Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

渋谷光塾ワヤン公演のお知らせ(12月5日、6日)

2015年10月30日 | ワヤン上演




 12月5日(土)、6日(日)14時30分から渋谷の光塾で今年で5回目になった恒例のワヤン自主公演を行います。例年は金曜日、土曜日でしたが、今年は諸般の事情で、土曜日、日曜日としました。
 演目は「乳海攪拌」。全18巻で構成されるマハーバーラタの第1巻「アディ・パルワ」の中の挿話で、不死の聖水であるアムルタを神々と魔物が奪い合うお話。アルジュナやビマなどのマハーバーラタにおなじみのキャラクターは出てきませんが、たっぷりお楽しみいただけます。
 お申込みは11月1日からで、チラシに書かれたメールのみで受け付けます。今年は定員を減らして2回ともに40名のみにしました。とてもアットホームな空間の中で、ワヤンをお楽しみいただけます。
 料金は、一般2,000円、小中学生1,000円、未就学児は無料です。
 なお、今年は10名限定で、6日11時からダラン体験ワークショップを開催します。実際にスクリーンの前に座って人形を操る機会はまずありませんので、それを体験していただきます。なんと、料金500円。
 今年も、多くの方々と会場でお会いするのを楽しみにしています!

ちょっと遅れましたが…

2015年10月29日 | ワヤン上演
 25日に名古屋でのワヤン公演、終わりました。いらして下さった方、ありがとうございました。写真は、上演前に演奏者だけの記念撮影です。皆、青色のお揃いのバジュ。恰好いいですね。
 今月は大阪で公演が2回、名古屋で1回の合計3回でした。来月はワヤンはお休み。とはいえ、学会発表があり、次の週には神戸芸術工科大学でジャウクのお話しと演奏、翌週はバンケンと静岡大学での演奏とワークショップとまだまだ予定は続きます。12月の自主公演に向かって練習の一か月。12月もワヤンは三公演です。
 自主公演が終わると1年が終わるわけで、あっという間の2015年という気がします。進歩しているんでしょうか…。

名古屋公演の朝

2015年10月25日 | ワヤン上演
 本日、午後1時30分より名古屋公演。朝5時15分起床です。まだ太陽は出ていませんが、マンションのベランダから見る朝焼けが美しい朝です。
 筋もセリフも頭に入っていますが、「笑い」についてはほとんど考えていません。最近は、大抵その場に行っから考えるようにしています。やっぱり「ご当地ネタ」を拾う方が面白いし、私自身も新鮮味があるのです。
 お客さんは楽しんでくれるかな、といつもドキドキの朝。今日は早起きすぎて、開演前に眠くならないかしら、と心配な朝。本番の日はやはり朝から、自分の中の何かが違うのです。

三島の湧水

2015年10月24日 | 家・わたくしごと
 バリの方と結婚する教え子に会いに三島に行ってきた。初の三島である。せっかく初めてのところに行くのだからと、直前にネットで三島のことを調べてみた。新幹線ではいつも通過するだけで地名以外では何が有名なのか全くわかっていなかったからである。
 三島市の観光のホームページを見ているうちに、富士山の湧水群が、三島駅のそばにあることがわかった。そこで用を済ませてから、ぶらぶらと歩いていってみたのだった。
 実にすばらしい湧水である。私の行った場所は一部で、本当にたくさんの富士の湧水が湧き出ているらしい。しかもこの三島、浜松に比べればそれほどではないが、「鰻」で有名なのだ。清流で泥をはいた鰻を料理するのだそうだ。実は浜松でもお店で鰻をまだ食べたことがないのだが、正直、三島の鰻の方がずっと新鮮で美味しく感じたのは、「隣の芝生が青く」見えたようなものなのだろうか?

お披露目

2015年10月20日 | 家・わたくしごと
 本日、カラスさんに目が入りましたのでお披露目です。少し塗っては1か月放置して、またちょっと彩色して3か月放っておかれ、といった繰り返しでしたが今月の大阪公演で目が入っていない状態ではじめて登場。名古屋公演では目が入ったので、元気よく「カーカー」と泣きながら大空を飛ぶはずです。
 そもそもカラスの人形の決まった形や色彩なんて伝統的なワヤンにはありません。すべては製作者の創作です。あまり形がリアルすぎて物足りないし、だといって色も真っ黒だと作る方も、見る方も、操る方も面白くありません。塗り始める前には、だいたい朝早くゴミ捨て場に集まるカラスを観察しました。その結果が反映しているとも思えませんが。
 それにしてもカラスをじっくりみると、本当に「真っ黒、黒助」なんだなと思いました。カラスは「不吉な鳥」として古代ジャワの物語の中では表現されています。でもバリでは日本ほどカラスの大群は見ません。不吉な鳥だから、日本みたいに毎朝、家の周りをうろうろされても困るか…。

