Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ラワールとビール

2009年09月30日 | バリ
 バリ人友人宅で日本人の友人とばったり出会い、まだ陽の高い時間から、この家で豚の血で赤く染まったラワールとビールの会となる。ラワールとはバリの儀礼料理の一つで、さまざまな香辛料と野菜、肉を混ぜてたべる独特な料理。実のところ、ぼくはラワール(特に豚の生血を使った)が得意ではない。ほとんどアレルギーのように体が拒否反応を起こすのである。これは20数年前からで、いっこうに体になじまないようだ。美味しいのだが、いったん体内に取り込まれてしまうと妖怪に変身してしまうものを自分ではどうすることもできない。
 正直に食べられないことを二人に白状する。もちろん最初に「食べよう」とも「食べられる」とも言っていないので嘘をついたわけではない。家に着くなり用意されたのだから。しかしバリと20数年もかかわって豚血のラワールが食べられないというのはいささか恥ずかしい。マンゴーアレルギーとか、蟹アレルギーとかならば様になるが、ラワールの豚血アレルギー(とぼくは信じているのだが)なんて……。しかし、ぼくが自身のそうした弱点を話すなり「問題ない、問題ない」と笑顔でぼくの皿に盛られたラワールをバリ人の友人がおいしそうに食べ始めた。血とは無関係の肉料理だけをきれいに残して。
 ところで、ビールとラワールというのは相性がいいらしい。バリ人はよくそんな話をする。昼からビールを飲む口実なのかもしれないし、これに科学的根拠があるのかどうかはよくわからないが、ぼくの理解は「ビールによる殺菌とアルコール消毒」である。昔、バリでお腹をひどくこわしたときに、「ビールを飲むといいですね。アルコール消毒になりますから」とまじめな顔をしてアカデミックな香りを漂わせて話をしてくれた日本人のバリ・ガムランの先輩のセリフをぼくがいまだに信じているからである。たぶん、この発言にも科学的根拠はないと思われるのだが……。


待ち時間

2009年09月30日 | バリ
 私の知る限り、インドネシアにはセルフサービスのコピー機というのは置かれてはいないようだ。自分でコピーしてしまったら、きっとコピー屋の仕事が奪われてしまうことになる。つまりインドネシアでは「コピーをすること」は、「職業」を意味する。
 コピーをしたい場合は、一枚でも千枚でもコピー屋に資料を持っていき、コピーをしてもらうわけで、その時にはカウンターごしにインドネシア語でどんなコピーを必要とするのか、製本の方法はどうしたいのか、などをしっかりと説明しなくてはならない。20数年前は、つたないインドネシア語を使って細かい指示をするのがえらく面倒で、どうして自分でできないのかと頭をかかえたものだが、今は正直なところたいへんありがたい。大学に戻れば、授業の資料は別にしてもコピーは自分でとる。秘書なんていないので当然である。コピーにかかる時間はばかにならないものだ。しかしインドネシアではコピー屋で説明したら、あとは取りに行くだけである。
 量が多ければ預けるのだが、20分か30分くらいの待ち時間ならば、ぼくはコピー屋のカウンターに腰をおろして、車が行きかう明るい外の風景やコピー機が数台置かれた暗い店内を交互に見つめる。飽きもせず、行き来するバイクや車を眺める。文庫本を持っていったこともあるが、喫茶店のように本に集中できるような場所ではない。だから眺めながらその日のテーマを決める。「今日はバイクの二人乗りの後ろの人の姿勢について」とか、「ヘルメットの形と色の分類」、あるいは「コピー屋にやってくる人の職業分析」や「コピー屋の女の子がコピーのボタンを何回押したら、自分の携帯をいじくるか」とか。観察を始めると時間がたつのが妙に早いものだ。ふと気づくとちゃんと資料のコピーができあがっている。


