Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ケチャ

2007年10月31日 | バリ
 わけあって今回は三回、異なったグループのケチャを見た。ケチャといえば、上半身裸の男性たちが円陣を組んで「チャチャチャ・・・」と不思議な声を出す芸能であり、やはり芸能の名前がこの声に由来しているといって間違いない。ちなみにケチャというが、多くのバリ人はこの芸能をチャッCAKとよび、ケチャとはいわない。
 この芸能だが、実は円の中央でラマヤナ物語の一部を演じている。役者はほぼパントマイムであるが、役によってはセリフもある。三つのグループのケチャをみて思ったことは、その役者たちの技量の違いである。観光客には十中八九理解できないであろうが、その役者の技量にはとんでもない開きがあるのだ。たぶん観光客はきれいな衣装をまとった役者が出てくれば、被写体として最適であり、正直なところ、演じられている内容などあまり関係がない。だいたいラマヤナ物語を理解していない限り、日本語で書かれた解説を読んだだけではよくわからないのである。
 しかし、一回5万ルピアも払ってみているわけだし、私としてはとにかくダメな舞台は許せないのである。観光芸能を一定の質に保つために、バリはさまざまな文化政策を行ってきた。もちろんそれは現在形でもある。もちろん、私のような専門家がみることを前提にしていないわけだからしかたないのかもしれないが。
 とはいえ、バリの人々だけを非難することもまた「否」である。観光客は「入場料」を払っているとはいえ、それを見る態度にも問題がある。二人でいちゃつくカップル、暑い昼のツアーに疲れて眠り続ける団体、全く関係ない話でもりあがる数人の観客・・・。「うーん、君たちは見なくていいから、冷房のきいた快適なバスでまったりしてなさい。君たちがケチャをだめにしているんだよ。」

国際空港

2007年10月22日 | バリ
 イミグレーションを通りすぎると、そこは化粧品と香水の匂うがあふれる免税品店の並んだ広いロビーです。私にとっては非日常的なこの香りにふれるとき、これから海外に出かけるという感覚にはじめてなります。そして、そのとき煩わしい日常のすべてから開放されます。もちろん、この魔力は帰国した空港のロビーで一瞬に解けて、息苦しい状況に陥るわけですが。しかし国際空港の香りは、そんな特別な魔力を持っています。そして今まさに、その魔力にかかってしまった一人です。それでは、行ってきます。

持って行くお土産、持って帰るお土産

2007年10月21日 | 家・わたくしごと
 明日から出張で10日間インドネシアです。8月から9月に会った人たちに今回もお世話になるのですが、さすがに前回と同様にTシャツを買うのもたいへんで、今回は沖縄名産の紅芋系のお菓子を買いました。とにかく持っていくのもの、持って帰るもののうち「お土産」がいちばん頭を悩ませます。正直、誰かにお願いしたいくらいです。でもお土産は、「真心」であって、「下心」ではありません。だから自身で納得のいくものを探さなくてはなりません。
 二日前のガムランの練習のとき、沖縄在住のバリ人と留学経験のあるメンバーに「先生、できたらバリ・カレンダー買ってきてもらえますか?」と丁寧な口調で頼まれました。メンバーに私は何かを買ってきて欲しいと頼まれることはまずありません。それは私が目上の「先生」であるからでしょう。しかしバリ・カレンダーは留学経験者や、」ましてやバリ人の生活にとってなくてはならないものであることは十分に理解できます。
 お土産は、その品が決まっていれば選ぶ手間が要りません。もちろん、バリ・カレンダーだって編集者による違いは若干ありますが、日本に住む私たちにはさほどその違いは影響ありません。今回の持って帰る「お土産」」はこれで決定です。いつも一生懸命、練習をサポートしてくれている皆への感謝の「真心」ですから。


「子どもが見ています。ルールを守ってください。」

2007年10月20日 | 那覇、沖縄
 今日は子どもの運動会である。幸いにも晴れと曇りが交互になってやってくる沖縄での運動会にとって最高の日和であった。開会式では校長先生が「フェアプレイで楽しい運動会を」と話した。その話のごとく、運動会は最終段階まできわめてフェアプレイで進行した。しかし、それは最後まで続かなかった。
 PTAによる玉入れ、ようするに親のための催しである。子どもの赤、青、黄色組の親が、それぞれ子どもと同じ色に分かれて、ただ玉入れをするだけのゲームである。もちろん、この勝敗も子どもたちの色別の点数に加算されることで、親たちはわが子の組の色を勝利に導こうと目の色を変えている。もう参加者たちの目はチーム色になっているのだ。
 さて始まる前に面白いアナウンスが流れる。
 「お父さん、お母さん、フェアプレイでいきましょう。」
 不思議なアナウンスである。なんだか親はフェアプレイをしないような表現である。
 ピストルの音が鳴る。親たちは一斉に玉を投げ始める。もうどの親の表情も真剣そのものである。パン、パンと終了のピストルが鳴る。しかし玉入れは止まらない。5秒ほど経過するとアナウンスが入る。
「やめてください。ボールを投げないで下さい。」それでも投げ終わらない。
すると次にはこんなアナウンスが流れる。
「子どもさんが見ています。もう終わっています。ボールを投げないでください。ルールを守ってください。」
それでも、まだ玉入れは続いている。すると児童のアナウンスが入る。
「ボールを置いてください。」我に帰ったように、ゲームは終わる。
 計三回戦、こんな状態は続いた。子ども達はそんな光景を眺めていた。最後に玉の数が集計されてある組が勝利した。しかしその色がコールされたとき、子ども達の喜びは冷ややかだった。ある意味、あらゆる観客はしらけていた。
「子どもが見ているから、ルールを守ってください。」というコールは当然にしても、この表現ですら、尋常ではない。子どもが見ていなければ、ルールを破っていいのだろうか?私は不安である。子ども達がそんな親たちを笑って受け流すことができるんだろうか?
 校庭に二重、三重にはられた万国旗がそんな親たちの姿をみて、苦笑いしているように強い風に吹かれてパタパタ・・・と音をたてた。そしてどの旗も口をそろえて「子どもの前では横断歩道渡っているんだろ?」と呟いた。


