Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

今ライカムといえば

2015年05月25日 | 那覇、沖縄
 今、沖縄でライカムといえば、間違いなくここのこと。「ねえ、ライカム行った?」って感じでこの2週間を過ごした方いませんか?
 「行ったよ。よかったよね。時間なかったからまた行きたい!」
 「ねえ、ステーキ屋おいしいらしい。1グラム5円のステーキ屋あるじゃない。」
 「もう行かないね。巨大なスーパーだったし。」
 「人が多すぎるね。だいたい道路、駐車場もめちゃ混みだし」
などなど、感想は十人十色。浜松に住んでいる私としては、市野と志都呂よりちょっと「派手」だけど、店数は同じかな、という感じ。ようするにライカムは、イオンの亜熱帯版です。イオンなんですよ。ライカムって場所にあるだけね。正式名称は、イオンモール沖縄ライカムです。
 沖縄は日本なのになぜライカムなる場所が存在するんでしょう?ちなみにライカムという名の交差点は有名です。実は、ライカムは北中城町にあった琉球米軍司令部 (Ryukyu Command headquarters) の通称。沖縄の人たちは、今もその場所のことをライカム Rycomと呼んでいるんです。ライカムっていう響きがなぜかとてもかわいい…。
 海洋博記念公演の美ら海水族館とコラボをして、ミニ水族館がショッピングセンターにあります。これはちょっと点数が高い。あとは外回りは亜熱帯リゾートの雰囲気で作られているので、なんとなくバリのショッピングセンターを彷彿とさせます。海もよく見えます。
 ぼくはきっともう一度行きます。沖縄ガムラン界をけん引するTさんおすすめのステーキ、やっぱりたべないといけませんね。ちなみに昨日に紹介した「手ぬぐい」はこちらで購入しました。

静岡県といえば、バリ島といえば

2015年05月24日 | 浜松・静岡
 先週のこと、「千円札の裏面に印刷されている写真は山梨県側から撮影したものです」と山梨県出身の新入生が自己紹介で自慢ありげに(かわいらしく)言ってましたが、私には山梨だって静岡だってそんなものはどうでもよいわけです。静岡県でありながら、「目を細めないと富士山が見えない浜松」に住む私にとってはそんな議論は不毛なわけね。ところが、そんな身近とは決していえない富士山を描いた手ぬぐいを、天候にかかわらず日々、浜松の家で眺めるため、なぜか沖縄で購入してしまったのです。
 これを買った先週の日曜日、沖縄はむちゃくちゃの猛暑で、「真夏か?」と思うような太陽の光。しかも買った店を出ると亜熱帯の青い海が遠くに見えるという景色。このあたかも南の島を象徴するような気候と風景というシチュエーションの中で、なぜ富士山の手ぬぐいを「いい」と思えたのでしょう?一時の迷いなのか、静岡愛なのか。いや、そりやない!
 正直、今、冷静になって思い返してみると、買ったとき「この山」は、「富士山」ではなく、バリの「アグン山」に見えたのではないかと思うわけです。ちなみにアグン山はバリの最高峰。標高は3031メートルなので、富士山の標高3776メートルよりは645メートル低いわけですが、エベレスト山と富士山の違いほどではないのです。
 そうだ(パチン!と両手をたいて)、これは富士山じゃないんですね。アグン山だ!アグン山なんです!ということで、このブログのタイトルは「静岡県といえば」に加えて、「バリ島といえば」というタイトルも加えることにしました。アグン山が見たい方、富士山が見たい方、今ならわが家の床の間で、もれなく両山がご覧いただけます。
 

ダシダ~K君からの学び

2015年05月21日 | 大学
昨日4限目の3年生のゼミの一コマである。
 P教授「阿里山の中華はやっぱり美味いよね。」(なんでこんな話になったんだろう。すべてはP教授の発言に端を発している)
 K君「先生、あそこの青菜炒め、美味いですよね。食べたことあります?」
 P教授、A女史、N女史、Y女史「あるある。美味しい、美味しい。」
 K君「先生、ぼく、あの青菜炒め、家で作ったんですよ。そうしたら、阿里山と同じ青菜炒めができたんです。」
 P教授「どうやって作ったの?」
 K君「鍋に油挽いて、かなり鍋が熱くなったら、ホウレンソウを入れてニンニクを入れて炒めるんですよ。ちょっとしんなりしたら、ダシダ入れて、ちょっと炒めたらすぐ火を止めるんです。そうしたら、めっちゃ美味い青菜炒めできるんですよ。」
(実は、ここで鍋に関するK君のウンチク話があるのだが、省略)
 P教授、「ダシダって何?」
 A女史、N女史、Y女史「何、それ、それ」(女史の一人は、語尾に用いる同じ文句を二度繰り返すくせがある。)

 ここからが重要なのだが、このくそ忙しい最中にこの続きを書くのがバカバカしくなったので省略。実は、ダシダは韓国の牛肉味だしの調味料なのである。ダシダを知らないゼミ女史たちは、「えー、何それ?」って感じになり、ゼミ中だというのにスマホでダシダを検索。みなそれなりに納得。

