Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

サポーター席で

2011年06月24日 | バリ
 今、バリでは芸術祭が開催されている。今月の10日から始まり、来月の初旬まで毎日、数多くの芸能がデンパサール市内のアートセンターで行われている。昨日の野外劇場で行われるメインイベントは女性によりゴング・クビャルの演奏で、バドゥン県とタバナン県の二つのグループによる対決だった。そしてなんと、タバナン県の代表は私が長いこと住んで勉強していたトゥンジュク村のグループだった。
 グループとはいえ、この芸術祭のために半年くらい前から練習してきた即席のグループであり、相手は歴史のある女性のグループなのだから勝ち目は全くないのである。どうしてよりによってこんな相手と演奏しなくちゃならないのか、とも思うのだが、村人たちは全く気にしていない様子である。
 朝からホテルに「サポーター席に座れ」というお達しの電話がかかってくる。正直なところ、サポーターの座るところは、ステージ全部が見渡せる場所ではないため、あまり嬉しくないのであるが仕方が無い。フィールドワーカーはずっと調査地と縁が切れないものなのだ。
 夜8時開始なのに6時半には到着し、村の人たちとの挨拶大会を終え、やっと8時。もちろん演奏はいまいちであったのだが、とにかく演奏途中で拍手をしまくったせいか、手が痛くて仕方が無い。サポーターなんだから、負けるとわかっている試合でも応援しなくちゃいけないという心境だった。ガムランはやっぱり演奏する方にとっても、観る方にとっても体育会系である。

成田空港

2011年06月22日 | 
 沖縄に赴任した後、成田空港から海外に出かけるは久しぶりである。かつてJALのアムステルダム便があるころは幾度が利用したが、アジアへの出張はほとんど関空か那覇空港からになった。そんなことから、数年ぶりの成田空港にちょっぴりワクワクして出かけたのだが、外見上は何も変わったようには思えなかった。変わったのは自分の方で、成田のファーストクラスラウンジが使えるようになったことである。
 だからといって自分が偉くなったなんてぜんぜん思っていない。沖縄に住んでからやたらと飛行機を使うようになったというだけで、そのご褒美なのだ。今回のフライトだってもちろんエコノミーで、席も結構後ろである。たぶんエコノミー利用でこのファーストクラスラウンジにいるのは私だけじゃないだろうか。だいたい皆、格好いいキャリーを持ってやってくるが、ぼくなんてリュックである。
 初めて入ったファーストクラスラウンジはかなりゴージャスで、ホテルの朝食顔負けのブッフェスタイルの朝食まで用意されている。朝からビール、ウィスキー、ワイン、シャンパン、焼酎だって飲み放題である。しかし、そんな贅沢な場所をこの私が使いこなせるわけもなく、こうしてネットにつないで、健康のために野菜ジュースを飲んでいるだけである。そうそう、機内でなめる飴玉も三つもらった。分不相応というのはまさにこのことなのだろう。知っていれば朝ご飯を食べてこなかったんだけどな。
(現在、ラウンジ内でキョロキョロしながら落ち着かないPである。不審者に見られていないかどうか心配。)

ココナッツギター--ワイハの休日(3)

2011年06月21日 | 那覇、沖縄
 昨日はウクレレだったが、今度はココナッツギターである。だいたいココナッツなんて沖縄でとれるはずがない。島全体が温室だったらまだしも、沖縄は年中、そうそう暑くないのである。工芸品ができるような硬い殻のヤシはすべて輸入されたものである。
 それでも国際通りをはじめ、おみやげ屋に並ぶココナッツギター。やっぱり沖縄にはココナッツが似合うからなのだろう。だって沖縄のあちこちではココナッツの実を割って、ココナッツの水を飲ましてくれるし、そんな看板のどこにもフィリッピン産とは書かれていない(もちろん沖縄産とも書いていないけど)。
 私は、沖縄に文化がありながら、沖縄の文化を用いない観光を演出することをネガティブにとらえていたのだが、昨日の授業での沖縄出身の学生の見方は違っていた。ハワイの文化は自文化とは違うとわかっていて、あえて、観光客が喜ぶ演出をしているというのである。「自分達の文化をあえて観光文化化させなくても、ハワイで喜んでくれるならそれでいいんじゃない?」というとらえ方である。別に本土側の業者や観光客にイニシアティブをとられているわけではなくて、沖縄側がそれを意識して演出しているというわけだ。
「だって観光は経済現象ですよね?先生。」
「私は観光客向けの中途半端な演出のエイサーの方が嫌いです。」
 なるほどね。自分達が嫌な思いをせずに、観光客のニーズにこたえ、もうかってナンボですわ。

