いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

理系政治  scientific politics

2009-09-23 19:41:10 | 日記
 鳩山首相が政治家としては圧倒的に少数派の理系の出身ということで、理系と文
系の感性の違い、社会的役割、目的意識の違いについて、関心を呼んだ。
 日頃、人間のエレメント(element)を色分けなどして、「この人」はと思って過ごして
きていないので、政界における特殊な事情を興味本位で取りあげている印象がある。

 そのせいか、鳩山内閣では、本人も含めて4人の理系出身の政治家で構成されて
いる。政治家の理系の占める割合からいえば、圧倒的な多数といえる。
 日本の化学、物理学分野、特に基礎学研究では、世界の先端的な研究で、ノーベ
ル賞の受賞も多く、毎年の候補者も話題となっている。

 日本の理系の高い研究能力をいつも目の当たりにしているので、今更という感じ
でいた。
 社会情勢をみると、理系は技術畑に、文系は経営、販売、事務畑に進出するのが
一般的と思われていて、現実的にそう構成されている。

 理系は、数式、グラフ、数値を基準とした、積み上げ型理論の創造が基本考で、
一匹狼的で、独自性が強く、ひとり追求、開発資質が高いとみられる。
 文系は、理念、哲学、論理を基準として、テーゼ(thesis:命題)を理論構成して、
実証する論理の創造が基本考で、結束、集約能力の社会的リーダーの資質に向い
ているとみられる。

 このままの特性を見ていけば、経営、販売、事務系列では、テーゼを理論構成し
て実証する文系能力が適応かと思うし、数値、数式を基準として積み上げていく理
系能力は技術系社会に適応かとも思える。

 もちろん、それぞれの分野にも、たとえば、理論物理のように論理の構成能力が
あり、一方、統計学にみる系統的な数値の集積分析能力もあり、政治、経済、社会
基盤の構成に決まった色分けがあるはずもない。

 人間の意欲、意思、考察、気力が色分けを超越するのも、また人間の個々のアイ
ディンティティなのだ。
 昨近の、理系首相の登場でまるで政治運営にも新感覚で捉えられるような期待感
のメディアの理系、文系色分け論議を見ていると、もとより、社会は理系、文系だ
けの色分けで成り立っているわけでもなく、メディアもポピュラリティ(popularity)、エン
ターテイメント(entertainment)化している実態を感じる、この頃だ。

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