Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

バリとスパ

2011年11月27日 | 家・わたくしごと
 昨日は、金武で開催されているスパの技術を育成する講習会で、バリ観光の中に定着したスパや癒しについて話をした。この講座は今年で二回目なのだが、昨年話をしてから、なぜバリ観光とスパが結びついたのかを考えてきた。
 私がバリに最初に行った1983年、バリにはスパは存在しなかったし、「癒し」も存在しなかった。先日、東京の実家に行ったとき、収集しているバリの観光ガイドをチェックしてみたが、「エステ」として登場するのはずっと後のことで、1995,6年のことである。当初はヌサドゥアのホテルがフランス直輸入の「タラソ・テラピー」を導入していることがガイドブックからわかる。
 パック旅行から、個人旅行化が進む中、当然、オプションも必要だったのだろう。今回の講座で、別の講師が「インドネシア・トラディショナル・マッサージ」について話をしたのだが、バリニーズ・マッサージは、「インドネシア・トラディショナル・マッサージ」の別名であり、同じマッサージは、ジャワでも行われているという。
 現在のバリ観光のチラシの中に「スパ」が存在しないものなど見当たらない。かつての観光客は「ホテルライフ」「南国の自然」「バリ芸能」を楽しむためにバリに行ったのかもしれないが、今の観光客は「癒し」と「スパ」。バリはいつのまにか、女性が「リチャージ」に出かける観光地へと変貌してしまった。
 「そこまで興味があるんだったら、一回受けてみればいいのではありませんか?」とよく言われるのだが、それに一歩踏み出せないPである。この体験をしない限り、やはり研究する資格はないか……。
 

うちなーおかずのランチ

2011年11月25日 | 那覇、沖縄
 大学でのランチは、いつも決まって持参のご飯と、大学への通勤途中で買う野菜もののお惣菜と決めている。基本的には昼にがっつり肉は摂取しない。ランチだけ「なんちゃってベジタリアン」である。いつ頃からこのメニューを始めたのか定かではないが、ほぼ2年は続いている。
 今日は珍しく、いつものスーパーではなく、地元密着型のAコープ(農協)のスーパーで買い物をしてみた。買ったおかずが、写真の「パパイヤ炒め」と「からしなふー炒め」の2品。実にローカルなおかずである。
 パパイヤは野菜用のパパイヤで、タイ料理だとソムタムなどのサラダで食べるが、沖縄ではたいてい炒め物。肉はとりたくないのだが、基本的にシーチキンか、ポーク(ポークランチョンミート)を一緒に炒める。もう一品は、からし菜と「ふ」を炒めたもので、「ふーちゃんぷるー」である。両方とも炒め物で油を摂取しすぎた感はあるが、まあ、たまには「うちなーおかず」もいいだろう。日々の食生活は「沖縄」からだいぶ距離があるし。(考えてみると、最近、かみさんは「てぃびち」をよく食卓に出すようになっている。その点からいえば、食生活が沖縄から、「だいぶ」距離があるとはいえないかもしれない。)

衝動買い

2011年11月23日 | 那覇、沖縄
 今日は祝日なのに大学は通常授業。学内の食堂は休みだし、大学の近くのファミレスも昼のお弁当を求める学生で溢れていた。じゃあ外食に出かけようと、マフラーを交換したばかりのバイクに乗って、那覇の平和通りの金壺食堂にベジタリアンメニューの食事を食べに行った。
 500円のワンコイン・ランチをとった後、ぶらりと近くの古道具屋に入る(古本屋だけでなく、古道具屋に誘われるのは、父親譲りである)。そこで見つけた観光パンフレットが今日の写真。琉球政府時代、那覇市商工観光課が編集した20数頁全カラーのパンフレットである。端から端まで見たのだが、刊行年が記載されていないが、1972年の復帰以前であることは間違いない。
 私がこのパンフレットに引かれたのは、本の中に「沖縄で パパ史跡 ママ民芸 ボク太陽」というキャッチフレーズを発見してしまったからである。この観光ガイドもまた、歴史観光、文化観光、自然観光、免税ショッピングに焦点を絞って、ひじょうによくまとめられている。1960年代後半から復帰(1972年)前までの沖縄観光を知るには実に面白い。
 復帰後、1975年の海洋博覧会の後、沖縄は「南国の島」へと変貌し、いつの間には、歴史観光や文化観光が薄れていったのだった。別に沖縄観光を研究するわけでもないのに、思わず薄っぺらのパンフレットを衝動買い。2,000円也。

新しいお部屋

2011年11月21日 | 家・わたくしごと
 ミーは新しいお部屋をもらいました。といってもいつも、このお部屋で寝るわけではありません。気持ちいい風が吹いているときは、奥に見える箱の上で、ちょっぴり風が強いと箱の中で、丸くなって眠ります。それにいつもここに戻ってくるわけでもありません。気が向くとやってきて、ふらっとどこかに消えていくミー。
 最近は、よく近所のネコに追いかけられているそうです。追いかけるのではなくて、追いかけられるミー。でも追いかけられる方が似合っているようなミー。
 たまにやってくるミーは、かみさんにブラッシングをしてもらっているせいか、ほんとうにその毛はフカフカのマフラーのようです。沖縄の冬は寒くないから、この新しいお部屋で冬ごもりかしらね。ねえ、ミー。あいかわらず、君は幸せそうにここで寝てばっかりだけど。

