Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

鍵板だけは・・・

2008年10月29日 | 大学
 明日から兵庫。31日にガムランとヴァイオリンの現代音楽作品の初演です。先日もこの編成の初演が沖縄でありましたが、あの時とは違う作品です。楽器はほとんど送りましたが、ガムランの鍵板だけは自分たちで持っていきます。
 鍵板だけは・・・やっぱり送る勇気がありません。もちろん送れないことはないのですが、ガムランにとって重要な音。こればかりは一時的だとはいえ、誰かに託すことができないのです。でもそうなれば、この重さに耐えて運ばなくてはなりません。どうすれば負担なく運ぶことができるか・・・。
 一番重要なのはいい演奏ができること。そのためには無事に楽器を舞台に運ぶこと。とはいえ、演奏する自分たちに余計な負担がかからないこと。いろいろ考えて一番いい方法を考えないと。
 

リアル=リアリズム舞踊

2008年10月28日 | 大学
 まるで写真の魚は「ホンモノ」のような魚である。たぶん本物の魚の写真をプリントした縫ぐるみなのだから、リアルに見えるのは当たり前である。これは、器用なガムランのメンバーの作品であり、実はこの作品、舞踊の小道具として製作されたものだ。
 といっても本来、バリではこんな小道具は使用しない。沖縄ガムラン独自の発想である。この小道具を使おうとしてしている舞踊は、《漁師》とよばれるもので、1958年に創作された現代的な香りのする作品だ。この時代以前のバリ舞踊は、日常生活を描写した舞踊というのはなく、神話や物語の一部を舞踊としてデフォルメした舞踊作品だった。ところが1950年代後半、スカルノ大統領が共産主義に接近していく文脈の中で、現実主義的な舞踊が次々に創作されていったのだった。日常生活や労働を描写したリアリズム舞踊とでもいえよう。
 《漁師》は三人の漁師が登場する舞踊作品で、投網や船漕ぎなどリアルな表現が多い。魚を手にとり魚篭にいれるような所作まで現れる。しかし、本来の舞踊では「見えない魚」である。しかし、その「見えない魚」を「見える魚」にしてしまったのが我々のグループだった。つまり、この方法は本来、「反則」行為なのだが、もともと、この舞踊そのものが1950年代の「反則」作品なのである。「反則」どころか、当時のバリ舞踊の常識に対する「冒涜」により、レッドカード一発退場レベルなのである。共産主義の「赤」が、レッドカードをカモフラージュしてしまったのかもしれない。
 そう考えると、リアルな魚の小道具の使用は、リアリズム舞踊をもうちょっとリアルにしているだけのことであり、超リアリズム舞踊、リアル=リアリズム舞踊への展開なのであって、決して黄色や赤のカードを掲げられるような行為ではないと思うのだ。

横断報道をわたるポスター

2008年10月27日 | 大学
 大学構内に今週末に始まる大学祭のポスターが貼られている。大学の前の横断歩道で撮影した写真で、たぶん大学祭のテーマSTEP ACROSS THE BORDERというテーマにかけた写真なのだろう。
 しかし、わたしのような「おじさん」がこの写真を見て思い浮かべるのはABBY ROADのジャケットである。ABBEY ROAD、ジャケットの二単語を耳にして、「それ何?」なんていう者は、私にとってはるか遠くの存在である。ちなみに私のゼミの学生の一人は、ちゃんとビートルズのジャケットを言い当ててくれた。さすがである。
 このポスターを見たとき、まず私は歩いている人の足元を見た。誰が裸足なのかを探したのである。しかし残念ながらすべて靴をはいているのだ。それはないだろう?一人は裸足じゃなくちゃあ。ABBEY ROADでは、ポールだけが裸足なんだぞ。4人のメンバーのうちの一人、つまりは4分の1が裸足なのに、どうしてこんなたくさん歩いていて誰もが靴なのか?
 しかし考えてもみれば、このポスターを見てABBEY ROADを想像すること自体が、時代錯誤も甚だしいのだ。だいたいこのアルバムが出たのは1970年で、今から38年も前である。学生は二十歳前後なんだから知らなくて当たり前である。そんなことを思いながら、CDの棚からABBEY ROADを探して研究室で《Because》を聞いた。なぜならね・・・ひ・み・つ。


レギュラーガソリン価格=ユーロの円相場?

