Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

Afganを聞く

2008年09月30日 | CD・DVD・カセット・レコード
 インドネシアで調査中、私が下宿していた家の男の子(といっても28歳だけど)が、46歳の私に「部屋にいるときは、いつもインドネシア・ポップ聞いているけど、それ、インドネシアだと大学生くらいまでしか聞かないんだけどね。」と言って笑っていた。まあ、そう言われれば、歌詞の内容はほとんど恋愛の内容だし、なんとなく切ないものばかりである。
 インドネシア人がどうであれ、私は、ポップ・インドネシアの甘い旋律や切ない歌詞が「好きだから」である。多くがとてもメロディアスで、あまり凝った編曲がないため、J-POPを聞きなれていると「古い」感じがするかもしれないが、そんなところが「おじさん」の心をくすぐるのである。
 Afganはまだ19歳の男性シンガーで、ネットなどですでに知ってはいたが、今回、ファーストアルバムをインドネシアで購入した。YOU TUBEなどでPVが見れるので興味のある方はご覧あれ。「恋愛に感謝」(恋愛して成長した)とか、「サディスト」(女性にいじめられても待ち続ける男性)とか、なんだかひ弱な男性像が描かれている気もするが、こういう男性がインドネシアでは受け入れられる時代なんだろう。ポピュラー音楽に描かれる男女の関係は、ある意味、その時代の男女の有り様を象徴しているわけだし。

サガリバナ

2008年09月29日 | 家・わたくしごと
 サガリバナを知っていますか?インターネットで調べると、奄美大島以南に生息する花で、夜に咲いて、朝にはもう落ちてしまうのだそうです。
 今日は朝から食卓で甘くやさしい香りが漂います。ふと食卓を見ると、水をはったガラスの器の中にサガリバナがたくさん入れられています。そこから花の香りがほんのりと香るのです。
 子どもをバス停まで送ったとき、そこにいつもたくさんのサガリバナが咲いているそうで、落ちたばかりの花を今朝拾ってきたそうです。バリでは地面に落ちた花は供物には使いませんが、まあ、供物ではないのでいいことにしましょう。
 ささいなことですが、沖縄に住まなければ体験できない香り。そして、どんなアロマよりも気持ちのよい朝の香りです。

新しいエッグスタンド

2008年09月28日 | エッグカップ

 エッグ・スタンドが好きである。今日の朝のエッグ・スタンドは、最近、ヨーロッパに旅行をした義理の妹夫婦がオランダで買ってくれたエッグ・スタンド。チューリップがかわいい。
 使う器を食べ物にあわせて日々変えていくというのは理想的ではあるが、なかなか毎日の生活では器を楽しむ余裕がない。それでも、せめて「茹で卵」をのせるスタンドくらいは、かえる楽しみがあっていいのではないだろうか。
 買ったときの思い出や、いただいた人への感謝とともにいただく朝の茹で卵・・・。


和菓子

2008年09月27日 | 那覇、沖縄
 この1週間で二種類の和菓子をいただいた。一つは同僚の先生にいただいた麻布十番にある浪花家総本店のたいやきとゆで小豆。なによりも甘すぎないあずきと、コクが最高。たくさんいただいたので近所の方にもおすそ分け。
 昨日いただいたのは、京都の大学の博士過程に進学した私の元ゼミ生から、京都河原町永楽屋の「琥珀」という和菓子。ほんのした甘みとすっきりした後味がすばらしい。
 若い頃は和菓子より、洋菓子、和食より洋食だったのが、だんだん和菓子のおいしいさもわかるようになってきた。もちろん洋菓子だって大歓迎。味覚がプラスアルファされただけですから。沖縄にいるとなかなか食べられないお菓子を1週間に二つもいただけるなんて幸せ。お二人に感謝。

ロンタル

2008年09月26日 | バリ
 今年1月にバリに行ったときに、シドゥマンというバリの東部の村に出かけ、そこでロンタルを製作できる知人に会って、『カカウィン・ラマヤナ』のロンタルを注文した。それが今回、出来上がってきたのだった。
 ロンタルというのは、ロンタル・ヤシとよばれるヤシの葉を乾燥させて、それを決められた大きさに切り、そこに文字を刻んでいく文書のことで、バリやジャワでは古くから文書はこの形態で継承されてきた。高温多湿では時間とともにロンタル自体も朽ちていくため、常に、筆写されることで次世代に継承されるのである。
 すでに紙媒体が主流になっているバリでは、ロンタルの文字もその内容も重要なものは紙に印刷されているし、若い人はほとんど文字そのものも読めない。ようするにもうロンタルというメディアは完全に過去の遺物といえる。しかし紙媒体になっているのは主要な文献のみで、まだまだ多くの文書はロンタルの状態で保管されているものも多い。つまりロンタルを読み解かなければ、新たな発見はないといってもいい。私自身もそうした文献を今も探し続けている。といっても私自身がこれをすらすら読めるわけではなく、以前に勉強はしたものの、とてつもない時間と労力がかかるのである。
 今、ロンタルに向かって何時間も読み続ける時間はないものの、老後を考えれば絶対にそんなときがやってくるのだ。私の父は、今、一日中、読書をしているのである。そんなときのために今、ロンタルを買ったのだった。だいたいあと10年、20年したらロンタルを製作できるバリ人もどれだけになるかわからないのである。
 次なる試練は、これをいかに保存するかということである。カビを生やさないように美しい状態で保存させなければ、将来はゴミである。さてどうするか?実は、すでにバリの部屋に2週間置いただけでカビが生え、現在、この除去に苦闘中である。
 

