Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ペットボトル自販機

2010年06月30日 | バリ
 バリ芸術祭の会場であるアートセンターに最初に出かけた日、私は会場で自販機を発見したのであった。日本では当たり前の自販機であるが、これまでバリでは見かけたことはない。あまりの驚きに、バリで最初に撮影した写真がこのペットボトル自販機の写真である。近くにいたバリ人が自販機にカメラを向けた私を不思議そうに見ていたが、もうバリ人にとってペットボトルの自販機なんて珍しくないんだろうか?
 ただ、この自販機、お金を入れるとちゃんとペットボトルが出るのか、お釣りは出るのかなど、まずは不安にかられてしまう。以前、公衆電話を探して電話をしようと走り回ったことがあるが、すべて「ブロークン」だったという経験がトラウマとなり、インドネシアの公衆機械物をネガティブ目線でとらえてしまうのである。
 ちなみに、私がこの自販機に注目していた数分間、その前で足をとめたバリ人はただの一人もいなかった。まあ、それはそれで、アートセンターの新しいオブジェみたいだからいいのだけれど。「アートセンター」だからね。

六月の東京---アジサイの頃

2010年06月20日 | 東京
 昨日、「沖縄の梅雨は明けたと思われる」という論文では書けない曖昧な表現によって、梅雨が明けたのだった。突然、ギラギラの太陽が沖縄に住む人々を襲った。この攻撃が2カ月以上にわたってほぼ毎日続く。これからはこのディフェンスに当たらなくてはならないが、わが家はすでに準備万端である。クーラーも買い替えたし、衣替えもばっちり。「いざ、勝負」といったところか。サッカーと違って、「攻撃が最大の防御」とならないところが残念。とにかくディフェンス一本である。
 梅雨明けの日、私は梅雨入りして間もない東京に出かける。東京の人々にとっては「ベタつく、うっとうしい梅雨がやってきた」のかもしれないが、私にとっては5月の沖縄からずっと続いているのであまり変わりばえしない。むしろ、涼しく感じられて気持ちがいいくらいだ。
 実家の庭はアジサイでいっぱいだった。何種類かのアジサイが満開で、まさに六月の東京を演出している。やっぱり、こんな季節でも目で楽しませてくれるものがあれば、外は雨でも気が「晴れる」ものだ。実家の庭はかつて、かつて三方、雑木林に囲まれていたのだが、今は二階建ての建売住宅に囲まれて、なんだか中庭のようになってしまった。でも、おかげで父が丹精込めて世話をする庭の花々や草花は、庭を囲んだ家の人々が皆、楽しめる庭になった。きっと二階の窓から、実家の家のアジサイを見て、梅雨を楽しんでくれているに違いない。

20時30分、半ばゴーストタウン

2010年06月19日 | 東京
 20時30分、まさにサッカーワールドカップのオランダ対日本の試合が始まろうとしている時間、ぼくは国分寺駅のコンコースに立っていた。なんだか不思議な光景だ。土曜日のこの時間がまるで朝4時半の始発が出る時間のように閑散としている。飲み会を終えた大学生の集団の姿もなく、仕事帰りの人々の姿も少ない。日本人は皆、テレビ観戦。「がんばれニッポン!」かな。
 ぼくは、遅い夕食をとろうと北口に出た。街を歩く人の数も当然少ないし、レストランやキャバレーのビラ配りもいない。そんな珍しい風景を楽しみながら、ぼくは「松屋」に入った。ところが、いつもは学生でにぎわう松屋も、弁当を待つ人が一人、食事をする人が二人。 
 ぼくはテレビが見たくないわけではないのだが、食欲には勝てず。それにしても、おかげで不思議な光景に遭遇できたことで満足だ。ちなみ帰宅後、一点取られたところはLIVEでの観戦だった。本格派サッカーファンも、にわかサッカーファンも熱い熱い90分だったのだろう。デンマーク戦の日はインドネシアにいる。向こうで観戦できるかしら?