2015年10月19日 | 浜松・静岡
 大阪でワヤンを上演し、その後、高校生40人とケチャをやったところで、突然、声に不調をきたした。確かに風邪もひいているのだが、声が出にくいというのはかなりの衝撃である。大学教員であり、ダランであることを考えると頭が痛い。きょうなどは3時間、続けざまに授業でしゃべらなくてはならぬのだ。
 喉に最もいい薬は「しゃべらないこと」らしい。とにかく効果を発揮しそうなのど飴をなめながら、ひたすら声を出さないこと。できるだけ今週はこれを実践するしかない。25日はワヤンの本番なのだし。
 朝夜もすっかり寒くなってきた。そんな気候もちょっとは関係しているのかしらね。今朝も上等な卵の黄身みたいな色の太陽が顔を覗かせている。一週間の始まり…。

龍山でのオルガンコンサート

2015年10月18日 | 大学
 私が監修している大学のコンサートの一つが、昨日、龍山という浜松市の中山間地で行われた。浜松市内から車で一時間半。天竜川沿いの別世界である。かつて林業で栄えた旧龍山村(現在は天竜区龍山)には、りっぱなパイプオルガンを設置した森林文化会館がある。浜松市は合併して三つもパイプオルガンをもっているのだ。
 しかし、もう10年近くこのパイプオルガンはコンサートで使われていなかったため、この音を再び龍山に響かせて、たくさんの人々に龍山へ来ていただこうというのが趣旨だった。学生主導で準備をするため、チラシ制作の段階から学生はがんばった。他県の山間部出身の学生もいて、こうした場所での開催を自身の経験からも強く願った結果なのだと思う。
 昨日のコンサート、雨模様の予報を覆して、龍山は快晴。たくさんの方々に来ていただき、大成功だった。まさに龍山にバロックから現代までのオルガン作品が、オルガニストの新山恵理さんの手で響きわたったと思う。なんだかすっかりくたびれたのか、打ち上げも断り、帰宅して20時半に寝る。演奏者、これまで準備してきた学生たちのおかげでぐっすりの夜だった。

大阪公演終了

2015年10月13日 | ワヤン上演
 昨日で二夜続いた大阪公演が終わりました。いらしてくださったお客様、お手伝いいただいたスタッフの方々には心から感謝いたします。両日ともお寺での公演でしたから、スタソーマ物語がとても合ったと思います。
 大阪公演というのはどこにもまして緊張感があります。ワヤンは「お笑い」ではありませんが、大阪の方は「笑いにうるさい」という感覚がどうしてもあるのです。誰も笑わなかったらどうしよう、という恐怖感のようなものもあります。
 今回は大阪のメンバーの方々からいろいろな、かつ貴重なアドヴァイスをいただき、なんとか二公演を乗り切りました。それが一番安心したことかしら。写真は昨日、新幹線の関係で打ち上げに40分だけ参加する前に撮影した通天閣。次にこの光景を見るのは2年後になるようです。それまでお互い元気でいないとね。

沖縄にバリ

2015年10月08日 | 那覇、沖縄
 沖縄の中でバリ芸能が上演されること。私には全く違和感がなくなりました。過去完了形で書くのは、沖縄で生活し、そこでガムランをやっていた頃は、芸能の盛んな沖縄の中でインドネシアの芸能を上演していたこともあり、時には「引け目」を感じていたことも事実です。
 ところが今、沖縄を離れて、沖縄の中にバリを見ても私は何か安心感のようなものを感じるのです。違和感なんてまったくなりました。もちろん初めてこの芸能を見れば「沖縄の芸能とは違う」という違和感は当誰でも持つでしょう。「芸態」という点で比較すれば、当然、別物なのです。しかし、その芸能を巡る環境や観客のまなざしは、大きく変わらないような気がします。
 今日、午後6時から首里城公園でバリの芸術大学の学生と沖縄県立芸術大学の学生が、ともに演奏し、踊るそうです。そういう時代になったことを本当にうれしく思います。こうして少しずつ沖縄の風景にバリの芸能が溶け込んでいくことを嬉しく思うのです。

胡蝶の舞(ハーベールー)

2015年10月05日 | 那覇、沖縄
 先日、沖縄の集落で見た舞踊の中に「胡蝶の舞(ハーベールー)」があった。なんと63年ぶりに復興した踊りだそうだ。バリではよく踊りの復興をしているし、実は私自身もバリで社会主義リアリズムを表彰した舞踊の復興に関わったことがある。復興というのは音楽、舞踊だけでなく、衣装も含めて結構、手間も時間もお金もかかるものである。
 この舞踊を復興するにあたり、村に住む若手を集めたそうだ。女性は踊りにたしなむ人も多く、すぐ見つかったそうだが問題は男性の方。そこで村の人々は、いわゆる夜中に徘徊する中学生や高校生に声をかけたそうだ。徘徊しないで、芸能に打ち込め、ということらしい。しかしそんな簡単にいくわけはないのだが…。
 今回の男性二人は、まさにその人物らしい。すでに踊りは3回目。「踊りたくない」「恥ずかしい」という気持ちが、ありありとその所作を通して読み取ることができたが、それにしてもりっぱではないか。二人はもともと三線が弾けるようで、獅子舞のときは踊りを終えた後の白塗りの顔のまま、地方(じかた)として演奏をしていた。今は恥ずかしいかもしれない。でもいつの日か、この伝統ある舞踊の復興にかかわり、後世にこの踊りが残されていく担い手であることに誇りを持つ日が来るだろう。