 P教授「よし、今日、これを買って野菜炒めを作ろう。」
ということで、話は終結し(実際はこの100倍くらい盛り上がり、笑いすぎて涙が出たほどだった。いや、待てよ。盛り上がったのはこの話の他に、沖縄のスーパーかねひでで10年前に流されていた音楽の話だったかもしれない。)、僕は睡眠不足でふらふらしながら、夜10時過ぎにバイクでちゃんとドンキに行ってダシダを税抜き198円で購入。そしてK君の教えに従い、モヤシ、ピーマン、キャベツの三種盛り超贅沢野菜炒めを作ったのであった。ということで、一人暮らしの新しい楽しみ方をご教授くださいましたK君(K様)には、感謝、感謝である。

(もう、いい加減にして仕事しろ、という天の声が聞こえてますが、本日はもう眠さに耐えられないので、明日の朝がんばります。ブログ書いたら少しは目が覚めるかと思ったんですが。締切、あと二つ。考えたくないです。ちなみに家にあったカプスーチンのCD聞きながら書いてます。支離滅裂。)


出会いのガムラン

2015年05月19日 | 大学
 昨日のお昼休み、大学のガムランサークルは大学の中庭で「出会いのガムラン」を開催。いわゆる、ランチコンサートである。お弁当を広げたり、パンをかじりながらポカポカの屋外でガムランを聞くイベント。聞くだけでなく、異文化との出会い、新しい音楽との出会い、メンバーとの出会いなど、さまざまなほんの30分だけだが、何かに出会えるコンサート。今年は雨で流れたものも含めるともう3,4回目ではなかろうか。昨年度から始まったこの形式は、なんとなく定着した気がする。繰り返すことで成果が生まれるものだ。
 ところで、4月から1か月半経過して、びっくりするほど新人が増えたこと。正直、私は名前もまだ憶えていないし、このところ仕事があって練習にも参加できていない。それでも学生たちが基礎からしっかり教えてくれているし、喜ばしいことだが、私の出番はあまりないのである。
 この大学に赴任して4年目。ガムランはやっと学生や教職員にも定着してきた感がある。あと4,5年もすれば学内のみならず、浜松で社会人たちが活動できるガムラングル―プが設立されているんだろうか?いや、そんな時間はかからないかもしれぬ。

蒲焼のタレはどうなったんだろう?

2015年05月18日 | 那覇、沖縄
 首里石嶺で長く店を続けていた鰻料理屋の「鰻作」が、モノレール延長にともなう道路拡張の余波を受けて、なくなってしまってから約半年の月日が経つ。那覇に十数年住んでいてもこの店には一度も入ったことがないから、正直なところ、自分の生活にはなんの関係もないのである。しかし、「風景」として沖縄では珍しい鰻屋がなくなってしまったことに、なんとなく残念な気がしていた。
 ところが…昨日、経塚でこの建築中の鰻作を発見したのである!しかも最高な場所だ。ここは数年後にモノレールの経塚駅ができるあたり。ちゃっかり駅前の鰻屋になろうとしている(立ち退き料をガッポリもらったんじゃないか、とか勝手に下世話な想像する)。
 しかし、ここで気になるのが、鰻の蒲焼に使うタレである。焼き鳥とか鰻にとっては素材に加えて、やはりタレは命。火災にあってもタレを持って逃げるなんて話をよく聞く。そのタレ、半年も営業していないとどうやって保管しているんだろう?冷凍保存か、それとも店は開けていなくても継ぎ足し続けているか、はたまた新しく作りなおすんだろうか?まあ、たぶんこの店が新規開店しても行くことはないだろうから、行った方、ぜひ教えていただきたい。
 

サークル承認おめでとう!

2015年05月14日 | 大学
 静岡文化芸術大学のバリ・ガムラングループSuara Candaが、大学公認の同好会から格上げになり、なんと昨日、大学公認サークルとして承認されたそうです。すばらしいね。一年目は同好会申請も認められずがんばって、二年目に同好会になり、三年目でサークルになれたわけです。
 外から見れば、公認だから同じじゃない?と思われるかもしれませんが、やはり学生にとっては「サークル」になれたことで、クラブ活動のみんなでお祝いしました教員はたいへんですね。まあ、嬉しい「たいへん」だからいいとしましょう。
 そういうことで、昨日は、ラジオの収録後、パーソナリティーの方お二人とともにフライングではありますが、「さわやか」にてお祝いしました。
「サークル承認、おめでとう!」

