Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

見守られているという安堵

2009年05月31日 | 東京
 祖母の四十九日の法要で昨日から東京の実家に戻る。まだ梅雨に入っていないのに鬱陶しい天気。幸いにも小平霊園での納骨のときには雨に降られなかった。この時のお坊様の話は、当たり前のことに気づかせてくれるもので、ありがたく聞かせてもらった。
 四十九日に祖母は仏様になったそうで、これから私たち親族を守ってくれるのだという。そのことは知っているのだが、話はその次。一周忌、三周忌などと続いていく儀礼は、死後の年月ととらえるのではなく、仏様となった祖母が私たちを守ってくれている年月としてとらえ、そのことに感謝の念をこめて、今後は墓前に、そして位牌に手を合わせなくてはいけないというものだった。その通りである。同じ年月でもその捉え方によっては儀礼の意味のようなものが大きく変わるというもの。そして、私はそうした人々に見守られているということに安堵する。

髪が黒くなる季節

2009年05月29日 | 大学
 《いちご白書をもう一度》に、「就職が決まって、髪を切ってきた時・・・」という歌詞があるが、芸術大学には「就職」とは無縁な学生が多いためか、結構、「僕は不精ヒゲと髪を伸ばし」を続けている学生が多い。しかも、最近は髪も染めるため、学内はカラフルである。
 しかし5月末は、芸術大学で四年生の髪がいっせいに黒くなる季節である。というのも教育実習に行く学生が多いからだ。さすがに不精ヒゲと髪を伸ばし、髪を染めて生徒の前に立つのはご法度であり、そういう心構えはしっかり大学で教えられているから、本意ではないにしても、教育実習では「大人の格好」が必要とされるわけだ。
 雨が降ってジメジメし、ちょっと暗くなる時期だからこそ、ド派手な服で、髪なんかピンクや緑に染めて、「パンク大好き」みたいな格好でやってくる学生がいると、その外見に心地よい刺激を受けて梅雨をものともしなくなるというのに、髪がどんどん黒くなっていくなんて結構、憂鬱だな。でも沖縄の梅雨入りは早いんだもの、仕方ないさ・・・。


書評

2009年05月28日 | 家・わたくしごと
 学会誌に掲載するため、2冊の本の書評を書かなくてはならず、この1ヶ月、自分の研究範囲を超えた内容と格闘した。かなりゆっくり読み進めたのだが、それでも難しいところがあると読み返し、他の文献を探すなど・・・とにかく大作業だった。
 しかしいざ書評を書いてみれば、やっぱり納得のいくものができず、しかも字数の関係もあってそんなたいそうなことは書けないもので、残ったものは反省とポストイットと書き込みだらけの二冊の本だけだった。
 もちろん書評も捨てたもんじゃない。新しい知識だけはたいそうな量で頭に詰め込まれたわけだから。それはまだ整理はされてはいないけれど、脳裏の整理ダンスにきちんとしまわれ、置き場も明確、いつでも出し入れ自由となればしめたもんだ。ところが、もう今の私の整理ダンスときたら、開けっ放しで、荷物が半分はみ出てどこに何があるかてんでわからない状態。まず持ってくるよりも、今あるものの整理の方が先。この書評を書くために得た知識が踏んづけられて、蹴飛ばされて、最後はポイって捨てられないようにしないと。


