(1)東日本大震災の5年間の国が全額負担する集中復興期間の復旧、復興費用に国費26.3兆円が投入された。当初19兆円(民主党政権時)の見込みのところ7兆円超の積み増し予算となった。
前代未聞の東日本大震災の復旧、復興に対する5年間の国費投入26.3兆円がどういうものかは想像すらできないが、残念ながら被災者の思い、期待に応えたものとはいえない現実がある。
(2)26.3兆円の40%近くの10兆円は「住宅再建、復興まちづくり」に当てられた。高台移転、防潮堤工事などインフラ整備だが、被災地自治体では土地確保に手間取って計画策定が思うように進まずに計画の遅れから被災者が待ち切れずにそれぞれが土地を確保して自宅建設を進めて、計画どおりには進まなかった。
結果として「高台移転用に整備した土地が余る」(報道)ムダも指摘されている。住宅の高台移転にともなう生活インフラ整備の総合的視点(医・食・住・郵・交などリンク)が不足して、特に高年令者中心に生活への不便さから移転に躊躇(ちゅうちょ)する話もよく聞いた。
(3)防潮堤工事も主要産業の漁業操業への不便さ、景観を損なうなど多様な要望、意見の中でこれも思いどおりには進まなかった。
東日本大震災を受けての政府の復興構想会議では高台移転計画がとにかく前面にだされたが、生活インフラ整備の総合的視点による考え方が欠如していたため被災者の理解は深まらなかった。
高台移転計画は将来、未来社会を考えれば、生活安全を担保する恒久的な視野のものではあるが、防潮堤建設とリンクさせることが合理的必然性であったのか、たとえば湾内、海域では減災効果の研究とリンクさせる方法論(methodology)など先端的、科学的都市生活設計の視点もあってよかった。
(4)中小企業支援などの「産業なりわいの再生」に4.1兆円と生活や健康に関する「被災者支援」の2.1兆円を倍増上回ったが、集中復興期間としては逆転現象だった。まずは人、生活、健康支援に積極的に投資すべきことであった。
被災地自治体への復興財政支援も使途、目的制限、制約も多く、結局は使い切れずに国に返還となった予算も数兆円規模いわれているのはどう考慮されているのかわからない。会計検査院の13年度までの調査で5兆円の予算が消化されていない(報道)というもので、それだけでも5年間の国費26.3兆円投入の20%にもなるものだ。
(5)政府としては被災地の行政機構の執行格差を考慮して復興の公平、公正性を考えたものだろうが、被災地自治体、住民の要望優先で自由性、自主性のある予算使途、目的とすべきであった。
逆にこれからの5年間は「復興、創生期間」として復興費の被災地自治体負担も加味されてくるので、被災地自治体間での復興格差(a reconstruction discrepancy)がより顕著になってくることが考えられる。
(6)東日本大震災から5年が経過していまだに全国に十万人単位での避難生活者がいて復興の遅れはあきらかであり、福島第一原発事故の帰宅困難地域ではいまだにまったく復旧、復興手つかずのところもあり、政府が除染などにより帰宅可能地域として拡大しても現実にそこで生活を望む被災者の数は限られて、生活インフラ整備がともなわなければ無理だ。
このまま避難地域での将来生活設計を考える人も多く(アンケート調査結果)、復興の遅れ、巨額の復興国費投資との費用対復興格差が深刻な「復興まちづくり」のへい害となっている。
(7)被災地自治体にとってもこの巨額の復興国費投入はあっても、復興時差(difference in time of the reconstruction)、住民が戻らない急激な人口減少が「復興まちづくり」には立ちはだかる大きな課題、問題だ。
だからこそのまずは人、生活、健康への被災者支援への復興投資の重要性だった。「産業なりわいの再生」は「人、生活、健康」があってのもので、人が戻らないことには成り立たない問題だ。
(8)そこでどうするか。もうすでに時間のズレ、時差はあるのだが、5年の集中復興期間終了でこれまでの復興検証、点検を総括して(専門家、関係者によるものでいい)この段階でこれからの5年間に向けてあたらしい復興目標、本格計画を打ち立てる必要がある。
