Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

関空アゲイン

2008年12月21日 | 
 午前中、大学で仕事をしたりで、午後4時過ぎに関空に「戻り」ました。あと25分で機中の人です。皆様にお会いするのは年明けです。本年も本当にお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
 ところで、関空3階のショッピング街を歩いて気がついたのですが、百均ショップの大手がテナントとして入ったんですね。これ画期的じゃありません?空港で買い物すると高いというイメージがあったのですが、105円で買い物できちゃうわけですから。ちなみに外国人が結構、買い物していました。帰国する観光客のコインの消費にも良さそうだし。
 ということで行ってきます。

京都で夜のお散歩

2008年12月21日 | 
 とにかく毎日忙しい。しかし現在、非正規雇用者が次々に解雇されるという不景気きわまる状況の中、そんなことを言ってはいられない。夜、京都に着いてすぐにホテルで原稿書きや発表の準備にとりかかろうとパソコンを広げたのだが、これではあまりにも日常と変わらないので、寒いのは覚悟で少し散歩を試みることにしたのだった。
 夜8時半をまわっていたのだが、人気のない高台寺付近や丸山公園、八坂神社、祇園と1時間位歩いた。夜に首里城のあたりを歩いているようなものなのだろうか。しかし京都に来るといつも思うのだが、やはりそれが保存され、作られた「古風(いにしえふう)」の風景であろうがなかろうが、そんな光景に触れることで何か肩の荷がおりるような気がするのだ。不思議と日常の緊張が少しずつほぐれていく。
 八坂神社のたくさんの提灯の下で、少しぼんやりする。遠くからラップを練習する少年たちの声が聞こえる。私の記憶の中には、去年来た祇園祭のサウンドスケープが蘇る。不思議とそんな音楽の混沌とした状況に違和感を感じない。ラップとコンチキチン・・・。そのどちらの音楽も似合うのが京都なのだろう。古都である京都はその古さや歴史だけをアピールしているわけではない。今に生きる古都。そのどちらも感じさせるからこそ国際的な観光地となりえるのだ。


神戸空港から関西空港へ

2008年12月21日 | 
 京都の大学で研究会があるために昨日から出張。朝から夕方5時まで研究会に出席して神戸空港に向かう。夜、大阪方面から沖縄に戻るには、関西空港、神戸空港の二つしか選択肢はないのだが、明日は午後に関西空港経由でインドネシアに出張なので、やはり関空を往復するのも芸がない。
 JRで大阪駅を過ぎて三宮に向かう途中、家から携帯に電話がかかってくる。
「たいへんよ。飛行機が飛ばないみたい。」かみさんからの第一声はこうである。とにかくJALにすぐ連絡するようにとJALの連絡先をメールで送ってもらった。しかし私はそのとき、明日のことだと勘違いしたのだった。バリの予定をどのように変更するか、などと悠長なことを考えながら、とりあえず次の停車駅の尼崎で降りてJALに電話をした。
私「あのー、家に電話があって、飛行機が欠航するというのですが・・・」
JALの人「それでは、お得意様番号と便名か行き先はわかりますか?」
私「明日の関西空港からデンパサール行です。」
JALの人「この電話は国内線専用ですので、国際線の担当に変わります」
しばらくして、同じ人の声。
JALの人「ただいま確認をしたのですが、明日の便ではございませんで、これからお乗りになる国内線が欠航でございます。今、どちらにおいでですか?」
えーー!なんてこったい!このときはじめて自分の置かれている状況が理解できたのだ。かみさんが焦っていた理由がこれでわかった。今度は私が動揺する。
私「今、JR尼崎駅なんです。明日インドネシアに行くんですけど、荷物が全部那覇にあって、とにかく沖縄に戻らなくてはならないんです。」と電話で懇願。(考えてみれば、こんなことを言ったところでJALのお姉さんがなんとかしてくれるはずはないのだが。)
 ところが・・・である。私は電話先のJALのお姉さんの指示に感動してしまったのだ。
「尼崎からは関空へのリムジンバスがございます・・・。」と言ってから、出発時間、乗車場所のすべてを教えてくれ、領収書をもらうことなど細かな指示を受ける。これぞプロである。私はこのアドバイスでかなり冷静になれ、この通りに行くことで時間までに関西空港に到着できたのだった。
 結局フライトは1時間遅れで、ミールクーポンが配られて空港でお食事。明日も来る空港のレストラン街を歩いて苦笑してしまったが、「対応」というのがいかに重要かということを身をもって理解することができた。これからは、電話をとったら暗そうに「はい」と言うのをやめて、JALの電話のお姉さんのように明るく、ハキハキと対応しようと心に決めたのであった。でもできるかな?って思ってるよね。みんなは。


