いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

沖縄は孤立してはならない。 don't let me isolate , okinawa

2011-12-03 19:35:58 | 日記
 (1)国務大臣が「おわび」で深々と頭を下げて、受ける県知事は会談をサッと打ち切ってそれに目もくれずにさっさと会場を後にする殺伐とした光景を見た。国務大臣も「形なし」の風景だった。防衛大臣が監督する職員の沖縄侮辱と受け取れる暴言と、自らの国会審議での担当大臣として認識不足を示す不適切発言への謝罪のための沖縄訪問であった。

 沖縄の置かれた歴史的環境、頭ごなしの日米協議優先、普天間基地移設先問題も一方的な環境アセス提出を巡って微妙な問題時期での、政府、関係者による二重、三重の沖縄刺激態度、発言だからこれも致し方ないところが本音だろう。

 (2)ちょっと冷静に見てみると、考えてみると、「どちらも、どちら」の「大人気ない」扱い、仕掛けにしか見えてこない、非生産的なやはり殺伐とした光景の連続だ。
 防衛大臣は、就任当初から職務遂行にかかわる問題発言がありその後の発言も「おざなり」な内容が多くて、国賓接待の国務大臣としての重要任務も欠席しての選挙優先行事出席と実にふさわしくない行動、言動の連続だった。

 (3)国会審議では、野党から政略上そういった資質が狙い撃ちされてのあきらかな失点狙いの誘導質問にあった。東日本大震災、福島原発事故、円高、消費税増税、補正予算、選挙制度、そして沖縄問題と重要緊急課題を多く抱える「国会審議」の中で、防衛大臣に対して担当責任上当然、掌握し念頭にあると考えられる基本事項(たとえば沖縄少女暴行事件)の具体的な内容を殊更(ことさら)あえて問い質(ただ)すというような、質問と時間は果たしてこの際適切なものであったのかを考えたい。

 結果として防衛大臣の認識不足が露呈したが、あえて失点狙いでそういう質問をした野党も野党なら、担当責任上知り得るべき当時の事態を一変させた重大案件を正しく理解していなかった(説明できなかった)大臣も大臣の非生産的な構図が、「国会審議」という本来あるべき建設的、生産的なステージで繰り広げられたことの問題だ。

 国会が衆参ねじれ現象で建設的、生産的な審議のステージとしての役割と自覚を失い、資質を放棄した証明だ。資質が問われるているのは大臣だけではなく、与野党で構成する「国会」そのものである。

 (4)国会審議はオープン化、透明性は大原則ではあるが、それは良識とか見識とか責任力とか当然備えるべき「資質」が前提である。オープン化のスキル、ツールのテレビ中継を過剰に意識しての、利用してのパフォーマンスがあたかも役割、責任であるかのような自己満足型の非生産的国会審議がむなしく目につくばかりだ。

 首相は防衛大臣の資質について任命権者として、ふさわしく問題のないものと弁明しているが誰の目にもあきらかな間違いだ。

 (5)ただし、今回の国会審議での沖縄問題に対する防衛大臣の認識不足、不適切発言については、発端となった野党質問の仕方も含めて「どちらも、どちら」の不適性問題だ。
 そして、あえて言うなら、この資質に問題のある大臣を迎えた沖縄県知事にも、ただ反発、反感情ではなく、むしろ「諭す」ような大人の対応、度量があってもよかったのではないのか。

 沖縄はけっして孤立してはならず(don't let me isolate , okinawa)、孤立させてはならない。政府も沖縄にも、意味のない非生産的な「対立感情」だけは回避する冷静さ、努力が必要な時だ。

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