Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

両立

2008年07月31日 | 家・わたくしごと
 ガムラン三昧で過ぎ去った7月。キジムナーフェスタ関連の残務処理も片付き、研究者としての現実に向かい合ったとき、そこに待ち構えているのは「原稿」である。まずは、わかっていたが多忙の中、手がつけられなかった7月半ば締め切りの校正原稿を片付ける。明日、もう一度、目を通して出版社に送ってこれは終了予定。出版社には連絡を入れていたのだが、それにしてもどうにもならない時期に校正原稿というのは突然送られてくるもので、どうあがいても出来なかったというのが本音である。
 次なる原稿の締め切りは10月10日と12月末。まだ2ヶ月あるなんて思ったら絶対にだめ。インドネシアで調査に入る8月19日までにはある程度進めておかなければならない。二ヶ月ごとにやってくる締め切りの波。一度でもそれから逃げたらもう何もかも終わり。演奏と研究が両立できなくなったとき、ぼくは息子に「勉強もテニスもガムランも、どれもがんばりなさい。ひとつだけなら誰にだってできる。」なんて偉そうなことはいえないもの。


空き箱

2008年07月30日 | 大学
 次の11月の舞台の練習が始まった。チャロナランの余韻を楽しんでいる場合ではないのだ。少しだけ新しい曲を教えた以外は、これまで練習していなかった曲の確認や復習。休憩を挟んであっという間の2時間だった。メンバーたちは練習以外でも、チャロナランの精算の残務処理などで忙しそうだった。
 後片付けといえば、スタジオの脇に置かれた木製の空き箱。バリからバロンなどが入れられてきた箱で、いわゆるゴミである。さて困った。楽器を演奏しながら、この箱をどのように処分するべきか考える。この手のゴミは「産業廃棄物」であり、普通のゴミとして廃棄することができないのである。さりとて収納箱としては大きすぎるのだ。どうしたものか?今週金曜日の練習までの宿題。

聞かなきゃよかった・・・

2008年07月29日 | 家・わたくしごと
 こんな時に聞く音楽じゃなかったと後悔するときがたまにある。たとえば、クラシックの音楽会に行く車の中でガンガンにバリのフル編成のガムランを聞くとか、韓国ドラマを見る前にインドネシア・ポップを聞くとか、まあ些細なことだが、やはり頭に残った音楽というのはそう簡単に「お掃除」ができなくて一人で混乱するのである。
 昨日、何を思ったか買ったまま封を切っていなかったYumingの 「seasons colors 秋冬選曲集」というコンピレーション盤をかけてしまったのだ。しかも「秋編」の方のCDである。ああ、聞かなきゃよかった・・・。どんなに家の外がかんかん照りの沖縄の7月末でも、もうぼくの気持ちは完全にダウン。あまりにもベタに寂しすぎて、悲しすぎて・・・でも食べ始めたタイ・カレーみたいに、翌日おなかの具合がどうなるかわかっていても止められないのである。
 それにしても突然、寂しい9月の海を思い出してしまった。この海はどこの海なんだろうと考えてみる。明らかに沖縄の海ではない。やっぱり東京生まれの私にとっては海の家が店じまいして、すっかり静まり返った湘南の海。いかん、いかん、そんなことを考えてはいかん!沖縄はこれからまだ2ヶ月も夏が続くんだぞ。


鳴らない携帯

2008年07月28日 | 家・わたくしごと
 この二週間、今までに経験したことのないほど一日に数十回携帯が鳴り、幾度もバイクを止めては道端で携帯をとった。1ヶ月ほど前、私の壊れていた携帯を見た学生に「先生、キジムナーフェスタまでには携帯買い換えてください。」とピシャリと言われて、しぶしぶ新しい携帯にしたのだが、今思えば学生の言うとおりだった。
 昨日、バリの人々が帰ってとにかくぐっすり眠った。今日から、まるで二週間の出来事が嘘だったように、学生と接し、会議に出て、本を読んで、文章を書いて、家に帰る。ぼくはまた「普通の教員」に戻った。別にそれに不満があるわけではない。
 ただバリの人々が戻った昨日から僕の携帯はぱったりと鳴らなくなった。昨日から今日まで、私がかけた電話の返事がたった一件だけ。メールは何も入らない。これだって今までと何もかわらない。ふだん私に電話をしてくる人なんてほとんどいない。友達なんて沖縄にいないもの。それが当たり前なのに、突然携帯が死んでしまったように音を奏でないと、それがとても寂しい。わかっている当たり前の現実をこんな時につきつけなくたっていいのに。意地悪な現実・・・。

まだ40分前ですが・・・(キジムナーフェスタ バリ日記ー48)

2008年07月27日 | キジムナーフェスタ2008
 バスは8時半出発だから、と念を押したにもかかわらず、メンバーは全員7時40分にはすべての荷物を持ってホテルロビーに集合。舞台衣装や道具もあるので結構な量の荷物がロビーを占拠。これって他の宿泊客の迷惑じゃない?と思うのだが一向に気にせず。「なんでこんな早いわけ?」と私が聞くと、チャロナラン役のプルシブさんが一言。
「一度、バスに間に合わなくてバパ(私)に怒られたから、もうみんな二度とそんなことを起こしちゃいけないと思ってるんだよ。」とニヤリ。まあそうですけど、それにしても早すぎます!

最後の朝くらいは(キジムナーフェスタ バリ日記ー47)

2008年07月27日 | キジムナーフェスタ2008
 帰国日くらいはホテルのレストランで食事をしようということになった。朝食バイキングは1000円なのでこれまでメンバーは部屋で軽食を済ますだけでレストランには行かなかったのである。もちろん私もその一人である。
 朝6時から開いているということで、皆朝5時前に起きて開いたばかりのレストランでお食事。楽しくお話しながらブレックファストというより、ただ黙々と食べるメンバーたち。食事が終わってやっと談笑。食べながら話すことが苦手と見える。

嵐の前の?(キジムナーフェスタ バリ日記ー46)

2008年07月27日 | キジムナーフェスタ2008
 最後の夜は沖縄のメンバーと大学近くの居酒屋で大宴会となった。夜8時半に始まった宴会は12時半に終わる。ちなみに日本人メンバーの何人かは朝4時半まで大学図書館前で宴会の余韻を楽しんだとか。「余韻」を少しでも長く感じていたいという気持ちかな?
 ちなみに写真は宴会開始直後の一枚。この後の写真はもちろん公開できませんのであしからず。