Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

今年を振り返って

2012年12月31日 | 家・わたくしごと
 怒涛のような一年でした。年明けからインドネシアの大学との協定締結の仕事、引越しの準備、浜松での新しい仕事、東京や大阪での新たな活動などなど。沖縄、大阪、名古屋、東京などなどの本当に多くの方々にお世話になった一年でした。おかげで浜松にも、新しい職場にも少しずつ慣れてきたような気がします。
 来年はまた忙しくなります。大学の授業も事務仕事も増えるでしょうし、学会の全国大会を浜松で開催しなくてはなりません。いろいろ考えると憂鬱ですが、一人で抱えないで、多くの人たちの力を借りながらがんばっていこうと思います。
 来年の目標は、といえば自分の研究以外には、健康維持、ワヤン全国ツアーの継続、そして「浜松ガムラン」です。将来的には日本のガムランマップに浜松を加えること、これが将来の大きな目標。たとえ舞台を作っても、一過性の演奏ではガムランマップに加わりません。そのためには続けること。このブログみたいにコツコツと…です。読者のみなさん、来年もよろしくお願いします。

Walter Spies: A life in Art

2012年12月31日 | 
 那覇から浜松に引っ越したとき、本をかなり整理した経験から、今後は本を買うのを控えようと決心し、現在は絶対に「今、必要」という本以外は買わなくなった。そうなると意外にに買う本というのは少ないもので、バリでも、継続講読している雑誌以外、今回は7,8冊の芸能や宗教関係のインドネシア語の本を買ったくらいである。
 さて、今回、悩んだのが写真のワルター・シュピース研究の大著。これはでかくて重い。内容は研究書としてもすばらしく、さらに画集としても質が高いのである。でも僕は音楽学者だし、今すぐ使うかといえば疑問。しかも値段も1万円近くする。悩んで、悩んで…でも結局、買うことにした。以下のその理由である。
・ゼミの学生が1931年のパリ植民地博覧会におけるバリのグループによる上演芸能の研究をテーマに選んだから。
・店の最後の一冊だったから。
・Amazonでなぜかヒットしないから。
 一つ目の理由は若干のこじつけでもあるが、シュピースはこの公演に深く関与しているし、かなりの演出を加えた可能性もある。じゃあ、大学で買ってもらえばいいじゃない、となるのだが、そこはやっぱりPの病気。手元にないとだめなのである。二つ目については、まあ、本でなくてもよくあることで、特売で最後の一個残った洗剤とか、つい買っちゃうみたいな…。三つ目は検索の仕方が悪いのかなあ。ということで、悩んだわりには勝手に理由を作って、最後はあっけなく購入となる。私の大学の学生諸君は研究室にくればこの本が見られる。

ワヤン・ジョブラル wayang joblar観劇

2012年12月30日 | バリ
 舞台装置、人形の種類など、伝統的なワヤンに改良を加えた新しいワヤン wayang inovasiの二大巨頭が、ワヤン・チェンブロンとワヤン・ジョブラル。しかし、ジョブラルはまだ販売されている映像でしか見たことがなかった。偶然にも日本人の友人がデンパサール郊外のオダランで上演されるワヤン・ジョブラルの情報をもたらしてくれたおかげで、昨晩、初めて観劇することができた。
 やはり一時の流行ではなく、息が長いワヤンだけあり、その人形の扱い方から声の出し方、しかもチェンブロンと同様に人を沸かせる話術に長けたダラン。音楽も人形とピッタリ。最近のチェンブロンはわからないが、このダラン、キーボードを使ってダンドゥットやポップを歌う。もうガムランだけがワヤンの伴奏楽器ではなくなっている。効果音は電話のベルから、矢の飛ぶ音まで10種類位は仕様。キーボード兼音声担当もたいへんである。
 伝統的なワヤンの手法で上演する私は、こうしたワヤンに全く興味がないわけではない。ここまでバリのワヤンをイノベーションすることが可能なのだ、という一つの事例を学ぶことは需要だ。ただ、自分が今、このような新しい手法を採用するかといえば、それはNOである。私は伝統的、古典的な枠組みを崩してまで新しさを模索するのでなく、その枠組みの中で可能な限りの新しさに一つずつ挑戦していこうと思う。とにかく多くのヒントをもらったワヤンだった。疲れているのに夜4時を過ぎても眠れないという心地よい興奮を久しぶりにたっぷりと味わう。

