Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

永久保管?

2016年04月26日 | 家・わたくしごと

 昨日のブログの続編。ジャカルタのJKT48の劇場でCDとグッズを購入したときに商品を入れてくれたビニール袋。あまりの嬉しさにもらって1分後、エスカレータの乗りながら自撮りしたのでした。このときはテンションが相当に上がっていたということなんでしょう。
 ちなみにこの袋、今、このパソコンの左に丁寧に折って置かれています。まあ、永久保管ものでしょう。今になって、もう一枚もらえばよかったな、と後悔しています。一枚じゃね。


JKT48シアター

2016年04月25日 | ジャカルタ

 4月上旬、ジャカルタに行ったついでにJKT48シアターに寄ってみた。といってもコンサートを見に行ったわけではなく、ショップに新譜CDを購入するために出かけたのだった。高級なショッピングデパートの4階だったと思うが、自分とは全く無関係なデザイナーブランドが並んでいるようなショッピングセンターの一角にある。たぶん「安全性」を加味されているんだろう。ショッピングセンターの入口では入念にカバンのチェックが行われる。
 午後2時からスタッフが来てお店があくというので、その時間にいってみた。私としては秋葉原のシアターに併設されているAKB48のりっぱなショップを想像していたのだが、まったく期待を裏切られた。店員が2人いて、一人はオーディションの受付、あとの一人がショップ対応なのだが、受付の机にCDが3種類、Tシャツが4種類、あとはちょこちょことグッズが置かれているだけである。これだけ?って感じである。「これしかないの?」と聞いてみると、「うん、今日はこれだけ」という答えが返ってきた。ここは「市場」か、と思わず思ってしまう。
 それでもぼくはインドネシア人の「おたく」の皆さんとともにきちんと列に並び、しっかり新譜のCDと若干のグッズをゲットしたのだった。ちなみにぼくの前のお兄ちゃんは、同じCDを4,5枚買っていたが、これは友達に買うのか、それとも投票券と生写真をゲットするために買ったのかは不明である(さすがに知らない人にそんなことを聞けないものだ)。


爆睡した朝

2016年04月24日 | 家・わたくしごと

 とにかくよく寝た。こんなに寝るなんてまず自分じゃありえないくらい眠った。学生がよく「寝貯め」なんて言葉を使うが、この分だと数か月は睡眠時間が少なくてもやっていけるような気がする。ただ、爆睡とはいうものの、もう夜中の2時半くらからは、眠りが浅くなって何度も目が覚めたし、不思議な夢も山のようにみた。バリなのか日本なのかオランダなのか、時代もいつなのかもうはっきりしない。自分自身だって子どもになったり大学生になったり、もう夢の中で時間を旅し続けた。そういう意味では「疲れた」感もいなめない。やっぱり睡眠というのは、適当な時間が一番なのである。
 朝5時半、もう眠れないとあきらめてベランダに出てみた。ちょうど家の近くのDJイベントを行う会場からにぎやかにお客さんが出てきている。終わったばかりなんだろう。これからおうちに帰って「おやすみ」かな。一日のはじまり、それとも終わり?笑い声が遠くできこえる。起きたばかりの元気のないカラスの鳴き声がそれに混じって、さらには時々通過する車のエンジン音と不思議と調和する。朝の耳はなぜか鋭敏だ。
 急ぎでやらなきゃいけない仕事のことを考えてみた。でもすぐにどうでもよくなった。今日は何をやるんだっけ、と思いだそうとしたが、やっぱりうまく思い出せなかった。すべては寝すぎたせいかもしれない。まだ遠くで若者たちの笑い声が聞こえる…。 


共食(ムギブンmegibung)

2016年04月21日 | 家・わたくしごと

 バリ東部には、ムギブンmegibungとよばれる共食の習慣がある。日常ではなく、さまざまな儀礼の中で、4,5人が一皿を囲み、三合近いご飯に少しくぼみをつくり、そこにバリ料理ラワールやサテーなどをおきて、これを各自が手をつかって食べる、というものだ。「一つ皿を囲む」というが、まさにその延長戦上にある。
 まだ20代のころ、生まれて初めてこの食事方法を経験したときには仰天だった。取り皿がないため、手でとったおかずやご飯を直接、自分の口に運ぶわけで、それを繰り返す。つまり写真に写っているまだ共食前の美しい光景は、数分後には、ぐちゃぐちゃのすごい状況へと変わっていくのである。(さすがにその光景は写真に撮影しなかった。だいたい手がベトベトで写真なんて撮影できない。)
 仲間意識がなければ、なかなかこの食事には抵抗があるだろう。「不潔」という二文字で片づけてしまうことだってできよう。しかし「同じ釜の飯を食う」、「一つ皿を囲む」という表現がどれも食事を扱っているように、それが不思議と「仲間意識」を生むというのもまた事実である。このムギブンは、まさにその究極といっても過言ではない。
 ちなみに、この食事とともにカランガッスム地域の成人男性は、椰子の木から採取した液体を発酵させた醸造酒トゥアッtuakを飲むことが多い。彼らにとって、ムギブンとトゥアッの組み合わせの食事は最高の至福の時らしい。ちなみに私はちょっとすっぱいこのお酒が苦手であるが、ムギブンには抵抗がなくなってしまった。慣れというのは不思議なものである。


