Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

こんな場所にもジャーマンケーキが!

2018年05月15日 | 浜松・静岡

 ジャーマンケーキは不滅です。沖縄といえばジャーマンケーキ。Jimmyで買うばかりがジャーマンケーキじゃありません。首里石嶺のアロハ洋菓子店のジャーマンケーキは絶品だったし、それぞれ沖縄各地のご当地ジャーマンケーキなるものは「きっと」存在します。
 このジャーマンケーキがなんと、こんな場所にだってあるんです。卵とジーマミー豆腐、古道具、そしてジャーマンケーキ!なんという取り合わせか!もう感動しかないではないじゃないか!
 オバアが売るジャーマンケーキはもちろんオバアとオバアの家族の自家製だそうです。もちろん購入して、すぐにこの場で食べさせていただきました。チョコケーキの上にのっているココナッツがトロリとしてなんと美味しいことか。もう感動以外の何ものもないぞ。ハイブリッドな文化、洋の文化をこんな風にとりいれて、沖縄のものと平然と並べるすごさ。今回沖縄で食べた中で最高の味でございました。


懐かしい場所

2018年05月14日 | 浜松・静岡

 おもろまちの駅前からのびる遊歩道。浜松のアクト通りととてもよく似ています。この道の両側にはそれぞれ一方通行の道路が走っています。この場所は最後にりっかりっかフェスタに出演したとき、私たちが上演したラマヤナの大テントが張られていた場所なのです。バリ側と日本側の出演者たち、大勢の観客、たくさんのスタッフで賑やかだった場所がここなのです。もちろん面影はありません。フェスティバルが終わってしまったら、ふつうの遊歩道なのですから。
 私が最後に盟友であり、親友のバリ人、スアルジャナとともに作り上げた舞台。彼は昨年の5月、私よりも4年も若くして亡くなりました。この場に立って、あのときのことを考えると、「もうあの感動を味わうことはできないのだ」とちょっぴり悲しくなります。彼がいるからできたフェスタへの数回にもわたる参加でした。自分も若かったのだ、と改めて思います。
 沖縄市にもたくさんのフェスティバルの思いであります。不思議なもので、沖縄に行くとバリ芸能の活動とともに沖縄の各地が蘇ってきます。しばらくこの場所に立っていましたが、「もう今は2018年なんだよ、僕は沖縄にはもういないんだ。」と自身に言い聞かせてこの場を去りました。過去よりも未来を見ていかないと。「あの時」ではなく、「次の時」を語らないと今の仲間たちに失礼ですね。


やはり限定は嘘ではなかった

2018年05月07日 | 浜松・静岡

 浜松まつりの最終日、S教授と凧場から戻り、わが家で少し飲みながら夜の街中で行われる御殿屋台の引き回しを待とう、ということになりコンビニにビールを買いに行くと、なんとサッポロ黒ラベルの缶ビールに浜松限定ラベルがあることに気が付いた。ビールを普段飲まない私は浜松まつり限定ラベルがあることに驚いたが、S教授は「やっぱりこれでしょう」と2本購入して家で楽しんだ。
 S教授は、ビール缶で楽器を作るそうで、「どうせならあと2本買おう」ということで、御殿屋台の引き回しを楽しんだあと、3時間ほど前に買ったコンビニに入ったのだが、すでに売り切れ。S教授と「他のコンビニを探そう」とあちこちを探したのだが、やはりどこにもないのである。
 結局、手に入れることができなかったこの浜松まつり限定缶。S教授は大事にこの2本の空き缶を持って帰ったのだが、それにしてもやはり限定は嘘ではなかったのだった。まつりは5月5日までなので、やはりこの日にはなくなるように作られていたのだろう。


非日常から日常へ

2018年05月06日 | 浜松・静岡

 昨晩で3日間続いた浜松まつりが終了しました。私の住む田町地域では0時近くまでラッパと太鼓の音が鳴り響いていましたが、日付を超えたとたん、いつもと変わらない静かな浜松の街が戻りました。祭りは終わったのです。非日常から日常へと街は戻りました。
 凧場で、法被をきた男子高校生たちが遠州灘を眺めながら「まつり終わっちゃうんだなあ」とぼそっと話していた響きが忘れられません。本当に祭り好きにはたまらない3日間だったのでしょう。私は参加しているわけではありませんが、毎年、5月5日の夜はちょっぴり寂しい気分になるものです。法被を着ているとどんな気分になるのかな。「寂しい」というより「疲れた」の方がずっと大きくて、祭りが終わってからじわじわと寂しさを感じるのかもしれません。
 3日目の5日は、毎夏バリで調査をともにする研究仲間のS教授とまつりを楽しみました。友人とみるとまた楽しく感じるものですね。終わったばかりで来年のことを書くと鬼に笑われますが、来年はたくさんの方々に来ていただければと思います。


けんか凧

2018年05月05日 | 浜松・静岡

 凧場では初子凧が終わると、子どもの名前が入っていない地域の凧印だけが入っている凧をあげるのだが、ただあげるだけではなく、他の凧と紐を絡め、引っ張って紐を切りあう「けんか凧」が行われる。始まるとその場は殺気立つし、当然、何が起きるかわからないので警察も周辺に集まって来る。
 今回、見ていてわかったのだが、まずはA地域とB地域がけんか凧をやりましょう、とお互いの組長が合意するとけんか凧が始まる。こうしたペア、たとえば、CとD,時々は3つでE,F,Gが各場所で生まれるのだが、その絡んだ状態で、AとBに、CとDをからめ4つにし、そこにE,F,Gが加わり7つが絡んで、どんどん増えていくのである。
 この写真は三地域の凧がからんだ状況で、各地域は組長の指示で、勢いよく「糸」を引くのである。その後、自分の凧が切れるとかならずその凧を回収に行くが、たとえ壊れていてもかならず複数人でしっかり持って行進して戻ってくる。とにかく凧愛は半端ない。この場だけを見ると、やはり凧を女性が引くことがないことがわかる。儀礼性がないとはいえ、けんか凧は祭りの重要な一要素なのだ。ハレ空間で行われる非日常の中に身を置いているからこそ、「けんか」を堂々と行うわけで、大事なのはその過程である。そして勝敗などというちっぽけな結果は無関係なのである。
 