おめでとう三連発

2008年12月18日 | 家・わたくしごと
 明日から京都に出張で、日曜日からはインドネシアに出張なので、わが家では本日、プチ&プレ・クリスマス会を開催した。一応、チーズ・フォンデューやチキン・グリルも食べたりしてすっかりクリスマス気分。締めのケーキは、息子が長崎で買ってきてくれたカステラである。クリスマスや、クリスマスや!めでたい、めでたい。
 実は、本日は他にも「めでたーい日」なのである。
 おめでとう:その1 ビユさん、息子さん生まれておめでとう!
 おめでとう:その2 りっちゃん、お誕生日おめでとう!
 おめでとう:その3 そして、よくわからないけど、プチ・クリスマスおめでとう!
 原稿書き終わったら、もう一つおめでとうなんだけどな・・・。でも無理。

生(なま)イラっ

2008年12月17日 | 家・わたくしごと
 かみさんが私に今日「生イラっ」を体験したと楽しそうに語ってくれたのだが、私は当初、その意味が全く理解できなかった。話はこうである。かみさんが今日、息子の同級生の女の子が声を出して「イラっ」と言ったのを初めて聞いた、つまり「生イラっ」を初体験したということなのだ。
 どうも「イラっ」という口語表現は、「イライラする」という感情表現の短縮形であるらしい。かみさんは、テレビなのでそうした表現を聞いたことはあるそうだが、実生活の中で耳にしたのは初めてだという。それで相当に興奮しているのである。
 だいたい「イラっ」なんて表現は、漫画の中に書かれる言葉で、口語になったこと自体が驚きである。しかしせっかく教えてもらったのだから、今度、授業で使ってみようと思ったりもする。かみさんが言うには、呟くように言うのではなく、強い表現で、ぶっきらぼうに言うのが効果的なのだそうだ。授業では常にイライラしているので、何度も実習できそうである。ちなみにかみさんは、「イラっ」という言葉を初めてきいて、言われた方が「イライラした」そうである。ムカっ!

地理的な距離、心の距離

2008年12月16日 | 家・わたくしごと
 照屋林助(てるりん)のドキュメンタリー番組を見た。私が沖縄に赴任した後に亡くなった記憶も鮮明だし、息子の林賢さんとは、NHKの番組で仕事をしたことも、沖縄にきてからも会ったこともあり、久しぶりに初めから終わりまで集中してみることのできた興味深い番組だった。見終わった後、ふと思った。「沖縄って、おもしろい人がいる面白い場所なんだなあ」と。そう思ったあと可笑しくなってしまった。「面白い場所なんだなあ。」のあと、「行ってみたいなあ」と続けそうになってしまったからである。
 テレビ番組を見ている私は今、沖縄に居住しているのである。ここは沖縄なんだし、なんで「ここに」行きたいと思ってしまったのだろう。それでは沖縄以外でこの番組を見た一部の視聴者の感想と変わらないではないか。
 私は沖縄の文化に興味がないわけではない。しかし、バリの文化に感じるような親近感を持ったことは一度もない。地理的な距離と心の距離は比例しないのだ。目の前にある沖縄と私との間との心の距離は、遠くはなれたバリとの心の距離にくらべればはるか彼方にあるようだ。