大正琴のおじさんたち

2016年04月20日 | バリ

 この3月、久しぶりにバリで、大正琴を起源とする楽器を使ったアンサンブルのメンバーのおじさんたちと再会した。日本から電話をしただけで、とても喜んでくれて、バリでは僕の教え子の留学中の学生とともに歓待してもらえた。新しいメンバーも加わっていたが、なんだか違和感はまったくなかった。バリではガムランが大好きなおじさん、おじいさんはたくさんいるが、この人たちの気合いも相当である。青銅製の音板のついたいわゆるケンバン楽器のない「ガムラン」を演奏していることを誇りにしているのである。さらに俺たちがカランガッスムの文化を担っているという自信に満ちている。
 大正琴を起源とする楽器、ここではプンティンとよばれているが、バリでは東部アムラプラ県で中心に演奏されている。バリの人々だけでなく、イスラムの人々の中でも異なるアンサンブルの中に用いられる。大正琴を起源としていながらも、まるでギターのように抱えて演奏するし、この楽器の起源が日本で作られた楽器、大正琴であることを誰も知らない。
 王宮(プリ・カレラン)の親族がメンバーにいて、親族に不幸があったことから、儀礼での演奏を依頼された。王宮の家の一角で演奏するグループの一枚。とにかく地味である。派手なゴングとは対極にある。普段はトゥア(お酒)を時々飲みながら演奏するが、この日だけはお酒抜き。ちょっぴり真面目顔も素敵である。僕の研究はそんなおじさんたちに支えられている。
 ところでこのグループ、7月にバリ芸術祭で演奏するらしい。実は2度目だが、もう気合の入り方が半端ではない。新しいメンバーも加わっているし、作曲家に作品を依頼し、毎週金曜日の練習を週末は毎日のスケジュールに変更したそうだ。メンバーに聞いたら、友達と毎日酒が飲めて楽しい、といわれた。なんだか、自分のワヤンのグループみたいだな、と思った。大事なのは、グループの仲間意識、絆、また新しいメンバーを拒まない柔軟さなのだろう。


配色の難しさ

2016年04月18日 | バリ

 インドネシアではよくおかずのせご飯(ナシ・チャンプル)を食べる。なぜかといえば、言うまでもなく「美味い」「早い」「安い」からである。じゃあ、すき家の牛丼、C&Cのカレーと変わらないといわれれば個人的はそうともいえるが、当然、こっちはインドネシア料理である。バリだってロンボックだってジャワだって、インドネシアのどこに行っても星の数ほどナシ・チャンプル屋はあるが、チェーン店というものはほとんど存在せず、すべて個人経営であることから、味は千差万別なのだ。もちろん、自分に合うものもあれば、合わないものもある。だからこそ、誰にもそれぞれお気に入りのナシ・チャンプル屋があるだろう。だから多くの場合、ナシ・チャンプルは一人で食べることが多い。
 ところで、店によって確かに味は違うのだが、「色」は似ているのである。野菜ものを除けば、なんとなくインドネシア風ケチャップやしょうゆで煮たり、油で揚げたりしているために、どれも「茶色」がかっている。茶色に濃淡はあるが、茶系なのだ。レバーの煮込みも、テンペの甘辛も、ミーゴレンも、ガドガドのソースもどれもこれも茶色がかっている。そこが問題だ。つまり、食べ物の彩なるものが存在しないのである。これは写真をとるときに困りもので、なんだか知らない人には美しくもなく、美味しそうにも見えないという。私の父はあるとき「残飯」に見えたといっていた。紙につつまれて、それがどばっと机の上に広げられれば、知らない人にはそんな風にもみえるらしい。
 最近は父の指摘もあって、なるべく美しく撮影しようと試みている。彩の野菜を添えるとか、飲み物を並べるとか。この写真もそんな努力の一枚である。しかしこうして眺めてみると、机の色も決してきれいとはいえない茶色だし、ホット・レモン(ジュルック・パナス)の選択もいまいちだった。やっぱり黄色は茶にカモフラージュされる気がするからだ。次は思い切って、ピンク色のソーダ・グンビラを注文して、美しく撮影してみようと思う次第である。


ELFA'S SINGERS

2016年04月09日 | CD・DVD・カセット・レコード

  もう出ることはないと思っていたインドネシアのコーラスグループELFA’S SINGERSの新譜が、ジャカルタのCDショップに並んでいた。あまりの嬉しさに胸が張り裂けそうだった。大げさな表現ではない。なぜってこのグループを育てたElfa Secioriaはもうこの世にいないし、まさかその名を冠したELFA'S SINGERSの新譜が発売されるなんて予想もしていなかったからだ。
 ちょっと使うにはためらう言葉に「青春の一枚」という表現がある。あえてあげるなら、ELFA’Sの一枚は自身の1980年代後半の一枚である。とはいえ、正確には一枚ではなく、一本である。なぜなら当時のインドネシアはレコードもCDもなく、購入できる音楽メディアはカセットテープだったからだ。よく聞いたCDで、一本はテープが伸びてしまい、二本持っていたのだが、引っ越しを繰り返しているうちにどこかに消えてしまった。
 新譜のタイトルはTIMELESS。まさにその通り、時代や時間を超越して、今なお新しい音楽だ。その素晴らしい4人のコーラスも健在である。インドネシア・ポップ独特なベタなバラードではなく、世界各地のリズムがうまく取り入れられて、実に「今風」な編曲。大好きだったAntara Anyer dan Jakartaもスローテンポになって、優雅な雰囲気で採録されている。久しぶりに「ツボ」の音楽に出会って、現在、ご満悦の日々を過ごしているPである。

(ちなみにamazonでは、このCDの収録曲をダウンロードで購入することができます。)