Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

アリバイ

2019年01月21日 | 大学

 この土日、ちゃんと仕事をしてました。ここにアリバイがあるんです。だって静岡新聞に写真入りでPが出てるんですから。まあ、国公立大学の教員の多くは当たり前ですね。私立大学だってセンター試験を利用するところは当然、試験会場になって、教員も試験監督です。もちろん本日、月曜日も授業日ですから出勤しております。
 センター試験、来年度で最後のようですね。他人事ってわけではないのですが、これは大学が決めてることじゃありませんから、やっぱりこの試験だけを見ればどうにもならないわけです。沖縄県立芸大の時代から、20回近く試験監督を続けてきましたから、ちょっぴり寂しい気もしますが、たいへんなのは受験生ですからね。
 とにかくインフルエンザにならずに、無事、何ごともなく仕事を全うできたことで感無量です。何もないのが当たり前ですからね。何かあったら大変だものね。ということで、まずは1月の大イベントを一つ乗り切りました。


ナナちゃん人形

2019年01月18日 | 家・わたくしごと

  まだまだ知らないことが身の回りにいっぱいである。名古屋にナナちゃん人形なる巨大なモニュメントがあり、今は沖縄の民俗芸能エイサーの衣装を着ているという情報を得る。これは見にいかなくてはならないと、さっそく、非常勤として教えて行っている名古屋方面の大学の帰り道に寄ってみた。
  といっても、だいたいどこにあるのかわからない。「名鉄百貨店」という情報をたよりにウロウロしてみるが見つからない。仕方がないので名鉄百貨店のベテランらしき女性店員に「巨大な人形があるそうなんですが、どこにありますか?」と丁寧に聞いてみた。「ナナちゃん人形」という表現はなんとなく恥ずかしくて使えない。なんだか「リカちゃん人形」を彷彿させてしまう。
  教えられた場所に行ってみた。たしかに存在した。びっくりするぐらい大きい。しかし残念なことに、寒空にもかかわらず、夏のワンピースを着用しているではないか。見ているだけで、こちらまで凍えてきてしまう。残念ながらエイサーの衣装は終わってしまったようなのだ。なんだか気抜けしてしまった一方で、巨大なモニュメントに目を見張ったのだった。名古屋市民は何ごともなかったようにこの人形の横をせわしなく通り過ぎていく。きっとそれが日常なんだろう。ぼくらが上野公園の西郷さんの銅像の横をまるでそこに何もないように通り過ぎていくように。


余興やりました

2019年01月16日 | 大学

 浜松市のとあるインドネシアに進出している企業に依頼されて、近隣のイベントホールで行われた賀詞交歓会で演奏することになった。学生たちが企業側ときちんと段取りをして、準備。演奏もぬかりなくできたのだが、ちょっとおもしろかったのが控室の表示である。
 「余興控室」というネーミング。実に面白い。確かに我々はパーティーの会食の中、演奏するわけだから「余興」である。余興とは「その場を盛り上げるための演出のこと」であり、結婚式などでは「余興」「出し物」などと呼ぶことが多いだろう。しかし、最近ではガムラン上演者控室、などと書かれるだけで、「余興」と表示されることはまず「ない」のである。
 あらためて、「そうだ、演奏するだけじゃなく、宴会盛り上げなくちゃいけないんだ」と自覚し、主賓テーブルをしっかり意識しつつ、話も演奏もかなりがんばって「盛った」つもりである。このあと、また連鎖的にどこかの企業から「余興」の依頼があれば嬉しいのだが…。


沖縄パーラー誕生

2019年01月13日 | 浜松・静岡

 びっくりの出来事があった。なんと、自分の住むマンションから徒歩2分以内の場所に、「パーラーあしびなあ」ができたのである。ここにあったのは弓道専門店だったはずだが、いつのまにかパーラー?だいたい、浜松市民はパーラーなる言葉を知っているんだろうか?
 オープンしてからまだ10日も経っていないと思うが、まだ行ったことはない。しかし外から見る限り、高級な沖縄の料理屋にはまったく見えないのである。パーラーという表現がぴったりといった感じ。ほとんどの来客は「うちなんちゅ」じゃないかと思うほど。
 ちなみにメニューらしきものが黒板に書かれていたが、くーぶいりちー、ふーチャンプルーが確認できる。とにかく行ってみなくちゃならないのだが、行く日を模索中。ブログでの報告をご期待あれ。


