Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

暖かくなったので

2011年02月28日 | 家・わたくしごと

 本日の最高気温は25度。暖かくなった、というよりは、暑くなったので少しずつウォーキング再始動。沖縄の冬なんてたいしたことはないし、私の両親は冬も夏も毎朝、玉川上水をウォーキングをしているわけで、要するに私は「軟弱男」なのであるが、沖縄が一番寒い時期というのは、とにかく忙しく、朝歩く体力も精神力もないのである。そうなると体重も増加するのだが、ちょうど体重もピークに達したあたりで暖かくなってくれるおかげで、再びウォーキングで体重は減少するというサイクルを繰り返している。
 歩いてみて思うのだが、年々、体力が落ちてきているような気がしてならない。一気に1時間を全速力に歩くウォーキングはやめて、まずは大学まで歩いて通学(通勤)することにした。片道20分強なので、往復40分である。まあ、歩かないよりいいだろう。今朝はもう20分歩いても汗びっしょりだった。これから沖縄の暑い季節が始まる……。


新着エッグカップ

2011年02月24日 | エッグカップ

 昨日届いたイングランド製の新着エッグカップです。二つセットで絵柄が別々。たいていは同じものが二個組になってますが、今回のようなパターンは珍しいのです。昨晩、じっくり眺めて写真を撮影したあと、飾り棚にしまいました。
 わが家は夫婦でエッグカップコレクターですが、とりわけブランドにこだっているわけではありません。やはり絵柄でしょうか。値段が高くない上、場所をとらないというのもすばらしい。だからこそ、小さなスペースにたくさんのものを飾っておくことができます。「ぐい飲み」コレクターと似ていて、「今日はこれを使おう」と飾り棚から好きなものを選ぶ楽しみもありますし。
 日本では東京の老舗のデパートでも売っているのを見たことがありません。昨年の夏ですが、人通りの少ない沖縄市の古めかしいアーケードの和陶器屋さんに、白く味気なく見えたいくつかのエッグスタンドが並んでいたのを覚えています。場違いのような気もしましたが、きっとアメリカ軍の基地関係の人が来るからでしょう。


はるばる来たぜニッポン

2011年02月21日 | 家・わたくしごと

 朝6時のNHKテレビニュースをつけたときから、メディアはパンダ一色である。パンダの色は白と黒の二色なのだが、やっぱりパンダ一色なのである。これって、メディアに踊らされているんじゃないかと思うほどで、数年前まで上野にパンダは存在していたのに、どうしてこんなに大騒ぎするんだろうかと思う。もしかして、日中関係修復のための国家的なメディア戦略なのかい?
 ぼくは1972年に初めてパンダが上野動物園に来たときのことをよく覚えている。もう小学校4年か5年だったし、やっぱりその頃は少しだけ、見に行きたいと思ったことも事実である。でも少年としてのプライドが邪魔したのか、親に「上野動物園に連れて行って欲しい」なんて決して言えなかった。パンダを30秒見るのに何時間も並んでいた映像を何度もテレビで見た記憶がある。
 しかし一番記憶に残っているのは、パンダを見に行った小学校の友達から、パンダのバッジをもらったことだ。長いこと実家の引き出しにはいっていたが、いったいどこにいっただろう?パンダと竹が描かれたデザインをぼんやりと思い浮かべてみた……。結局、ぼくは最初に上野にやってきたパンダを見ることはなかった。だからあのバッジのパンダがぼくが最初に身近に感じたパンダである。


一足お先に啓蟄

2011年02月18日 | 那覇、沖縄
 寒くなったり、暖かくなったりの繰り返しの沖縄。寒いとはいえ、もう気温が15度を下回ることはなくなり、昨日の昼などはポカポカでした。昨日、夜、ベランダに出ようと窓を開けたら、虫の声や蛙の声があちらこちらで聞こえます。沖縄は3週間早い啓蟄のようです。(今年の暦だと、啓蟄は3月5日)
 やっと暖かくなる時期、大学は授業や期末試験が終わったと思いきや、今度は、年度末に集中する事務仕事と入試です。やっとすべてが終わる3月中旬はもう春真っ盛りで、海開きも目前の季節になっています。
 寒いのは大嫌いだけれど、短い冬がもう終わると思うとちょっぴり名残惜しい気もします。4月に入るとまた新入生を迎えて新しいサイクルがはじまるのです。グルグル、グルグルと大学の車輪は回り続けます……。

