Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

本番前の最後の練習

2016年11月30日 | 家・わたくしごと

 今週の土日、光塾でワヤンの舞台がある。最後の練習では部屋を暗くして、本番の舞台と同様に練習を行った。前日に通し稽古を行っているため、最後の練習では暗さの中での練習と、一幕ごとに影のチェックが行われる。チェッカーはグンデル奏者たち。一人だけ演奏をして、残りの三人が影側に張り付くこともしばしば起こる。
 実はこの練習はワヤンにとって、というより、人形を操るダランにとってはとてつもなく重要な稽古である。操り手である私はもちろんバリで影を演出するためのさまざまなテクニックを師匠から学んだのだが、実際のところ、それが影にどのように映るかわからないことが多い。影側にビデオを置き、モニターで操る側から見れればいいのだが、そうもいかないのだ。
 如何せん、実際に影をチェックしてもらうといろいろ問題点が浮き彫りになる。「その演出だとよくわからない」「影がきれいに映っていない」「馬に乗っているようにみえない」「矢を撃ったあとの矢の動かし方がよくない」などなど。こんなものではないのだ。十分考えて操っているつもりなのだが、やっぱり指摘されることは「なるほど」と思わせることが多い。
 つまりは、ワヤンの上演は皆で作り上げるといっても過言ではないのだ。考えてみれば、バリだって練習しているとき、近所のおじさんたちがにわか師匠になって、なんだかんだと口を出す。バリだってそうして複数の目が上演の質を向上させている。大事なことは、傾ける耳を持つか、もたないかである。謙虚さをなくしたとき、芸の質は低下するか、もしくは停滞し続けるもの。


晩秋の玉川上水

2016年11月28日 | 家・わたくしごと

 このところ国分寺の実家に毎週戻っているのだが、1週間ごとに玉川上水の秋色が深まっている気がする。いや、正確に言えば、この時期は一日ごとに変化しているといっても過言ではなかろう。昨日にくらべれば、今日のモミジはより色づいているそんな季節である。落ちたばかりの乾いた落ち葉をカサッ、カサッと踏んで歩くと、そんな季節を強く実感するのである。
 私が年を重ねてきたのと同様に、玉川上水の木々もだいぶ年をとった。幹の色つやが無くなり、乾燥肌のように幹の表面をさわるとその一部がポロポロとはがれるようになってしまっている。子どもの頃から見てきた木々が年を重ねていくのが少々寂しい。子どもの頃は、木々というのは屋久島の杉のようにどんどんと年輪を重ねて幹が太くなり、人間の平均寿命の10倍は生きるものと考えていたのだが、それは例外だと知った時はとても寂しかったことを記憶している。木々もまた私たちと同じように年を取り、枯れていく。
 玉川上水の木々ももうそんな時代がやってきているのだろう。危険な状態となった木がいつの間には切り倒される。太いクヌギの木も少しずつ減ってきているのだ。晩秋の玉川上水でちょっと寂しいことを考えてしまう。しばらくはゆっくり冬眠して、またどの木も枯れることなく、春に芽吹いてもらいたいと思うのだ。


庭の雪

2016年11月28日 | 家・わたくしごと

 先週の木曜日、東京では54年ぶりに11月の積雪でした。浜松にいたのでテレビを通してしか雪を実感できませんでしたが、土曜日の午前中に国分寺の実家に戻ると庭に雪が残っているではありませんか!いやあ、びっくりです。ちなみに54年ぶり、というと私が生まれた年は11月の積雪だったわけですね。
 この日の夕方、庭を覗いたらほとんど雪は解けてしまっていました。写真に残しておいてよかった。実はもっと大雪で今回帰ったら玄関の雪かきが必要かと思い、早く帰ってきたんですけどそんな必要は全くありませんでした。雪かきはもう少しあとのようです。
 二日間、ワヤンのお稽古。本番は今週末です。一年は早いなと、実感する季節……。