初子祝い

2018年05月04日 | 浜松・静岡

 浜松の凧あげは、もともと初子祝いのために行われる。かつては浜松まつりではなく凧揚げまつりといったそうだが、凧と初子はセットなのだ。もちろんその流れの中で、互いの糸を摩擦で切りあう喧嘩凧もあったし、その後はイベントとして子どもの日の今日には、子どもたちが凧と関わる子ども凧もあがる。要は、将来の凧揚げ要員の育成である。
 昨日、凧場にでかけたが、写真のような初子を祝う光景があちこちで見られた。周りでは親戚縁者、自治会の人々がラッパ隊の音楽が鳴り響く中で、掛け声で盛り上がり、もうドンチャン騒ぎである。こうした喧騒によって、子どもの成長を妨げようとする超自然的存在による穢れを祓い、成長を祈る浄化儀礼を見ているようだ。
 ふと、バリのトゥンジュク村で、子どもを抱きながらジョゲッを踊り、最後に僧侶によって子どもが聖水をかけられていた儀礼を思いだした。芸能、子ども、そしてその成長を担う目的を持つ、という行事は形は違えど世界各地に存在するのだろう。


全学連のデモではありません

2018年05月03日 | 浜松・静岡

 5月3日です。浜松まつりが始まりました。あいにく深夜まで暴風雨だったことから、午前中の行事は予定通りにいかなかったようですが、それでも午後にはすっかり雨はあがり、あちこちで練りが始まりました。夜、富塚付近を車で通過しようとしましたが、もう道路で練りが始まっていることから、道路には赤いライトのついた誘導バーを持って迂回路の指示をする祭り関係の人々でいっぱい。完全にバリのプチャランで、練りはバラガンジュルです。
 富塚の各地区の合同練りは、(高級)住宅地であることもあって危険を感じるほどの盛り上がりはありませんでしたが、それでも大騒ぎでした。途中では路線バスも通過するために警備役のプチャランは不可欠です。
 ところでこの光景、なんだか1960年代後半から70年代の学生運動の雰囲気を感じませんか?はためく旗が妙にそそりますね。これでヘルメットをかぶっていると、かつての学生運動を彷彿します。


糸目付

2018年04月26日 | 浜松・静岡

 先週の日曜日4月22日、浜松のあちこちで凧の糸目付が行われていました。凧にとっては、この糸目付がとても重要だそうで、これがうまくいかないと大きな凧は飛ばないそうです。私がちょっと覗いた糸目付は、指導する人が大きな声を出して指揮をしながら糸目付の作業に大勢でとりくんでいました。それにしても糸を引っ張るのがとてもたいへんそうでした。糸とは言っていますが、実際は「紐」です。
 日々、法被を着ている人たちとすれ違い率が増えてくるのを感じます。、毎日、夜にはさまざまな準備でたいへんなんでしょうね。一昨日、夜デニーズで打ち合わせをしていたのですが、やっぱりファミレスにも法被姿の方々が何か所かに座っていました。
 あと10日もすればもう浜松はハレの世界です。コミュニタスな状況に突入します。街の人々はすでに少しずつ儀礼への敷居をまたぎ始めているようです。


まつりの季節

2018年04月21日 | 浜松・静岡

 1年が巡り、再び「まつり」の季節がやってきました。あちこちの自治会では会所開きも終わり、毎晩、あちこちでラッパやお囃子の練習が聞こえてきます。浜松が一番賑やかな季節、そう、浜松まつりまであと、12日となりました。
 マンションのエレベーターにのると、おばさま方は「今年も嫌な季節ね、どこに逃げようかしら」とか「孫が帰ってきてにぎやかになるわ」などさまざま。そりゃ、浜松の街中の人々が皆心待ちしてしている祭りでないことは百も承知ですが、私のようによそ者にとっては、ドキドキする季節の到来です。
 街中にも「浜松まつり」の文字が飾られました。この通りがあと12日すると、法被をきた人々で埋め尽くされるわけです。ラッパの音でカオスな状況がうまれるわけです。いやはや、待ち遠しい。授業もないし、でも原稿はあるけど、それでも首を長くして待っています。


散り始めた桜

2018年04月04日 | 浜松・静岡

 暖かさのせいだろうか、明後日が大学の入学式だというのに、あっという間に桜の花が散り、葉桜になってしまった。SNSでは満開の桜の写真がこれでもか、とアップされていたが、そこはぐっとこらえてひらひらと花びらが散り始めて、さわやかな葉が芽吹きだした桜の写真をアップした。青い空に満開の桜はよく映えるが、そこに緑が加わってもなかなか風情がある。季節感というのはこういう彩から感じられるものだ。
 バリから帰ってバタバタと一日一日が過ぎていき、結局、落ち着いて「花見」なるものはできなかった。浜松城公園に足を運べばよかったのだが、今年はそれもかなわなかった。来年にとっておこう。
 この時期になると、教員にとって、実質的には大学の新たな年度の始まりである。4月8日の花祭り(私の誕生日)には東京でワヤンの上演もあるし、今年はインドネシア芸能研究の新たな科研にも通ったし、まあ出だしは順調といったところか。思わぬ落とし穴に出くわさないように、今年度も健康に気を付けて、注意深く前進開始である。