Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ケバブ屋

2008年01月30日 | 東京
 東京に行くと最近、ケバブ屋をよく見かけるようになった。ケバブといっても、小さな肉をかためて大きな塊にし、それを焼いて、表面の肉をそぎ落としていくドネル・ケバブである。日本のお店でも、これを作って販売しているのは在日のトルコ人たちである。写真の顔もみれば日本人でないことがすぐにわかる。
 実はケバブを最初に食べたのは日本でも、トルコでもなく(まだトルコにいったことはない)、オランダである。私が住んでいたライデンの小さな町にもドネル・ケバブ屋はたくさんあった。特に鉄道の駅の傍や、若者が集まる場所には必ずケバブ屋が店を出している。ようするにファーストフード屋である。ピタパンに、サラダとケバブを挟んで、がぶりと食いつくのである。正直、一つ食べればもうそれで満腹である。帰って食事を作るのが面倒になると、これを一つテイク・アウェイして夕食にした。
 しかし、ヨーロッパを旅するうちに、どの国に行ってもドネル・ケバブ屋が軒を連ねていることを知り、それがヨーロッパにおけるトルコ移民の象徴であることを知って驚いた。特にドイツには大抵の街にトルコ人街があり、そしてドネル・ケバブ屋があった。トルコ人抜きにもうヨーロッパは語れなくなってきているのではないかと思うほどだった。しかし、そのトルコは今だEUに加盟できないでいる。
 さて日本のケバブ屋に話しを戻そう。道路沿いに建てられたケバブを売る小さなプレハブのような建物には、所狭しとメニューが張られている。しかし面白いのはその日本的なメニューの数々である。しかもパンに挟むメニューより、丼にするメニュー、いわゆるケバブ丼の種類がやたらと多いのだ。
 これこそがトルコの人々のすごさである。その土地に合うように自分の料理をアレンジして根付かせてしまう。まるでマクドナルドの「照り焼きバーガー」のようだ。ドネルケバブはいつの日か、必ずヨーロッパのようにマクドナルドを超える日が来るだろう。見るからにマックよりは高級そうだし、だいたいその肉を削ぐパフォーマンスは、店の奥でパテを裏返す行為に比べれば格段に見栄えがするだろう。


トイレットペーパーの芯

2008年01月29日 | 家・わたくしごと
 最近、トイレットペーパーの芯に「毎度有難うございます」と印刷されていることに気づいた。もちろんすべてのメーカーのものにそんな印刷はないだろうが、たまたま現在わが家が使用中のものは丁重なお礼のご挨拶をもって、一巻きのトイレットペーパーは役割を終えるのである。書かれていたことにえらく感動した結果、今後はこのトイレットペーパーを愛用しようなんて輩がいたら、それはそれで驚きであるが、書いてあったからといって不快な思いをすることもない。
 と、私はひらめいたのだ。トイレットペーパーはその役割を終え、芯になったとき、アイスクリームの棒のように「当たり!もう一本」ならぬ「当たり、もう一巻き」なんて派手な色で書いてあったらどんなもんだろう?もしかしたら、トイレでのひと時の喜びを感じることができるのではないだろうか?
 芯なんて、図工の材料になるようなよほどの幸運に恵まれない限り、たいていはポイッとゴミ箱に捨てられる運命なのだ。全くアイスの棒とかわらない。だからこそ、ちょっとした遊びがあってもいいのではないだろうか。これは名案だ。このブログを見た製紙会社の方は、ぜひ企画会議の議題にあげるべく検討してもらいたいものである。


