Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

CDラジカセ

2009年01月31日 | 家・わたくしごと
 ラジカセという言葉は現代の日本においてはほぼ死語となってしまったが、わが家ではCDが使えるCDラジカセがまだ現役で、このところは、息子が部屋でCDを聞くためにフル稼働している。
 さてこのCCラジカセだが、息子がかみさんと東京に行っている間、ちょっと借用して枕元で眠るときにCDを聞くのに使っている。子どもの頃から、クラシック音楽のレコードやカセットを流しながら眠る癖がついていて、結婚してからはそれもできなくなったのだが、やはり一人になるとどうしても音楽を聴きながら眠りたくなってしまう。20年以上、音楽を聴いて眠ったせいか、当時聞いていたクラシックは妙に今でも記憶しており、オーケストラのほんのわずかな響きを聞いただけで、たいてい作曲家、作品、楽章などがわかってしまう。こうした不思議な能力は現在の職業にも多少とも役立っているのである。
 さて昨晩、眠るときに何を聞こうかと考えた。クラシックのCDといっても家にはほとんど置いていないし、現代音楽はちょっと眠るにはきついものがある。そこで選んだのが、ヒーリング系の韓国人作曲家でピアニストでもあるイルマの作品集。「バリのガムラン演奏家がイルマのピアノかよ」なんて軟弱視されそうだが、私はそんな男です。文句あっか!

うなぎ弁当

2009年01月28日 | 家・わたくしごと
 日本人はやたらと迷信を信じ、願をかける国民であると、いつぞやテレビで放映されていた。その番組の中で、日本に住む外国人がそんな話を聞くと、「不思議」、「理解不能」と首をかしげていたことを記憶する。さて、私はどうか?と問われれば、やっぱり迷信、願掛けをこよなく愛する日本人である。
 日曜日、息子が第一志望の中学受験会場に行くのに弁当を持参した。試験は午前9時から午後3時まで。中学受験のわりには結構ハードであり、集中力がためされるような試験だ。この弁当にかみさんは「うなぎの蒲焼」を入れたのだった。弁当に何を入れれば縁起がいいのかはまったく知らないし、だいたいかみさんは弁当の中身まで縁起物で満たそうなんて全く考えないタイプである。さてうなぎについて考えてみた。
①鰻はヌルヌルして、なかなか持てないし、手にもってもツルリと手から下に「落ちて」しまう。つまりこのおかずは相当に縁起が悪く、不吉ということになる。
②鰻を使った言葉に「うなぎ昇り」がある。つまり、下にではなく、川上へと力強く上り続けるわけだ。ということは、うなぎは「昇り調子」となるすばらしい縁起ものということになる。
 さてわが家はどちらだったかといえば、本日、合格通知を受け取ったことで、②に該当したのだった。あくまでも結果論にすぎないのだが。

『ガムラン、ゆらぎの音色』

2009年01月27日 | 
 大学の後輩で、バリを愛するガムラン仲間の一人が本を出した。『ガムラン、ゆらぎの音色』。昨年末には送っていただいたのに海外調査やら、帰国してからの忙しさの中でなかなか落ち着いて読む時間がなかったが、本日、すべて読み終えた。
 著者のバリのガムランに対する気持ちが文章から伝わってくるし、音工場ではバリの講座生、しかし本職はプロカメラマンの写真もまたすばらしい。またガムランを知るための基礎的な知識もこの本から学び取ることができるように工夫されている。
 彼女の文章から感じることは、常に自分が日本人であり、バリを通して日本人である自分や日本を見つめなおそうとしていること。日本人として日本でバリの音楽活動をする著者の立ち位置がはっきりわかる。そんな彼女の作曲した作品が二曲、付録のCDに収録されている。ガムランの「ゆらぎ」と、本の表紙を飾った寺院の前のペンジョールが風で前後左右に「揺らぐ」そんな錯覚を覚えるような作品。