わが家はこんなところにあります

2016年11月26日 | 家・わたくしごと

 浜松の繁華街として知られる有楽街を北に抜けると、わが住まいのマンションが建っている。バブルの時代に建てられたすっかりくたびれたマンションだが、それでもかつては億ションだったとか、なかったとか。少なくても今はそんな面影もないんだけど。数年前に2階部分までがリニューアルされ、ライブハウスとイベントホール、地下にはコミック&ネットカフェが作られ、なんだか賑わいが生まれるかと思ったが、そんなことはなくいつも寂しい。それもまた浜松らしくてよい。
 繁華街のそばに住みはじめた頃は、夜に何度もやってくる急性アルコール中毒を運ぶ救急車の音が珍しかったが、今は「あっ、またか」とベランダに出ることもなくなった。どんなことでの日常化するのは恐ろしい。金曜日の今晩も繁華街からにぎやかな声がかすかに聞こえてくる。今晩は何台やってくるんだろう。そろそろクリスマス、忘年会と、救急車も忙しくなる師走がやってくるんだ。
 


相曽晴日ライブ

2016年11月25日 | 家・わたくしごと

 久しぶりにライブに出かける。ライブハウスの場所がわからなくてネットで調べたら、なんと家から歩いて4分程度の場所だった。びっくりである。さらにびっくりなのはそのライブが午後1時30分であるということ。ジャズが多いライブハウスだから大抵は夜に開店する店だが、真昼間に開店である。
 相曽晴日さんをご存知だろうか?1980年代、ポプコン(YAMAHAポピュラー音楽コンサート)でグランプリをとったピアノの弾き語りのシンガーソングライターである。最近、私がパーソナリティーを務めるラジオ番組「セカオン radio」のゲストでいらしてもらってお知り合いになれた。ポプコンとタイアップしていた、当時ニッポン放送で流れていたラジオ番組「コッキーポップ」を毎日聞いていた私は、1980年代から彼女の歌をよく知っていた。
 ライブで聞くのは初めての彼女の舞台。40人足らずに小さなライブハウスだったが、やはりポプコンのグランプリの実力はすごい。歌唱力は抜群だし、観客をぐいぐい引き込んでいく。こんな舞台を見ながら2週間後に迫った自分の舞台を思い浮かべる。やっぱり観客は40人。こんな風にお客さんを楽しませることができるんだろうか?相曽さんのライブがあまりにも良かったことで、逆に自分の舞台が心配になってくる。練習、練習…。
 


アクト通り~アクト・シティーを背にした風景

2016年11月24日 | 浜松・静岡

 浜松駅の北口を出ると、右手にアクトシティーとよばれる一連の建築物が並んでいる。演奏用のホールが二つ、コンベンションホール、ホテル、商業施設エリア、楽器博物館などなど複合施設といっていい。演奏会場の稼働率も90パーセント以上で、一部の浜松市民にとってはなじみ深い場所である。
 しかし一方で、いくつかの問題もある。浜松市が合併で大きくなってしまい、遠方からはアクトが遠い施設になってしまった。それゆえ市の重要な音楽イベントがアクトで行われても「他人ごと」にしか見えないのである。しかもそのイベントの大半は「西洋芸術音楽」である。
 まあそういう問題点は別として、このアクトから北に1キロくらいだろうか、「アクト通り」とよばれる一本の道が伸びている。再開発した街に作られた整備された道で、無機質すぎるといえばそれまでだが、市民の散歩コースにもなっている。この道が美しいのは春と秋である。花壇が整備され、春は並木に若葉が芽吹き、秋には葉が色づく。11月末、そろそろ紅葉の時期である。今年は少し時期が遅れているのだろうか。葉が黄色く色づくまであと数日か。


春にはチューリップ~土についてふと考える

2016年11月23日 | 家・わたくしごと

 今年の初夏に、実家の庭にトマトを植えてたことは、何回かに分けてブログに書きましたが、夏も終わり、両親がその花壇をすっかりきれいにして、今度はチューリップの球根を植えたそうです。ということは春には美しい色とりどりのチューリップが咲くわけですね。とても楽しみにしています。
 それにしても土の力というのはすごいと思います。もちろん痩せた土に肥料を入れたり、腐葉土を加えたりはしていると思いますが、この土があるからこそ、種や球根が育つわけです。当たり前じゃないか、と思うかもしれませんが、冷静に考えてみると、水耕栽培という方法があるとはいうものの、やはり「土」がなければ植物は育たないのです。でも人間は土を食べることはできないわけです。
 「土台」という言葉があります。土は家を支えたり、私たち人間が生活する物理的な「土」であることはいうまでもないのですが、その一方で、あらゆる生物が生きるための礎、まさに「土台」となっていることはいうまでもありません。土がなければ私たちは生きることできない!食べ物や水、そうした口に入るものを考える前に「土」について考えなくちゃならないのです。