The Newport Folk Festival 1963

2011年11月13日 | CD・DVD・カセット・レコード
 今週は土日も大学院入試で出勤である。正直、ゆっくり音楽を聴く時間なんてない。東京にいると電車の中でウォークマンを聞くが、沖縄では家と仕事場の移動時間が短く、ウォークマンを必要としないのである。だいたい仕事の合間に「うー、疲れたー」と10分休憩の間に音楽をかけるのが、このところの音楽との接し方である。
 先週、長いこと探していたNewport Folk Festival 1963, The Evening Concertsの廃盤CD(日本盤)を入手した。2枚組だし、ゆっくり聞く時間はないのだが、とにかく何か聞きたいという欲求にかられ、仕事の合間に、コンサート最後の《The Land is Your Land》を聞いた。バンジョーをつまびきながら「ウディは今、病院だけど、彼の心はここにいるよ」と言って歌い始めるピート・シーガー。なんだかそれを聞いただけで目頭が熱くなって、もう歌い始めたら完全にアウト。やっぱり僕は疲れているんでしょう。でも、ウディ・ガスリーのこの曲はアメリカン・フォークの名曲中の名曲である。

あー勘違い

2011年11月10日 | 家・わたくしごと
 今朝のことだが、関東北部からのテレビ中継の中で、アナウンサーが数字が表示されたボードを手に持って話し出した。
 「立冬をすぎてすっかり寒くなりました……。」
 しかし、ぼくにはすぐにその意味がわからなかった。視覚的にアナウンサーが厚着をしているわけではなかったし、背景は工場だった。映像からは「寒さ」が全くつたわってこなかったのである。それよりも気になったのは、そのアナウンサーが持っているボードで、二段になって示されている数字は、118と82である。見た瞬間、「なかなかいい血圧じゃないか」と思ったのだった。というのも、高血圧が指摘された後、毎朝、毎晩血圧を計測して折れ線グラフにまで作成している私は、二段の数字に対して実に敏感に反応してしまうからである。
 しかし考えてみればおかしい。なんで「寒い」と言っているのに、このアナウンサーの血圧を片手に表示しなくてはならないんだろう?そう思ってもう一回よく見てみると、118ではなく、11.8だった。「そうだ、これは湿温計の表示なんだ」ということにその時点ではじめて気がついたのだった。気温11.8度ならば、確かに「結構寒い」。
 それにしても「思い込み」とは恐ろしいものである。ありえないことを普通に信じてしまうという「思い込み」。とにかく今の私は、80から150の数字を、単位が付されていなければすべて血圧と勘違いしてしまうほど、血圧に敏感なのである。

哨吶(スオナ)

2011年11月04日 | 那覇、沖縄
 文化の日は毎年、首里文化祭が行われて、首里城の近くでは道路を通行止めにして王朝行列なるものが行われる。この行列のあとは、首里地域エイサーや旗頭がわんさと登場して、さながら首里民俗芸能の祭典となる。
 王朝行列に登場するのが、「路次楽」とよばれる首里王朝時代に演奏されていた行進のための音楽。実は、音楽学者田辺尚雄が大正11年に首里を調査したときには、まだ演奏できる人がいたらしいが、その後廃れたものを現在復元して演奏している。この行列で用いられるのが哨吶(スオナ)とよばれるチャルメラである。中国起源の楽器だが、琉球王朝と中国との交流の中で音楽とともに伝播した楽器だろう。
 「プー」という響きの不思議な音がするが、琉球国王の行列だと不思議と違和感はないものだ。だいたいその服装も京都の王朝のような「雅」というよりは、「派手」な仮装行列のようにも見える。ぼくは「プー」という音が遠くに聞こえるまでぼんやり行列を眺めた。真夏のような太陽の下、となりの子供数人がソーダアイスをなめていた。子供の誰かが「変な音ね」と言った。不思議と誰も返事をせずに、他の子供たちは、そんな音を出す楽器を真剣に見つめていた。
 「君たち、将来、音楽学なんて学問をやってみないかい?」とぼくは心の中でつぶやいた。

芸術祭1日目は悪天候

2011年11月03日 | 大学
 昨夕、楽器を演奏会場の校舎の屋根のあるピロティに運んだところで嵐のような大雨。降りこんで来る雨から楽器を守るためにブルーシートをかけたり、観客に雨があたらないように工夫をしたりとたいへんでした。
 それでも本番は雨もあがり、お客さんは雨にあたらず上演を見ることができました。演奏していたから仕方ないのですが、演奏風景はなし。わが家所有の《機織り》の三人の衣装が素敵でした(衣装だけではなく、踊り手も素敵だった)。
 練習の成果もあってか、新人の演奏者たちもまずまずの出来でした。練習と舞台を繰り返して成長していくのですから、これからも続けていってもらいたいものです。