Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

自分では気がつかなかったもの

2009年06月30日 | 家・わたくしごと
 バリに行って勉強してきたサークルのメンバーからお土産として写真をもらった。なんと「私=P」があふれんばかりに商品の陳列棚に並んでいるではないか!写真を撮影したのはバリの空港だという。こうして写真を見てみると、こんなお菓子があったかもしれないのである。ピーナッツのお菓子で砂糖をまぶしてあったりして食べた記憶もある。
 こんなに頻繁にインドネシアに行き、スーパーにもちょくちょく顔を出しているにもかかわらず、なぜこのお菓子の名前が「自分自身」であることに気がつかなかったのだろう。理由を冷静に考えてみた。
①スーパーにいっても、以前のようにすべての棚を好奇心の目をもって見て回らなくなり、必要なものだけを短時間で買い物かごにいれて、レジに並んでしまうつまらない人間になってしまった。
②自分自身を冷静に客観視できずにいる。
③お菓子がすきでも、年をとるごとに、チョコレートのお菓子にしか興味がなくなっている。
 写真をもらって嬉しかったのと同時に、それに気づかなかった自分自身に落胆し、今年8月にインドネシアに調査に行くときは、もっとフレッシュな気持ちで望まなくてはならないと気持ちを新たにする。本業の研究の方もこれと同様に、気づかなくてはならないものを見過ごしてしまっているような気がしてならないからだ。

家で蕎麦

2009年06月29日 | 家・わたくしごと
 かみさんが、蕎麦について書いた私のブログを見たのか、見なかったのかはわからないが、日曜日の昼食は蕎麦だった。沖縄には国際通り附近のデパートに行かないと上等な生蕎麦は手に入らないために、家で蕎麦を食べるときは素麺のように乾麺状になっている蕎麦を茹でるしかない。しかし茹で方さえうまくいけば、それなりに美味しい蕎麦ができあがる。
 昨日はちょうど沖縄の梅雨明け。部屋で本を読んでいるだけで汗がしたたり落ちてくるような温度だったせいか、冷たい蕎麦は何よりもご馳走である。蕎麦だけだと物足りないので、かみさんが「てんぷら」を近所のスーパーで買ってきてくれた。蕎麦とてんぷら、という組み合わせは「あっさり系とこってり系」という不思議なペアーだが、これまた日本人の味覚をくすぐるだろう。しかし、沖縄のてんぷらは蕎麦との相性がいまいちである。というのも、衣がフリッター状につけられているために、サクッという感覚がない。こればかりは「文句があるなら自分で作れ」ということになりそうだが、それはとてつもなく面倒なので、次に東京の蕎麦屋へ行くまでお預けである。

浦添市美術館でぜんさい

2009年06月28日 | 家・わたくしごと
 今年初めての「ぜんざい」を浦添市美術館に併設した喫茶室(カフェというには若干の無理を感じるので)で食す。沖縄で「ぜんざい」といった場合は、本土のカキ氷の「氷あずき」と思えばよい。ワヤン人形の展示会「バリバリ☆ワヤン」の右端にはぜんざいorコーヒー50円引きのチケットが付けられていて、やっぱり使わないと損な気がしてしまうのである。しかし考えてみれば、食べなければお金を払う必要はなく、無理して50円引きチケットを使っても350円を支払うわけだから、何も得することはない。しかしやっぱり使いたいのである。
 甘党の私は、ふつうの「ぜんざい」ではなく、それに練乳がたっぷりかかった「ミルクぜんざい」が好きなのだが、注文をとりにきた店員に「ミルクかけてもらえますか」と尋ねたところ、冷たく「ありません」とあしらわれた。もしかするとセルフサービスのはずの水を店員に持って来させてしまったためかもしれないが、「ない」と言われてしまっては仕方が無い。あきらめて「ぜんざい」だけにする。
 数分後に運ばれてきた「ぜんざい」がこの写真。首里でよく食べる店では、ぜんざいのあずき部分は器の底に沈んでいて、氷だけが山のように盛られているのだが、この店のぜんざいは本土的で上にかかっている。まあ混ぜてしまえばどっちも同じである。味はといえば、しつこいようだがやはり練乳がないと物足りない。ちなみにこの練乳のことを沖縄ではかつて「わしミルク」といったらしい。なぜなら、練乳が入っていた缶の模様に「鷲」の絵が描かれていたからである。しかし昨日の私の気持ちはずっと、「わしにミルクくれや!」であり、同じ「わし」でも「わし違い」だった。

チョコレート大好き!

