Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

人参シリシリー器~あの頃当たり前だったこと(4)

2013年03月28日 | 那覇、沖縄

 「人参シリシリー器を知ってますか?」
 私が那覇の大学に赴任したのは1999年のことでしたが、当時、手術をしたばかりで体調が悪く、赴任後1か月余りで那覇市立病院に入院したのです。その時に味わった数多くの「ローカルの衝撃」は今も忘れられず、たった数日あまりの入院でしたが、はっきりいってそれだけで本が書けそうです。その一つが人参シリシリーでした。
 だいぶ体調が良くなって、出てきた食事の一つにそのメニューがありました。しかし、「ニンジンシリシリー」なんて当時、聞いたこともないし、まだ1999年当時は本土でも沖縄料理大ブーム到来の直前で、さすがに沖縄そばやゴーヤチャンプルーは知っていても「ニンジンシリシリー」なんて聞いたこともなかったわけです。
 まあ、人参を薄く切って、炒めるわけですね。ツナ缶の中身やら、ポークや卵と炒める人もいますが、要するに「人参の炒め物」です。しかし重要なのは、包丁で切るんじゃなくて、それ専用の「刃物」があるわけで、それが「人参シリシリー器」でした。当時はそんなものがあることに驚いたけれど、やっぱり時とともにそれも慣習と化していきました。
 先週、久しぶりに「人参シリシリー器」を那覇の店頭で目にしました。話によると最近は台湾製のものが多いようですが、それでも、こうして店屋で売られているのを見ると、なんだか安心してしまいます。「やっぱり、ここは沖縄なんだな」って。もちろん、「ずっとあの時のままでいて欲しい」とは思いません。私が住む世界が変わっていくように沖縄もまた変わっていくのだから。でもね、人間は勝手な動物なんです。「昔」を見つけると、なんとなくニッコリ笑って、ホッとしてしまうのですから。あなただって、きっと私と同じはずです。

 

 


 


吊るされたバナナ~あの頃当たり前だったこと(3)

2013年03月27日 | 那覇、沖縄

 東京で育った私にとって、バナナはスーパーや八百屋で、陳列棚に置かれて売られるものだった。もちろん、子どものときに浅草で父とバナナの叩き売りを見たことはあるけれど、やっぱりそのバナナも一升瓶かビール箱の上にベニヤ板かダンボールを敷いて、その上に置かれていたような気がする。
 沖縄に赴任して驚いたのは、自分が住んでいた首里石嶺町の小さなスーパーの中では、いつもバナナが吊るされて売られていることだった。それとも、これは売っているのではなく何かの象徴なのか、本気で考えてしまったほどである。なぜならこれを見て、バリの寺院の儀礼で供物として果物などが紐で吊り下げられていたことを思い出したからである。
 結局13年間、店先で聞いたことはなかったが、たぶん一つには「果物屋であること」を外に示す意味、また空気に触れさせて「熟れさせる」などの意味があるんだろう。わざわざ、吊り下げられたバナナを指さして、「これください」とは言わない気がするのだが…。だって、その下にバナナは並べて売られているんだしね。
 考えてみれば、バリのデンパサールの市場の脇に並ぶバリのバナナ屋でも、青いバナナの房がいくつも吊り下げられていたのだった。これだけで、「沖縄とインドネシアは繋がってるさ」と語るのはあまりに短絡的なことはわかるが、こんな共通点を見つけると、なんだか少し嬉しい気がするのである。住んでいなくても、住んでいても、そんな嬉しさは今なお変わらないものだ。


大学の楽器への儀礼

2013年03月26日 | 大学

 昨日、開梱した楽器の包みの中に封筒が入っていて、その中に数枚の写真が収められていました。内容はどれも楽器への儀礼を写した写真です。大がかりな儀礼はお願いしませんでしたが、やはり儀礼と供物だけはお供えしていただきました。やはりこうしていただかないと、安心できないものです。
 きっと、この楽器は浜松の皆に愛され、素敵な音を奏でるガムランになると思います。これは展示するための楽器ではありません。演奏するための楽器です。演奏しなければ、きっと楽器はご機嫌斜めになってしまうでしょうし、練習や演奏を通して、かわいがれば、かわいがるほど、美しい音に変わっていくものです。良くも悪くも楽器の音や響きを本当の意味で変えていくのは、時間ではなく、人なのですから。


大学に楽器がやってきた!