2008年10月26日 | 那覇、沖縄
 とうとうレギュラーガソリンが110円台に突入した。つい最近までは150円台だったのに、原油価格の急落とともに沖縄のガソリン価格も安値へ。1週間に3リットルも入れれば多い私のバイクでも、100円も差額があることを考えれば、車のドライバーにとって110円台は画期的な価格だろう。
 ところでこの値段、現在のユーロの円相場とほぼ同じである。150、160円台だったユーロの円相場も今や110円代だとか。私がオランダで生活した2003年のレートは確か120円代だったと思うが、そのときよりも円高になっている。
 輸出企業にとってはたいへんな大打撃だろうが、個人旅行者にとってはありがたい円高である。ところでガソリン価格もこのまま値が下がっていって100円割れなんてことになるんだろうか?

西宮へ

2008年10月26日 | 大学
 31日に兵庫県立芸術文化センターでヴァイオリンとガムランの曲の初演があります。私たちより先に、本日、船便で送る大きな楽器が三つ出発です。
 それにしてもうまく梱包できています。本来なら、昨日、私もこの作業に参加しなくてはならなかったのですが、恩納村へ行かなくてはならず、他のメンバーたちに任せてしまいました。皆、ごめんね。きっと向こうでお礼しますから。とにかく、あななたちの作品だけはブログに記録させてもらいましたので。

道の駅

2008年10月26日 | 家・わたくしごと
 ドライブインとか道の駅とか、車で寄れる場所が好きである。高速でドライブインに入って、そこで売られている地域の名物をみたり、そんな中に置かれている試食をしたり・・・。昔から、魅力的に感じる場所なのだ。そのせいか、大学院時代、毎週のように夜行バスで東京と大阪を往復したが、さほど苦痛ではなかった。必ず、2箇所のドライブインに休憩停車するからである。ほとんどの乗客がぐっすり眠っていても、私一人で夜中のドライブインを散歩した。ちゃんと夜中でも開いているのである。
 なぜ、ドライブインが好きなのかと考えてみると、思い当たるふしがある。子どもの頃聞いていた深夜放送で「いすゞ、歌うヘッドライド」というのがあった。オールナイトニッポンの第一部を聞き終える3時、ラジオのチャンネルをTBSに切りかえると、この番組が始まったのである。
 番組の副題には「コックピットのあなたへ」と付けられていたように、夜行トラックの運転手を意識して作られている。オールナイトニッポンが部屋で耳をひそめる学生を相手にしていたのとは大違いである。トラックの運転手さん相手だからかどうかはわからないが、流れる音楽の大半は演歌。私はこの番組で演歌の味を覚えたのだった。
 さて前置きが長くなったが、この番組の中に必ず「ドライブイン紹介」のコーナーがあった。パーソナリティーがドライブインにいるトラックの運転手と電話をして、その名物などを聞くのである。とにかくこのコーナーが終わるまでがんばって起きていたのだった。各地のドライブイン情報は、ひと時の旅行番組のようで、雪が積もる北海道から、暖かな九州まで行くことのできない遠くの日本に憧れたものだった。当時は家に車もなく、いつか車に乗ってドライブインを巡りたいなんて思ったりもした。大学に入って250CCのバイクに乗るようになってから、高速を走って自分の願望を実現した。初めてはいったドライブインは、中央高速の談合坂だったと思う。
 さて・・・沖縄にも高速があるが、こちらは短すぎるからか本土のドライブインのような大きなものはない。しかし面白いのは「道の駅」。このところあちこちに「道の駅」ができていて地元の食材やおみやげがたくさん。安いせいか、地元の人たちでもにぎわう。昨日は、恩納村立博物館の隣に建つ「おんなの駅」による。ここには、石釜で焼いたおいしいパン屋さんがある。やっぱり、ドライブインによると今も心がウキウキする。そんな気持ちは時がだっても変わらないものだ。

せっかくなので海側も

2008年10月25日 | 那覇、沖縄
 恩納村立博物館の海側には58号線が走っています。海岸線にはちょっとお洒落に南国を象徴する並木が植えられています。もちろん演出です。これが昔からの沖縄の風景であるわけがありません。でもきれいですよね。高速道路を走ってしまうとこんな風景には出会えませんが、海岸線をのんびりドライブもいいかもしれません。信号も少ないし。もちろんバリほどではありませんが・・・。
 バイクで恩納村に行くのは、ちょっぴり難儀でしたが、こんな風景に出会いながらの運転で少し救われた気がしました。