散歩

2009年09月30日 | バリ
 朝、少し街を歩いた。通学と出勤時間で、道路にはバイクのエンジン音が途絶えることがない。ウルー・グルー、ブルーとぼくの耳には繰り返し聞こえる。本来、聞こえ方は千差万別だ。4歳の子どもの一人一人が聞こえる音を紙に書いてみればよくわかる。文化が聞こえ方を規定しているにすぎない。人間は文化の餌食になっている。
 蝉が朝から狂いだしている。暑すぎるとバリの蝉は鳴くことができない。今こそ彼らが暗闇で暮らし続けた長い苦悶の日々を数日間だけ大声で語れる時だ。狂え、わめけ、叫べ!
 どこかの犬が自己主張をするように連続的に吠え続けている。どんな自己主張なのだろうかと考えてみるが、思い浮かばない。空腹、排泄、遊戯、苦悶?知らない犬の鳴き声はその区別ができない。しかし誰もその犬の主張に耳を貸すものはいない。きっと長い鎖につながれたその犬の姿は誰の眼にも入らないか、温和なはずのお手伝いの女性にほうきの柄で強くたたかれるだけだろう。そしてそんな姿を見て笑いを浮かべながら、誰もが見て見ぬふりをするにきまっている。
 そんなことを考えながら、いつも朝の散歩をする。かならず敷石に一度はつまずく。足元に注意を払えと自らに言い聞かせる。平らな敷石なんてありはしない。でこぼこ、がたぴしゃなコンクリート製の敷石。平安京の敷石が間断なく並べられた道の方がずっとましだ。きっとバリ人は道がまっさらに平らであることが許せないんだろう。それでは道が息をしていないように思えるからだろうか。そんな道の裂け目から地下に住む悪霊たちがこちらをじっと見つけているかもしれないのに……。(9月13日、デンパサールで記す)

ブロンニーの生還

2009年09月29日 | バリ
 昨日、ブロンニーは毒餌を食べて痙攣を起こしていたという。さすがに見かねた家族は、できるだけ食べ物を吐き出させ、お粥をあたえたり、飲み物を与えたりして、昔、猿をかっていた檻の中にブロンニーを入れたという。翌朝、幸運にもブロンニーはこちら側に生還したらしい。ぼくが昼に見たときは、狂ったように尻尾を振って、柵にしがみつくなり「檻から出してくれよ」と懇願の目をしてキーキーと悲鳴を上げている。君は本当に犬なのかい?なんだか犬に化けた猿みたいだ。
 今日になって聞いたところ、本当に村で飼われていた犬がたった二日で忽然と姿を消したそうで、集落にうろうろしていた犬たちの姿をほとんど見ることがない。運よく生き延びている犬はさすがに家屋敷に鎖か紐で繋がれているんだろう。それにしても、毒餌のことについて少しは憤慨してもいいと思うのだが、以外にクールなのが不思議でならない。「新しい犬をまたどこかで探してくればいいさ」という始末で、なんとなく使い捨てカイロみたいで悲しい。まだキーキーと寂しい声をあげ続けるブロンニー。君は使い捨てカイロにはならずに幸運の星の下に生まれた。
 ブロンニーは当分、檻から出してはもらえまい。だからといって散歩に連れていかれるはずもなく、今度はストレスとの戦いだ。しかし、この狂犬病騒動が一件落着するまではその狭い空間の中が唯一のセイフティーエリアなんだ。生きるための試練。幸運を噛みしめることができる犬は、人を噛むことはない。(9月13日、タバナンで記す)


ブラッキーの死

2009年09月28日 | バリ
 ぼくは調査地に行く前、バイクに乗りながらなんとなくブラッキーのことを考えていた。実に馬鹿げたこと妄想で――考えてはいけないことだったと後になって思うのだが――ブラッキーが私の「ふくろはぎ」に深く噛みつき、なぜか私からは離れようとしない、悪夢のような妄想だった。ぼくはバイクで走りながら、そんな姿を脳裏から降り落そうと、なんども首を振った。数年前、ぼくは子どもを数匹生んだブラッキーに不用意に近づいたことから足首を噛まれ、血を流したことがあるのだ。
 数日前、狂犬病が私の調査地の隣村に住む二人の命を奪った。ふだん自分の家の周りを歩き回るだけの、用心深く、しかし温和な飼い犬だったという。それが突然「狂った」ことで惨事が引き起こされた。しかしどうして、突然、狂ってしまうのだろうか?それは、徐々にやってくるのではなく、あるとき、突然に、まるで悪霊が乗り移ったトランスにはいり、ひよこを食いちぎり、口のまわりの血だらけにして、それでも目がワヤン人形の悪霊のように丸く大きくまばたきもしない儀礼参加者のように、「狂って」しまうんだろうか?
 ブラッキーはたった一度だけ、私を敵とみなしたきり、その後は吠えることもなければ、尻尾を振ることもなかった。私が存在しても彼女は生命の存在しない石像のように、ただじっとして動かなかった。しかしそんな彼女もまた突然、憑依して私を襲うことがあるのだろうか?いや、そんなことはない。ぼくは再び首を振る……。そのたびにバイクは微小な蛇行を繰り返す。
 調査地の滞在先に着くなり、「ブラッキーは昨晩死んだよ」と唐突に聞かされた。誰もが悲しそうではなかったし、それは昨晩の夕食を食べた時間を(事実を)端的に伝えるような口調だった。そこには感情的な素振りのほんのひとかけらも感じられなかった。それでこの話は終りそうな気配だった。いちいち昨晩食べたその献立について、他人がたちいったりはしない。THE END? しかし私はその死因が知りたかった。彼は誰かを噛みついたから?それとも誰かに(何かに)噛みつかれた?
 「毒を食べて死んだ」のだという。狂犬病の猛威を恐れた村人たちが道路のあちこちに狂犬病の犬を殺すための毒餌を置いているのだという。しかし村の犬は鎖になど繋がれてはいない。つまりは、毒餌は、狂犬病にかかっている犬と同時に、「狂犬病にかかるかもしれない、あるいはかかっているかもしれない犬」を殺すためのトラップ。もしその条件の犬であれば、すべての犬に該当するはずだ。ということは集落における「犬の存在」を消去するためのトラップということになる。鎖に繋いでおかない限り、ほとんどの飼い犬はそのトラップにかかり、魔法のように消去される。クリアーボタンを軽くタッチように。少なくとも昨晩だけでも同じ家屋敷の数匹の犬がこの世から消えた。ぼくには理解ができない。少し混乱している。狂犬病は人間を狂わせ、そして狂犬病という病の存在により、狂った人間によって犬が殺されている?
 ぼくは、もう一匹の飼い犬の名を数回呼んだ。「ブロンニー!」
 しかし姿を現さない。人懐っこく、まだ愛らしい一歳の仔犬の姿はどこにも見当たらないのだ。(9月12日、タバナンで記す)


