Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

東北は台風の真っ只中

2016年08月31日 | 家・わたくしごと

 東北がまさに台風真っ只中だった時間、浜松はたそがれ時。大型台風が同じ日本に上陸していることがまるで嘘のような風景。テレビをつけてもそれを実感することが難しい。もちろん、実感しよう意識していていても、である。
 沖縄にいたとき、本当に多くの台風を経験した。外に出れない日が何日も続く台風もあったし、近くの街路樹の木が何本もなぎ倒されるような強風も経験した。どこにも出られないので、そんなときは、台風が早く通り過ぎるのを待ちながら、息をひそめて部屋の中でぼんやりニュースを眺めた。朝、昼、夜の全国のニュース、もちろん沖縄のニュースのことをトップで扱った。でも数分で終わって、あとは他のニュースだった。沖縄の台風なんて当たり前だし、まあ仕方がないか、と思われているようでなんだか寂しかった。本土の人にとって、沖縄の台風なんて関係ないんだろうな、どうせ、そっちは晴れているんだしさ。そんな風に思ったものだ。
 でも、こうして浜松に住んでしまうと、やっぱり距離の離れた場所が、暴風雨で襲われていたとしても、やっぱり実感がわかない。こちらは晴天だもの。それが「現場」の重要性なんだろう。現場を実感しなくてはやっぱり、バーチャルの感覚になってしまう。ただ、沖縄に長くいた私としては、今住んでいる場所から離れたところに上陸した台風をリアルに実感できないとしても、やっぱり被害がないことを浜松から祈ってしまうのだ。

 


アンクルン・クビャルに胸躍る

2016年08月30日 | バリ

 自分の所有している大編成のゴング・クビャルは今、沖縄のガムラングループに託してあり、沖縄のメンバーが使ってくれている。楽器が次世代に受け継がれていると思うと、とても嬉しい。浜松ではガムラン・アンクルンという4枚の鍵盤(板)がついた小さな楽器を演奏している。たまたま私が浜松にこの楽器を1セット持参したことと、大学がこの楽器を授業用に購入してくれたからである。
 日本ではほとんどのグループが、今は、ゴング・クビャル、スマル・プグリンガンといった大編成のガムランを演奏している。音階も5音階だし、音域も広いため、音楽的な表現も当然豊かになる。ようするに、4つしか音がなく、音域も狭いガムラン・アンクルンよりずっと面白いのである。浜松でガムラン・アンクルンを続けているのは、もちろん大学の予算上や置き場の問題もあるが、正直、私はガムランを始めたときからガムラン・アンクルンが好きなのだ。大学1年生の頃、民族音楽学の教員の家で最初に始めたガムランは、ガムラン・アンクルンだった。この楽器が私の出発点である。その後、さんざんゴング・クビャルを演奏してきて、再び、またガムラン・アンクルンに戻ってきたのである。
 写真のガムラン・アンクルンは、火葬儀礼の会場。日陰の涼しい場所でガムラン・アンクルンを演奏している。もともとガムラン・アンクルンは死者の魂を天に導くための音楽を奏でるのだ。しかしこのときは、ゴング・クビャルの儀礼曲をアンクルンに編曲した作品を演奏していた。とにかく、恰好いいのである。胸躍る、とはまさにこのこと。4音音階の大音量のシャワーを浴びると心臓が高鳴る。やっぱり好きなんだな、と思う。ゴング・クビャルを演奏することにほぼ未練はないのだけど(だいたい、重くて運ぶのがおっくうである)、やっぱりあの大音量と独特のスイング感はたまらない。4音音階のガムラン・アンクルンでクビャルの派手派手な作品を演奏するなんて、いいじゃないか。いつか浜松にそんなグループができたら本望である。