ワヤン・リステリックの世界

2008年12月15日 | 大学
 バリに留学経験のある私の学生や卒業生が中心になって3月にガムランの自主公演を行うのだが、この土曜日に公演に使う映像のワヤンの撮影が行われた。ワヤンといっても上演の一部をとるわけではなく、映像は舞台で演奏される音楽の背景に使われるために、それぞれ工夫をこらして撮影が行われる。
 まず普段使っている電球は用いず、照明用の強力なライトが人形遣いの後ろ側からあてられる。さらに影絵の舞台には、切り絵やセロファンなのでまさに「影絵」の世界が展開される。ある意味、子どもの影絵遊びの世界にも見えてしまう。
 1980年代に留学した私にとって、正直、こうした工夫には違和感がある。真っ白いスクリーンの中に伝統的な影絵人形と語りだけで森羅万象を表現するのが本来のワヤンの世界であって、切り絵のような小道具は「邪道」である。少なくても私の師匠はこうした演出をワヤンとは認めなかっただろう。
 しかし現代のバリのワヤンは大きく変わった。電気を使ったワヤンを意味する「ワヤン・リステリック」が創作ワヤンでは一般的になり、次々に創意工夫が施された新しいワヤンが登場してきているし、バリの人々もそうした新しさを受容するようになった。そんな時代に留学した私の教え子たちにとって、新たな工夫はもはや驚くべきことではないのだろう。
 私は正直なところ、当分の間、こうしたワヤンを上演することはないだろう。新しい試みは認めた上で、私はやはり影絵人形と白いスクリーンの世界だけで表現できるものをまだまだ追求していきたいからだ。勉強することはまだまだあるのだから。


息子のおみやげ

2008年12月14日 | 家・わたくしごと
 昨日、息子が修学旅行から戻ってきた。修学旅行も変わったと思うのは、旅行中、同行している教員が写真入りのブログの更新を続けていて、親はパスワードを入れるとそのブログにアクセスできるため、今子どもがどこにいるのか、どんなことをやっているのかがわかるのである。
 さて、元気に戻ってきた息子が机に並べたのが買ってきたお土産。私には福岡ソフト・バンクのボールペン、こういうグッズが好きな私の心をがっちりつかんでいる。わが家には約束のカステラ。福砂屋のものは買えなかったそうだが、それでも木の箱に入った上等なカステラを買ってきてくれた。もちろん福岡名物めんたいこやとんこつラーメンもしっかり押さえている。自分には大宰府で買った学業成就のお守りと合格鉛筆。そして友達には、自分の好物である「二〇加(にわか)煎餅」の小箱。結構しぶい品揃えである。
 考えてみると自分の意志でこれだけのお土産を買ったことは、人生初めての経験だったのだろうと思う。そしてずっと見てきてせいだろうか、やはり親が買うものと似ているのが面白い。お土産を買うのも旅行の楽しみ。一定の金額内で、自分の責任でお土産を選ぶことのたいへんさも同時に学べたいい経験だったことだろう。

これぞ沖縄

2008年12月13日 | 那覇、沖縄
 昨日、大学から30分ほど車で走った海岸沿いのカレー屋さんにランチに出かけた。沖縄に住んでいても海に出かけることはほとんどない。
 このところの沖縄は暖かくて今日も25度。テラスで食事をすることにした。直接、陽に当たると暑いくらいである。目の前に真っ青な広い海が広がり、海風が気持ちいい。なんだか初夏と錯覚してしまいそうだ。
 きっと沖縄に来る観光客がイメージし、期待するのがこんな風景なのだろう。沖縄に住んだ年数とともに、この光景は少しずつ褪せて見えてくるのかもしれないが、久しぶりに見る沖縄の海は、ぼくにはまだ「これぞ沖縄」のイメージそのものである。プチ観光を味わったランチタイム・・・。 

google ブック検索に感謝

2008年12月12日 | 家・わたくしごと
 2週間くらい前に、Googleブック検索でだめもとで現在研究しているキーワードのインドネシア語を入力してみた。検索をボタンをクリックすると、1件の検索結果が表示された。英文の文献である。「あれ?」と思う。見たことのない英語の本の表紙である。もちろん本のタイトルにインドネシア語は使われていないので、本文の一部から拾ってきているのである。
 本文を見てみると、文学研究の論文なのだが、なんと私の研究テーマについてしっかり触れているではないか!もう感動もので、いてもたってもいられずこの文献を購入する手続きをすぐに済ませたのだった。
 それにしてもパソコンの検索はすごいと思うし、「運」に恵まれたんだと思う。googleブック検索は本文の一部が見れるだけなので、その一部に私の検索ワードが使われていなければこの文献にヒットしなかったわけだから。
 文献が届いた日から二日間、夢中になって英語論文を読んで、昨晩、夜中の1時に読破。すごい論文だった。私の研究がいかに未熟か実感する。でも、こういう文献があると不思議と研究意欲がみなぎるもので、文学の分野ではなく、音楽の分野でどうしたら成果が出せるだろうと考えるだけでも楽しいものだ。21日からの現地調査でやることは増えたが、雨季のインドネシアに行くのが少しだけ待ち遠しくなってきた。