Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

スラウェシ島からバリ島に戻りました

2019年09月03日 | ジャワ

  昨日、飛行機の便の13時間繰り上げ事件に巻き込まれ、たいへんな思いをしてバリに戻りました。あいかわらず、ひたすら大正琴を追い続けています。今回もユニークな大正琴に出会いました。
  この3月にマカッサルの文化局や国立大学の先生などと会い、そこでさまざまな情報をいただくことができて、今回、最初のフィールドワークに入りました。場所はワジョ県のセンカンという街。マカッサルからは車で5時間以上かかるところで途中は山越えもあって、結構、移動がたいへんでした。こんな処にも日本軍がたくさんいたそうで、驚くことばかりでした。
   戦前からこの地にある写真の店にたくさんの大正琴が売られていたそうです。天板には富士山と海の絵が描かれていたようで、まさに日本からの輸出品ですね。この地域の大正琴は改良型もある一方で、日本の昔の大正琴を忠実にコピーしている地域もあります。私が調査したものは、日本から持ち込まれたものを、今でも修理しながら大事に使っているものでした。ただ、戦後の輸出品のような可能性もあり、撮影した写真をもとに帰国してから分析します。
   今日は少し休んで、またバリで調査を続けます。


シャッター

2018年09月02日 | ジャワ

   ソロ(スラカルタ)の2泊3日は予定がびっちりだったため、一人で街歩きができませんでした。バリでは買えないジャワのガムランのCDや映画のDVDなどがほしかったのですが、次回にお預けです。わかってはいたのですが、朝、シャッターのしまった表通りをぶらぶら歩いてみました。
   落書きやらで汚れているシャッターが閉まった街並みが続いている中、目にとまったシャッターがこれ。なんという絵心、というか地元愛!この絵柄はバティックです。シャッターが全部、さまざまなバティックであふれていれば、店が閉まった街並みにも観光客が来るんじゃなかろうかと思ったほどです。
   「調査だから仕方がない」とあきらめてソロにきたわけですが、それでもこうした風景を見ると、なんだかほっとした気になりました。たまの中部ジャワ訪問もいいのかなと改めて思った次第です。


真鍮ガムラン

2018年08月31日 | ジャワ

   ガムランは青銅で作られた打楽器アンサンブルである、と説明することが多いが、近年は青銅の値上がりにより代用品として、真鍮やら鉄が使われることがある。特にジョグジャカルタ郊外にはそうした金属で楽器を作る専門の工房がいくつも立ち上がって、結構、注文に追われている。
   今回、パレードでトラックの上で演奏されていた真鍮製のジャワの楽器の演奏を始めて見た。サロン(鍵盤楽器)を見てみると、一枚の板をきれいに曲げて作られていることがわかるだろう。青銅だと鋳鍛造なのでかまぼこ型になるが、真鍮板を曲げただけであればかまぼこにはならないのである。
   バリでは真鍮のガムランは嫌われるだろう。近年、高価な大型ゴングが鉄で作られているが、これも代用品としての位置づけである。しかしジャワでは代用品からすでに「真鍮のガムラン」が市民権を得ているような気もする。ジャワの青銅製のガムランは大型で、青銅で楽器を作ることははっきりいって金銭的に簡単ではない。結果的に真鍮製のガムランの音は、すでにジョグジャカルタ市民の新しい耳をつくり、彼らはそれを受け入れたように思う。もちろん伝統音楽では青銅製の楽器であろう。しかしガムランはもはや伝統音楽にとどまらない。さまざまな新しい音楽の中に取り入れられていくことで、楽器も変化していくものだ。つまり新しい音楽の中で、新しいガムランは市民権を得ていくということだ。


