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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

震災遺構論。 idea to leave a postdisastrous structure

2016-03-14 19:48:24 | 日記
 (1)東日本大震災から5年目を迎えた3月11日のNHK報道番組では、震災発生当時の大津波が市街地を襲う映像の前には決まって「これから津波映像が流れます。」とのテロップが流されていた。

 当時の巨大津波の想像を絶する脅威を目の当たりにして、しかも高台から目の前で人が津波に飲み込まれていくのを前にして何もできなかった経験に今も特別の想い、心痛を抱いている人が多くいることは容易に想像できるところだ。
 津波映像(飲み込まれる瞬間まで放映)を直視できない当時現場にいた関係者も多くいたろう。

 (2)専門医療からの見地、助言も得てのNHKの配慮なのだろうが、効果のほどはどうだったのだろうか。人間の心象(a image brings its own mind)心理の受ける影響の深さ、大きさ、現実を伝える、実感できるものではあった。当該者、当事者にしかわからない心象心理でもある。

 (3)東日本大震災被災地では震災後に大津波に流されて何もなくなった平地に残された、骨組みだけが残った建物(postdisastrous structure)を「震災遺構」として保存し、残すべきか、あるいは復興促進の障害となって早く取り壊すべきだとかの論議が起きていることが伝えられている。

 (4)冒頭のように震災報道番組の配慮を見ていると、震災を経験した人が震災の脅威を現実のものとして目の前で再現し、実感することの心的作用、問題があることを考慮するなら、早く障害を除去してあたらしい出発をすべきだと考えられるが、一方で今回の震災発生にともない過去の自然災害の教訓(precepts)を記した、起こした道標、記録刻印物体(ここから上に避難せよとの支持刻印)の保存、言い伝えが地元住民の日常からの高台避難の心構えに役立っているとの話も聞く。

 (5)震災影響は過去、現在、未来の時間の流れの中で学ぶもの、乗り越え前に進むもの、伝え続けるものと、それぞれの時代の役割があることがわかる。
 日本の歴史遺構といえば広島の原爆ドームが有名だ。半世紀前に世界で唯一の戦争被爆国となった日本の悲劇性(tragicalness)を伝えるもので、広島はすでに地方都市として復興を果たして街並みには原爆投下被害の面影はないが、街の中心部に爆心地の原爆ドームが今でもそしてこれからも当時を伝える悲劇的モニュメントだ。

 (6)ここを何度か訪れている人から聞いた話だが、原爆ドームは何度かの補強工事そして耐震工事で最初に訪れた時の被爆当時をそのままに伝える姿、形、色が変化してきて、今では少し感情もそれに合わせて変化してきているというものだった。

 地方都市として復興した街の中心部にある原爆ドームとしては老朽化による周辺、訪問者への危険度も高くなって、当時のままの保存自体がむずかしい時代の変化にも直面している。

 (7)東日本大震災は「ゼロ」からの復興に向かって、高台移転に数メートルの高い防潮堤建設と街並みそのものが震災教訓の姿を後世に残すように伝えるようにあらわしている。

 あえて被災者の感情論に対立のある、迅速な復興に影響のある震災遺構として残す必要があるのかは考えどころだ。
 街並みが復興を果たしたあとあとの震災遺構の姿、有り様も考えての論議も必要なのではないのか。

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