ワヤンを上演します

2011年02月15日 | 那覇、沖縄

 3月19日に沖縄でバリのワヤンを上演します。11月初旬に上演して以来の4ヶ月ぶりのワヤンです。グンデル奏者たちがフライヤーの準備をしてくれていて、私はバリのダラン状態で、今回に関しては事務的な仕事を何もやらないでここまでできています。ある意味、とても嬉しい。でもなんだか申し訳ないような気もします。皆さん、ありがとう。
 場所は、北中城市で、ライカムの交差点からほど近い場所だそうです。といっても沖縄以外の人にはわからないですよね。だいたい交差点の名前がライカムなんて、ちょっと東京あたりじゃなさそうだし。ちなみに最初にこの交差点の表示を見たとき、「ラスカル」と読み違え、たぶん1年以上、この交差点を「ラスカル」だと信じていました。カルピスこども劇場の「あらいぐまラスカル」で育った世代なので。
 ところで、ライカムは米軍基地の真っ只中を突っ切る国道に付けられた交差点名です。沖縄らしい……。

場所:OMAR BOOKS 098-933-2585(問い合わせ、予約)
時間:夜7:00開場、7:30開演。
チケット料金:おとな2,300円(北谷のごはん屋SO-SO-SOONのお弁当付き)
 お客様はスペースの関係で、40人程度だそうです。お求めの方はお早めにご予約くださいませ。
 


研究会のお菓子

2011年02月14日 | 
 東京で行われた楽器に関する研究会に出されたお菓子の数々。この研究会は女性が多いこともあるのだが、毎回、各地から持参するお菓子の数が充実している。某研究機関の共同研究会とは大違いである。甘党の私としては願ってもない研究会であり、この研究会に行くときはいつも「今回は何にするか」と考える。なるべく前回とかぶらないのが鉄則である。
 今回のお菓子の一つにポテトチップがあった。ゼミの打ち上げで「これから酒」というつまみ系ではあるものの、甘いものの合間のポテトチップは意外においしいものである。なんだか研究会の内容よりも、お菓子の話題が先行してしまうが、もちろん充実した研究会だった。実はお菓子がたくさんの研究会もこれが最終回。なんだか名残惜しい限りである。

2月の玄関飾り

2011年02月09日 | 玄関飾り

 わが家の玄関に飾られる手拭いが2月バージョンになった。なんとチョコレート柄の手拭いである。こんな柄を手拭いにデザインすることを考えた人もすごいと思うが、「2月=チョコレート」という図式が日本人(私も含めて)に出来上がってしまったことに驚いてしまう。
 日本にいると、銀座や赤坂は別としても、ふつうは「デパ地下」くらいしか、チョコ屋なるものと出会わない。ゴディバとかノイハウスとか、とにかく非日常の高級チョコレート屋のイメージである。だいたい日本人はチョコ屋なるものに寄ってショーウィンドーを指差し、「今日は、この二つ」みたいなチョコレートの買い方をする人はさほど多くない。そういう意味で高級チョコレートは、バレンタインデーに利用されるための食べ物のような気がしてならない。
 オランダで生活していて驚いたのは、スーパーで買い物をした帰りの老人がおしゃれなチョコレート屋によって、一つ、二つのチョコを買ってかえる。店屋の店員は、それをチープな紙袋に入れて渡してくれる。帰りにつまむのか、帰ってお茶とともに食べるのか?とにかく高級なるチョコも日常生活の中に溶けこんでいた。
 京都で買った手拭いに描かれたチョコが高級かどうかはとにかく、面白いのは、そのチョコの種類である。たくさんの抹茶チョコがちりばめられているではないか。ヨーロッパで発展したチョコも日本文化の中で「日本のチョコ」へと変容し、日本人に受容されていくのである。なんだかそう考えると、「日本手拭いに抹茶チョコ」はそんな日本におけるチョコを表象しているようにも思えるのだ。