2013年03月26日 | 大学

 私が勤める浜松の大学にとうとうガムランの楽器がやってきた。来月からガムランの実技が授業の一つとなることから大学が教材として購入したもの。それにしても正直なところ、この大学でガムランの授業をやるとは夢にも思わなかった。ただ、ご覧のとおり、日本で(バリで)おなじみのゴング・クビャルではないので、少々地味ではあるが、そうそう贅沢を言える立場ではない。まあクビャルは歩いても10分以内にある浜松の楽器博物館にあるし。
 ちなみにこのアンクルン、著名なカユマスの楽器商が作ったもので、彫刻から鍵板の形までかなりの凝りよう。ちなみに私はガムラン・アンクルンを2セット持っているのだが、私のものと比較する限り、重さで比べると2番目。音の森のスタジオに置いてあるのが一番重く、続くのがこの大学の楽器。音の良し悪しより「重さ」を先に考えてしまうのは歳のせいである。ちなみに大学の研究室に置いてあるセットはかなり軽量である。つまりは、今、務める大学にガムラン・アンクルンが2セットあるということになる。
 4月からこの楽器、叩かれるか、叩かれないかは、学生がこの授業を選択するか、しないかに関わっているのだ!ふた開けてみたら、登録者3人とかで、寂しくガンサだけで30コマの授業が終わったりしてね(大いに考えられます)。まあ、それもいいでしょう……。


糸洲雨合羽店~あの頃当たり前だったこと(2)

2013年03月25日 | 那覇、沖縄

 那覇の市場本通りや平和通りは今や「観光の小道」である。すでに私が沖縄に赴任した1999年、この道は観光ガイドに書かれていて多くの観光客でにぎわっていたが、今ほどたくさんの観光客であふれていた記憶はない。昼間は静かな通りで、地元のおじいやおばあの話し声がよく聞こえたものだった。今は、国際通りから100メートルほどは観光客が足を運ぶが、公設市場より先になるとパタッと地元の世界へと雰囲気が変わる。平和通りも壺屋まで道は続いているわりには、奥にいけばいくほど人が少なくなり、不思議と「高級安宿」のようなバックパックカーのドミトリーが多くなる。
 この平和通りに実に気になる店がある。写真の糸洲雨合羽店である。「雨合羽だけを売る店」なるものがいまだ日本に存在していることが驚きであるが、よくみると傘も売っているから、まあ雨合羽のカテゴリーには「傘」も入っているらしい。まず、この店に表示されている電話番号はずっと昔のもので、これでかけても通じない。だいたい桁数が違う。それにしても実に味がある、市場の通りにぴったりの店だ。しかも両隣は観光客(たぶん台湾からの)を意識した店で、この店だけが時代に取り残されたようにたたずんでいる。
 売れているのか、いないのか、まったくわからない。赴任したころ、この店を発見したとき、驚きと感動とない混ぜになった不思議な気持ちになったことをかすかに覚えている。あれから、この店の前を何十回も歩いたのに、だんだん気にも止めなくなってしまったのだ。先週末、ぼくは久しぶりにこの道を歩いた時、なぜか再び、この店の存在をしっかり意識し、まだここに存在していることにある種の喜びすら感じたのである。


イラブチャー~あの頃当たり前だったこと(1)

2013年03月22日 | 那覇、沖縄

 沖縄に最初に来た時、それはそれは驚いたことはたくさんありました。あれも、これも、見たこともない、聞いたこともないことばかりで、毎日新鮮な感動であふれていた気がします。でも13年も住んでいればそうした思いは薄れていくものです。自分ではどうにもなりません。慣習化していくプロセスは、「当たり前だよ」と語ることのできるようになる(なってしまう)プロセスなのです。
 沖縄を離れてそろそろ1年が経ちます。もちろん仕事で頻繁に那覇を訪れますが、ほとんど仕事場と空港の往復だけ。だからこの際、もう一度、「あの頃、あたり前になってしまったこと」に向き合ってみようと思いました。自分と沖縄の新しい関係を気付く契機になるかもしれないと思ったからなのです。
 イラブチャーを沖縄ではじめて目にした時、なんとも不思議な気がしました。「青魚」という言葉は東京でも使いますが、魚屋で、文字通りの「青い魚」に遭遇したのはインドネシア以来だったからです。だからといってインドネシアでこの手の色の魚を食べた記憶はありません。最初にこの魚の刺身を食べた時は慎重に白身の肉を口に運んだ気がします。
 久しぶりにこんな魚に出会いました。嬉しくてカメラに収めました。魚屋さんが「これ、沖縄では食べるんだよ」と、笑って話しかけてくれました。そんな会話の中に自分がすっぽり収まったひとときは、素敵な時間だなと思いました。また、最初に沖縄に来た時の自分に、心や体の一部は戻ってきたような気がしたから…。