狂犬病

2009年09月28日 | バリ
 狂犬病という病気は聞いたことはあるが、日本の飼い犬にはあまり身近な病気ではない。しかし残念ながらインドネシアでは現在進行形なる病であり、運の悪いことに私の調査地と隣村で狂犬病が発症し死者が出たことが新聞にとりあげられてしまった。
 私の調査地を知っているバリ人は会うなり、「気をつけろ」というのだが、手洗い、うがい、マスク着用で、ある程度は予防できるインフルエンザとは違って、犬という生きた相手がいるわけで――もちろんインフルエンザウィルスだって微小な生き物ではあるが――その予防方法が難しい。犬に近づかないというのが一番の予防策なのだろうが、犬はたいてい放し飼いだから勝手に近づいてきてしまうのである。犬が近づかない香水なんてあればいいのにと思ったりする。でもそれでは人間だってぼくのそばには寄り付かないだろう。
 夜に集会場に公共診療所の巡回車がやってきて、村人を集め、狂犬病対策に関してパワーポイントで説明していた。内容こそが重要なのだが、村の若者たちは内容よりもパワーポイントに興味津々で、いつ朽ちてもおかしくない古めかしい集会場でのパワーポイントのプレゼンテーションが、古めかしい寄席の舞台でハリーポッターの最新作をやっているようで可笑しかった。(9月12日、デンパサールで記す)


ココハ儀礼ノ場デハナイ

2009年09月28日 | バリ
 ある村で、王宮の儀礼でしか演じられない舞踊の上演会があった。これは県の文化行政の一貫で、頻繁に上演されることのない舞踊を継承するために行われる「視察」のための上演で、副知事や文化局長、地域行政の首長などが形式的にそれを見学し、育成のための資金を援助する贈呈式が行われ、数人のスピーチがあって終了という一連の過程をふむ。なんといっても長時間なのはえらい人々の順に続く「お話」で、バリ語もインドネシア語もわからないうちにこれに遭遇すると、真夏の暑い昼間、架線故障で中央線を新宿駅のホームで30分以上待つようなだるさと、ヤナーチェクのチェコ語のオペラを全幕、言語で聞かされるような過酷な試練が待っている。
 今回の視察で演じられた舞踊は、葬儀でしかもちいられない見たこともない不思議な舞踊だったのだが、なんと舞踊の衣装を着ていないのだ。基本的に踊り手のおじいちゃんとおじさんたちは、木陰でぼーっと道行く人々をながめるような普通の格好である。えらいお役人がきて上演するのだから衣装くらいつければと思うのだが、そこはバリ人である。
「ココハ儀礼ノ場デハナイ。舞踊ノ装束ハ聖ナルモノダ。練習場デハツカエナイ。」
 育成資金を渡すためにわざわざ遠くから車になって大勢のお役人たちとやってきた文化行政にかかわる人々がいったいどのようなものを期待してきたのかはわからずじまいだったが、外国人である私としてはそれなりに驚いたと同時に、ちょっと気抜けしてしまった。ソーダの王冠を開けたら、実はそれは完全に炭酸のぬけた生ぬるい水だったみたいに。しかし実際はその良し悪しは別にしても神聖な舞踊とよばれるものが舞台で上演されることはたびたび見られることだ。舞台といっても観光客向けのアトラクションではなく、バリ人向けの落ち着いたイベントだったり、アカデミックな場であったり。もちろん、そんな時に用いられる舞踊装束は、お金をかけて作った「レプリカ」であることが多い。
 誰が見に来ようと「正式な舞踊装束を着ない」という彼らの判断は決して間違っていない。というよりもむしろきわめて正しく、常識的なのである。論理的には筋が通っている。だからこそぼくはすっかりあきらめて、ぬるい気が抜けたソーダを半分だけぐいっとあおって、あとは静かに椅子の下に置いた。倒れないように、ころがらないように、そおっと……。帰りの車の中でふと思った。誰かが瓶を蹴飛ばさなければいいのだけど。(9月10日、デンパサールで記す)