やはり火葬儀礼は熱くて、暑かった…

2016年08月29日 | バリ

 バリに通い始めたころは火葬儀礼を見るのが珍しく、よく見に行ったものだ。火葬そのものより、そこで演奏される多種多様なガムラン音楽に興味があってよく通った。当時のスライド写真もたくさん残っている。ところがこの10年はほとんど火葬儀礼に足が向かなくなってしまった。もちろん火葬儀礼を知らない学生などを案内することはあっても、関係者の火葬儀礼でなければ、「ただ見るために」行くことはなくなった。いろいろな理由があるが、その一つは、熱くて、暑いからである。
 当然、遺体を火葬するため「熱い」のである。そして、儀礼は雨の降らない季節の「真っ昼間」に開催されるわけだから、当然、暑いのである。太陽が天頂にある時間、この火葬儀礼会場にいるのは、熱中症との戦いといっていい。わずかな日陰があれば、多くのバリ人はその場所に「押しくら饅頭」のように集まってくる。それはそれで暑苦しいのである。
 久しぶりにカランガッスムの火葬儀礼に行く。目的は音楽以外にも知人に会うことだったが、それはそれでとても多くの成果があった。と同時に、なんだか若い頃、こんな光景に胸を躍らせていた自分を思い出せたことが一番よかったかもしれない。歳を重ねていることが原因なのかどうかはわからないが、なんとなく最近、「初心」を忘れかけている。だからこそ、そんなことを考える機会になった。しかし、やっぱり、火葬儀礼は熱く、暑かった。帰って「ぐったり」だったことはいうまでもない。


儀礼衣装や生地を買うなら

2016年08月28日 | バリ

 ご存じのようにバリではとにかく儀礼が多い。必然的に儀礼の衣装を着る機会も多い。日本のように冠婚葬祭に着用するなんてレベルではなく、場合によっては1年210日のうち3日に一度は着ているのではないかと思うほどである。
 日本の礼服は、そうそう「流行」によって変わるというものではないが、実はバリの儀礼衣装は「流行」による移り変わりが激しく、数年で変化していくのである。特に女性の儀礼着であるクバヤの変化はあまりにもめまぐるしい。もう面倒だから、「変えない」という人もあれば、「流行」に乗り遅れまいと必死に、「今」にしがみつく者もいる。当然、そうなればお金もかかるのである。男性着だってまったく変わらないわけではない。しかも、頻繁に着用するわけで、1枚あればいいというものでもない。そうなれば、やはりできるだけ安く、生地や儀礼着を手に入れたいと思うのは当然である。
 さて、このお店、トコ・ニョマン。日本語に訳すと「ニョマンさんのお店」となるが、日本人のバリ通の方でご存じの方はいるだろうか?私がこの店を知ったのははるか昔のこと。ラジオで宣伝していたことから知ったのだった。しかも場所がクディリのパサールの傍。まず外国人であれば、タバナン方面に行く用がなければ決して足を踏み入れない街なのだ。この店、とにかく儀礼着をはじめ生地が安い。だからデンパサールからも多くのバリ人が買い物に来るのである。
 さてさて、今回もトゥンジュクの帰り、なんとなくこのトコ・ニョマンに足が向いてしまうのであった。そして持っているのにもかかわらず、またまた上着(サファリ)を一枚購入してしまったのだった。これでダラン用のサファリは三枚になってしまう。まあ、たくさん上演して、毎回、違うサファリを着ればよいのであるが。


7月末のミニトマト

2016年08月27日 | 家・わたくしごと

 いろいろと余裕がなく、約一ヶ月もブログを書かず、このまま無くなっちゃうんじゃないだろうかと、思われていた方、たくさんいらっしゃることと思います。そういうつもりはないのですが、とにかく忙しいのと身の回りでいろいろなことが起きすぎたため、その対応であっという間に1ヶ月が経過した、という感じです。
 さて、以前に、二度掲載したミニトマトの苗ですが、それはそれは山のように甘いトマトが収穫できました。国分寺に行くたび、収穫したトマトをたくさんもらって、浜松で日々、トマト三昧でした。写真は7月末に撮影したもので、この時ですら、すでに収穫がほとんど終わりかけています。今はさすがにもう無いでしょう。
 8月に8日間だけバリで調査しました。時間がないので動けるだけ動いて、やることを一つずつ片付けました。これから日本でそれらをまとめたり、論文を書いたり、大学では9月1日から会議が始まります。もう長いことインドネシアで調査することは立場が変わらない限りは難しいですね。文化人類学の研究者がいっぱいの大学や研究機関であれば、少しは違うのかもしれませんが。
 少し落ち着いたので、また少しずつブログを書き始めようと思います。