おもちゃ屋

2012年12月29日 | バリ
 子どもが小さかった頃は、海外に行ってもよくおもちゃ屋に行った。今でもオランダのライデンやデンハーグ、ユトレヒトのおもちゃ屋の場所をすぐに思い出すことができる。バリに子どもを連れて行った時も、ショッピングモールなどのおもちゃ屋に寄ったが、日本やヨーロッパと違って、子どもにはそれほど充実感はなかったようで、いつもがっかりして店を出たことを思い出す。
 クリスマスの日にたまたまおもちゃ屋の前をバイクで通った。中には入らなかったが、ジャカルタのショッピングモールのおもちゃ屋と違って、やっぱり「あいかわらず」の品揃えなのだろう。それでもクリスマスにはプレゼントの習慣がバリの人々にも少しずづ定着しているのか、親子連れの姿が目立つ。
 子どもにとっては宗教なんて関係ない。プレゼントさえもらえればそれでいいのだもの。僕だってクリスマスがカトリックやプロテスタントにとって重要な祭日であることを知ったのはずっと後のことだから。やっぱりクリスマスは、子どもにとって、両親とサンタから「プレゼントをもらう日」。

バリ人たちの儀礼に関する議論

2012年12月28日 | バリ
 カランガッスムのブダクリンに近い集落で、ある私の質問をきっかけに実に長い儀礼に関する議論が始まってしまった。私が長年調査している儀礼が近年に共同化され、それが私の研究対象でもあるのだが、私の世代の演奏者にとっても興味の対象だったらしい。しかも、その儀礼が数日前に彼らが住む県でおこなわれたばかりだったからだ。

 その議論は、ほとんどその儀礼の是非を問うもので、私はクリフォード・ギアツの儀礼論の論文の中に、同じようにバリ人同志の儀礼に関する朝まで続く議論が載せられていたことを思い出した。今回の議論では、伝統主義者たちは今回の儀礼は本来の儀礼の意味を失っている、という主張を繰り返し、一方、儀礼改革を認める側は、これは「経済的」に見ると実に合理的なのだ、という論でその正当性を主張した。

 ただ、この二派の議論は正直なところかみあっていないのである。なぜなら、儀礼論VS経済論では、どんなに激論をかわしても勝者と敗者には別れない。私としては相互が儀礼論を軸にして議論を展開して欲しかったのだが、しかしながら「経済性」という問題は、バリの儀礼にとって大きな問題になっていることは事実だ。

 最近、自身の論文にも書いたのだが(刊行は3月)、「経済性」を優先するために、儀礼に対して教義に沿った新たな解釈を加え、それを公的な宗教組織が正当化することで、それまでにはありえない方法で儀礼を「実践」してしまうという現実を目の当たりにした。しかし、私はそうした儀礼の方法に対して「一言いわせてくれ」という人々が、宗教的知識人ばかりでなく、身近に存在することに驚いたのである(私が訪れた場所が保守的な地域であることも無関係ではないだろう)。私は学者だから、論文を通してその現実を考察するに過ぎないのだが、彼らにとっては目の前で起きている現実であり、ただ目をつぶって通り過ぎるのを待つわけにはいかなかったのだろう。

 音楽調査に行ったつもりが、なんだか別の研究資料を彼らの「語り」からたくさん提供してもらった気がする。しかしこれもまたフィールドワークの醍醐味である。

満面の笑みの先にあるのは…

2012年12月27日 | バリ
 まあ、旦那衆、満面の笑みを浮かべちゃってねえ。今日は神聖なる儀礼での演奏なんですぜ。もう酒の時間ですかい?メンバーの一人の家族が亡くなってまだ喪が明けていないことがわかり、急遽、寺院の外庭で演奏することになったとはいえ、まだ2曲しか演奏しとらんでしょう?えっ、清めの酒?
 このグループと知り合ってちょうど2年ですね。この瞬間を待っているんです。休憩にコーヒーや紅茶なんて洒落たものは飲みません。寺院の当番さんたちもその方が楽ですよね。準備しなくていいんだから。これだけはどこへ行くにも絶対持参するね。
 バリ中西部が調査地の中心だったボクには、まだこうした風景がかなり新鮮です。ワヤン一座の演奏者達は、ダランに出されたビールを上演中に横取りしてちびちびと飲むことはありましたが、こう大胆飲むなんてね。
 「今日の旨いよ、さあ、あんたも飲みなよ。勧められたら、飲めなくたって一杯くらいはもらうのが礼儀だよ。」
 飲めます!好きです!10杯だっていけます。特にヤシの木からとれたての酒は最高でしょう。でも演奏しましょうね。いいですか?もう一度いいますが、今日は寺院のお祭りなんです。結婚式の余興でも、練習でもないのよ。
 

このワヤンは誰でしょう?