引力の法則

2009年09月28日 | バリ
 6時半、カーテンをひいて朝の光をとりこみ、新鮮な空気を迎えるために窓を開けた。そして時計を確認してから、ふたたびベッドに横になって、昼寝を終えたばかりの猫のようにおもいきり「のび」をして、深い深呼吸をしてから、なにげなく2週間もの間にすっかり見慣れた正面の壁を眺める。
 なんだか不思議な光景だ。引力の法則。すべては床に直角に引っ張られる。コンセントのはずれたクーラー。ただ一度も使ったことはない。8月のバリにクーラーなど不要だ。いまは無機質な部屋の装飾。クーラーのためにつけられたコンセント。実は部屋にたった一つしかコンセントはない。不完全で無計画な建築。壁にかけられた竹製のほうき。たぶんベッドの埃やごみを落とすためにあるんだろうが、中途半端な高さに打たれた釘にかかっていて、いったんはずした後、それを元に戻そうとするとヨーヨー釣りをしているかのようにもてあそばれる。人間を見下したような挑戦的な釘。
 もう一度、腕時計を見つめる。しかし、さっき見たときとわずか1分も進んでいない。人間の思考能力とはすごいものだ。数十秒の間にぼくは、引力の法則にしたがって並んだとりとめのない「もの」についてこんなことを考えるなんて。しかし人間はつねにそんな思考を繰り返しているに違いない。五感が研ぎ澄まされている早朝と深夜にだけ、私はそんな思考を反芻して、それを文章に書き残すことができるのであって、諸感覚が正常に働いている間は、決して記憶されることのない思考経験は、自分の前を一瞬のごとく過ぎ去っていく。形も色も見極めることが不可能なくらいに高速度で。記憶されない思考は文章としては残らない。(9月11日、デンパサールで記す)


儀礼の行列のあとには

2009年09月28日 | バリ
 儀礼の行列が始まると道路はこの行列が優先され、車は通行不可となる。とにかくこの行列が終わるまで辛抱強く待つか、行列の最後にスロー・スロー・スローでとにかくついていくしかない。実に燃費が悪い運転方法。
 行列の尻尾を覗いてみると、例外なくバイクが団子状態になってくっついている。サメの後ろにくっついて泳ぐ小魚みたいで、とにかく行列を抜こうと右に左に隙間を探すのだが、無駄な努力。
 バイクの後ろには車の大渋滞の行列。信号待ちではクラクションを鳴らすのが常識のバリでもさすがに儀礼の行列に遭遇したときにクラクションはご法度である。おかげでバレガンジュルの激しいガムラン音がバイクと車の暑苦しいエンジン音とうまく調和して、まさにバリの音風景をつくりだしている。いい感じだ。(9月9日、タバナンで記す)


子どものバラガンジュル練習

2009年09月28日 | バリ
 日曜日の昼間、ウブドの集会場で子供たちのバレガンジュルの練習を見た。なんとチェンチェンが全部で20人近くいて、しかもコンクリートで壁が固められた室内の集会場なのでシンバルの音が壁に跳ね返り続けて音のとんでもない幾何学模様を描いている。
 リズムは複雑で、速度も拍子もめまぐるしく変わるまさに現代のバレガンジュルで、演奏しながら子どもたちはとても楽しそうで、観ている私までも笑顔になってしまう。それにしてもウブドは観光地であると同時に芸能活動が盛んであることがこうした練習からもよくわかる。芸能を生かした観光を推進し、その結果として次世代も育っていき、芸能が継承されていくプロセス。
 子どもたちの腕前に感嘆のまなざしを向けながら、実はもう一つ、私はこの集会場の壁の彫刻に感心してしまった。ここは観光客向けに芸能を上演することもあるから装飾もりっぱなのだろうが、それにしても圧巻である。というかあまりにも派手すぎて唖然……。あくまでもバリ人の日本人の美学の違いである。(9月9日、タバナンで記す)