いまだ蝉、泣き止まず

2008年10月25日 | 那覇、沖縄
 今日は午後から恩納村立博物館で「村踊り」のフォーラムの司会を依頼されていたので、バイクで58号線を1時間、ひたすら名護方面に爆走。100CCのホンダのカブでは「さま」にはならないが・・・。
 沖縄とはいえ、海沿いに立つこの博物館の会議室は窓を開けると、涼しい海風が入ってくる。沖縄もそろそろ秋めいてきた季節。と思いきや、海側とは逆の山側からは猛烈な蝉の大合唱である。窓を開けているせいか、シンポジウムの会場にも蝉の声が響き渡る。
 山側を窓から覗いてみた。すると林の中にBeach Houseと銘打った建物があるではないか?そちらの方向に海はないぞ。しかも、Beach Houseは食堂か?別に蝉に聞いているわけではないが、あいからず「ジー・・・」。Beach Houseが蝉屋敷に見えてくる。

イエロー・サブマリン

2008年10月24日 | CD・DVD・カセット・レコード
 朝からアニメ映画、イエロー・サブマリンのDVDを見た。中学生以来なので、30年ぶりである。当時は音楽にしか興味がなかったので、この映像やあらすじの細部まで記憶がなかった。この映画、とにかくサイケデリックなカラーアニメが強烈である。10分も見ると、頭の中はフラワームーブメントとサイケデリックカラーに侵され、とにかく何をみても目がチカチカし始める。映画を通して主張され続けているのは、LOVEとNO WARのメッセージである。東ヨーロッパのソ連侵攻、ベトナム戦争末期の世界情勢の中、反戦は当然のメッセージだっただろうし、またビートルズ自身も(特にジョン・レノン)そうした運動へと傾倒していたことを感じさせる。
 映画でもっとも印象的なのは、GLOVEとよばれる「巨大な手袋」の形をした化け物と戦うサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンドの場面で、GLOVEの「G」が抜け落ちて、LOVEになるところだろうか?「LOVE」こそが争いを解決する手段という、いかにもLOVE and PEACEを表象する場面である。そしてこのシーンで流れるのが、ビートルズの名曲《ALL NEED IS LOVE(愛こそはすべて)》である。
 もう一つ記憶に残るのは、YESという言葉についての場面。NOではなくYESと言うことで、世界は平和になれるというメッセージである。「戦争なんてやめて、仲良くなろうよ」という問いかけに、始めは「NO」と答えていた敵は、最後には「YES」と答え、皆が手を繋ぐことで平和が訪れ、映画は終わるのである。
 正直なところ、中学の時にはこんなことに全く気が付かなかった。それだけ大人になった証拠なのだろうが、こんな風に1960年代後半の政治的文脈から映画を見てしまうのもまた疑問符である。そう考えてみると中学生の頃の方が、純粋にアニメ映画として楽しんだのだと思う。


楽譜に憑かれた幻想

2008年10月23日 | 家・わたくしごと
 4台ピアノとオーケストラの現代曲の初演をすることになって、作曲者の指導のもとにピアノの前に座った。なんだか広い部屋で横に4台ピアノが並んでいて、ぼんやりと遠くの高台に作曲者がいて、オーケストラを指揮している。不思議とオーケストラの響きはロマン主義的な響きで、「この作曲家はこんな曲を書くのは本意なんだろうか?」と思う。
 しかしピアノのパートは無茶苦茶難解で、いわゆる超現代音楽である。しかし、私以外の3人はものすごい勢いで演奏しているのだ。もうゴッド・ハンドである。私はといえば、五線譜上にあまりにもたくさんのオタマジャクシが泳いでいるため、完璧に演奏している場所を見失ってしまっている。しかも不思議なピアノで譜面台がなく、演奏者は床に楽譜を置いている。「今、どこやってるの?」ととなりの女性の演奏者に聞く。はじめのうちは黙って足で楽譜を指さしてくれるのだが、数度目には無視された。
 どうしていいかわからなくなった。手をとめて周りを見ると、演奏者たちは私をにらみながら演奏している。不思議と作曲者はそんな私を無視するようにオケの指揮を続けている。どうしよう!どうしよう!
 朝4時半、ぼくは布団から飛び起きた。夢、夢だよ。なんだか、今練習している現代音楽と、昨日から始まった沖縄の創作舞踊の楽譜に書かれた曲の練習の記憶がないまぜになって、とんでもない夢となって突然、私を襲ってきたのだ。私は今、「楽譜」に憑かれている。きっと練習のとき、一度、床においた楽譜を跨いだからだ!お祓いをしなくてはならない。どうしよう・・・。