二つの値段

2008年09月23日 | バリ
 インドネシアには二つの値段があるとよく言われる。インドネシア人が屋台でコーヒーをすすると、私の調査村では1,000から1,500ルピア。でも写真のカフェオレは、デンパサールのちょっとお洒落なカフェで、価格は約20,000ルピア。別に観光客が行くわけでもないのに、10倍以上の開きがある。たぶんヌサドゥアのホテルで飲めば、その倍くらいはするだろうから、バリには地元向け価格が大きく二つ、そしてリッチな観光客向けの価格が一つ、計三つの価格があるということになるんだろう。
 インドネシアのテレビ・ドラマや映画を見ていると、お洒落なカフェがたくさん出てきて、ジャカルタやバンドゥンの富裕層の高校生たちが集っている。バリもそんな風に変わりつつあるのだろう。そしてこんなカフェでデートするのが若い世代の理想なのかもしれない。それにしたってコーヒー1カップが、日本円で約230円は決して安い額ではないし、ケーキだって食べれば、日本と変わらない。
 私はたまにこうしたカフェに出かける。現地の人々と同じ生活をすることを美徳と考えていた若い頃には考えられなかったが、今はカフェに出かけてコーヒーを飲みながら読書をすること自体が、外国人観光客だけに許される特権的行為ではなくなっている。高度成長するインドネシア。そしてそんな変わり行く環境の中で、歳を重ねて少し成長した私は、1,500ルピアと20,000ルピアを行き来できる生活スタイルを誰に恥じることもなく楽しむことができるようになっている。これでいいんだろうか?、いや、これでいいんだよ。自問自答する私・・・。


豪華な昼食

2008年09月23日 | バリ
 帰国日、いつもは7,000ルピアのところ、奮発して9,000ルピアで昼食を買う。ぼくの昼食はデンパサールにいる限り、仕事から戻った時間に店屋によってテイクアウトして帰るのである。
 街のあちこちにこうしたナシ・チャンプルとよばれる食べ物を売る店はあるが、自分に合った店を選ぶというのがなかなか難しい。実はこの店、私の大好きな味付けで、さらにそれを言い当て、以前、私にこの店を教えてくれたのは、当時バリに留学していた沖縄のガムランメンバーだった。店頭にはGOALと書かれていて、とにかく「サッカーおたく」が経営している店である。店員もすべてサッカーのユニフォーム。店の机のデザインはすべてサッカーコート、店内の装飾もサッカーもの一色。しかし、ナシ・チャンプル屋である。
 こんな店が観光地にでもあれば、相当に繁盛するのだろうが、スポーツ・バーならぬサッカー・チャンプール屋。地元のおじさんやおばさんが、細々と集うのみで、サッカーファンが集まるという様子もない。いや、待てよ。自分が知らないだけで、夜は地元のニイニイが集まる「スポーツ・バー」になってるかもしれないぞ。

わたしは「鳥」ではありません

2008年09月22日 | 家・わたくしごと
 17日に帰国しているのもかかわらず、更新されていなかったのは、家のPCの不調、私自身の不調の「二つの不調」によるものです。出発前日に突然、わが家のPCの動作が不安定になり、とうとうプツンで、ネットに繋がらなくなってしまいました。帰国して修復する予定が、すぐさまインフルエンザで動けず。それにしても病気では多くの方々にご迷惑をおかけして、すみませんです。本当に。
 ちなみに「鳥」になっちゃったんじゃない?、と心配(いやいや、笑ってたでしょう?アンタタチ!)していてくださって方々、感謝です。携帯メールにペンギンの絵+インフルエンザと書いてきたガムランのメンバーの方。「フル・ブルン(鳥インフルエンザ)」もなるほど、こう書かれると少し愛らしく思えました。まあ、ペンギンも鳥類だから許してあげましょう。鶏の絵、きっと探したけど無かったですよね。実はぼくも鶏の絵文字探したけれど、見つけられなかったから。
 家のPCも復調、私の体調もまあまあ復調したので、またぼちぼちブログを更新します。

バイク

2008年09月10日 | バリ
 インドネシアでの調査が終わるまで1週間になった。今日も二つのワヤンの調査に午後から出かけて、終了するのは夜中の1時過ぎ。デンパサールには戻ってこれないので調査地の村にそのまま泊まる。
 私の移動はすべてバイクである。たぶん日によっては一日70キロはバイクで移動している。日本でバイクに乗る私であるが、インドネシアでのバイク乗車には常識が通用しない。日本の常識はインドネシアの非常識であることも多々あるのだ。ましてや、インドネシアだけでバイクに乗る日本人にとっては相当に交通状況が脅威だろう。とにかく無茶苦茶である。交通法規なんてないに等しい。この法令は警察の前だけで有効なのだ。右にウィンカーを出してとまっていても、平気で右側を抜いてくる国なのだから。
 バイクを甘くみてはいけない。日本で大事故経験者の私はいうのだから間違いない。相当の覚悟をもってのるべし。これは、これからまだ1週間、この地でバイクに乗り続ける自分自身への戒めでもあるのだ。