中江有里『結婚写真』

2009年05月27日 | 
 このところ忙しくて小説が読めない。飛行機の移動でも仕事の書類を見たり、打ち合わせの準備、研究室では専門書ばかりで、先月から、古川薫の時代小説とカレル・チャペックの短編集を読んで以降、今月はまだ1冊も読んでいないではないか!「これでは人間としてダメになってしまう」ということにハタと気づき、研究室に持ち込んでいるにもかかわらず読めていない小説を探す。たくさんあるのだが、選んだのは中江有里『結婚写真』。この本、実は出版してすぐ新刊書で買ったのだが、読む前にどこに置いたかわからずに、単行本だったせいか研究室の専門書の中に埋まってしまっていて、先週、約二年ぶりに再会したのである。
 数日かかってこの本を読破。やわらかで心地よい文体でかかれているこの小説は、たぶん著者の性格そのものなんだろうと考えたりする。「結婚」や「母娘」について考えさせられる内容の本であるのだろうが、私はそうした部分よりもむしろ、著者が表現する登場人物のささいな言葉や行動に触れるにつれ、年を重ねるうちに、本当にたくさんのものを人生の途中で落としてきているということに気づかされた。五十歳に近い私が、女子中学生「満」の気持ちを理解することは難しいし、その気持ちになることはもはや不可能なのだが、しかし、そんな気持ちの「存在」までも記憶の中から捨て去ってしまっている自分の不用意さに愕然としてしまったのである。
 小説を読んだからといって「これで人間としてダメにならない」わけではない。しかし少なくても小説を読むことで、専門書の壁からは感じとれない日常のさまざまな出来事を再認識させてくれる。「いつからアイスコーヒーをブラックで飲むようになったのだろう」なんて考えるとワクワクしてしまうし、カキ氷が舌の上で解けていく感覚なんてすっかり忘れてしまっていたのに、なんだかそんな表現を読んだだけで、自分の舌が冷たさでしびれるような感覚を覚えてしまう。不思議と今、背負っている何もかもが、すっかり軽くなったような気分で一日が過ごせそうなのだ。「今日も一日頑張って。そしたら明日がくるからさ」(91頁)という気分。その通りだ。頑張らなくっちゃ明日なんか来ないんだ。僕がこの数日、明日だと思っていた「明日」なんて、偽りの「明日」だったんだ。

ちょっと寂しいな

2009年05月26日 | 家・わたくしごと
 先週の土曜日、音工場OMORIの発表会があった。東京で練習もあるし、そう続けて東京に行くこともできないので今回は自分で考えて出ないことに決めた。もちろんここで教えているわけではないし、習っているわけでもないので出る必要性はないのだが、足りないパートなどがあればいつもそこで演奏させてもらっている。
 だからといって発表会の日を忘れるはずがない。なんとなく土曜日は朝から落ち着かず、東京の天気をニュースやホームページで見たり、準備をしている午前中もそわそわ。昼になればタイ・カレーは出てるのかな?なんて一人で想像してしまう。幸いにも外で打ち合わせがあって、その後ブログに書いたように街歩きをしたおかげで、一人で暗く時を過ごさずにすんだ。
 それですべては解決!と思ったところ、友人のブログに発表会の写真やカレーの写真がバッチリ掲載されて、それなりに楽しめたのだが、その一方でまたズトンと落ち込んだ。今日のブログは写真なし。だって行ってないんだもん。
 