落語

2008年01月28日 | 東京
 現在、NHKの朝の連続テレビ小説では、上方落語をテーマにした「ちりとてちん」が放映されている。何年か前に民放で放映された「タイガー&ドラゴン」は、現代における落語ブームに火をつけたそうだが、この「ちりとてちん」もそんな流れの中で企画されたものかもしれない。
 私の父は、こんなブームとは無関係に落語好きである。落語のラジオやテレビ番組をよく聞いたり、見たりしていたし、だいたいその内容についてもたいそう詳しかった。そんな影響からか、私もある時期までは落語をよく聞いたし、池袋の寄席にも結構通った。しかし、今は落語に接する時間もない。
 東京の実家に一日泊まったついでに、父とともに父の落語コレクションの中から、「崇徳院」と「井戸の茶碗」をソファに寝転がって聞いた。落語は聴くだけではなく、見る楽しみもあるわけなので聴くだけでは物足りなさもあるのだが、やはり話芸である。徐々にその世界に引き込まれていく。
 それにしても志ん生の「井戸の茶碗」に出てくる正直清兵衛、千代田卜斉(ぼくさい)、高木佐太夫の馬鹿正直ぶりには笑いがとまらない。噺家の語りから、三人の台詞、江戸の街風景、雰囲気、香りなどが、五感すべてに訴えかけてくる。ものすごい芸当である。ワヤンの上演をする私にとって落語はまさに話しの教本である。ワヤンと同様、多くの観客はその結論を知っていて、この話を聴く。つまり、その経過を楽しむのが落語であって、それこそが落語の聞かせどころ、見せどころなのだろう。
 ちなみにこの日、帰りの飛行機で聞いた落語は「ちりとてちん」だった。もちろん、こちらの「毒消しのわさびと梅干を入れて、醤油で味付けした腐った豆腐」のオチもなかなかだった。


「とても寒い」とは?

2008年01月26日 | 家・わたくしごと
 今日から一泊で東京である。ここ約1ヶ月ほど東京には戻っていない。しかもこのところ急激に寒くなってきているのだ。さて困った。「とても寒い」とはどんな感覚だったろう?
 南に住んでいると、それがすぐには思い出せないのである。もちろん、頭では理解できるのだが、感覚は?といわれるとそれがわからない。だいたい、東京につくと「なんとなくクーラーが効いているぞ」程度に思い、1時間後くらいにやっと寒さが理解できるようになる。そしてすぐに凍えはじめるのだ。
 ここで問題なのはどんな服を持っていくのか?もちろん家から空港までオーバーを着ていけば、空港に到着する頃は汗だくである。持って行く、となるとこれが冬物はかさばって面倒なのだ。そこで「まあいいや」と薄めのものにすれば、まず悲劇となる。しかし暗色で、重いコート着るという行為そのものを想像できないのである。人間とはまことに不便な動物だ。
 ところがである。1、2日東京にいて、さて沖縄に戻ろうとすると、今度は「暑さ」がどんなものかが感覚で理解できなくなる。もちろん、頭の中では十分に理解できているのだが。さて明日は何を持っていくべきか・・・。とりあえず、コートを出して掛けてみる。さて、どんなものだろう?

ブーゲンビリア

2008年01月25日 | 家・わたくしごと
 数日前、かみさんがブーゲンビリアをどこかのフェアで買ってきた。南国特有の花で、赤紫色がとても鮮やかな花である。ここ数年前からは東京でも売られるようになったので地域限定というイメージが徐々になくなってきている花である。正確に言うと、花ではなくて葉なのだというが・・・。
 最初にバリに行った1983年に、私ははじめてこの花をみた。すっかり魅了されて、このとき、この日本で見たことのないような花をたくさんフィルムに納めた。私にとって、ブーゲンビリアはバリに行くたびに見ることにできる花になった。
 9年前に沖縄に住み始めた頃、この花があちこちに咲き乱れているのをみたとき、言葉には出せないようなある種の感動を覚えたことを記憶している。「バリの花」が今、私の住み始めた街のあちこちで鮮やかな赤を演出しているのだ。ブーゲンビリアだけではなかった。バリで見かけたいくつもの花、たくさんの木々が沖縄にもあるという喜びからか、私は沖縄を身近に感じることができるようになったのだ。
 そんなブーゲンビリアの鉢が、今、玄関に置かれて、少し肌寒くなった沖縄の風に当って、凍えているようだ。その分、見る者の心はポカポカと温まるのだけど。

