで大爆発!ドカーン!これは、すごい。まじに唐辛子の辛さです。ちなみに毎回、日本の唐辛子せんべいを買ってくるK氏のお菓子は、バリの唐辛子せんべいに比べると今回はあまりにもインパクトが感じられないという結論から、開封すらされず。バリでおみやげに困ったら、これを探しましょう。衝撃の辛さをお友達にも体験していただきましょう。
 

暗いから、寒いから

2012年11月21日 | 家・わたくしごと
 夏には朝早くから燦々と朝日が部屋の中まで差し込んで、カーテンを閉め忘れもしたら朝5時すぎには太陽の光が眩しくて目が覚めたほどなのに、晩秋の6時はまだ朝焼けが始まる時間。それに太陽が南に移動して、アクトタワーの裏側から昇るようになったから、ちっとも朝日が差し込まないのです。あんなに「暑い、暑い」って嫌っていた朝日が待ち遠しい。冷たい暖炉の前で手をさすりながら、火を待ちわびる子どもみたいに、赤く染まり始めた東の地平線を眺めます。
 昨晩ははじめて他のゼミの飲み会に誘われて、学生たちと授業以外で接しました。数人を除いてほぼ知らないメンバーの中で、いったいどのような境遇に置かれ、切り抜けられるかどうか心細くてしかたがなかったけれどなんとか最後まで乗り切りました。5分も歩けば到着する家に戻ってから、別に酔っていたわけではないけれど、倒れ込むように眠りました。
 こんなに疲れて、周りに気を遣わせるのは、いろいろと自分の努力が足りないせいなんでしょうね。朝起きてそんなことを考え始めたら無性に切なくなりました。前向け、前向けと心の中で叫んでみても歯止めがきかず。やっぱり、暗くて寒いからなのでしょう。そう、すべてはそのせいに決まっています……。
 
 
 

2枚になった

2012年11月21日 | 家・わたくしごと
 先日ブログで紹介したポーランド陶器のプレートが一枚増えました。日曜日、高速バスに乗る前にいつものお店で少し小さめのサイズのプレートを購入。ハロウィンが終わってクリスマス商戦がそろそろ始まる時期。日曜日の雑貨屋さんは、女性でいっぱいでしたが、勇気を出してお店に入りました。
 ポーランドの陶器のコーナー、前回に比べるとたいぶ品数が減っていたような気がします。女性の二人連れの一人が、私がプレートを手にとっている横で、「私、この食器で揃えたいな」ってうれしそうに話していました。「いい趣味してるよ」(と心の中で呟きました。)
 次回はマグカップ購入の予定。一回で、あれもこれも買うのは面白くないのです。少しずつ、ちょっとずつ増えていくから楽しいもの。大人買いはつまらないよ。ただ、次回はいつ高速バスに乗るかな?クリスマスが近づくと、私の好きな柄、減っていくような気がします、というか、絶対なくなっちゃう……。あーどうしよう?

浜松の”ミー”

2012年11月20日 | 浜松・静岡
 那覇のミーはどうしてるかな。女の子のわりには気が強く、しょっちゅうケンカして負けてばかり。最近も耳を噛まれてケガをしたらしい。もっとおしとやかにできないかなあ?
 ところで最近、浜松駅のバスターミナルに行くのに地下道を歩いていたら浜松市動物園紹介のコーナーで浜松の”ミー”を発見したよ。こっちのミーはアムールトラだって。強そう…。那覇のミーもちょっと、浜松の”ミー”にあやかんないと。
 来週は沖縄なので、ミーに会ってくるかな。っていうか、ちなみにミーはうちのネコじゃないしさ、簡単に会えないんだよね。それにPはかみさんと違ってあんまり好かれてないし。まあ、元気にしててくれればいいんだけどさ…。

グラデーション

2012年11月19日 | 東京
 浜松には自然がいっぱいなのだが、なんせ街中にある住まいと大学を往復しているだけなので、なかなか秋の紅葉した風景など見る機会がない。「ちょっと足をのばして」とも思うのだが、一度、研究室にこもると、結局夜遅くまで部屋を出られない。
 最も身近なところで自然のうつろいを感じることができるのは、東京の実家に戻ったときに歩く玉川上水の木々の彩りである。特に沖縄に住んでいた十数年間は、たまに戻る東京でこれを見つめながら四季を感じてきた。今はほとんど毎週末のように練習やら学会などで、東京に戻れるようになった。つまり、また東京に住んでいた頃のように四季を敏感に感じられるようになったということだ。
 11月も半ばになると、玉川上水沿いのもみじの葉が色づきはじめて、枝の先端から幹に向かって、やわらかな赤色からちょっぴりくたびれた緑色へと、ゆるやかなグラデーションを描くようになった。瞬きしてしまうような真っ赤に染まったもみじも美しいが、こんな晩秋へよそ見もせずにまっすぐに向かう彩りも素敵だ。1週間後、また稽古で戻った時、どんなグラデーションを描いているだろうと思ったら、またこの場所で空を見上げるのが次の帰京の楽しみになった。