ウクレレーーワイハの週末(2)

2011年06月20日 | 那覇、沖縄
 沖縄の「みやげ物屋」の定番の一つにウクレレがあります。写真はホテルのみやげ物屋で売られていたウクレレですが、ハワイアンを上演しているから売っているわけではなく、国際通りにだってしっかり売られています。この写真の上にも「OKINAWA」としっかり書かれています。
 沖縄にウクレレなんて伝統的にあるわけがありません。沖縄からは戦前にハワイに多くの移民が渡り、今なおその交流は盛んです。でもハワイに渡った沖縄の人々が戦後、沖縄に里帰りしてウクレレを持ち込んで受容されたなんて事例はありません。もしあれば、ぼくがとっくに研究してます。
 またまた不思議な沖縄イメージ。ウクレレと沖縄、似ても似つかないように思えますが、皆さんいかがでしょう? 
「えっ!、沖縄観光に来たときお土産でウクレレを買って、今も部屋に飾ってある友達を知っている?」

ハワイアンダンスーーワイハの週末(1)

2011年06月19日 | 那覇、沖縄
 週末は1泊2日でワイハでたっぷり楽しんできました。まずはリゾートホテルのハワイアン・ダンス。もっとアップで刺激的な写真がたくさんありますが、それは秘蔵の非公開ということで、当たりさわりのない夕焼けバックのハワイアンをアップします。
 やっぱりワイハはハワイアンに限るなあ。涼しい海風を身体いっぱいに受けて、美しい海のサンセットをバックにハワイアン・ダンスなんて、最高に「アロハな気分」です。
 でも、1泊2日でハワイなんて行けるわけないっすよ。だから「ワイハ」って書いてあるじゃないっすか。そうなんです。ここはハワイっぽい沖縄のリゾートホテルが演出した「ワイハ」なんです。
 とりあえず、私は昨日撮影したハワイアンのビデオを明日の民族音楽学演習の授業に使います。今年のテーマは「観光と芸能ーー沖縄とバリ」なので。沖縄のリゾートって本当に無国籍だと思います。ちなみにバリのリゾートホテルでハワイアンがメインのステージなんて存在しませんから。

初蝉

2011年06月17日 | 那覇、沖縄
 昨夕、大学キャンパスの彫刻棟の方向に茂る木々の一角から、今年の初蝉を耳にした。たった一匹、クマゼミが静かに鳴いている。
 だいぶ昔、ブログに書いたことがあるが、セミは暗い土から大空のもとに姿を現してどんな気持ちだろう、と学生達に問うたことがある。まるで小学生に対する質問のようだった。学生たちはそんな質問にとまどいながらも、「それは嬉しいのではないだろうか」と異口同音に言ったと記憶する。
 しかし、本当にそうなのか?蝉は人生の大半を過ごす暗い土の方が快適で、楽しく過ごせていたのではなかろうか?蝉は、人間である「自分」と同じ価値観を持っているのか?そんな話を枕に文化論を展開していった。
 初蝉の声を聞いて、そんな自分が若かった教員時代の授業のことを思い出した。あの初蝉はどんな思いで沖縄の澄んだ夕焼け空を見て、たった一匹で鳴き続けているのだろう?なんだか「苦しいよ、苦しいよ」と悲しく呟いている気がしてきて、そのせいかすっかり悲しくなって、急ぎ足でその場を離れた。「ごめんよ。今、ぼくは君の哀しみを受け入れられるだけの心の余裕がないんだよ。」

だいぶ元気になったよ

2011年06月16日 | 家・わたくしごと
 「昨晩は皆既月食だったから、ネコ会議があったんだよ。ボク、だいぶ元気になって、昨日のネコ会議に久しぶりに参加してきたんだ。でもそのせいかな…。今日は、ちょっぴり足が痛くて、こんな格好でごめんね。足を伸ばしていると楽なんだよ。」
 確かにミーの足はだいぶ良くなってきた。階段も昇れるようになったし、顔色もよくなった気がするよ。ぼくらの家から少しずつ遠出することもできるようになったし。ところで昨日はどこで会議があったんだい?
 でももう少し元気になって、ぼくらの手伝いがいらなくなったら、また元の場所へ戻るんだよ。いいかい? わかったかい?