残したかった一枚の写真

2011年02月08日 | 那覇、沖縄
 12月末、大学の近くの那覇市役所の首里支所が道路拡張にともなって移転した。すでに支所は取り壊され空き地になっている。そのすぐそばに立つ「首里支所前」バス停。主人がいなくなり取り壊されて家の周りに取り残された塀にはめこまれたままになっている表札のようで、少し寂しい。バスに乗ってこのバス停の名前が聞こえるたびに、なぜだか胸が痛む。
 10年以上前、引っ越してきてまず手続きにいった場所がここだった。ある意味、事務的な手続きの出発点である。当時は、なんて古めかしい役所だろうと思ったものだ。すべてが「レトロ」で、昭和を感じさせた。そのうちにそんな光景が日常になり、愛着がわいた。あちこちが近代的な建築に変わり行く中、首里に取り残された薄汚れた役所。
 これは沖縄の首里で起きた一例にすぎないかもしれない。しかし全国どこだって、バス停の名称のあったはずの建物が消えたり、移転してしまい、しばらくの間、古い表札だけが残っていたという事例はあるはずだ。そのうち、このバス停の名前も変わるのだろう。変わったとき、人々の記憶からその存在が少しずつ忘れ去られていく。だから私は、このバス停を写真に記録しておきたかった。この写真を指差しながらいつかこういうときが来るんだ。
 「あそこにはね、昔、那覇市の首里支所があったんだよ。素敵な雰囲気の役所だったさ」と。

息子の宿題

2011年02月04日 | 家・わたくしごと

 中学二年の子どもが学校の宿題とやらで「弁当」を作った。どうも聞いてみると、中学三年の給食の数が一回少ないようで、今日は、中三だけが給食であとは自前の弁当ということらしい。しかも学校をさすがで、その弁当を「宿題」としたのである。

 進学校の男子諸君がどれだけまじめに宿題をやったのかどうかはともかく、わが家では前日の夜から本気モードで弁当作りが開始された。母親と息子がともに台所に立ち、一方的に母親に叱咤されながら、それでもひどく言い返すこともなく、黙々と作業を続ける息子。時々、「それじゃ、怖い」などと包丁に怯える発言が私の耳に届く。完全に母と息子のワールドなので、父親が口を挟む余地なし。できない私は挟みようがないのである。

 写真は本日の朝に完成した弁当。これは息子本人が持参する弁当であるが、実はちゃっかり私もその「おこぼれ」をもらい、今日の昼の弁当になった。まだ食べていないので味のほどはわからないが、見栄えはなかなかである。

「料理は結構、おもしろいね」と語る息子。将来の夢には「シェフ」も追加ですか?

(後日談:たいへん美味しくいただきました。)

 


謹賀新年

2011年02月03日 | 那覇、沖縄
 本日は旧正月です。東京に住んでいる時は旧正月なんてまったく無関係でしたが、沖縄に住むと旧暦がひじょうに身近になります。今でも沖縄では旧正月に大きな儀礼を行う地域がいくつもあり、ローカルニュースでも、まず旧正月であることが話題になるのです。
 ところで、東京でも最近は旧正月と秋葉原に深い関係があるとか。中国や台湾では旧正月の前後は日本の冬休みにあたる時期で、多くの観光客がやってきて、秋葉原や銀座は「かきいれ時」だそうです。
 旧正月とはいえ、大学は試験期間。儀礼を行う地域の学生たちも、試験に参加しなくてはなりません。沖縄の大学とはいえ、大学の暦は本土と同じ。