邦画のバリ島珍道中

2008年01月24日 | 大学
 明日、大学の市民講座で講義をする。「アジアの映画と音楽」という連続講座で、明日はバリの特集なのである。さて困ったのだ。バリ島の音楽と映画といわれても、戦前に作られたもののいくつかはその映像を持っているが、最近の作品となると何があるだろう?
 最も新しいものとしてすぐに頭に浮かんだのは、映画ではないが数年前の韓国ドラマで「バリでの出来事」である。といってもバリは1巻目にしか出てこない。
 ジョン・ローンの「ラスト・ジゴロ」なんて映画があったが、あれはタイで踊られるバリ舞踊である。ビング・クロスビーとボブ・ホープの「バリ島珍道中」という映画があるが、これは名前ばかりでバリ島が舞台ではない。もちろん音楽も芸能も出てこない。さて、何があるか、と数日頭を悩ましたが、研究室に「ザ・スパイダースのバリ島珍道中」のVHSテープがあることを思い出した。まさにバリ島が舞台の映画で、音楽も舞踊も満載である。
 ということで、明日の講義で使えるだろうかと数年ぶりに鑑賞したのである。それにしても、バリ・ビーチホテルは建設されたばかりでピカピカだし、出てくる風景は今とは大違いである。1968年に公開された映画なので、今から40年前のバリの風景なのだ。なんだか歴史的映像を見ているようである。スパイダースがブサキ寺院でであったのが、人類学を学ぶ日本人のフィールドワーカーというのも面白い。すでにこの時代、長期滞在者は人類学者だったのだろうか?さてそんな目で映画見てしまった後、さて明日の講義でこれから何を語ろうか、とまさに今、頭を抱えているのである。

地蔵のような?

2008年01月23日 | 那覇、沖縄
 玄関の飾り物が変わった。クリスマス、正月とイベントが終るごとに飾りものが変わっていくのがわが家の玄関である。しかし飾り担当のかみさんは、「今日から変わった」なんて言わないので、自分でその変化に気づかなくてはならない。情けないことに、疲れて帰ってきたりするとすぐにはわからなかったりしてしまう。
 さて、たぶん今回もそんな状況だったと思うのだが、寝る前、電気の消えた玄関を通ったとき、はじめて飾り物が変わっていることに気づいた。
「ん? あれ?」
 なんだか暗闇で、それも横からみると、小さなお地蔵さんのオブジェが置かれているように見える。しかも中央には青絵の皿と石が二つ置かれており、右には南インドの香炉が置かれている。
「なんだ、なんだ?突然、祭壇になったのか?」
 石に対する信仰は世界各地に存在するし、バリにも神とされる石はたくさん祀られているのである。さすがに驚いて電気をつけた。
「地蔵じゃなくて、雪だるまじゃない?」
 そうか・・今は冬なんだ。考えてみればわが家の玄関は「季節」を感じる場所だ。沖縄だからこそ、一生懸命、季節感を出そうとかみさんが演出する小さなギャラリーなのである。もう2月になろうとしているのに、「雪だるま」が想像できなくなった私は、我に帰って、この小さな雪だるまのおかげで季節感をとりもどす。偶然なのだろうか、今日は東京も初雪らしい・・・。