しるこサンド

2009年05月25日 | 東京
 最近はなぜか時が猛スピードで進んでいるようで、それについて行くだけでもたいへんです。東京でのワヤンの練習も、もう8日も前の出来事なんてとても信じられません。その練習のとき撮影したのが、このとき友人たちが持参した二種のお菓子。今日の話題はこのうちの「しるこサンド」です。ちなみにもう一種類もカラメルをサンドしたオランダ風ワッフルで、2008年の3月20日にブログに書いていますからご興味のある方はそちらをご覧あれ。
 さて「しるこサンド」ですが、これを発見したのは4月上旬の伊豆旅行。仲間の一人が駄菓子屋で発見し、皆で下田の街を散策しながらポリポリと食べたのです。それにしても「しるこサンド」という素朴なネーミングがいいと思いませんか?日本人ならば、「しるこ」といえば液体状の食べ物を思い浮かべるはずですが、その液体であるはずの「しるこ」がビスケットに挟んであるわけです。
 私には「しるこ」を「おしるこ」としなかったところが、ネーミングの妙技だと思えるのです。「しるこ」も「おしるこ」も同じわけですが、「しるこサンド」だとリズム的に3+3、西洋音楽でいえば、8分の6拍子みたいな感じで、ようするに「し」と「サ」に強拍がくる二拍子系の言葉なるわけですね。ところが「おしるこサンド」となると、どうしても「サンド」の後、一文字分休符がとりたくなってしまい、そうなると4分の4拍子になってしまう。やはり個人的には勢いが感じられる「しるこサンド」の方がいい。それに響きとして、「しるこ」の方が「おしるこ」より若干「チープ」な響きがして、駄菓子にはピッタリなわけです。
 汁を挟むというシチュエーションとしてありえないネーミングにも当然そそられるわけで、結果的に甘いものが欲しくないのに、一袋買ってしまう・・・。おじさん達は皆、このネーミングにイチコロだったわけですね。だからといって、とりわけ「旨い」ってわけでもない。それがまた駄菓子の大切なところで、味よりもむしろ食べるまでのプロセスの楽しさもまた、駄菓子を選ぶ重要な要素となること。
 私の友人はこのお菓子を東京で見つけた翌日、全員にCCでメールをして発見を自慢ありげに報告しました。しかも発見場所は百均だったのです。下田では140円もしたんです。まあ、差額の40円についておじさんたちがこだわっているわけではなく、大切なことは再び、この「しるこサンド」と東京で再開できたことで、決して美味しくはないのに、微笑みながらこれを口に運んで、喜びを共有できたことです。

金城石畳

2009年05月24日 | 那覇、沖縄
 朝のウォーキングで雨に降られて首里城で雨宿りの後、金城石畳に向かった。この道は「日本の道百選」の一つに数えられる歴史のある美しい道であり、沖縄観光地の一つである。しかしツアー客の大半はここまで足を伸ばすことはなく、首里城だけを見て帰ってしまう。だいたいこの近くに駐車場はないし、首里城から歩くには坂が多いために団体客泣かせの観光地なのである。
 だからというわけでもないが、私がお勧めの観光スポットで、首里城の喧騒とは比べものにならない静かな場所である。お勧めとはいえ、坂が急すぎて足腰の悪い方には少々しんどい。元気な若者も、真夏の太陽の下、この坂を往復するのはかなりきつく、私の友人の中には下りはしたものの、もう上ることを諦めてタクシーに乗った者もいるほどだ。
 私がこの場所を歩き始めたのは朝6時過ぎ。もちろん観光客どころか、地元の人だってほとんど通らない。とにかく気味が悪いくらい静かである。いい気持ち!と深呼吸・・・とその時、石畳につまずいて腰がギクッ!ということで、私は軽い腰痛となり、あとはソロリソロリと坂を上り、なんとか家に戻ったのであった。金城石畳、ひと癖、ふた癖ある「日本の道百景」である。