2012年12月26日 | バリ
 デンパサール特別区には数カ所にワヤンの人形を型どった飾りが立てられている。なぜ「ワヤン」なのかはよくわからないのだが、バリではマイナー芸能のワヤン人形だから、こんな形になって街に登場すると、ワヤン好きの自分としては心が躍るのである。
 ここはププタン広場のチャトル・ムカのある十字路だが、ここにも大きなワヤン(まるで看板のように)が数カ所に立てられている。しかも夜になると、その周りにLEDのライトがついて、輪郭が浮き上がるようになっている。決してクリスマス・イルミネーションではなく、年中、光っているのである。実は、建物の輪郭をイルミネーションするのは、バリ人の得意の手法なのだ(それ以上、発展しないところが残念)。
 さあ、このワヤンは誰でしょう?僕の最近のワヤンを見た人、わかるよね。ここには、写真のアルジュナと、もう一つ、クリシュナがピカピカに光っている。一部の創作系ワヤンが娯楽化に暴走し、一方、伝統的なワヤンの衰退にはもはや歯止めがきかなくなったバリ。ダランはいても、頼まれなければワヤンは上演されない。この看板はいったい道行くバリ人達に何を語っているんだろう?

新しい歩道(だそうです)

2012年12月25日 | バリ
 デンパサール市内は今、歩道の整備が進んでいる。バリで歩道なんてものは、あってないようなもので、とにかく穴ぼこがやたらと多くて、僕はそんな穴に転落した日本人を何人も知っている。その歩道を整備するなんてすごいじゃないか!
 しかも歩道にマンホールが登場である。このがんばりようは、賞賛に値するだろう。しかも、ちゃんと地域名が鋳造されているのである。これでバリ舞踊のデザインだったら、もう完璧であろう。
 しかし、しかしだ。これでいいんだろうか?この道は本当に出来立てのホヤホヤらしいが、すでにマンホールのまわりの舗装用タイルは、はずれてボロボロになっている。たぶん、あと一週間もすると、まわりからタイルが次々に取れていき(もしかすると剥がされるかも)、結局、元に戻っていくのだ。公共整備に予算を投資しても、それを活かす技術が追いつかないのでは公共投資の意味がない。ね、コディア(デンパサール特別区)のお役人の皆様方?(しかし、十分な技術があって、公共投資された道があっても、使われなければ意味がない。ね、日本のお役人の皆様方?)

日本の恋とユーミンと

2012年12月23日 | CD・DVD・カセット・レコード
 このCDのコピーを考えたライター、すごいと思いました。「日本の恋」ね。まあ、日本っての大げさかもしれないけれど、ある特定の世代(結構、幅はあると思いますが)にとってユーミンはきっと生活の一部だっただろうし、そんな生活の中で成就したり、しなかったりした「恋」もきっとたくさんあったんだろうし。日本人の喜怒哀楽の中できっとユーミンも聞かれていたのでしょうね。
 CD全三枚、やっと全部聞きました。正直、疲れました。何に疲れたかって、そんな音楽を聴いていた時代を振り返るのにぐったりしたとでも言いましょうか…。特大の大盛りのカツ丼を食べた感じですね。特に野菜炒めがカツの上に山盛りにのっている沖縄の食堂で出るようなやつです。
 そうそう、1週間前くらいに書いた《12月の雨》、DISC1の15曲目に収録されていました。その次の曲が《HAPPY NEW YEAR》だもの。この時期に聞くには憎い演出だわ。それにしてもベスト盤に収録されている曲がまったく年代順ではないというのは面白い。それに対応して、自分の過去を思い出すときも、三歩歩いて、二歩下がるみたいな、行きつ戻りつで忙しいから、それはそれで楽しいかも…。

サンタさんは大学にもいたんだね

2012年12月22日 | 大学
 朝、研究室に入ろうとしたら、扉に写真の紙が貼られていて、書類をいれるポケットに駄菓子が二つ入っていました。腰痛で無茶苦茶辛かったんだけど、おもわず微笑んで…、サンタさんからもらった幸せでいっぱいになりました。大学にもサンタさんいたんだね。でも、ちょっぴり資金に困窮してるのかな。NPO法人にしてもっと寄付とか集めればよかったのに。
 「知らない人からモノをもらっちゃいけません」と子どもの時、親や先生から教えてもらいました。そう考えてみると、サンタさんだって知らない人じゃん、もらっていいのかい?だいたい日付が21日だから、サンタが来るにはちょいと早いぞー。もしや偽サンタかい?
 いえいえ、大学のサンタは、ちゃんと先生たちの予定を把握してるんだよね。ぼくがクリスマスには日本にいないってことも。素敵なサンタさん、本当にありがとう。やさしいサンタのあなたにも素敵なクリスマスが来ますように。そして幸せいっぱいの新年がやってきますように。私から芸文のサンタさんへ、Merry Christmas and Happy New Year !