朝の散歩

2019年01月11日 | 家・わたくしごと

 ゴミ捨てのついでに時々、近所を散歩するようになった。かつては毎日のように出勤前に1時間のウォーキングをして、浜松城公園を闊歩していたのだが、最近はそんなことをすると仕事にさしさわりがあるので、近所を歩くだけにしている。それでも体内時計が歩くことでしっかり動き出すので体調がいい。
 最近、歩いた場所(といっても家から10分くらいだが)で、東照宮の裏手に不思議な古書店「八月の鯨」を見つけた。こんな場所にポツンと古書屋があって本当に売れるんだろうかと疑問ではあるが、思い出してみると、この店のこと、鴨江アートセンターで誰かに聞いたことがあった。どうもアート系の書物を扱っているようで、暗い店内をドア越しに覗くと、私のテリトリーの書籍がたくさん並んでいる。
 浜松に住んで6年だが、まさに「灯台もと暗し」とはこのことである。それにしてもこの店、店主が趣味のようにやっているのかどうかわからないが、開店日は週の数日のみとなかなか風変りな古書店である。それにしても朝の散歩はこんな発見もあって、それなりに楽しいものだ。


散歩

2019年01月06日 | 家・わたくしごと

 鷹の台は本当に素敵な場所だと思います。なんといっても玉川上水の遊歩道がすぐ近くにあるから。近隣が開発されて変わっていく中で、この道だけは子どもの頃と同じ木々があって、枯葉を踏めば昔と同じ音がするからです。春夏秋冬の香りも昔のままなのです。
 今でもどの木でたくさんの「くわがた」を採ることができたか覚えています。今ではそんな木はすっかり老木になって、ちょっとは太くなっているのでしょうが、そんな木々をはっきりと思い出すことができます。とにかく私にはこの木々は日常であり、生活そのものだったのかもしれません。
 正月、久しぶりに心の余裕をもってそんな遊歩道を歩きました。50も半ばをすぎたにもかかわらず、体のどこかが、心のどこかが、きっと童心に帰ったのだろうと思います。言葉では簡単に表現できないような、心地よい複雑な気持ちを味わいました。写真を見ても思い出せないような、そんな奇妙な心持ちでした。


松飾り

2019年01月02日 | 東京

  国分寺の自宅の周りを散歩して思うのだが、近年は新年に正月飾りや松飾りを飾る家がめっきり減ったような気がする。新しく引っ越してきた若夫婦の家などにはほとんど正月飾りは見られない。実家に帰るし、正月は不在にしていることから飾らないのかもしれない。昔は近所の鉄道の駅前には屋台のような正月飾り屋が店を出していて、それはにぎわっていたものだ。
  新世代が伝統的な慣習を忘れてきている、と思われがちだが、私はそれだけではない気がする。「廃棄」の問題である。松飾りはある一定の時期を過ぎて役割を終えたとき、どのように処分していいのかわからないのである。たとえ若い世代でも生活ごみと一緒に地域指定のゴミ袋に入れて捨てるには抵抗があるだろう。若い人だってその飾りの意味をわかっているのだから。
  かつてはどこだってたき火をしていたし、そこに入れて燃やすこともできた。しかし今ではたき火なんて夢のまた夢である。「どんど焼き」なるものがあるものの、そんな慣習を知らない人だっているし、どの地域でも行われているとは限らない。つまり捨て方がわからないから、買わないし飾らない、とも言えるのである。松飾りの廃棄の方法をメディアを通して徹底させなければならない。作るだけ、売るだけではいけないのである。ちなみに写真は実家の松飾りの片方である。この地域はちゃんとどんど焼きが行われることから、わが家の松飾りはそこで燃やされるのだが。


謹賀新年2019

2019年01月01日 | 家・わたくしごと

  2019年元旦である。午前中ポカポカ陽気の中、年末から食べ続けていることの反省として散歩。ガムランの練習にも、ワヤンの本番にも使わせていただいた近所の神明社にぶらりと寄った。新しい住宅が次々にできて外からの居住者が増える中、こうした地域の小さな神社は忘れられていくのだろうと思っていたが、まだまだ近隣の方々の初詣でにぎわっている。にぎわうといっても写真の程度であるが。よく見ると自分の両親らしき年配者とともにやってくる若い家族が多い。きっと両親にとっては、いまだ神明社は地域にとって重要な「社」なのだろう。
  昔から思うのだが、この神社は地域の鎮守の役割を担っているのだろう。だから五日市街道沿いには、たぶんかつての地縁集団ごとにこうした鎮守の森と神社は存在している。だからそんな場所で願うことは、「地域の安全」「地域の幸福」なのだ。国分寺のこの一帯とそこに住む人々が幸せな一年でありますように、そしてそのおこぼれとして、「個人的な願い」があるのだろうと。
  お酒が弱いにもかかわらず、たき火の前で、ふとそんなことを考えながらお神酒をぐいっとあおった…。また新しい一年が始まるのだ。
 
  読者の皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。