Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

脱レトルトパック

2009年11月30日 | 家・わたくしごと
 レトルトパックが美味しくないというわけではない。どちらかといえば、一人の時はお湯で温めて終わり、というのが楽でいい。しかし、同じメーカーのものであれば、毎度、毎度、その味は変わらない。変わったら商品としては成り立たない。どれを食べても同じだから、商品なのである。たまにレトルトパックに一味加えて、オリジナルな味にする企画などをテレビでやっている。面倒なことをやるものだと思いつつも、それで味のオリジナリティーを出すというこだわりには感服する。
 昨日の演奏でちょっとだけ思ったことがある。演奏はレトルトパックになってはならないということ。日本のグループはだいたい同じような先生から学び、グループも横に繋がっているから、グループのアイデンティティといえるものがよく見えなかったりする。もちろん上手、下手はあるにしても、それはアイデンティティではない。なんだか、そう考えると、レトルトパックみたいだ。うまく暖められなかったものと、ちゃんと説明書通りに作ったもの程度の違い?
 昨日の本番までに、バリ人の指導を2日間受けた。細かな太鼓の手や、装飾などを変え、思いっきり味付けを変える試みに挑戦した。できあがったものは、まだグループのアイデンティティの表出にはほど遠いのだが、しかし、私が教えてきたレトルトパックの味に、いくつかの食材や調味料が加えられて、煮えてきていい香りが漂ってきたような気がする。まだ試食会までには時間がかかりそうであるのだが。

吾妻橋から見えるもの

2009年11月29日 | 
 隅田川にかかる吾妻橋の上で足を止めた。遠くに見える橋のあかりが、水面に虚像を描き出し、みなもを渡るゆるやかな風が、そんな光の妖艶さをより強調しているようだ。
 東京に住んでいれば、決して目を止めない風景だろう。私もかつてはそうだったに違いない。しかし今、私の目にはどれもこれもが目に焼き付けておかなくてはならないような景色に思えてはならないのだ。
 林は切り倒され、空き地になり、そしてそこが住宅街に変わっていった。私は子どもの頃から、自分の家のまわりの環境がそうして変わっていく風景を見続けてきた。別にそれ自体に悲哀を感じているわけはない。しかし、私はそこで何かが止まると思っていた。しかしそれは間違いだ。都会も変わる。都会の風景もまた消えては、新しく「何か」が誕生していく浮世のようだ。だから、いつ見れるかわからない、そしていつ消えてしまうかわからない都会の風景をぼくは見つめる。だからそんな街を歩く。

仲見世通り

2009年11月29日 | 
 雷門をくぐって仲見世を歩く。そろそろ閉まりはじめた店を横目に、わたしはまっすぐ人形焼を焼く光景を見ることのできる一軒の店を目指した。なぜだか子どもの頃からわたしはその店を愛した。金型に流し込まれるトロリとした白い液と、手際よくいれる餡、くるりと金型を返す職人の手際良さ、見るものを感嘆させた。はじめて息子と二人で、ガラス越しにこの光景を見つめたとき、息子もまた、厚いガラスに吸い付いてしまったかのようにその光景からじっと目を離さなかった。
 わたしはそんな光景を期待したのだが、残念ながらすでに作業は終わって、ガラスの向こうにはすっかり片付けられて、火を落とした機械がぐっすり眠りについていた。まだ開いている店先で、きっと甘い香りの漂う白い作業衣をまとった職人たちが雑談をしながら、たぶんその日に焼いた人形焼を売っている。買おうか、と思ったが足を止めた。やはり、ガラスの向こうに職人がいなくてはだめだ。職人がカタカタと金の音をさせているそんな音や焼ける香り、それを見つめる観光客の喧騒、そんなものが一体となってわたしの人形焼きは存在する。今日の人形焼は、あまりにも悲し過ぎる……。