卒論・修論・博論

2009年01月26日 | 大学
 この2週間、卒業論文、博士論文、修士論文と口頭試問が続き、ほんとうに多くの論文を読んだ。疲労困憊ではあるのだが、相当に博学になった気もする。
 それにしてもこんな短期間で、どれも別々のテーマ、異なる研究方法の論文を読むことは、この時期以外はありえない。インドネシア関係の論文は一本もないためにそれなりに新鮮ではあるのだが。
 すべて読んでみて思うのだが、やっぱりその論文は学生たちの過ごした学生生活や研究に取り組む態度が反映しているわけで、深読みすれば、今後のその学生の生き方まで見通すことができてしまうのではないかと思ったりもしてしまう。いやいや、考えすぎか・・・。

はっぴいえんど

2009年01月21日 | 
 ポピュラー音楽論の授業の準備のために最近は、日本のポピュラー音楽の本をよく読む。結構な冊数の本を買ってはいるのだが、授業の準備のときくらいしか読むことがない。二週間ほど前に手にした本が写真の「はっぴいえんど伝説」。これも熟読した記憶のない本だが、やはり日本のロックを語る上でははずせないグループだし、高校のとき《風をあつめて》を聞いて以来、お気に入りのグループの一つである。読み進むにつれ、やっぱりこの世に登場するのが10年早かったんだなと納得する。
 読み終わったあと、私は完璧に1970年にタイムトリップしてしまったようで、久しぶりに口ひげをはやし、服装も30年前を意識したあやしい容貌と格好へと変身してしまった。ゼミの学生には「昔の革マル派の学生みたい」と言われ、まさに完全に流行遅れ(あるいは現代におけるニューモード)を実践しているのである。しかし、その時代の音楽を聴くときには、その時代のファッション・モードになることで、より味わい深く音楽を聴取できることを私は知ったのだった。考えてみれば、すごい発見であり、体験ではないか!

大晦日は大賑わい

2009年01月16日 | バリ
 12月31日、本日は帰国日である。といってもフライトは夜中の1時なので、正確には元旦を空港で迎えることになる。航空会社のオフィスに電話を入れてリコンファーム。そのときに電話でこう言われた。
「今日の夜は新年でバリの人たちが車でクタ方面に向かうので必ず道路が渋滞します。ですから早くホテルを出て出発の二時間前には空港に到着するようにしてください。ごめんなさいね。」
 別に電話先で謝ってもらわなくてもいいのだが、なるほどその通りである。新年の夜中は酔っ払いは出没するし、空港に向かうバイパスはかなりの渋滞になるのだ。私の先生は新年にカランガッセムからデンパサールに帰る途中、酔っ払いに車を囲まれて棒で車をたたかれて、ボコボコにされたといっていたっけ。電話をかけてよかった、よかった。空港で待つ方が気が楽なのでデンパサールを夜8時に出るようにスケジュールを組んだ。
 もう外では子供たちが待ち切れずにトロンペットをブー、ブーと鳴らし始めた。写真の紙製吹奏楽器がトロンペット。夜になるとバリ中でこの音が鳴り響き、花火や爆竹で煙る。早いものだな。去年もここで年越ししたのだっけ。あっという間に一年が過ぎる。来年もよい年でありますように(そんな悠長なことを言う前にまず空港に到着しないと!)。(12月31日記す)

朋有り近辺から来たる・・・そしてわが身を省みる

2009年01月15日 | バリ
 今回のインドネシア滞在最後の夜、調査地から戻って、私と一緒にガムランの演奏している沖縄の友人たちが部屋に集まった。彼らは私がデンパサールで宿泊している場所の近辺に住んでおり、それぞれの下宿までバイクで3分程度の距離である。最近、頭痛がすることからアルコールを飲むことが少なくなったが、今回の調査もこの日で一段落したため、最後の夜の宴会となったのである。といっても皆、夕食後なのでビールとおつまみだけで床に座って小宴会が始まった。もちろん今回の滞在中、最初のビールである。
 宴がたかなわになると、それぞれバリに対する思いや、芸能に対する姿勢などが語られて面白い。日本ではなかなかこんな風に話す時間もないが、音楽や舞踊に対する思いについていったん語りだすと、二人ともアルコールの力も手伝ってか誰もが止まらなくなってしまうもの。
 二人が帰って一人になると、なんだか彼らがうらやましくなった。このところ仕事がらみの調査でバリのあちこちを走り回りことが多くて、若かったころのように落ち着いてワヤンの上演や曲を学ぶことができなくなった。もちろんこうして仕事で来られるようになったことは、かつてのように貯金を取り崩しながら勉強していたことを考えればありがたいことなのだが、その分、当然のことながら自分の行動は制限される。バリで経験した純粋な意味での「習得」を目指すフィールドワークにもう一回挑戦したいと真剣に考えてしまった。今度は一人でなく、息子がついてきてくれればいいのだが、彼にも彼の人生があるのだし・・・。やっぱり勉強は一人でやらないとね。