2009年06月27日 | 家・わたくしごと
 チョコレートが大好きです。そんな嗜好は子どもの頃からで、乳歯の虫歯に苦しんだ記憶があります。数年前、チョコ王国のベルギーに行ったときはもう感動もので、あちこちのチョコ屋をめぐっては試食を繰り返しました。もちろんたくさん買いました。住んでいたオランダのチョコ文化は期待はずれでとても残念でした。
 今日は浦添市美術館でワヤン人形に関するギャラリートーク。2時から1時間余り作品解説をしたりして展示室をまわり、すべてが終わった後、事務室でお茶になりました。そのとき机にはロイズのチョコがこれぞとばかり並べられているのです。これってすごいこと!沖縄では、最近は石垣にロイズが工場を作ってカカオから栽培をしているらしいのですが、この机に置かれたチョコは正真正銘、北海道のロイズのチョコ。東京や大阪に住んでいると物産展も多いし、北海道に行く人も多いでしょうから、ロイズのチョコはそうそう珍しくはないかもしれませんが、沖縄から北海道に行くのはたいへんです。だいたい飛行機の直行便がないために、どこかの空港で乗り換えで、飛行機代が倍。ということは北海道なんてそうそう簡単に行ける場所ではありません。
 いったい今日は何をするために美術館に行ったのでしょうね。家に帰って考えてみてもあまりにも大好きな美味しいチョコを食べた記憶が先に思い浮かんでしまっています。もちろん人生初のギャラリートークですから、朝から資料を作ったりしてがんばりました。でもやっぱり音楽学者のギャラリートークですから、作品の話よりも芸能の話になってしまって期待はずれだったかもしれませんね。でもギャラリートークって、ちょっと格好いい響きじゃない?

ピアニッシモ

2009年06月27日 | 家・わたくしごと
 中学生になった息子が期末テストに音楽の筆記テストがあり、いわゆる西洋音楽の楽典、五線譜とかかわるさまざまな記号を覚えなくてはならずに頭をかかえている。彼の音楽活動の王道は口頭伝承のバリのガムランであるために、これまで楽譜を真剣に見つめて音楽を演奏してきたことがなかったのである。しかし西洋音楽の諸記号を学ぶこともまた、一つの音楽の記号論としては重要で、あくまでも文化相対主義的な立場から勉強しなくてはならない。
 ところで、先日、教育実習の研究授業を参観したときに、授業をする私のゼミ生が「ppはなんて読むかわかりますか?」と生徒に向かって問いかけた。すると生徒と何人かは「ピアニッシモ」と答えた。ちゃんとイタリア語で答えるなんて感心である。先生は続けて「この意味を知っている人?」と質問を続けた。すると、この質問にどうみても音楽とは縁遠そうに見えた生徒が大きな声で答えた。
「めっちゃ小さく!」
 この答えに参観者の私は動揺したが、生徒たちはその答えに驚くこともなく、教壇に立つわがゼミ生までもがニコニコわらって「そうだね。めっちゃ小さくだね。」と言って褒めている。なんとすばらしい対応であることか!動揺のあとにすぐさま感動してしまう。私だったら「君、日本語が変だよ」と真顔で答えてしまうに決まっている。
 大切なのは訳語の日本語表現なんかじゃない。重要なことは楽譜に書かれた意味を理解することで、それが「とても小さく」や「ひじょうに小さく」ではなく、「めっちゃ小さく」だって全く問題はない。現在の若者にとってその方がしっくりするならそれでいい。
 さてわが息子の試験の話に戻るが、家に帰って息子にこの話をしようかどうか迷ったのだが、やはり未だに言い出せずにいる。確かに「pp=めっちゃ小さく」、と書いたって×にはならないと思うが、やはり教科書的にはノーマルな答えではないし、芸術大学の教員として息子にそんな話をするのもいささか不謹慎なんじゃないだろうかと・・・。まあ、息子の試験なんだし、まずは教科書通りに覚えてくれや。


