(1)年末も押し迫っての北朝鮮の崇拝独裁者の死去まで、今年は1年間政治、経済、社会のすべてにわたる異常事態が続いた記憶に残る年になった。
民主党政権内部の「カネと政治」の党内対立から始まって、元代表・幹事長の強制起訴問題に3月11日の東日本大震災、福島第1原発事故、9月にかけての前首相を取り巻く政治不信、党内対立、急激な円高経済に市民革命の「アラブ中東の春」と、次から次へとまあ災難、変革が途切れることもなく降り続いた1年だった。
(2)地方自治体からは、「都」構想、市民税10%恒久減税のあたらしい発想の政治テーゼ(these)が正念場を迎えて、政治不信、閉そく感のある国政に取って代わって、その首長の実行力、突破力に市民の期待感も大きいものがある。
それぞれが代表をつとめる地域政党を立ち上げての国政参加も視野に入れたあたらしい政治方法論としての政治ダイナミズム(dynamism)を主張した。
(3)しかし、この地方自治体からの政治ダイナミズム、だんだんと実態が見えてくると、どこかおかしい。
立法府としての議会対策も不十分なまま、議会との非生産的、不毛な対立構図を強調して、しかもアンチテーゼ(anti-these)としての圧倒的な市民の支持を背景として、強権性を前面にして「自己満足」型の突破力アピールだった。
(4)「都」構想も市民税10%恒久減税も、それ自体は市民生活にとっては利益配分の比較大きな革新性のある理念、政策ではあるが(だから支持も高い)、①府知事から市長に転出しての反対勢力図を排除する政治戦略、手法、、また②反対する議会をリコール、再選挙に持ち込み、議会勢力図を「力」で変えることによって政策、理念を実現しようと言う政治手法には、市民のための利益配分をはるかに超えた「自己目的化」、「自己満足型」政治の「危うさ(政治の私物化 own property of politics)」ばかりが目に付くようになってきた。
誰のための「政治」なのか考えさせられる構図だった。政治は、自己目的、理念を実現する方法であると同時に、それは国民、市民への利益配分のためのもの、相乗効果のものでもある。
立法府の議会対策、説明責任が必要であったが、打ち上げた革新的な政治理念、政策の具体的な「設計図」が描かれていない不十分な政治の私物化、「結果主義」の限界を露呈したものだ。
(5)名古屋市は、昨日市長が最後は議会に折れて減税率を公約の「10%」から「5%」に圧縮して、しかし全国で初めての市民税「恒久」(単年ものは事例がある)減税を実現させた。
1000兆円に届こうかと言う恒久財政赤字国家の政府が消費税増税論議を加速する中、「対極」としての減税政策の実現だった。
本日のメディアでは、満面の笑みの同市長が「よくここまで来た(公約から2年8か月経過)という感じで、公約は達成されたと思う。」(報道)と自己点検評価した。
2年有余前の公約「10%減税」政策の「設計精度」はどうだったのか。とても市民のための政治と言えるような準備、結果の政治責任論ではなかったのだ。
民主党政権内部の「カネと政治」の党内対立から始まって、元代表・幹事長の強制起訴問題に3月11日の東日本大震災、福島第1原発事故、9月にかけての前首相を取り巻く政治不信、党内対立、急激な円高経済に市民革命の「アラブ中東の春」と、次から次へとまあ災難、変革が途切れることもなく降り続いた1年だった。
(2)地方自治体からは、「都」構想、市民税10%恒久減税のあたらしい発想の政治テーゼ(these)が正念場を迎えて、政治不信、閉そく感のある国政に取って代わって、その首長の実行力、突破力に市民の期待感も大きいものがある。
それぞれが代表をつとめる地域政党を立ち上げての国政参加も視野に入れたあたらしい政治方法論としての政治ダイナミズム(dynamism)を主張した。
(3)しかし、この地方自治体からの政治ダイナミズム、だんだんと実態が見えてくると、どこかおかしい。
立法府としての議会対策も不十分なまま、議会との非生産的、不毛な対立構図を強調して、しかもアンチテーゼ(anti-these)としての圧倒的な市民の支持を背景として、強権性を前面にして「自己満足」型の突破力アピールだった。
(4)「都」構想も市民税10%恒久減税も、それ自体は市民生活にとっては利益配分の比較大きな革新性のある理念、政策ではあるが(だから支持も高い)、①府知事から市長に転出しての反対勢力図を排除する政治戦略、手法、、また②反対する議会をリコール、再選挙に持ち込み、議会勢力図を「力」で変えることによって政策、理念を実現しようと言う政治手法には、市民のための利益配分をはるかに超えた「自己目的化」、「自己満足型」政治の「危うさ(政治の私物化 own property of politics)」ばかりが目に付くようになってきた。
誰のための「政治」なのか考えさせられる構図だった。政治は、自己目的、理念を実現する方法であると同時に、それは国民、市民への利益配分のためのもの、相乗効果のものでもある。
立法府の議会対策、説明責任が必要であったが、打ち上げた革新的な政治理念、政策の具体的な「設計図」が描かれていない不十分な政治の私物化、「結果主義」の限界を露呈したものだ。
(5)名古屋市は、昨日市長が最後は議会に折れて減税率を公約の「10%」から「5%」に圧縮して、しかし全国で初めての市民税「恒久」(単年ものは事例がある)減税を実現させた。
1000兆円に届こうかと言う恒久財政赤字国家の政府が消費税増税論議を加速する中、「対極」としての減税政策の実現だった。
本日のメディアでは、満面の笑みの同市長が「よくここまで来た(公約から2年8か月経過)という感じで、公約は達成されたと思う。」(報道)と自己点検評価した。
2年有余前の公約「10%減税」政策の「設計精度」はどうだったのか。とても市民のための政治と言えるような準備、結果の政治責任論ではなかったのだ。