おっとっと階段

2009年01月14日 | バリ
 この階段、バリの芸術高校のホールにつけられた階段である。ちょっと見ただけではなんの変哲もない階段に見えるが、よく見てみると何かおかしいことに気づくだろうか?実はこの階段、上から下りていくと最初の三段とそれ以外の高さが違うのである。
 日本人だからなのかもしれないが、不思議なもので山登りでもなければ、階段の高さは同じだと考えている。そのため一段降りたところでそれ以外も同じ高さの階段だと脳が指令を出してしまうのだが、この写真の階段、その指令通りに降りていくと、4段目に降りた瞬間、「おっとっと」となる。つくはずの階段に足がつかないわけだから。
 ある意味これはとても危険である。場合によっては捻挫をしたり、転げ落ちたりすることだろう。事実、私は統計局のこの手の階段から足を踏み外したことがあるのだ。しかしこの手の階段はバリでは日常である。階段の高さは同じだ、と考えること自体が間違っているのであり、バリの人々の脳からは、常に階段の高さは違うものだと信号が送られているため、運動神経は、階段の高さの違いにもしっかり順応する。郷に入れば郷に従えであるが、階段の高さについてはなかなか対応できるものではない。ちなみにこの写真の階段で私自身も「おっとっと」だった。それだけで済んだことが幸い・・・。


お気に入り

2009年01月13日 | エッグカップ

 かみさんが約2年探し続けていたエッグスタンドを、偶然にYahooオークションで見つけて落札した。そんなエッグスタンドが今日、家に届いた。
 ステンレスで作られたこのエッグスタンドを最初に見たのは、オランダの小さなホテルの朝食である。それ以来、彼女はこのエッグスタンドに一目ぼれして探し続けてきたのだ。しかしエッグスタンドでゆで卵を食べる習慣のない日本で、探し物を見つけることは難しい。そうなるとインターネットであるが、なかなか見つからないのである。それが先週、偶然にも4個セットでオークションに出たのであった。
 ステンレスのワイヤーは一見、不安定のように見えるのだが、なかなかすばらしい逸品である。はたして現代的な香りのする新しいエッグスタンドで食べるゆで卵の味はいかに?


選挙半年前?

2009年01月13日 | バリ
 インドネシアでは来年の6月頃、県議会、州議会、大統領などさまざまな選挙がおこなわれるため、もう新聞にはそんな話題が満載である。日本ならば半年前の選挙ポスターが貼られることはありえないが、インドネシアではもうすごいことになっている。特に信号待ちのある交差点などは数十人のポスターで埋め尽くされる。ポスターといっても紙製ではなく、ビニールに印刷されたほとんど看板のようだ。
 このポスター、実は都会ばかりでなく、相当に山間部の集落にも掲示されていて驚いてしまう。私の調査地では、このポスターが一晩でそっくり他の党のものとすり替えられたりするそうで、すでに選挙はかなり白熱しているようだ。
 タイでは選挙をめぐり、空港が占拠されたり、暴動が起きたりと不穏な情勢が続いていることがインドネシアのテレビニュースでも伝えられていた。
「タイでデモのする人たちの服の色が赤色になったり黄色になったりするのって、インドネシアと似ているね。でもインドネシアには緑もあるよ。信号みたいだよね。バリは大丈夫だよ。バンコクみたいになることはないって。」とまるで他人事のようである。来年の選挙が無事に終わりますように。