キジムナーフェスタ2010に出演します

2010年06月18日 | キジムナーフェスタ2010
 一年ぶりにキジムナーフェスタ2010に出演します。今回はバリ島のトペン劇で、演目は「ドゥコット魔王の物語」。実は、この物語は、1982年に来日したダルマ・サンティ舞踊が上演した演目で、いつか沖縄でも上演したいと思っていたのでした。18年前のダルマ・サンティのときもそうでしたが演者は5名で、今回は3名がバリから来日、一人は東京、そして一人は沖縄です。5名で行うので、トペン・パンチャ(5人によるトペン)です。全体構成などは、バリ側と話あっていますが、詳細部分は来週、インドネシアでつめていく予定です。
 ガムラン演奏は沖縄県立芸術大学の「クンバン・マス」。練習は佳境に入っています。私がインドネシアから帰ると、また新しいレパートリーが増える可能性もありますね(みんな、嫌がるだろうなあ)。演劇の音楽というのは、器楽だけの曲とは違って派手さはありませんが、舞台で役者との一体感を感じることができます。多くの場合、役者はアドリブを多用するため、常に緊張感があり、それがたまりません。きっと、私はバリで、ワヤンのグンデルの演奏と長くかかわってきたからでしょう。
 何人かの友人たちが東京から見に来てくれます。東京のように新しくて、派手なことはなかなかできませんが、私たちの古風で、地道な活動をみてもらえるのはうれしいものです。大きなテントで、バリのバレ・バンジャールで見るような舞台です。もちろん、沖縄からもたくさんの皆さんにいらしていただきたいと思います。
 公演日時、演目内容はこちらへ。 

蝉の梅雨払い

2010年06月17日 | 那覇、沖縄
 先週から家の周りで蝉が鳴き始めた。情緒ただようミンミンゼミとかヒグラシならばいいのだが、沖縄の蝉は、ジージーとワンパターンで鳴き続けるクマゼミである。とはいえ、蝉は蝉。梅雨の合間の曇り空に向かって、おもいっきり叫んでいる。
「梅雨明けろ、梅雨行っちゃえ」。
 なんだか、真夏は少々騒がしすぎるクマゼミ諸君の叫び声に、今回ばかりは納得。そして同情である。こんな天気のときに下界に出てきてしまう君達は、さぞあの夏空が恋しいのだろう。
「夢見るのはいいけれど、本当に真夏の日差しはきついんだぜ。」
 いい情報を教えてあげようじゃないか。週間天気予報は、明日から晴れ続き。もしや、もう梅雨明けは近いかもよ。
「元気出して、がんばろうね、クマゼミさん。僕も君と同じ気持ちさ。」
 

ガムラン講座

2010年06月15日 | 大学
 昨日から大学のスタジオで全4回のバリ・ガムラン社会人コースが始まった。多くの県民に大学が所有する楽器で、バリのガムランを体験してもらいたいという「大学公開講座」である。もう10年近く行っているが、当初は全10回だったものを昨年度から4回にして、今年度からは初級、中級と分けてみた。そうしたところ、定員をはるかに超える申込者があり、嬉しい悲鳴である。
 講座生は県民であれば、学生でも社会人でも受講できるが、やはり多くは社会人である。各自がどのような理由でガムランの講座に参加しているのかはわからないが、やはりどの方も興味を持って参加しているために、実に貪欲で前向きに取り組んでくれる。
 かつて東京の音工場で教えていたときのことを思い出した。講座時間が残り15分でも少しでも楽器に触ろうと駆け込んでくる講座生や、録音した前回のテープをすみからすみまで聴いて覚えてくる講座生、今回はたった4回の講座だが、この先も中級(もしかしたら上級コースができるかな?)と進んで、講座生の皆さんには、ガムランと少しでも長いお付き合いをしてもらいたいものである。

「彼」と散歩

2010年06月11日 | 大学
 昨日のブログに書いたように、なぜ研究室に4年以上も置かれた人形(「彼」)が突然にも私の夢に出てきたのか? 大学に出勤してすぐに、ぼくは久しぶりに「彼」と向かい合った。考えてもみれば、「彼」は、2005年にプラハから、この沖縄の一室にやってきて以来、たった一度も外出をしたことがないことに気が付いた。「そうか、彼はすっかりここの生活に飽きちゃったんだ」
 私は、彼を連れ出して散歩に行こうと決めた。身長は80センチくらいの結構大きな人形。なんだか犬の散歩にいくような気分である。ぶらりと支柱にぶら下がった「彼」は、なんだかその体ばかりでなく、心も躍っているようだ。
 クローバーの広がる大学の中庭に彼と二人で立った。梅雨の合間の太陽がのぞく。「彼」は陽を全身にあびて満足そうだ。「ぼくも帽子をかぶってくればよかった」と後悔する。そんなところにある先生が通りかかった。
「何をしているんですか?」
「人形の散歩をしているんです。」ぼくは、真面目に答えた。だって本当のことだもの。なんだかそんな私の答えに驚いたらしく、先生は笑みを浮かべて校舎に入っていった。部屋に戻って私は「彼」を指定席に戻してこう話しかけた。
「満足したかい? もう夢になんか出てこないでくれよ。」