二コマ漫画

2008年01月21日 | 家・わたくしごと
 5歳の甥は頻繁に作品をFAXでわが家に送ってくる。数日前にも二コマ漫画が送られてきた。
 一コマ目は、左に「あさ」と書かれているので、明らかに朝の風景である。食卓に座る男はたぶん作者である甥の父親で、彼の顔は明らかに、不満を持ちながら独り言を呟いている。眉がつりあがり、目が鋭く描かれている表情は「怒り」を表現しているのだ。この男性はなんと言って怒っているのだろうか?
 驚きはここに始まるのである。このひらがなを必死に呼んでみると、そこにはなんと「政治」が描かれている。この三つの台詞を続けて右から書くと「ふん、なんだこのしんぶんは。しんテロがきまった。」となる。正確に言うと「ふん!なんだこの新聞は!新テロ法案が(参議院に戻って)可決されたって!」と表現できるのだ。衆議院から参議院へ、そして再び衆議院で可決されたこの「ねじれ国会」の決議への不満である。
 しかし驚くのはまだ早い。夜の部、つまり二コマ目を見てみよう。左側では台詞はなくてもキッチンで母親が料理を作る姿をみてとれるが、重要なのは右側である。男(父親)は、会社から戻り再び新聞を読み始める。新聞と書いていなくても、もっているものが朝も夜も同じに描かれていることからそれが新聞とわかるのである。そしてこの男は、再び怒りの表情でこうつぶやいているのだ。
 「おっ?なんでだよ!」
 ようするに男(父親)は、会社から戻ってもなお怒り続けているのである。これは「何で」という表記がなくても新テロ法案であることくらい簡単に想像がつく。この二コマ目から、主人公として描かれている男の新テロ法案決議に対する不満がただならないことを感じるし、そこには日本の家族の姿、朝に食卓に座って新聞を読み、帰って再び新聞を読む一家の主人の姿もまた描かれる。まさに日本の家族、政治をこの二コマだけで簡潔に描いてしまうのだ。いわゆる時事漫画の原点である。もう一度繰り返すが、これは5歳の子どもの作品である。まさに脱帽・・・。


ほこてん

2008年01月20日 | 那覇、沖縄
 那覇で平日の昼はほぼ渋滞し、バスなんぞに乗ったものならこの1.6キロを抜けるのにひどい時だと30分もかかる、というのは地元民には悪名高き「国際通り」である。だいたいお土産屋が多く、それゆえレンタカーを利用した観光客も多く、とにかく個人的には四輪者では通り抜けたくない道である。ほとんどの公共バスはこの道を通り抜けるのだが、個人的に「バスの運転手さん、本当にご苦労様」といいたい気分である。
 さて、この国際通りも日曜日の12時から18時までは「トランジットモール」とよばれる歩行者天国となる。今は新宿も銀座も歩行者天国にはあまりお目にかからなくなった。しかしこの沖縄でこのトランジットモールが始まったのはほんの1、2年前だっただろう。
 きょうは所用で国際通りのそばにバイクを止めて、歩行者天国を少しだけ歩いた。車がいないとまるで違う街を歩いているようである。でも国際通りを歩行者天国にすることでその恩恵を受けるのは誰だろう?もちろん、慢性的にここにやってくる観光客にとっては、車を気にせず、道の両側の店を行き来できるわけだから便利である。しかしその一方で、レンタカーを使う観光客は不便なのではないだろうか?
 さて地元民にとってどうだろう。だいたい国際通りに行く地元民はスポット的にどこかの場所へ車で行くことが普通である。となると逆に不便だったりしないのだろうか?それとも歩行者天国だから、その日に合わせて地元民が遊びに来るなんてこともあるのだろうか?


ラマヤナと格闘

2008年01月19日 | 家・わたくしごと
 また「締切り」が近づいています。あと二日です。毎晩、インドネシアの古典文学「ラマヤナ」と格闘しています。まさにラーマ王と羅刹王ラワナが戦い続けているように。論文を書くにも体力がいることをこのところ切に実感しています。私の博士課程時代の指導教官はいわゆる体育会系でしたが、やはりそのくらいの鍛錬は必要なのです。それに比べて運動不足の私ときたら・・・。
 疲れてきたせいでしょうか、韻律詩を読みながら、悲しくも戦場に斃れていく武将たちの姿を思い浮かべるとなぜだか涙が流れます。もともと涙もろい私ですが、論文を書くための資料を読みながら泣いているなんて全く絵になりません。
 ラマヤナを読んでいて思うのですが、悪行は、将来必ず自分の身に降りかかってくることを痛感するのです。つまり悪行は、その何倍もの大きさの災難となっていずれは自分に戻ってくるのです。悪行が大きければ大きいほど、災いも大きくなるわけです。だからこそ、論文を書き上げなくてはなりません。「今回はいいや・・・。止めよう。」なんて悪い癖がついてしまえば、きっとそんな悪行がその何倍もの災いとなっていつか私に降りかかることになるのですから。私は期限までに論文が書けないことよりも、むしろ、そのしっぺ返しである「災い」の恐怖におののいているわけです。