Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

松飾り

2019年01月02日 | 東京

  国分寺の自宅の周りを散歩して思うのだが、近年は新年に正月飾りや松飾りを飾る家がめっきり減ったような気がする。新しく引っ越してきた若夫婦の家などにはほとんど正月飾りは見られない。実家に帰るし、正月は不在にしていることから飾らないのかもしれない。昔は近所の鉄道の駅前には屋台のような正月飾り屋が店を出していて、それはにぎわっていたものだ。
  新世代が伝統的な慣習を忘れてきている、と思われがちだが、私はそれだけではない気がする。「廃棄」の問題である。松飾りはある一定の時期を過ぎて役割を終えたとき、どのように処分していいのかわからないのである。たとえ若い世代でも生活ごみと一緒に地域指定のゴミ袋に入れて捨てるには抵抗があるだろう。若い人だってその飾りの意味をわかっているのだから。
  かつてはどこだってたき火をしていたし、そこに入れて燃やすこともできた。しかし今ではたき火なんて夢のまた夢である。「どんど焼き」なるものがあるものの、そんな慣習を知らない人だっているし、どの地域でも行われているとは限らない。つまり捨て方がわからないから、買わないし飾らない、とも言えるのである。松飾りの廃棄の方法をメディアを通して徹底させなければならない。作るだけ、売るだけではいけないのである。ちなみに写真は実家の松飾りの片方である。この地域はちゃんとどんど焼きが行われることから、わが家の松飾りはそこで燃やされるのだが。


モーニング

2017年12月21日 | 東京

  最近、お店でモーニングを食べることはほとんどなくなった。自分で好きなように朝食を用意する方が楽だし、出張に行ってもホテルの外に出てモーニングを食べることはほとんどない。
  今月、わけあって品川駅に朝8時半くらいに到着。久しぶりにエキナカでモーニングをいただく。ほとんど食べたことがないのでこれがモーニングの値段の相場なのかどうかわからないが、550円でこれだけ食べられれば十分である。名古屋だとドリンクの値段でモーニングが食べられるときいたことがあるが、それは例外なんだろう。
  それにしても豪勢である。朝からこれだけ食べれば昼ごはんなんていらないんじゃないかとも思ったが、昼になったらいつも以上にお腹が減って豚骨ラーメンを渋谷で替え玉までして食べたのだった。朝いっぱい食べると、昼にいつも以上にお腹が減るということを発見する。


SNS拡散戦略

2017年09月26日 | 東京

 今回、松濤美術館に行って驚いたのは写真の表記である。今まで日本の美術館なる場所は写真撮影は禁止が当然と考えられてきたのだが、今回のように著作権に問題がないものについては写真OK、さらにはSNSできます、という表示である。まあ、控えめな表現ではあるが、できるだけSNSにアップしてほしいというのが本音だろう。
 考えてみれば、美術館がどれだけチラシを作っても、どんなにがんばってその素晴らしさをマスメディアを通じて広報したところで、やはり展覧会に行った人にはかなわないのである。今、会場で見ている人が、その場で写真をとって「すごく、素晴らしい。」とSNSに書けば、その言葉がその友人たちに広がっていく。こうなれば、もう情報は次から次へと広がっていく。広報を人任せにしていいのか、なんて言葉はもはや現代には通じない。人任せもまた広報にとって有効な手段となるわけだ。
 私だって自分の舞台の広報の半分以上はSNSに頼っている。もちろんチラシも作るが、そのチラシをアップしてFBに内容を掲載し、シェアをしてもらえればもう何千人という人のもとに届くわけだ。そういう意味で、SNSには情報があふれている。いや、溢れすぎて溺れそうだ。だからこそ、今度はSNSの書き方が重要なのである。とにかく広報は日々進化している。そんな状況を松濤美術館のこの掲示は如実に示しているわけだ。


ラーマーヤナ物語

2017年09月24日 | 東京

  昨日、所用で渋谷区松濤美術館へ出かけた。東急本店から神泉駅の方へ向かって歩くと閑静な住宅街となるが、その一角に松濤美術館がある。上野や六本木にあるような膨大な収蔵品を持つ美術館ではなく、特徴的な特別展を行うこじんまりした美術館である。今回見たのは画家の畠中光亨コレクション「インドに咲く染と織の華」。インド各地のすばらしい布が展示室に所狭しと陳列されていた。実は今回の作品展、写真撮影が許可されている。これもまた著作権がない展示品に対する最近の傾向である。
 この中のいくつかの作品に興味をもったのだが、そのうちの一つがこの作品。猿や魔物が描かれているこの図柄は明らかにラーマーヤナ物語である。作品の解説を見ると、なんと19世紀末、インドネシア向けに製作されたものらしい。どうりで僕の関心をひいたわけだ。僕自身はインドネシア人ではないけれど、やはりインドネシア的なものに魅力を感じてしまうのだろうか? 