台湾アヒル

2009年06月26日 | 那覇、沖縄
 勤務する大学のすぐ隣には、「りゅうたん」とよばれる池がある。よく「りゅうたん池」とよばれるが、「たん=潭」は「池」の意味なので「りゅうたん」だけでいい。さて、この「りゅうたん」には野生の動物が結構住んでいるのだが、中でも普段の生活でなかなか目にしないのがアヒルである。アヒルといっても、白くて嘴の黄色いいわゆる「アヒル」ではなく、アヒルとニワトリとカモがかけあわさったような不思議なアヒル、いわゆる「台湾アヒル」である。もともと飼われていたものが、どうも「りゅうたん」で野生化したらしい。
 このアヒル、日本人はなかなか目にしないだろうが、バリの村では食用として結構飼われている。調査地で暮らしていたとき、私はこのアヒルを始めて知ったのだが、当初は家屋敷の敷地内に放し飼いになって飼われているニワトリ顔のアヒルが気味悪く思え、さらには食用のため儀礼や来客があると台所に並んだおかずの一品となっても、それがこのアヒルだとわかるとなんとなく敬遠した覚えがある。
 バリ語ではクイルKUIRという。インドネシア語では、ITIK SERATIだろうか?しかし、これまではバリ語オンリーでインドネシア語を使ったことがない。村での生活も長くなると、最初のうちは気味悪かった台湾アヒルも徐々にご馳走に見えるようになり、半年もするとこの鳥を「絞める」ことができるようになったのだった。
 さて昨日、「りゅうたん」でばったり出会った写真の台湾アヒルの群れ。正直言うと、ものすごく「おいしく」見えてしまうのである。これはたぶん美ら海水族館の水槽におよぐ魚を見ながら、「刺身にしたらうまいだろう」と考えるのと類似の発想だ。そんな舌なめずりをしながら、台湾アヒルを眺めているところに学校帰りの小学生がやってきて、楽しそうにパン屑を投げる。子どもたちにとっては自然の中で暮らす愛玩動物なのだろう。もちろん「君たち、これ、すごく美味しいんだよ」なんて言ったりしなかったが、「おいしそうだねえ」ではなく、「かわいいねえ」なんて、子どもに口からでまかせをいう私は本当に「嘘つきな大人」である。


no SOBA no LIFE

2009年06月25日 | 家・わたくしごと
 この暑くなる季節から、「蕎麦なくして人生なし」と言っても大げさではないほど、蕎麦が無性に食べたくなる。このソバ、私が沖縄に住んでいるからといって「沖縄そば」のことではない。だいたい「沖縄そば」は「沖縄蕎麦」とは表記しないもので、沖縄そばの麺は、中華そばであるから、蕎麦ではない。ちなみに沖縄では「スバ」と呼ぶ。
 蕎麦をちょっと食べようと思うと、東京では味さえ無視すればエキナカから、駅前の蕎麦スタンド、数ある蕎麦屋などがあって困らないのだが、この沖縄で国際通り方面まで大遠征が必要となる。そのあたりには、本土からの転勤族が通う店があるし、沖縄の食べ物に飽きた観光客も入るのだろう。しかし、そんな高級な店ではなく、私としては立ち蕎麦で「冷やしたぬき」をかきこみたいのだ。しかし、これは沖縄ではかなわない。立ち蕎麦なんて便利なものは那覇にはないのだ。
 そのせいか、東京に行くと外食はほとんど蕎麦である。しかも安くて旨いと感じる蕎麦屋は常にチェックしているのだ。羽田空港の第一ターミナルにも到着フロアーに立ちそば屋はあるが、やはりテナント料も高いせいで、値段と味のバランスがいまいち。そこで私は公共バスで大森駅まで向かい、ここで蕎麦を食う。沖縄発8時20分に搭乗すると、大森に着くのが11時半過ぎ。もうバスに乗りながら、口には唾をため、とんでもないパブロフ犬の状態になっているのである。しかもこの店、金曜日は蕎麦の大盛り無料となり、まさに大森の大盛なのだ!まあ、立ち蕎麦なので(といっても6席分の椅子がある)、高級な蕎麦屋とはその味は大違いなのだが、それでもJRの某駅そばなんかに比べれば比較の対象にはならない。次回の上京は7月10日。もう今から蕎麦のことを考えて胸が高鳴る。