三方原たくあん

2016年11月22日 | 家・わたくしごと

 私のブログの書き込みから浜松市の三方原という場所でとれる大根を使った「たくあん」が実家で話題になり、「それじゃあ、次に帰るときに買っていくわ」ということになった。ちゃんと約束を覚えていた私は、三方原出身の学生に教えられた駅ビルの地下の店で「三方原たくあん」を購入し、実家におみやげとして持っていったのだった。ちなみに「おみやげ」とか偉そうなことを言っているが、価格は100円台である。なんだか申し訳ない。ちなみに次回は200円台のべったら漬けの方を持って帰る予定である。
 翌日の昼食で両親とともに「ポリポリ」とたくあんを食べる。正直、「たくあん」をそれほど比較して食べ比べたことがないゆえに、テレビ番組のリポーターのように、「美味い!」と大声を出して感動することがいまいちできなかったことは残念だが、それほど塩味も濃くなく食べやすい「たくあん」だった。それよりも自分の住んでいる市の名産品を誰かに食べてもらう、というのは嬉しいものである。
 TPPが今、日本を騒がせている。アメリカの新大領領がTPPに反対している以上、アメリカを含む批准は難しいだろう。日本で反対している農家は「やれやれ、一安心」というところか。確かにいろいろ難しい問題があるだろうが、三方原のたくあんのようにブランド化されたものは、生き残っていくんだろうなと思う。誰が考えたのかわからないが、「たくあん」をブランド化した立役者に脱帽である。ちなみに写真のパッケージの右側に写っているへんてこりんなキャラは浜松のゆるキャラとして知られる「家康くん」である。私は正直、好きではないが、このマークは「浜松市お墨付き」の証なのだ。まあ、「家康くん」が気分屋でなければ、この先も「浜松ブランド」であり続けるだろう。


剪定されたふじの木を見て思うこと

2016年11月21日 | 家・わたくしごと

 先月、実家のふじの木についてのブログを書いたばかりで、しっかりそのときの写真も掲載したばかりである。ところが昨日、実家を訪れてみると、ふじの木がきれいに剪定されていたのだった。もちろんプロの手による剪定である。
 それにしてもあれだけ青々と茂っていた葉はほとんどなくなって、枝ぶりだけがきれいに見える。このままだと枝や葉が藤棚に広がるのではなく、上に広がっていまうために剪定したのだとというが、それにしても「丸坊主感」はいなめない。おもわず笑ってしまうほどである。
 しかしこれがプロの仕事なんだろう。素人である私がもし剪定したとすれば、「今の光景」しか考えられない。だいたい半年後に木がどのように伸びるか、葉がどのようにつくか、花がどのように咲くかなんて全く想像できない。今がきれいであればいいと考えてしまう。しかしプロは違う。今ではなく、半歩先を見据えて仕事をする。当たり前ではあるが、プロとは何かを身近な出来事から感じた光景だった。


この写真を撮影した直後にまっていたこと

2016年11月20日 | 

 ちょっと今日のブログのタイトルは仰々しい気もするが、実は東名高速道路の足柄サービスエリアでこの写真を撮影したのは先週の土曜日の10時過ぎ。朝8時発のバスで浜松から渋谷へ向かったのだった。8時のバスは遠州鉄道が運行しているのでいつものJRバスではなく、ちょっぴり外見はオシャレな感じがいい。
 予定通り10時10分に足柄サービスエリアを出発したのであるが……これがどうしたことかサービスエリアから高速に戻れないのである。なんとサービスエリア内渋滞。その理由とは足柄サービスエリアを出てほど遠くない足柄の高速バス停付近で数台の玉突き事故が発生。3車線から1車線規制になり、サービスエリアから車が本線に出られないという事態に陥ってしまった。
 実はこの日、2時から予定があり、余裕を持ってバスに乗ったつもりが、なんとサービスエリアを脱出できたのは11時10分。つまりいつもは1分で出られるところに1時間もかかったわけである。しかも高速もノロノロ渋滞。さすがに焦り始める。携帯があるから連絡はつくのだが、私が行くことが前提で他の人々も集合するわけで、どうしたものかと…。しかし、「まあ、どうにもならない。途中じゃ降りられない」と腹をくくり「睡眠」と決めたのだった。いつもより1時間半も多く寝られることができ、結局、約束の時間5分前には到着し、万事オーライである。しかしバスというのは安いからこそ、こんな事件にも遭遇するのだ。だから面白いともいえるんだが。