いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

許す心。 still , release mind

2018-05-28 20:10:37 | 日記
 (1)日大アメフト選手による「あり得ない」危険な反則タックル事件は、日大の不誠実、不適切な対応もあって負傷した関学大選手家族、関学大による告訴事件に発展する様相だ。

 司法による解決を目指すというものだが、スポーツには自らを律するルールがあってスポーツで起きた事柄はスポーツルールで対応、解決するというのが不文律(unwritten rule)でスポーツが社会から信頼され認められる潔(いさぎよ)さでもあった。

 (2)そのスポーツルールに抵抗、反抗するように「あり得ない」危険極まりない反則タックル行為であっただけに社会的注目も大きく浴びて集まって、問題がスポーツにとどまらずに社会正義にかかわる重大事件としてクローズアップされた。

 そういう時、事件だからこそスポーツ界が率先して早く事態を解明して、スポーツルールの中で対応すべきであった。

 (3)加害者大学の日大の監督が「事件」から数週間も姿をあらわさず、問題を複雑にして混迷に向かわせた責任は大きく同監督がスポーツの力、影響を見誤っていたことが、加害者選手が個人で謝罪会見を開いた翌日にようやく開いた記者会見でわかった。

 こういう体質はスポーツの醍醐味、ダイナミズム(dynamism)、信頼を根底から損なうもので、一掃されなければならない。

 (4)そういう問題も含めてスポーツが自律性、自立性、自主性、信頼性、良識を示して自らの問題を自らの手で解決に向かわせることが肝要だ。
 日大の加害者選手は弁護士をともなってではあったがひとり記者会見の場に出てきて今回の事件での自らの非を認め謝罪したのだから、関学大にはこれまでの日大組織、アメフト部の不誠実な対応にまったく理解できない不満、不信があるのだろうがこの機会(加害者選手の個人としての謝罪会見)をとらえて今回の事件の「加害者選手」を「許す心」(still , release mind)、英断が必要だった。

 (5)そのためには被害者選手も表に出てきて日大選手のひとり謝罪会見を受け入れて「許す」行為でこれに応えるならば、事件はスポーツルールの自律、自主の世界にもどることができるはずである。

 本来は簡単には同意できないあり得ない行為ではあるが、そこは当事者の思惑を超えて組織が問題を複雑化、司法、社会問題化して大きく拡大してスポーツの領域を超えて対立、独り歩きしている制御不能化している。

 (6)最近、アスリートファーストという言葉が使われて、スポーツは選手本位が尊重される精神の必要性を唱えたものだが、組織のかかわりはスポーツ本来の醍醐味、ダナミズム、潔さを損なうものではあってはならずに、あくまでスポーツの主役は選手、アスリートでなければならないのはいうまでもないことだ。

 (7)加害者選手と被害者選手がゲームで起きた危険な反則行為について、それでも許し、謝罪を受け入れるスポーツ本来の姿勢に立ち返る、戻る度量が自らの手による問題解決には必要なことだ。スポーツで起きたことはスポーツルールで自律的、自主的に自らの手で解決することが大切だ。

 大学組織としてはそうしたスポーツ本来の姿勢を率先して実現する誠意、協力、環境づくりが求められている。今回の「事件」では選手が置き去りにされて、大学組織の後手後手の対応が問題を積み重ね複雑化した。

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