信じられない券売機の姿

2009年06月24日 | 東京
 先週末、JR中央線の国分寺駅で見つけたこの券売機。これにはもう感動モノで、自然とデジカメに手がいってしまったほどである。よくぞ公共の場所でここまでやってくれたと敬意を表したくなるだけでなく、「子どものお遊戯会」を彷彿させるようなベタなデコレーションをするJRの職員の感覚に、ある意味、惚れ惚れしてしまうのだ。
 これを見た私の友人は、この装飾が「七夕」を意識して作られたのではないかという。確かに色や小物に「朝顔」などの季節感を出そうと努力しているようにも見受けられるが、これは私から見ると、これから夏になろうとするにはあまりに暑苦しく、クリスマスのようにも見えてしまう。この装飾をしたものは、真夏にクリスマスがやってくるオーストラリア暮らしの経験者か?ちなみに十以上ある券売機が横に並んでいるのだが、一番右のこの台だけが特別仕様になっているのだ。一般の券売機と内容が違うことのサインでもあるのだろうが。
 この券売機の前をぼんやり眺めながら、「ブログを書いていなかったら、こんな光景に気づいたかしら」と考えてしまう。たぶんそうでなければ、この券売機の前を何事もなかったように素通りする街の人々と同様、私もまたこの装飾に気がつかなかったかもしれない。ブログを始めて2年だが、私の観察力はそのせいで、多少とも鋭くなった気がする。とにかく国分寺に行くことのある方、一度ご覧あれ。疲れた体を癒してくれるのは間違いなし。ついでにおもいっきり心で笑ってストレスを解消しよう。まだ上司からの(JRのイメージ低下につながるという理由で)撤去命令が出ていないか、あるいは利用者からの(恥ずかしくてこの券売機が利用できないという)苦情が出ていない限り、このデコレーションが見られるはずである。
 
 

池袋にて

2009年06月23日 | 東京
 先週の土曜日、久しぶりに池袋に寄った。いったい何年ぶりだろうと考えてしまう。空港から品川を経由して、山の手線の外回りで渋谷、原宿、新宿までは行くのだが、乗り換えて中央線で西に行ってしまうためになかなか池袋には足を運ばない。しかしこの池袋、私の第三の故郷といっても過言ではない。ちなみに第一は国分寺、第二はバリといったところか。というのは中学1年から高校3年までの6年間、この街を通過して学校に通い、この街で自分の好きな音楽、本、絵、芸能に出会ったといっても過言ではないからだ。私の知識の源泉は、まさに池袋にあるのだ!
 私がまだ中学、高校生だった約30年前、よく通ったのはSEIBUの中に入っている大きな本屋、そして西口の芳林堂。特に芳林堂の最上階には当時、高野書店という古書店が入っていてそこに入り浸った。美術や音楽に関しては、当時あった西武美術館に併設して現代美術や音楽を扱うART VIVANTいう店があり、ここでトランソニックという雑誌に出会い、現代音楽の世界の扉をたたいた。PARCOでは、原健のリトグラフに感銘を受け、いつかお金を持ったらこれを買いたいと思ったことが忘れられない。池袋の寄席も懐かしい場所で、こじんまりしたまるで家で落語を聞くような場所だった。
 久しぶりの池袋。駅ビルの外見は変わっていない。なんだか嬉しくて写真をとってしまう。でも、なんとなく三十年前のような田舎くささはなくなり、すでに名実ともに副都心である。だいたい地下通路は以前とだいぶ変わって、迷うとどこを歩いているかわからない。しかし、やっぱり新宿とも渋谷とも違う何かが池袋の雰囲気を醸し出しているのである。たった数時間だったが、そんな懐かしい池袋を感じることのできた素敵な時間を過ごす。

インドネシア製?

2009年06月23日 | エッグカップ
 イッタラといえばフィンランドを代表するテーブルウエアのメーカー。たまたまでかけた池袋の北欧グッズのショップで、イッタラのブランド、オリゴのエッグカップ(ちょっとエッグカップには直径が大きいのだが)を見つけた。このブランドのカップは、今年に出た限定のカップを持っているだけだ。
 一つ買おうとして何気なく手にとってみると、驚くなかれ「Made in Indonesia」の大きなシールがベタリとカップに貼られているではないか!これフィンランドのメーカーだよ。北欧!せめてオランダなら、インドネシア製でもわかるような気がするが、なんでフィンランドがインドネシアなわけ?
 確か洋服ブランドGAPもインドネシア製のものが多かった気がする。だけどイッタラがインドネシア製か・・・。手にとってしばらく買うかどうか悩んでしまった。もちろん値段が理由ではないのだ。しかしインドネシア製だからといって、これをジャカルタのブロックMのデパートにてインドネシア価格で購入できるわけはないのだ。
 結局、Made in Indonesiaのイッタラを購入したのだが、未だにインドネシア製に納得しているわけではない。何度もいうが、北欧雑貨、フィンランドのイッタラである。あくまでも個人的にではあるが、「インドネシアは勘弁してよ」と大声で主張したい。せめて生産国のシールをはずして売って欲しかったものである・・・。