12月2日の玉川上水

2016年12月07日 | 東京

 先週の金曜日に撮影した玉川上水の紅葉。一週間前にもだいたい同じ場所で撮影した写真にくらべると1週間であっという間に紅葉が進み、もうその時期も終わりろうとしています。光塾のワヤンの季節はちょうど紅葉の終盤なのです。
 私はこの道は「きれいだな」なんて思いながら歩くだけですが。実は、玉川上水沿いに住む方々はこの時期たいへんです。というのも大量の落ち葉が、公道だけでなく自分の家の中にも大量に降ってくるからです。この時期、道を歩くとあちらこちらで落ち葉をはく人たちの姿を見かけます。「ありがとうございます」の一言です。紅葉は自然現象なのですが、それを美しく見せるのためには、人の力も必要です。掃除や管理をしてくれる人々がいて美しい紅葉が成立するんです。
 時々そんなことを忘れて身勝手なことを言う人たちを見かけます。しかし今一度、それを支えている人々のことを考えなくてはなりません。今や自然は誰のものでもない、なんて絵空事なんです。


看板猫

2016年09月22日 | 東京

 実家の最寄駅の西武国分寺線の鷹の台駅。私が子どもの頃は活気に満ちた商店街だったが、現在では通学路、通勤路になる朝夕以外は閑散とする商店街。今ではお店もすっかり減ってしまった。通学する人々はたぶん国分寺で買い物をするのだろう。商店街は車を駐車するスペースもない。
 夜8時も過ぎれば、ほとんどお店のシャッターが閉まるが、賑やかなのは学生たちが集まる居酒屋であろうか。どこもそんな店の前には自転車がいっぱいだ。ちなみに自転車だって飲酒運転はだめである。この店の前で警察が飲酒を取り締まったらたいへんだ。ただし自転車やバイクもエンジンをつけずに押して帰れば歩行者である。
 そんな店屋の一角に洒落たバー風の居酒屋がある。ガラスで中がよく見えるが、たまにお客が入っているくらいで、満員だった記憶はない。それよりも気になるのはいつもこの窓際に「おすまし」で立っている白い猫である。彼か彼女なのかはわからないのだが、ほとんど誰とも目を合わさずにいつもこの場所で、通る人々を見つめる猫。ぼくはこの猫が大好きだ。国分寺で練習のあと一座のメンバーと食事をして、帰りにほろ酔い気分でこの店の前を通ると、たいていここで出会うのである。その凛とした姿を見て、自分の少々お酒を飲んでだらしなくなった姿に気づき、「いけない、いけない」と背筋を伸ばして反省するのである。


9月17日の玉川上水

2016年09月19日 | 東京

 2016年9月17日の玉川上水。実はこの日は十五夜でした。朝夕はすっかり涼しくなった東京とはいえ、夏を名残惜しむような蝉の声がまだたくさん聞こえました。秋の風で蝉も少し寒いかも。なんでこんな季節に外に出てきちゃったんだ、と文句たらたらで鳴いているのかもしれません。
 それにしてもやっぱりこの遊歩道は気持ちがいい。東京都の財産ですね。2020年のオリンピックのときにはぜひ、この玉川上水をたくさん東京を訪れる海外からの観光客に紹介してほしいと思います。特にヨーロッパから来る方々は浅草も楽しむでしょうけど、こんな自然も愛するはずです。今から多様な言語のボランティアガイドを育成しなくてはなりません。もうやっているんですかね、東京都職員のみなさん?
 玉川上水には、この地のことを知り尽くした民間の愛好者がたくさんいるんです。ぜひ、そういう方々からいろいろ勉強して可能性を見出していただきたいと思います。リオのパラリンピックが終われば東京オリンピック文化プログラムが開始されます。膨大な予算が国家予算として計上されるはずです。ぜひ玉川上水も東京都の文化遺産としてオリンピックプログラムに活用してもらいたいものです。