明日は運動会

2007年10月19日 | 家・わたくしごと
 明日は子どもの運動会である。子どもの運動会だから行くだけでしょう?というかもしれないが、たいへんなのは親である。熱心な親は、前日の午後から「場所とり」という大事な行事が待っている。だいたい沖縄の場合は、祖父母に親戚、近所の人まで運動会に来るパターンが多く、子どもの一人に対する来客の数は東京よりはるかに多い。しかもビーチパーティーに慣れた沖縄の人々は、あっというまに簡易テントを立ててしまう。なので観客席にはいくつもテントの花が咲く。
 さらに弁当の準備もたいへんであろう。一族が食べる弁当はかなりの量だし、沖縄ではたいてい大きなお重にお弁当が入っている。東京出身の私には、野外で正月パーティーを開いているような錯覚に陥る。
「先生、明日、お子さんの運動会ですよね。晴れればいいですね。」と学生に言われる。
そばにいた高校の教員が笑ってこういった。
「曇りがいいのよ。晴れたら沖縄の運動会はたいへんなんだから。」
 確かにそうである。10月末とはいえ、まだまだ沖縄の太陽の光は肌をさすようだ。さて明日はどうなるやら。明日は天気になあれ!といいたいところだが、晴れと曇りのバランスがいい塩梅になりますように。


届いた結婚話

2007年10月18日 | 家・わたくしごと
 このところ立て続けに3件の結婚話が私のもとに届く。
結婚話その1
 女性が30歳になる数日前に式を挙げた後輩の結婚話。おめでとう。
結婚話その2
 籍は春にいれていたが、やっと「季節」から男性が戻って、めでたく結婚式を迎える結婚話。おめでとう。
結婚話その3
 遠距離恋愛をしている二人は、籍だけ入れて、遠距離のまま同居しないという結婚話。おめでとう。
 いろいろな理由、いろいろな形、いろいろな思い。みんな、みんな、みんな、おめでとう。

 

首里の起伏

2007年10月17日 | 那覇、沖縄
 首里という町は起伏に富んでいる。道が平らにまっすぐ伸びる道などは全くなく、とにかく上ったり下ったりが激しい。その中でも首里城が首里の中でひときわ高台に建っている。とはいえ、車やバイクに乗って通勤している人、毎朝、車で学校に送迎してもらっている子ども(この割合はたぶん相当に高い)にとって、道の起伏なんて関係ない。車のシートに座ってさえいれば、坂道をがんばって登ってくれるのはエンジンの力なのだから。
 最近、自転車で大学に出勤するようになった。タイヤの小さな折りたたみ式の白い自転車。だいぶ前に買ったのだけれど、しばらく乗らなかったものを整備した。「13の月」という邦画を見て、なんとなく乗りたくなってしまったのである。もちろんバイクよりはるかに健康にもいい。
 自転車に乗ってみてわかること、それは首里の起伏である。直径の小さいタイヤではローギアーでも、平ら道でもこぐのもそれなりにたいへんだが、少し坂があるだけで運動不足も手伝って息があがってしまう。競輪選手のように力いっぱいペダルを踏むと太ももがキーンと痛くなる。大学まではなだらかに上っていく長い坂が二つあるのだ。そんなことを、バイクに乗っているときは感じもしなかった。スロットをまわせばそれですむことだったから。
 自分の足で風を切る。秋の涼しい風が襟もとから、すっと首を通って身体に流れる。それだけでとても素敵な出勤なのに、私は起伏という自然を今、重いペタルを踏んで汗を流しながら存分に味わっている。それだけで不思議と大学に行くのが楽しくなってしまう。なんて私は単純なのだろう。だから明日も天気になあれ!