ジョグジャのトゥグ駅

2018年08月29日 | ジャワ

   何度見ても素敵な駅だなと思う。観光地ゆえに整備されているとはいえ、その外観は20世紀初頭のオランダ植民地時代を彷彿させる。ヤシの木の並木もそんな風情を醸し出している。ところが外観とは裏腹に、今ではすっかりコンピュータ化され、チケットも窓口で受け取るだけではなく、自身でディスプレイを操作して打ち出すものもある。1980年代に最初にここに降り立ったときとは大違いだ。
   そもそもバリの研究者にとって、インドネシアの電車は珍しいのである。バリには電車は走っていない。沖縄と同じである。だからアザーンの響きと、電車の音はものすごく新鮮に感じるわけだ。今回は駅を見に行っただけで電車に乗ったわけではないが、いつか時間ができたら、途中下車をしながらゆっくりバンドゥンからバニュワンギまで、電車の旅を楽しみたいと思う。
   最近は「いつか」「いつか」と思うことばかりだが、そのためには健康第一だな、とつくづく思うのだ。しっかり食べなさい」「栄養をとりなさい」「ちゃんと休みなさい」と口うるさく言っていた今は亡き祖父と祖母をこのところよく思い出す。確かにその通りだと思う。あのとき、祖父と祖母は、私に言うのと同時に同じことを自分に言い聞かせていたんだろう。


ワヤン柄のバティックの上着

2018年08月27日 | ジャワ

   ジョグジャでワヤン柄のバティックの長袖の上着を購入「してしまった」。実は、当初は購入予定はなかったのが、S教授の強い熱意とワヤン愛がぼくの心を動かしたのだった。ちなみにS教授の購入した上着は色違いであり、彼が本当は購入したかったがサイズが合わなかったものを私が買ったわけである。ちなみに私にはぴったりである。なお、S教授のバティックはこれである。
   それにしてもジョグジャはソロにはワヤンをモティーフにした衣装やらお土産品がたくさんある。これはバリとは全く異なる点だ。つまり中部ジャワの地域のアイデンティティとワヤンは強く結びついているが、一方バリでは、ワヤンは影の芸能である。バロンやレゴンはTシャツのモティーフになってもバリのワヤンは登場しない。1980年代にバリのワヤンの従者でトゥアレンをモティーフにしたバティックを目にしたことがある。その後、それを探したのだが、見つからなかった。たぶん一時は制作したのだろうが、その後は(きっと売れずに)やめてしまったのだろう。
   さて、このワヤン柄のバティックの上着はいつ着ることにしようか?このくらいフォーマルであれば、十分に仕事着である。ちなみにこれと同じ色と大きさの服を、N先生も購入した。つまりジャワへ調査に訪れた三人の教員はみな、この衣装を持っているわけだ。なんだかチームウエアのようだ。


マリオボーロ通り

2018年08月26日 | ジャワ

   5年ぶりのジョグジャ。しかしマリオボーロ通りはあいかわらず、所狭しと衣装や民芸品を並べる出店がずっと続いていて、昔とちっとも変わらない街という印象です。なんだかここだけは時間がとまっています。インドネシア各地からの観光客であふれかえっているもの同じです。以前よりももっと増えたのかもしれません。
  雑然としていて落ち着かない街にも見えますが、私は結構このジョグジャの風景が好きなのです。のんびりした田園風景は素敵ですが、この雑踏にもなんだか不思議と惹かれるものがあります。この街にはインドネシア各地から観光にやってきます。かれらは、古都に来て古のインドネシアの姿を見つつ、お土産を売るこの通りに集まるのです。日本でいえば、国内各地から京都に来て古都を味わいつつ、新京極か寺町通のお土産屋をひやかしながら歩くようなそんな感覚なのかもしれません。
  次に来るのはいつかな?きっとそのときもこの風景だけは変わらないんだろうな、と思っています。


プンドポ

2018年08月23日 | ジャワ

   中部ジャワのソロにあるマンクヌガラン王宮のプンドポは、何度見ても本当に美しいと思う。ガムランは鳴っていなかったけれど、手を下でたたくだけで音が反響する。側面はすべて解放されているにもかかわらず、天井から音が降ってくるように思える。
   久しぶりの中部ジャワ。いろいろ思い通りにいかないこともあり、結構ハードな一日を送っているのだけれど、それでもこうして海外で調査ができているのだから幸せだと思う。明日は2日滞在したスラカルタから移動するが、久しぶりのジャワ滞在を充実させないと。やれることには前向きに挑戦しようと思う。