雷門の前で

2009年11月29日 | 
 観光用の人力車もほとんど帰路につき、すっかり静かになった夕刻、雷門の前に立った。昼間は賑わいを見せるこのあたりも、暗くなると門の脇の交番の明かりがぽっかりと姿を現して、ライトアップした門と不思議な調和を見せている。まだ6時過ぎなのに、交番の中で酔っ払いがうら若い警官とやりとりをしている。何を言っているのかわからない。ただ酔っ払いの大声の中の母音だけが、呪文のように耳に届く。
 突然、ブランデンブルグ門を思い出した。私がベルリンのその場所に立ったのはドイツでワールドカップが行われる前年、やはり夕刻だった。ライトアップされた門、ひんやりとした9月の風、まばらな観光客、店じまいを始める土産物屋……。寂しい記憶だ。なぜだかベルリンにはそんな記憶しかない。緑色の毒々しいベルリンのビールの味の記憶もまた、せつないのだ。
 雷門にはさして記憶に残るほどの思い出もない。それにしても、ぼくはどれだけ多くの人々とともにこの門をくぐったことだろう?あえて思い出そうとするならば、その門をともにくぐった人々の残像くらいだろうか。門は入り口でもあり、出口でもある。私のこの記憶は、将来への展望なのか、それとも過去への決別なのか? 
 

リズムと遊ぶ

2009年11月28日 | 大学
 今、東京からバリ人の演奏者で、明日の上演に参加してくれる私の友人がサークルの指導をしてくれている。やはりバリの演奏者の指導だから、メンバーの目つきもちょっぴり違うし、私自身もひじょうに勉強になる。
 彼が昨日、メンバー達にこんなことを言った。
「もっと、リズムと遊ばないとだめだよ」
 ぼくはとっさにこの言葉を、インドネシア語から日本語に翻訳したときに起きるある種の変換ミスのように思ったのだが、よく考えるとそうではない。これは実に意味深い内容を持っているのだ。
 私達はガムランを演奏するときにリズムを頭や体で刻んでいる。そしてその演奏は、規則的なリズムに支配され、制御されてきた。しかしそこまでが、ある意味、日本人の求める演奏だったのかもれない。私達はある種のリズム的パターンを必死に反復練習し、それをいとも簡単にできるような演奏者を上手な演奏者と考えてきた感がある。
 しかし、上手だと考えられてきた演奏は「リズムと遊んで」いるだろうか?違う、確かに答えは否!遊ぶ余裕なんて、これっぽっちもない。長年、演奏を続けてきた私達が求めるガムランは、リズムと遊べる、戯れるガムランである。そのときに「私達」と「音楽」が一体となって、きっと自他共に満足できる響きが奏でられるのだろう。そんな理想を描く以前に、友人が語った「リズムと遊ぶ」という短いフレーズは、私には衝撃的な響きだった。
 

ブログのアクセス数って…

2009年11月28日 | 家・わたくしごと
 ブログのアクセス数って、まるで体重みたいだと思う。毎日、たくさん書けば、それだけアクセス数が増えるから。一日、たくさんご飯やお菓子を食べると体重もあっという間に増えるもの。
 でもブログはね、書かないとアクセス数が激減するものなのに、食事って、食べると増えるくせに、なぜブログみたいに、食べなくても急激に体重は減らないのかしら。そこだけが体重と違うところなんだけどな。体重もブログみたいだといいのにな……。

朝の名言、再び…

2009年11月28日 | 家・わたくしごと
 息子と二人、遅い朝食をとった。たいがい二人の朝食は、パンにハムとチーズである。息子のものは、ハムの上にスライスチーズをのせて焼いた。ちょうどスライスチーズがなくなったので、私はピザ用のチーズとハムをそれぞれパンの半分ずつにのせて焼いたのだった。
 さて、ぼーっとしながら先に食べはじめていた息子は、私のパンをちらりと横目に見た後、何事もなかったように食事を続けた。そしてポツリとこう言ったのだった。
「お父さんのパンは弁当みたいだ。」
 おい、今度は何を言うんだ?おまえ、またおかしなこと言ってるぞ。
「チーズのところがご飯で、ハムのところがおかずなんだよ。」
 それも、診療を終えた医者が「普通の風邪ですね」というように全く愛想もなく、機械的に語る口調で言うのである。そうか、弁当か、これがね。弁当……。
 ぼくたちは何ごともなかったようにパンを食べ続けた。BGMで流しているバッハのブランデンブルグの五番が静かに部屋に響いている……。