ハイタッチの不思議な感触 

2010年06月10日 | 家・わたくしごと
 それはひじょうに奇妙な夢だった。僕は古本屋の前を通り過ぎて、その隣の友人の経営する店に入った(友人だったと思うが、自信がない)。古本屋の前を通るとき、店番をしていた老夫婦が、私が以前プラハやブリュッセルで見たような人形を操りながら、二人で笑っていた。訪れた友人の店で僕は新聞を開くと、なぜかその老夫婦の記事が掲載されている。ご主人の方は日本で名の知られた操り人形遣いなのだという。「この人、隣に住んでいるんだよ」と私は得意げに友人に話をした。
 すると、友人が操り人形を持ってきて遊び始めた。人形好きの僕は「ちょっと待って」といって、現在、私の研究室に置かれているチェコで購入した操り人形(夢の中では母方の祖父と祖母の仏壇のある部屋の衣装棚の上に置かれている。友人の店のはずなのだが、そのあたりが夢の醍醐味だ。)を持ってきて、友人と声を出しながら遊び始めた。実に楽しいではないか。人形同士、手のひらでハイタッチ!最後に自分で操る小さな人形の右手と、私の右手をハイタッチ。
 ところが、その感触がまるで子どもの手のひらのぬくもりなのだ。驚いてもう一度、僕は人形の手とハイタッチを試みた。やはり子どもの手だ。生きた、血の流れる人形の手。そんなはずはない……。その時、ハッと目が覚めた。なぜか僕の目には涙があふれていたのだ。
「ハイタッチしてくれないかな」
 朝、起きたばかりの息子は寝ぼけ顔で、わけもわからず、僕とハイタッチをした。「どうして?」と聞かれたが、僕は何も答えなかった。彼の手は人形の手とは比べものにならないほど大きかったのだがーーそれは私の手のひらの大きさとほとんど変わらないと思うほどだったーー、確かにあの人形と同じ「ぬくもり」をわずかに感じることができた。僕の夢が暗示したものは、いったい何だったのだろうか。今なお、手のひらには、あの夢で体験した不思議な、懐かしいぬくもりの感触が残っているのだ。

金魚のいじめ

2010年06月09日 | 家・わたくしごと
 わが家では洗面器(バケツ)で金魚を飼っている。それも、ここ1.2ヶ月のことではなく、もう何年も飼い続けている。放置しているわけではなく、かみさんはこまめに水を取り替え、毎朝、餌を与えて話しかけている。そしてその日の金魚の様子をしばらく眺めて、その日の仕事を始めるのである。
 何ヶ月か前のこと、かみさんが「一匹だとかわいそうだから、もう一匹金魚を飼ってきた」という。見ると小さな金魚が一匹増えている。何年も一匹で生きているわけだし、とくに寂しいはずはないと思うのだが、まあ、かみさんがそう思ったのだから、そうなんだろう。だいたい毎日、話しかけるわけで、きっとそんな言葉が金魚から聞こえてきたに違いない。
 この二匹の金魚、想像できるかもしれないが、きわめて不仲である。特に餌を与える時間がそのピーク。最近、私もこの不仲な関係を見るのを楽しみに餌を与えるようになった。きわめて動機が不純であることは百も承知である。餌を与えはじめると、大きな金魚はひたすら小さな金魚を追いかける。まさに写真がその場面。「お前なんかに、わしの飯は食わせぬぞ!」と言わんばかりである。ところが小さな金魚もなかなかなもの。追いかけられて洗面器をグルグルまわりながらも、水面に浮いている餌をパクッ。それをみた先輩金魚はまた激怒。そうだよね、人だって社会ではこうやってしぶとく生きなくちゃいけないんだ。

またエッグスタンド発見

2010年06月08日 | エッグカップ

 今度は那覇のブックオフに併設したリサイクルショップで、エッグカップを発見した。といってもギネスビールの販促品だと思われる箱に入った二個セットの限定表記のあるエッグスタンド。棚の奥の方に寝た状態で置かれていて、一見しただけでは、それが何なのか絶対にわからない。私もなぜ、その箱に手が伸びたのかはわからないのだが、そこはエッグスタンド。互いにひきつけあっているである。
 当初の価格は1,300円、それが1,000円に張り替えられ、その後500円、それでも売れなかったようで300円になり、昨日は全品20パーセントオフの日で、240円。しかし、これまで販促品のエッグスタンドというのを買ったことはないし、正直、その手のものに興味はなかった。そのせいか、発見はうれしかったが、当初は購入する気はなく、ただ眺めていただけだった。
 ところが、このデザインに気が付いたとき、感動すらしてしまったのだ。ギネスビールは黒ビールである。しかし当然ながら泡は白い。このエッグスタンドをよくみると、グラスに注いだギネスビールを表現しているのだ。エッグスタンドの上部の「白」は、まさにギネスビールの泡を表現している!まさに芸術的なエッグスタンド。箱の裏を見ると全部英語。きっとアイルランド人の洒落なんだろう。すっかり感心して、ぼくはこのエッグスタンドの購入を決めたのだった。