フラワーパウダーに敗北中

2013年03月21日 | 家・わたくしごと

 フラワーパウダーの襲撃に抗しきれずに、まるで毎日、宙を浮遊しているような毎日で、匂いは感じず、味もしないし、目もよく見えないあまり健康とはいえない状況に陥ってしまいました。これまで生きてきた中で、こんなにひどいアレルギー症状に遭遇したことはなく、効いているのかいないのかわからないアレルギーの薬を見ると、無性に5錠くらい一度に飲んでしまいたいという衝動にかられたりします。もしかしたら、この苦しみから開放されるかもしれないって本気で思うのです。
 もちろん、ぼくよりもっともっとひどいフラワーパウダー・アレルギー症状に苦しんでいる人たちがいるのは知っています。同じ大学の教員の中でもひどい発作に襲われた方もいるのですから。苦しいとか、つらいとか、そんなことを軽々しく口にするのは実に恥ずかしいとだとわかっているのです。
 そこまで言わないまでも、かなり集中力や気力が落ちてしまっているのではないのか、と思うのです。まず、本や論文を内容を噛み砕きながら読むことが事実上不可能になっています。それに普通では絶対やらないようなポカーーたとえば新幹線に荷物をわすれるとか、個人宛のメールを大学の教職員全員に送ってしまうとかーーそんなことが続いています。そんなことじゃいけません。そんな状況のせいにして事態に甘えていちゃいけないんです。でもどうすることもできない。朝がくるのが怖いのです。明日のフラワーパウダーのことを考えるのが恐ろしいのです。
 


静岡公演終了

2013年03月17日 | 浜松・静岡

 昨日の静岡公演、無事終えることができました。初めての場所でしたし、知人も少ない中、フェイスブックの友人たちをはじめ多くの方々のおかげで、たくさんの方々にワヤンを観ていただくことができました。東京や名古屋からいらしてくださった方もいて、本当に感謝、感謝です。
 アトリエみるめは、予想通り、ワヤンの公演にはぴったりな場所でした。私は上演していたのでわかりませんでしたが、たくさんのお客さんが移動しながらワヤンを楽しんでくださったようです。静岡県民になったわけですし、渋谷の光塾とともに、このアトリエみるめでも、毎年、公演をしていきたいと思います。 
 


バナナの幹つくります

2013年03月14日 | 家・わたくしごと

 渋谷の東急ハンズから送られてきたこの発泡スチロール。大きさは直径25センチ、長さ20センチの円柱ブロックです。これから、浜松用のバナナの幹を作ります。これで東京に一本、名古屋に一本、沖縄に一本、浜松に一本、来月には大阪にも一本増えますから、全国で五本になります。
 もちろんワヤン上演用です。この素材に行きつくのに本当に何年もかかりました。試行錯誤の結果、これが本当のバナナの幹と人形の支え棒を刺した時の感覚が若干似ているのと、やはり大きさや見た目ですね。これにガムテープでバナナの幹のように仕上げていきます。明後日の舞台では真新しいバナナの幹です。一回作ると数年は使い続けられます。バリならその辺から切ってもってくればいいんですが、日本でそれができたのは沖縄の北中城村での公演だけでした。本当に集落のおじさんが、バナナの幹を担いでもってきた時には感動しました。そうそう、東京だと温室でバナナを育てている植物園から調達したこともありました。
 でも、本当のバナナの幹を使うと捨てるのがたいへん。バリのように豚のえさにすることはできないので、生ごみとして捨てるのだけど、短く切ると独特の汁が出て服は汚れるし(しかもとれない)、これを袋に入れると、違うものに見えてしまう…(ご想像におまかせします)。だから、やっぱり日本では「作るバナナの幹」が一番ですね。
 


青い海のように

2013年03月06日 | 家・わたくしごと

 10ヶ月前の引越しのお祝いとして琉球ガラスのランプスタンドをいただきました。グラスとちがって分厚いガラスで、さまざまな大きさの気泡が美しく全体に散りばめられています。箱から取り出して、食卓机に置いてじっくりながめた時には、やわらかな曲線のフォルムに感心しました。まだ明かりを灯す前に。
 本来なら玄関飾りがいいのかもしれませんが、わが家には下駄箱がなく、置く場所なし。いろいろ悩んで、寝室の床の間に鎮座してもらうことにしました。どんな風に光るのかしらと、夜、寝る前に明かりを灯してみました。すると…ものすごいことが起きたのです。部屋の中をまるで青い海のようにぼんやりと灯すのです。ガラスを通す淡い青は、青の豆電球とは大違いで、ほんのりした光と、気泡を通した不思議な光が複雑にからみあい、それはそれは不思議な雰囲気を醸し出します。それは西洋のランプとは少し違う何かを感じます。
 淡い青色の光の中に閉じ込められたような錯覚は、沖縄に住んでいたときのさまざまな記憶を呼び起こしてくれます。なんともいえない気持ちの良さ、目を瞑ってしまったら見えなくなる悲しさと、そんな快感に包まれながらゆっくり眠りたいという葛藤。もちろん、そんな気持ちのいい光の空間で深い眠りについたのでした。