Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

太陽の塔

2008年05月20日 | 
 モノレールの万博記念公園駅で降りると、すぐに大きな太陽の塔が見える。岡本太郎のデザインした1970年の大阪万博シンボルである。小学校低学年の子どもから、高校生や大学生のカップルからも「太陽の塔」という言葉が聞こえてくる。しかしこの子どもたちのどれほどがこの塔と1970年の大阪万博との関係を知っているだろうか?
 小学2年の私が父と最初に大阪を訪れたのはこの万博だった。記憶は断片的だが、それでも太陽の塔の印象は今なお鮮明である。正直、万博を訪れた後の私にとって大阪の象徴こそが、この太陽の塔といっても過言ではなかったのだ。というのも、大阪ミナミやキタの「大阪らしさ」を実感したのは30歳を過ぎてから大阪の大学院に来るようになってからで、相当に後のことである。そのときになって、太陽の塔が大阪市内から相当に離れていることを知って驚いたほどである。
 しかし今、私にとって太陽の塔は、「後悔」の象徴である。万博記念公園の中にあった私の大学院の研究室からは本当に目の前にこの塔の後姿が見えた。博士課程時代の私は、研究の方法論の変更やテーマの扱いについて頭を抱え続けた。そんな「迷路」の中にあの太陽の塔が、あたかもいく手を阻むようにしてどっかりとそびえていた。後姿の中央に黒で描かれた太陽と炎のようなダークグリーンの模様は私の脳裏から今なお離れない。あの時もっとがんばっていれば、もっと前向きに研究に取り組んでいれば・・・と思い出すものは研究の楽しさよりも「後悔」ばかりである。
 万博公園を訪れるたびに思う。「もう十分、太陽の塔を後ろから見たじゃないか。1970年の私が見たように、また真正面から素直な気持ちで、太陽の塔に向かいあわなくちゃいけないんだ。」そんな気持ちで太陽の塔の正面にファインダーを向けた。考えてみると、私はこれまで一度も太陽の塔を撮影したことがないことに気づく。すぐ隣で小さな子どもが太陽の塔の指差してたどたどしい言葉で叫んだ。
「おかあさん。あの大きなお人形のお顔、笑ってる?」
親に代わって私が答えた。
「笑ってるんだよ。だって太陽だもの。太陽はいつも笑っているんだよ。」
 見も知らぬ者の答えに驚いて凍りついたように固まっている子どもに代わって、その母親は、私に微笑んで会釈をする・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。