「父の日」のプレゼント

2011年06月14日 | 家・わたくしごと
 週末は東京でしたが、さてさて今回は、この東京の往復で大当たりが出ました。なんとJAL便の行き帰りともに搭乗案内レシートで、マクドナルドのビッグマックセットが当たってしまったのです。ジャジャーン!このところコーヒーばっかりで、正直、うんさりでした。前の人が赤いレシートを取っているのを見ると、「なんで一人前に並ばなかったんだ!」なんてちょっとイライラしていたほどです。商店街やデパートのガラガラくじで当たったためしはないし、とにかく、この手の「当たりもの」にはぜんぜん縁がなかったんですから。
 ところでこの2回分のビックマックセットですが、実のところぼくはハンバーガーを食べないので、私のものにはなりません。やっぱり育ち盛りの息子へのプレゼント。いやあ、「父の日」らしいプレゼントだなあ。
 えっ?逆じゃないかって? 皆さん知らないんですか。父の日は母の日と違って、ふだん忙しくて子どもに接することができない父親が、「お父さんらしいことをする日」なんですよ。だって、お父さんらしいことをしていない父親が「何か」を子どももらうことを期待するなんてナンセンスでしょう?

カレーを食べた「あつい」夜

2011年06月12日 | 東京
 昨日の練習の後は、「飲み会」ではなく「食べ会」になった。国分寺の駅前でインド系のおにいさんが配る10パーセントOFFのチラシを使って、夏だ!インドカレーを食べよう!ということに変更になったのである(正直、沖縄のように暑いとカレーを食べる食欲もわかないが、そこは梅雨の東京である)。
 北口から歩いて数分のところにPANASなる名前の店がある。インドでは何という意味かわからないが、インドネシア語では「暑い」、「熱い」。たぶん相当に辛くて、汗をダラダラかくのだろうと覚悟して店に入る。こじんまりしているが、結構、客が多い。ちょっと安心である。しかも店の中は節電のご時世の中、若干とはいえ冷房が利いている。きっと食べ物が辛いので、冷房は必要不可欠な条件なのだと一人納得する。
 サラダ、揚げ物系つまみ、など「ビールの友人」をいくつか注文するが「PANAS」になる食べ物は登場しない。きっと最後のカレーでどっと汗が出るんだろうと心の準備をする。そして最後に頼んだカレー。おもわずPANASという名前のせいで、全員、中辛を注文。辛口なんて頼んだら汗が噴き出して、脱水症になる恐怖が頭に浮かんだのである。
 さて、ここからが本日の本題である(といってももう終わりじゃないか!)。実のところ、中辛のカレーは、とても美味しいのであるが、インドネシア大好きのメンバーにはほとんど「辛さ」を感じることはなく、辛みという点からいえば、ぜんぜん「PANAS」になれず、ハズレであった。要するに汗がでる「暑さ」はなんら感じられなかったということだ。しかしである。カレーと一緒に頼んだナンが、「ナンだこれ?」というほどでかいのである。こんなナンはこれまで見たことがない。「苦しい」といいながらも完食。食事会がこのナンのおかげで盛り上がったという点からいえば、クールではなく、十分にホットな「あつい」夜を過ごせたのであった。PANASの意味がようわかったで。ということで、この店は「合格」である。

日陰をさがす

2011年06月10日 | 那覇、沖縄
 梅雨明けした途端、猛暑の沖縄。とにかく暑くて、日なたに出ているだけで気分が悪くなるほどだ。澄み切った青空を楽しむ余裕なんてまったくないのである。信号待ちだってとにかく日陰をさがす。ちょうど通りかかった場所で、南国の木の下に集まる中学生たちを発見。お弁当の時間だろうか?
 暑い日、長時間日なたに出ていることはほとんどないのだが、そんな経験をするのはバリでの火葬儀礼の参加やそのフィールドワークである。とにかく暑い。火葬塔や棺が焼けるまで、次の儀礼が始まらないためにどこかで待っていなくてはならないのだが、たいがい火葬する場所は村落の端の何もない場所で、近くのカフェで時間をつぶすなんて洒落たことは不可能なのである。ほんのわずかな日陰に何人ものバリ人たちがひしめいている。外国人なんてたいがいそんな日陰からはじきとばされてしまうものだ。
 ところで、沖縄で何年か前こんな経験をしたことがある。バイクに乗っていて、信号待ちをしていた時、私はあまりの暑さのため停止線の手前の木陰でバイクを止めて信号が変わるのを待った。こんなことはバリでは当り前である。停止線の前に日陰があるからいけないのだ。ところがこのとき後ろから、突如マイクを通して声がした。
 「そこのオートバイ。停止線まで行って停車しなさい。」
 しっかりパトカーに発見されたのであった。バリだと口うるさい警察も停止線のはるか後ろに停車しているときは何も言わないんだけどな。さすがニッポン!