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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ビートルズCD「LOVE」を真面目に聴く

2007年06月11日 | CD・DVD・カセット・レコード
 最近、大学院の授業でたまたまビートルズの話になったとき、まだ20代前半の学生が「先生、去年出たビートルズのアルバム「LOVE」聞きましたか?あの中の《Revolution》は格好いいですよ。」と目を輝かして話しかけてきた。
 ビートルズのメンバーはもう半分しかこの世にいないのだから、新しいアルバムなんて出るわけはないでしょう。あなた、騙されてんだよ!あんなのはビートルズじゃないよ。ジョージ・マーティン親子が「作品」をコンピュータの中で弄んでいるだけなんだよ、と言ってしまう前に、「ちょっと待てよ」と自分にストッパーがかかったのである。
 口頭伝承された音楽の伝統を正当化し、真正化した要因の一つは録音だった。伝統として口頭伝承されてきたものが、録音されたことからその録音は、ホンモノの「伝統」を生み出した。それ以前の音楽がどんなものだったかを考えることもなく。ポピュラー音楽だってそうだった。録音はその当時のミュージシャンの真実の姿であるはずだった。しかし21世の今、ポピュラー音楽の場合は、それが当てはまるのだろうか?
 この新しいアルバムを再度聞きなおしてみる。だいたいこれまで真剣にこのアルバムを聞いたこともなかった。確かに芸術的なコラージュの究極である。「ホンモノ」だと考えられてきた曲は素材化されてデジタル化して再構成され、その出来ばえにポールもリンゴもゴーサインを出し、結果として公式のビートルズのアルバムとなったもうひとつの「ホンモノ」の作品が出来上がったわけだ。とはいっても、私にはやはり何かが足りないし、何かが加えられていたりして落ち着かない。
 ただ冷静に考えてみれば、それが現代におけるポピュラー音楽の作品のあり方なのであり、「ホンモノ」は複数存在してもおかしくない。最初に録音されたものに真正性を主張することは、もはや時代遅れなのである。今やひとつの素材から、編集によって無数の作品が作られる可能性があるわけなのだから。
 しかしあえて私は言わせてもらおう。「新しいアルバムもいいけれど、もうひとつの「ホンモノ」もぜひ、聞くべきです」と。これがアナログ時代からビートルズを愛する「うざい」オジサンの意地であり、「LOVE」に対するささやかな抵抗である。      
                                                         (本日の民族音楽学概論の講義から)


                                                                


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