いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

モラルの中の平和。  no countries

2009-09-07 20:01:20 | 日記
 2001年9月11日、ニューヨーク・シティ(世界貿易センター)の朝は、大異変
の中にいた。米国数か所で発生した同時多発テロで、巨大ビルが完全崩壊で、
5000人を超える(多分、特定できない人数)人々が死亡し、結局、現在も身元
確認の照合もできない人もいる。

 誰もが平和(戦争のない自由な状態)を望み、しかし、誰かが平和に背く、現代
社会。国家があって、独立して存在し、国益を設定して、外部からの誰の介入を許
さない、絶対的なモラルの中で、その安全を守る方法論として、パラドックス(逆
説:paradox)としての対立、「手段」としての侵略、戦争はある。

 絶対的なモラル(大義)は、複数の国、組織の間では、相互に受け容れなく存在
するもので、「手段」を選ばない究極の方法として、戦争はある。

 国際紛争を解決する平和的な「手段」として、外交、国連、国際機関(司法)、
あるいは信仰(上の共有価値)とあるが、いづれも、現代の多様化した国、組織の
世界勢力図の前では、影響力は極めて乏しく、公正で公平なオブリゲーション(名
分)を掲げられずに、対立を混迷に導く要素さえ、孕(はら)んでみえる。

 オバマ大統領の核廃絶への宣言は、紛争を平和的な「手段」で解決する方向に
向かわせる一端ではあるが、それも、すでに確固たる戦力を整備した大国主義の
一方的な論理の粋を出ずに、世界共有認識での平和は、遠く見えない。

 人類は、「個」をみれば、誰しもが平和を望んでいる。生態学的にみれば、人類
は生きているから、存在している。
 ひとつ、ひとつ、平和に障害となっている、また、なるものを解きほぐして、後世に
平和実現へのあるべき夢の姿を引き継いでいく努力が必要だ。

 ボブ・ディラン(Bob Dylan)は、1963年に「(The answer is)Blowing in the Wind」
で、「いったい、どれだけの砲弾が飛び交えば、人々が未来永劫に、それらを禁止
(ban)することができるのか。」と歌う。

 ジョン・レノン(John Lennon)は、1971年に「Imagine」で、「国境のない
世界(no countries)を、心に描いて(imagine)みよう。殺すことも、それで死ぬことも
ない。宗教さえもない。平和な人生を生きていこう(Living life in peace)。ぼくを夢見
人というだろうが、ひとりじゃない。」と歌う。

 誰もが、平和な世の中に生まれて、平和を守り、平和に生きたいのだ。




 

 

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