舞台のような台風

2015年05月13日 | 浜松・静岡
 昨日の台風6号の通過を「まるで舞台のようだった」とフェイスブックに表現した沖縄の友人がいたが、まさにその言葉がぴったりで、ほんの2時間くらいで猛スピードかつドラマティックに通過していった感じだ。
 沖縄の大学では期待を裏切られ、二限目から授業が開始されたようだが、浜松のこちらの大学では、やはり予想を裏切り、5限目から休講になる。まさかこんな早く暴風警報が出ようとは誰も思わなかったに違いない。
 翌日の朝、何事もなかったように快晴。またいつもの水曜日が始まる。資源ごみ出して、朝食を作って、さて学校…。明日からは沖縄。また台風7号がやってきているらしい。今度の帰りは、台風から少しでも早く浜松まで逃げ切らなくちゃいけないってわけか。それにしても台風との追いかけっこをするには少々早すぎやしないかね。まだ5月だぜ。

沖縄の物産屋さんがこんな近くに

2015年05月12日 | 浜松・静岡
 沖縄の物産を売っている「ありんくりん琉球」というお店が、家からバイクで10分もかからないところにあったことに今さら気が付いた。沖縄の音楽のコンサートのチラシを配布するために調べていて発見したのである。それにしても住宅街のど真ん中にある大きなお店で、駐車場だけでも10台近くのスペースがある。どんな人がここに買物に来るのだろう?
 ちょっとした沖縄のものなら、ほとんどここで手に入る。生ものは当然高くはなるが、サン食品の沖縄そばもここにくれば買えるのだ。このところ頻繁に沖縄に行くし(今週末も沖縄であるが)、たいてはサンエーで必要なものは買ってくるので、今すぐに通うことはないけれど、しばらく沖縄にいけない時はお近づきになりそうだ。
 沖縄の大学を離れてもう4年目に入った。それでも沖縄と今も繋がっているし、家のそばにもまだこうして沖縄があるなんて、なんだかまだ沖縄と縁が切れないようで、それはそれで嬉しいものだ。

ガムラン祭りにて

2015年05月11日 | 家・わたくしごと
 5月5日の午後、ーー「浜松まつりの合間に」という表現が最も適切に思えるのだがーー名古屋の徳林寺にガムラン祭を友人たちと見に行く。このお寺は昨年、ジャワのグループとともに本火でワヤンを上演したお寺でもある。快晴で野外コンサートにはいささか暑すぎるような陽気だった。ぎりぎりに会場に入ったせいか舞台の前はもう人がいっぱいだったので、会場後方の屋根付きの鐘堂に上ってのんびり見学することに決めた。
 野外でのガムランコンサート、いまから20年以上前、新宿の東長寺で大イベントを2度ほど企画・運営した。若かったからできたのだろう。あるいは私を手伝ってくれた、今は亡き有能なディレクターが私を支えてくれたからできたのかもしれぬ。ぼんやりとこのコンサートを眺めながらいろいろなことを思い出した。昼間だったが、夜のお仕事の方々に怒鳴り込まれたり、本当にたいへんだった。そのたびごとに、袈裟を着たお坊さんたちに助けられた。私が説明しても納得しない強面のお兄さんたちも、合掌したお坊さんたちを前にすると、ぶつぶつと文句をいいながらも帰っていった。宗教とはいったい何なのか、とそのとき本気で考えた。
 名古屋でのコンサートは素晴らしいものだった。名古屋以西から集まった演奏者たちが共同で作り上げた舞台は見ごたえもあった。しかし私は、コンサートそのものだけでなく、これを企画し、運営した人々にエールを送りたい。たいへんだったと思う。1年、半年準備をしたところで、本番という時間芸術は「あっという意味」に消えて終わる。美術展とはそこが違う。だからこそ、その一瞬にかけなければならないし、失敗は許されない。けれどその輝かしい一瞬は、深く観衆の心の中に刻み込まれたに違いない。

トリを飾るのは…

2015年05月10日 | 浜松・静岡
 5月5日、浜松まつり最後の日は快晴で、前日は雨で中止になった御殿屋台の引き回しが行われる。御殿屋台とは、いわゆる山車でその上ではお囃子が演奏される。しかし「御殿屋台引き回し」というと、それだけが行われるように見えるのだが、それは大間違いである。自動的にラッパの練りもついてくるのだ。例年は合同練りが行われたが今年から廃止されたため、ラッパの練りは街中で無秩序の状態でゲリラ的に行われるのである。
 正直、これまでよりこっちの方がずっと面白い。いつ、どこに、何がやってくるのか全くわからないからだ。十字路(四辻)で誰も練っていなければ、そこを占領しその中心で爆発的に盛り上がる。観客もそのまわりに群がって何らかのパフォーマンスを期待しているために、その相乗効果で、練りがより派手になってしまう。「まなざし」は芸能の担い手の意識や芸態まで変えてしまうというが、まさにその通りかもしれない。
 夜9時の少し前、ほとんど地元に戻っていった街中で、最後に残ったグループが練りを始めた。これまでとは比べ物にならないほどの大人数で、よく見ると、「か」の印が法被の背中に染められている「鍛治町」の練りだった。そうか、ここは「鍛治町」なのだ。つまり、彼らはやっと地元で練っている…。
思う存分、練ったののだろう。彼らの威勢のいい太鼓、ラッパそして掛け声が路地に消えて行った。「ここはね、本当は俺たちの場所なんだよ」と、最後に言い残していったような気がした。