(1)駐車場を歩いていると(もちろん駐車した車に向かって)、なにやらひとりビジネス
マンがぶつぶつ独り言のようなことを言いながら、時折笑い声も交えて後ろをついてくる。
ケータイを使っているわけでもない。どう見ても普通ではない状況に、自然と緊張が走
る。と、そのまま足早に追い越されて、よく見ると耳にはイヤホーン、スーツのどこかに端
末とピンマイクでもあるのか、イヤホーンを通して相手先と仕事上の会話でもしている風だ。
身辺警護のSP(security police)が使っているヤツだ。
仕事以外にはケータイを使わない身としては、情報伝達システムも一般社会にここまでき
たのかと思い知らされた。と、同時にそりゃ両手は自由に使えて面と向かって会話している
自然感覚がリラックスを生んで、自由自在の会話が弾む。が、そこまで、歩く時間も惜しん
でも耳にイヤホーンをはさんでIC(integrated circuit)システムにコントロールされてまで
24時間を無機質に生きるのかと、不可思議だ。
(2)知的財産も「使い勝手」が良くないと、価値はない。かっては移動中の緊急な連絡に、
公衆電話を探し回った(そういう時ほど見当たらない。これも不可思議、ではなく単なるあ
せり)ものだが、今や、歩きながらどこにいても通信可能なケータイ時代は多機能で、しか
し、さすがに運転中のケータイ使用は、事故防止のため禁止された。
知的財産の伝える情報の選別、選択、適性、必要、適応の分類ができない時代でもあ
る。便利なら便利で、どこまでも便利でインターネット(PC)の自制もなく、それ以外のもの
ではなくなる。
(3)子どもが使用するケータイ、インターネット(PC)の功罪。日本の保護者は、「基本的
には自由で、問題が起きたら対処」と考える人が51%と世界平均29%の2倍弱を占める。
「保護者が完全に管理する」という人が米、カナダでは61%。
子どもの教育(しつけ)に関する理念、理想論がそのまま出た結果を見た。
(4)ケータイ機能というのは、常時、どこにいても相互に通信が可能で、親子の間では安
全、安心の高いアイテム。これが、友達や同世代間でも当然、同じ機能を有することが人格
被害を与えるアイテムになってきて、社会問題化した。
学校教育現場でインターネット(PC)が授業にかかわってきて、知的興味の旺盛な子ども
には、生活の一部だ。
授業にはネット化を導入して、家庭、個人では使用するなとは不可思議。米国、カナダの
ように子どものインターネット(オンライン)管理が厳格な国でも、ネット被害はあるという。
(5)ツールの使用、不使用の問題ではなく、インターネット教育を通しての「効果」を限定し
た知的財産の利用アイム(aim:目的・ねらい)を、社会も教育も「共有」することだ。
防止策では日本は、また際立って少ないという結果もある。
自分で自分の生活を管理できる成人と、途上の子どもとの区別化から、一時期のこと、子
どもネット化の徹底した安全モード管理で、効果的なネット安心利用をはかることが求められ
る。成人と子どもの区別化があいまいな現代社会のほうが問題は複雑。
理想とはいえ、歩きながらネット会話するSPのような生活が日常ではないと知る、子ども
達の知的興味を育てることが大切だ。
マンがぶつぶつ独り言のようなことを言いながら、時折笑い声も交えて後ろをついてくる。
ケータイを使っているわけでもない。どう見ても普通ではない状況に、自然と緊張が走
る。と、そのまま足早に追い越されて、よく見ると耳にはイヤホーン、スーツのどこかに端
末とピンマイクでもあるのか、イヤホーンを通して相手先と仕事上の会話でもしている風だ。
身辺警護のSP(security police)が使っているヤツだ。
仕事以外にはケータイを使わない身としては、情報伝達システムも一般社会にここまでき
たのかと思い知らされた。と、同時にそりゃ両手は自由に使えて面と向かって会話している
自然感覚がリラックスを生んで、自由自在の会話が弾む。が、そこまで、歩く時間も惜しん
でも耳にイヤホーンをはさんでIC(integrated circuit)システムにコントロールされてまで
24時間を無機質に生きるのかと、不可思議だ。
(2)知的財産も「使い勝手」が良くないと、価値はない。かっては移動中の緊急な連絡に、
公衆電話を探し回った(そういう時ほど見当たらない。これも不可思議、ではなく単なるあ
せり)ものだが、今や、歩きながらどこにいても通信可能なケータイ時代は多機能で、しか
し、さすがに運転中のケータイ使用は、事故防止のため禁止された。
知的財産の伝える情報の選別、選択、適性、必要、適応の分類ができない時代でもあ
る。便利なら便利で、どこまでも便利でインターネット(PC)の自制もなく、それ以外のもの
ではなくなる。
(3)子どもが使用するケータイ、インターネット(PC)の功罪。日本の保護者は、「基本的
には自由で、問題が起きたら対処」と考える人が51%と世界平均29%の2倍弱を占める。
「保護者が完全に管理する」という人が米、カナダでは61%。
子どもの教育(しつけ)に関する理念、理想論がそのまま出た結果を見た。
(4)ケータイ機能というのは、常時、どこにいても相互に通信が可能で、親子の間では安
全、安心の高いアイテム。これが、友達や同世代間でも当然、同じ機能を有することが人格
被害を与えるアイテムになってきて、社会問題化した。
学校教育現場でインターネット(PC)が授業にかかわってきて、知的興味の旺盛な子ども
には、生活の一部だ。
授業にはネット化を導入して、家庭、個人では使用するなとは不可思議。米国、カナダの
ように子どものインターネット(オンライン)管理が厳格な国でも、ネット被害はあるという。
(5)ツールの使用、不使用の問題ではなく、インターネット教育を通しての「効果」を限定し
た知的財産の利用アイム(aim:目的・ねらい)を、社会も教育も「共有」することだ。
防止策では日本は、また際立って少ないという結果もある。
自分で自分の生活を管理できる成人と、途上の子どもとの区別化から、一時期のこと、子
どもネット化の徹底した安全モード管理で、効果的なネット安心利用をはかることが求められ
る。成人と子どもの区別化があいまいな現代社会のほうが問題は複雑。
理想とはいえ、歩きながらネット会話するSPのような生活が日常ではないと知る、子ども
達の知的興味を育てることが大切だ。