サッカーグランド

2009年05月24日 | 那覇、沖縄
 日曜日なので朝5時に起きて久しぶりにウォーキング。最近、大学に行く日はなんとなく朝に歩く元気が沸いてこないのです。少しお疲れ気味かもしれません。「連れて行ってよ」と叫んだり、言葉に出さないにしても悲しそうに上目遣いで私を見たりする犬でもいればいいのでしょうが、ひとりだとなかなか一歩が踏み出せません。
 今日は、「歩くぞ」と勇んで外に出てみれば、なんと小雨。しかし準備もしてしまったのだし決行です。いつもとは逆に、職場の大学周辺を歩くことにしました。意外と入ってみたい路地や公園があるのですが、職場への行き帰りに寄ることはありません。ですから、今日はちょっと探検気分。
 歩いてみたかった場所のひとつは、首里城公園の城壁に沿った散歩道。実はまだ歩いたことがないのです。鳥堀のバス停のそばから、長い石段を登るところから始まります。まだ6時前で道は薄暗く、なんだかちょっと薄気味悪い。聖地は多いし、過去にはここで戦争があったと思うとなんだか心臓がドキドキしてしまいます。それに雨はちょっとずつ強くなるばかり・・・。
 前方下に大きなサッカーグランドが広がりました。へえ、首里城のふもとにこんなきれいなサッカーグランドがあったんだと感心。しかしよく見てみると・・・そりゃ、自分の大学のグランドではないですか!上から見たことがないので全くわからなかったのです。いつもこの横の建物で民族音楽学概論の講義をしているはずなのに。
 これが散歩の意外性です。視点を変えると、同じ場所も全く異なってみえるどころか、それを見たこともない新しいものと勘違いすらしてしまうのです。不思議だなあ、と思いながらデジカメでパチリ。なんだか遠くの方で滝のような音がします。この辺、こんなに強い水の流れがあったかしら?と考えているうちに、ジャバー・・・とすごいスコールになりました(音はバリのガムランみたいに騒々しいのだけれど、なぜか雨音はジャヴァ)。すぐそばの森の木々や葉をたたくスコールの音が、まるで滝のように聞こえたに違いありません。そんな雲が今、私の真上に到達した模様。全く雨宿りする場所なんかなし。とにかくあとはこの散歩道を走って首里城の門の一つで雨宿りとなったのでした。たぶん第二話に続く・・・。

那覇でのお買い物

2009年05月23日 | エッグカップ

 打ち合わせを終えてから、ショッピングセンターを歩く。東京では一人でよくウィンドーショッピングを楽しむが、那覇の大型ショッピングセンターに一人で来ることはほとんどなく、ましてやお店を見て回るなんていったい何年ぶりかと考えてしまう。
 かわいい小物を見るのが好きなので、学生の目がどこにあるかわからない那覇でのウィンドーショッピングには意外と気を使ってしまう。そんな学生なんかに会うわけはないだろうと思うかもしれないが、東京と那覇はぜんぜん違うのである。自意識過剰と言われればそれまでだが、やはり落ち着かない。
 今日は汎アジア・アフリカ民芸品屋さんで、エッグスタンドを二つゲット。ちなみにどこの国から輸入されているのかわからないので店員に聞いてみたが、少し悩みながら、青色のものはインド、ふちがギザギザの方がタイだという。しかしなんとなく「怪しい」気がする。それにしてもエッグスタンドを沖縄で買えるなんて幸運である。そう思うと、那覇もすてたもんじゃない。


無料開館の県立美術館にて

2009年05月23日 | 那覇、沖縄
 午後、新聞社で打ち合わせを終えた後、今日だけ無料開館している県立博物館と美術館に出かけた。無料なのでさぞかしたくさんの来客で混雑しているだろうと思いきや、それほどのこともなくゆっくり展示物を見ることができた。
 博物館は「沖縄の歴史や民俗を勉強する」という感があるのだが、美術館は高い天井の空間の中で作品を見ることができて、とても落ち着ける空間である。私の大学の展示室とは、その展示空間から大きく違う。
 私が今回の常設展示の中で、とても心を奪われたのは岡本太郎の撮影した一枚の白黒写真だった。それは、かつて北部の村で撮影したイルカ漁の写真で、海岸には捕獲された、たくさんのイルカが並べられている。しかし不思議とその写真を自然に受け入れることができて、捕獲されて食用とされるのであろうその数頭のイルカに、現在では愛玩される哺乳類のイメージが全く重なり合わないのである。
 私のすぐ横で小学生くらいの女の子が黙ってその写真を眺めていた。私はその子が傷つかないかと少し心配で見守っていたのだが、彼女は後ろからきた母親に「イルカだね」といって笑顔でその写真の前を通り過ぎていった。この一枚の白黒写真の力にただただ感心すると同時に、あらためてこの撮影者である岡本太郎の偉大さを感じるのだ。