企画展「アジア・沖縄 織の手技」で演奏

2009年11月25日 | 那覇、沖縄
 11月29日(日)に南風原文化センターで開催されている企画展「アジア・沖縄 織の手技」の最終日、大学のサークルでバリ・ガムランと舞踊を上演します。時間は30分、曲も普段、演奏することの多い三曲です。
 私は「いつもと同じ曲だから」という理由で、なんとなく上演してしまう舞台が嫌いです。同じ曲を演奏していると新鮮味が失われてしまうと言われます。確かに私にもそういう時期がなかったわけではありません。しかし今は違います。そこに何か新しいものを見出したり、アンサンブルとしてよりいいものを求めたりすることで、常に「新しさ」を感じることができるのだと確信しています。
 今回はバリ留学経験のある三人のメンバーが、現在、バリで勉強や研究中のために不在です。しかし、それが理由で「うまくできなかった」というのは言い訳にすぎません。三人がたとえ不在でも、それまで以上に「いい演奏だった」と自他ともに認める演奏ができなくてはならないのです。演奏するごとに、演奏者各人がその曲に惚れなおすような演奏をすること、それをメンバー皆に目指してもらいたいと思っています。

JLの羽田ラウンジにて

2009年11月24日 | 
 沖縄と本土の往来が多いために、去年からお得意様が利用できるJLのプレミアラウンジが使えるようになった。かなり乗らなくては使えないラウンジなので、朝などはピシッと背広を着たサラリーマンでラウンジはいっぱいになる。そんなラウンジにGパンとセーター、インドネシアのイカットのマフラーの格好で入ると、ひじょうに目立つのであるが、服は違えど同じお得意様である。そんな怪しい人を見るような眼差しで見ないでおくれ。
 さて、このラウンジ、基本的にはセルフサービスである。イスに座っていても何も出て来ないので、普段はそんなことをやり慣れていなそうな、きっと会社では偉い(と思われる)おじさん達は、不器用ではあるが、自分で欲しい飲み物を運ぶ。そこまではいいのである。会社ではやってもらえても、ここでは皆同じなのだ。
 しかし問題は後片付けである。片付けもセルフサービスである。当たり前だ。ちゃんとお皿やお絞りを返却する場所が明示されているし、ほとんどの人がそれに従って片付ける。にもかかわらず、片付けられない輩がいるのである。君達、会社でどんなに偉いかは知らないし、家では誰かが片付けてくれるのかもしれないけど、ここじゃ皆、自分でやるんだよ。絶対、働いているお姉さん達は怒っていると思う。思って当たり前である。自分で片付けられない人は、どんなに飛行機に乗ったとしてもラウンジを使う資格なし。

国分寺の素敵なお店

2009年11月22日 | 東京
 沖縄で仕事をするまで、長いこと国分寺市の住民だった。子どもの頃から国分寺駅周辺は私の遊覧テリトリーである。今も実家が国分寺にあるために、頻繁に戻るため、国分寺=わが街という意識には変化がない。
 国分寺に好きな店は数あるが、その一つが写真の中古レコードとCDの「珍屋」。何軒か同じ店が国分寺の北口側にもあるが、私が好きなのはこの南口にある地味な店である。まずドアが洒落た自動ドアでなく手動で「ガラガラ」って感じなのがいい。さらに気に入っているのがその品揃え。たぶん店長は私と同世代かあるいは少し上の世代なのだと思うのだが、1950年代から1970年代のアメリカや日本のフォーク、ポップに詳しそうな並べ方を感じるのだ。正直いうと、意外にロックには愛を感じない店で、それもまたポリシーが強く感じられていい(私がロックが嫌いなわけではないが)。
 今日はちょっぴりほろ酔い気分で「珍屋」に立ち寄る。ほろ酔い気分で中古CDやレコードを見るなんて、実に至福の時間ではないかい?ボーっとして、パタパタという音をさせながら、一枚ずつレコードを繰っていくその規則的なリズムが眠気を誘う。今日の店のBGMはピアノ、ベース、ドラムのスローなジャズ。なんだかすっかり気持ちがよくなって、ズルズルとこの場所に吸い込まれそうな気がした。それに怖くなって何も買わずに急いで店を出た。冷たい外気に触れた瞬間、買おうと思ったCDが思い出せなくなった。いったいこの店の中にはどんな時間が流れているんだろう。いやいや、これは私の酔いのせいかい?とにかく現実に戻って、何もかもゆっくり考えないと、どれも解決しないまま時が流れていきそうだ……。止めないといけない。ブレーキをかけなきゃ。