秋の気配

2016年09月18日 | 東京

 最後にトマトの写真を撮影してから2週間、再び国分寺の実家に戻って庭を眺めると、すでに最後のトマトの苗は抜かれてもう花壇には何もなかった。寂しいというわけではなく、この大地にありがとうと強く言いたい。農家の方から見れば、もう「おバカ」そのものかもしれないが、どんなに小さくても大地は大地である。何もしなかぅたわりには、最後に感謝して終われたことは嬉しい。
 9月も中旬になるとすっかり秋の気配である。夜になるとコオロギの大合唱だし、朝だってどこからともなく虫の声が聞こえてくる。玉川上水まで行けばまだ蝉は鳴いているんだろうか?マンションの14階にいると大地の季節感というのが感じられないものだ。大地よりもしろ、コンクリートジャングルと空を見ながら暮らしているような気がする。
 あと1か月もすれば玉川上水の木々の葉は色づき、11月になると落ち葉のじゅうたんがひかれるのだ。こうしてもう50年近くこの光景を眺めてきた。玉川上水があるから私の家の周りは、なぜか50年近く、何も変わらない気がする。ここだけは江戸時代からそのままだ。周りの家の建て替えや宅地造成なんて実に表層的で些細なことのように思える。玉川上水は私の古い記憶を丸ごと支え続けているようだ。


日本でも売ってます

2015年09月29日 | 東京
 先日、上野の東京国立博物館に出かけたときのこと。久しぶりに上野から御徒町に続く「アメ横」を歩いてみました。以前ほど「市場」的な雰囲気はなくなり、今ではアウトレットの衣装、あとは食べ物屋がたくさん。客層もだいぶ変わったように思います。アーミーグッズの老舗、中田商店が健在だったのには安心しましたが。
 この一角のビルの地下に、アジアの食材を集めたマーケットがあります。ここに入るともう別世界。異国の言葉が飛び交っていますし、売られているものも地上とは大違いです。那覇の市場も本土の市場とは大違いですが、このアメ横の地下の世界は、沖縄どころじゃありません。日本じゃないと思った方がいいでしょうね。
 その中に見つけちゃいました。ティラピアちゃん。そうです。あの鯛のような触感の川魚、グラミguramiです。ちゃんと輸入しているんでしょうね。インドネシア料理屋には必須のアイテムでしょう。ちなみに鯛のような触感、と書きましたが、日本では戦後、「チラダイ」「カラスダイ」という名前で食用にされていました。それが沖縄のこどもの国の池で、繁殖しちゃっているんですね。欲しい、という方、アメ横へどうぞ。

トーハク

2015年09月17日 | 東京
 いつ頃から、東京国立博物館は「トーハク」と呼ばれることになったんだろう。いつの間にカタカナで表現されるようになったんだろう。しかしすっかりそのオシャレな響きを持つ名称が若い人々には定着してきた様な気もする。
 子どもの頃、父に東京国立博物館に連れていってもらった記憶がある。何があったかといえば、それは、ずばり「ミイラ」だった。あまりのインパクトの大きさから、僕はそれ以外に何を見たか全く記憶にない。とにかく大学生になり東京藝大に行くときにも、社会人になって上野公園を通るときも、例外なくそのことを思い出した。
 今週の火曜日に出張で「トーハク」に出かけた。仕事のついでにぶらりと「古代エジプト」の部屋に寄ってみた。そこにはあのときと同じように「ミイラ」が展示(安置)されている。しかし子ども時のような衝撃は全くなかった。なんだか初めて見るようでもあり、やはり年齢とともに感動なるものが薄れてしまっているのかと、ある種の「怯え」さえ感じた。
 ふと、子どものときの目線でミイラを見てみようと思った。身長もずっと小さかったし、今の高さからミイラを見ているはずがない。とっさにかがんで、ガラスの展示ケースの横からミイラの横顔を覗いた。その刹那、おそろしいほどの恐怖感が走った。そうだ。この横顔の輪郭を僕は見つめたのだ。その記憶がどこからともなく湧き出てきて、それが突然、記憶の中にぼんやりと蘇ってきた。ぼくはそそくさとその部屋を出た。早く夏の終わりの外の空気を胸いっぱい吸いたかったからだ。