「駅」という響き

2007年10月16日 | 那覇、沖縄
 数年前まで、沖縄には「駅」というものが存在しなかった。交通機関の駅として存在したのは、いつ来るかわからないバスを待つための「バス停」だけだった。正確に言えば、「道の駅」というのはあったが、こちらは電車の駅ではない。だいたい電車が走っていなかったのだから当然である。
 今から4年前の平成15年8月、沖縄にモノレールが開業した。そして道の駅以外の「駅」が始めて那覇市に存在するようになったのである。初めのうちは、「駅」といっても沖縄の人たちはピンと来なかったらしい。駅の改札で待ち合わせをしよう、といったとき沖縄出身の友人は「えっ、改札って何?」って感じだった。だいたい、切符が自動改札機に吸い込まれて再び出てくるのを見て、とても不思議がった人もいたらしい。
 さて、そんな駅が出来てから、駅の周りには「駅前~」という店がポツリポツリと建つようになった。写真の店は終点の首里駅の傍にある薬局である。ただやはり駅前というと、鉄道の駅のように改札口と直結しているとか、駅の改札口をでるとすぐ前にあるビル(話題になっている英会話教室のように)の中にあるような感覚がある。これって、駅前っていうか、「駅下」じゃない?どちらにしても、「駅」という言葉はまだまだ沖縄では新鮮な響きを持っている。


マジ~ですか?

2007年10月15日 | 家・わたくしごと
外国人「ちょっとお時間ありますか?」
 スポーツ用自転車にまたがってかっこいいヘルメットをかぶり、ワイシャツにネクタイ姿の若い外国人が日本語で話しかけてきた。
私「何ですか?」
外国人「私は宣教師です。宗教や愛について興味はありますか?」
私「もちろんあります。」
 現代に生きるフランシスコ・ザビエル、ルイス・フロイスに敬意をはらってそう答える。
外国人(宣教師)「今、私は家族の愛についてお話しているのですが、ちょっとお時間はありますか?」
私「私、これから家族の愛を実践するために急いで帰るんです。今日は奥さんの誕生日だから。」
外国人(宣教師)「マジ~ですか?」
 突然口調が変わる。彼は私が絶対に嘘の口実を作っていると思っているに違いない。しかし宣教師は神に仕えるはずだから、人を疑う心をもつわけがないのだ。
私「マジですよ。」
外国人(宣教師)「これから奥さんのためのパーティーですか?」
私「そんな大げさなことをしませんよ。一緒に家でご飯を食べるだけです。」
外国人(宣教師)「ところで、宗教に興味はありますか?」
 かみさんの誕生日だって言ってんだろ、おりゃ。しつこいんだよ!なんてどこかの親子みたいな乱暴な口をきかずに、やさしく答える。
私「ありますね。私はヒンドゥー教徒みたいなもんですから。大丈夫ですよ。キリストを否定なんてしません。私の考えでは、あらゆる神、シワもウィシュヌもブラフマもブッダも、そしてキリストもすべて同じなんです。統一神(god of the unity)が存在しているんですから。」
外国人(宣教師)「そうそう。すばらしい。神は一つですね。奥さんの誕生日、祝ってください。さようなら。」
 彼とその連れは、あっという間に自転車に乗って去っていった。かみさんの誕生会の前におれは何やってんだ?と思いつつ家路を急ぐ。ちなみに家では、嬉しい小事件が勃発しており、私の帰りなんて誰も待ってはいなかった。子どもが、塾の帰りに母親に花を買ってきたのだから!しかもその花は、リンドウと黄色と白の小菊であった。なんだか意味深い種類の花であるのだが、子どもが生まれて初めて、自分のおこずかいで自主的に買ってきた花なのである。種類など問題にされるわけがない。ちなみに私からのプレゼントは手書きのバティックだったのだが、完全に子どものプレゼントのせいで色あせてしまったような気がする。それはそれで、嬉しい「色褪せ」である。







ジンベイザメの横でガムラン

2007年10月14日 | 
 海洋博記念公園はとても暑かった。「暑い」といったところで、野外公演の場合、涼しくなるわけではないので、口に出すことはなかったものの、午後一時の沖縄の太陽は、肌をさすような猛烈な日差しだった。今回は20年以上ガムランをやっていて、はじめての経験をした。演奏する広場の地面のタイルが黒く、ものすごく熱を吸って無茶苦茶「熱い」のである。演奏者は座布団に座っているから問題はないものの、裸足の踊り手はたいへんである。つま先だって踊ることもできず、足裏やけどをしながらのまさに「熱演」だった。
 2回目の舞台は海洋文化館内でのステージで、こちらは気持ちよくクーラーが効いている。準備が終わって少し高い場所からステージを見てみると、ステージの横にはでっかいジンベイザメの剥製が大きなガラスの展示ケースに収められている。ちなみに生きているジンベイザメがいるのは美ら海水族館で、剥製は海洋文化館である。両館の距離は徒歩5分。ほとんど観光客は、ちゅら海水族館だけを見て帰るのだが、私は海洋文化館もぜひ見学することをお勧めする。水族館が海洋の「自然」であるならば、文化館の方では海で繋がった国々の「文化」を展示品から感じることができるはずだ。
 じっと動かぬジンベイザメがどのような感想を持ったのかは別にして、私たちの演奏は巨大なサメに臆することなく、まるで海の中をほうふつさせるようなクールな場所での「熱演」だったと思う。もちろん、こちらの床はひんやりとして、快感だったことはいうまでもない。