いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

独裁も自由な発想か。 autocracy also is a free idea. isn't it

2011-12-09 19:36:40 | 日記
 (1)人の判断力、価値観と言うのはどこから出てくるのかと言えば、やはりまずその人の「生き方」からだ。自分の生き方をスケール(scale)に、それにプラスになる行動、規範(paradigm)を容認、支持する。
 地方政治では、市民と直結した直接民主主義型の市民の圧倒的な支持を背景とした首長の独断専行型(自ら比喩的に独裁政治と言う人もいる)政治が何かと注目を集めている。

 ①「大阪都」構想を打ち出して府知事から市長に転出した橋下さんは、知事時代の大阪教育条例案では君が代斉唱の強制、知事の「教育目標」に従わない関係職員の罷免処分にまで踏み込んで、強権性を見せた。教育目標の設定権限に文科省からは違法性の指摘も出ている。

 府庁、議会との対立構図から行政改革を印象付けてはきたが、これと言って実績もなくイメージ戦略の先行投資が地盤沈下の大阪圏の再性にはモチーブ・パワー(motive power)となって、反東京、反権力志向の大阪気質市民の支持が高い。

 ②市民税10%恒久減税を打ち出して圧倒的な市民の支持を背景に、議会対策無視による説明責任不在の独断専行型政治の名古屋河村市長、こちらの方は具体的な政策設計の段階での結果として議会との非生産的対立に終始してプライオウリティ(priority)政策の実現の見通しも立たないでいる。愛知県と共同で「中京都」構想も打ち出している。

 (2)ともに圧倒的な市民の支持を背景に、立法府の議会対策に十分な説明責任、協議もなく政策服従を求める独断専行型、言動が目立つ強権政治だ。
 国政が主体性のない言行不一致の閉そく政治のため、これへのアンチテーゼ(antithese)として政策一点集約型わかり易さアピール力に対する市民の期待感、突破力(break over)願望が結集したものと考える。

 (3)共通するのは、政策設計、実行プロセスに対する広汎な説明責任の不在、不足だ。到達地点を示して見せても、そこへの丁寧な手順、段取り、説明、比較、検証が詰め切れないで省かれている。言葉足らずで理論不足、独善姿勢には問題はある。

 その危(あや)うさをメディアも批判はするが、しかし考えて見ればそれも「手法」と見れば、また自由な「発想」(the way of thinking aiso is free)でもある。著しくコンプライアンス(compliance)に触れなければそれも自由意思だ。
 一方的に批判するばかりではなく、その危うさを支持するサイドの背景、判断姿勢にも分析、検証が必要だ。

 (4)選出の仕組みは違うとは言え、首長と議会と言うともに市民の選択により選出、構成された立場同士が対立する構図、議会があえて市民の選択(首長の政策)に「no」と言う判断の分析、検証だ。

 自由な発想が独断専行として捉えられて一方的に批判の対象となり(それはそれで意味はある)、それを支持するサイドの判断姿勢が問題とされないのは余りに民主主義理論に遠慮している構図なのではないのか。メディアの捉え方にも問題はある。

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