このままでは被災者の将来に向けた拠り所がみつからない。
前代未聞の東日本大震災の復旧、復興に対する5年間の国費投入26.3兆円がどういうものかは想像すらできないが、残念ながら被災者の思い、期待に応えたものとはいえない現実がある。
(2)26.3兆円の40%近くの10兆円は「住宅再建、復興まちづくり」に当てられた。高台移転、防潮堤工事などインフラ整備だが、被災地自治体では土地確保に手間取って計画策定が思うように進まずに計画の遅れから被災者が待ち切れずにそれぞれが土地を確保して自宅建設を進めて、計画どおりには進まなかった。
結果として「高台移転用に整備した土地が余る」(報道)ムダも指摘されている。住宅の高台移転にともなう生活インフラ整備の総合的視点(医・食・住・郵・交などリンク)が不足して、特に高年令者中心に生活への不便さから移転に躊躇(ちゅうちょ)する話もよく聞いた。
(3)防潮堤工事も主要産業の漁業操業への不便さ、景観を損なうなど多様な要望、意見の中でこれも思いどおりには進まなかった。
東日本大震災を受けての政府の復興構想会議では高台移転計画がとにかく前面にだされたが、生活インフラ整備の総合的視点による考え方が欠如していたため被災者の理解は深まらなかった。
高台移転計画は将来、未来社会を考えれば、生活安全を担保する恒久的な視野のものではあるが、防潮堤建設とリンクさせることが合理的必然性であったのか、たとえば湾内、海域では減災効果の研究とリンクさせる方法論(methodology)など先端的、科学的都市生活設計の視点もあってよかった。
(4)中小企業支援などの「産業なりわいの再生」に4.1兆円と生活や健康に関する「被災者支援」の2.1兆円を倍増上回ったが、集中復興期間としては逆転現象だった。まずは人、生活、健康支援に積極的に投資すべきことであった。
被災地自治体への復興財政支援も使途、目的制限、制約も多く、結局は使い切れずに国に返還となった予算も数兆円規模いわれているのはどう考慮されているのかわからない。会計検査院の13年度までの調査で5兆円の予算が消化されていない(報道)というもので、それだけでも5年間の国費26.3兆円投入の20%にもなるものだ。
(5)政府としては被災地の行政機構の執行格差を考慮して復興の公平、公正性を考えたものだろうが、被災地自治体、住民の要望優先で自由性、自主性のある予算使途、目的とすべきであった。
逆にこれからの5年間は「復興、創生期間」として復興費の被災地自治体負担も加味されてくるので、被災地自治体間での復興格差(a reconstruction discrepancy)がより顕著になってくることが考えられる。
(6)東日本大震災から5年が経過していまだに全国に十万人単位での避難生活者がいて復興の遅れはあきらかであり、福島第一原発事故の帰宅困難地域ではいまだにまったく復旧、復興手つかずのところもあり、政府が除染などにより帰宅可能地域として拡大しても現実にそこで生活を望む被災者の数は限られて、生活インフラ整備がともなわなければ無理だ。
このまま避難地域での将来生活設計を考える人も多く(アンケート調査結果)、復興の遅れ、巨額の復興国費投資との費用対復興格差が深刻な「復興まちづくり」のへい害となっている。
(7)被災地自治体にとってもこの巨額の復興国費投入はあっても、復興時差(difference in time of the reconstruction)、住民が戻らない急激な人口減少が「復興まちづくり」には立ちはだかる大きな課題、問題だ。
だからこそのまずは人、生活、健康への被災者支援への復興投資の重要性だった。「産業なりわいの再生」は「人、生活、健康」があってのもので、人が戻らないことには成り立たない問題だ。
(8)そこでどうするか。もうすでに時間のズレ、時差はあるのだが、5年の集中復興期間終了でこれまでの復興検証、点検を総括して(専門家、関係者によるものでいい)この段階でこれからの5年間に向けてあたらしい復興目標、本格計画を打ち立てる必要がある。
このままでは被災者の将来に向けた拠り所がみつからない。