(1)日大アメフト選手による「あり得ない」危険な反則行為については、異常性(extraordinariness)が続く。日大アメフト監督がその後しばらく雲隠れして責任を取ろうとせずに、ようやく表に出てきたら世間が聞きたいことは文書で示すの一点張りで何にも語ろうとせずに消えた。同監督は日大組織の人事権を握る理事も務める。
(2)定期戦での危険な反則タックル行為について、被害者の関学大選手の家族は加害選手を傷害罪で告訴することになった。
スポーツの危険な反則行為はスポーツのルールの中でペナルティを科すのが通則で、退場や試合出場停止、罰則金、追放など処分がある。
集団スポーツはフェアプレーを基本とするが、激突プレーで反則はつきもので勝敗を左右することもある危険なものだが、これがいちいち法律上の危険迫害行為として処罰の対象となってはスポーツは成り立たない。
(3)プロ野球では打者への危険な投球に対して危険な投球で仕返しをすることがあったり、近年はルールで禁止されたが捕手への危険な体当たりスライディングは故意性の高いもので、これらが法律上の危険迫害行為として訴えられたという話は聞かない。プロ野球組織が自主的にルールで規則、規制、処分するものだ。
(4)今回の「事件」の傷害罪の告訴は、加害大学、同アメフト関係者が適切な責任、謝罪、対応を取らずに時が過ぎたことに対して被害選手の家族が決断したものと受け取られるが、ボールを放した無防備の相手選手にうしろから低いタックルに入るというスポーツルールの域を超えた危険損害行為ではあったが、やはりスポーツルールで決着をつける必要があった。
スポーツの自律性、自立性、自主性、規制力が働かなくなれば、スポーツの醍醐味、ダイナミズム(dynamism)を失うからだ。
(5)ひとつ間違えば被害選手の生活、生涯に重い負担を負わせる危険行為であり、二度とこのようなことがないよう警鐘として法律上の責任を負わせるというのも考えられないことはない利益ではあるが、スポーツ界全体がこれを契機にフェアプレー責任、コンプライアンスを自覚、履行、遵守することで反省し、出直して自ら律することでスポーツの文化、哲学、パラダイム(paradigm)を守る、持続する能力を示すことが優先されて、大切で必要なことだ。
(6)加害選手が弁護士を伴った昨日にひとり謝罪の会見を開いた。報道の経緯によると、加害選手は危険な反則タックル行為について悩み、反省して同大アメフト関係者に被害選手への直接謝罪やその背景について説明したい意向を伝えたが慰留された結果、単独謝罪会見になったといわれる。
本人は危険な反則タックル行為は監督、コーチの指示だと証言しているが、プレー中の選手の行為責任は送り出した監督がすべて責任を負う立場のものであり、本来は監督が出てきて説明し、謝罪と責任を述べる立場にあった。(本日、選手会見から1日遅れで謝罪会見)。
(7)選手謝罪会見の同席の弁護士は関学大への謝罪の意味もあり加害選手の顔、氏名を公表しての会見であることを強調していたが、責任の取り方も集団スポーツの選手と監督の立場、関係からはそうすべきものではなかった。
今回の「事件」で最も指摘されなければならないのは、日大組織の不適切な対応だ。監督は同大組織の理事でもありしばらく雲隠れして説明対応が遅れたことに対して、主導して説明責任を果たすべく行動を示す立場にあった。
(8)また加害選手の個人としての謝罪会見を回避すべきであって、これに対して日大広報が日大として何も申し上げることがないと他人事のような対応をしているが、おそまつであった。
ひとつのスポーツが世間を揺るがして異常な事態が続いて、被害選手の家族、加害選手だけが矢面に立たされるという悲劇(tragedy)を見せられた。
(2)定期戦での危険な反則タックル行為について、被害者の関学大選手の家族は加害選手を傷害罪で告訴することになった。
スポーツの危険な反則行為はスポーツのルールの中でペナルティを科すのが通則で、退場や試合出場停止、罰則金、追放など処分がある。
集団スポーツはフェアプレーを基本とするが、激突プレーで反則はつきもので勝敗を左右することもある危険なものだが、これがいちいち法律上の危険迫害行為として処罰の対象となってはスポーツは成り立たない。
(3)プロ野球では打者への危険な投球に対して危険な投球で仕返しをすることがあったり、近年はルールで禁止されたが捕手への危険な体当たりスライディングは故意性の高いもので、これらが法律上の危険迫害行為として訴えられたという話は聞かない。プロ野球組織が自主的にルールで規則、規制、処分するものだ。
(4)今回の「事件」の傷害罪の告訴は、加害大学、同アメフト関係者が適切な責任、謝罪、対応を取らずに時が過ぎたことに対して被害選手の家族が決断したものと受け取られるが、ボールを放した無防備の相手選手にうしろから低いタックルに入るというスポーツルールの域を超えた危険損害行為ではあったが、やはりスポーツルールで決着をつける必要があった。
スポーツの自律性、自立性、自主性、規制力が働かなくなれば、スポーツの醍醐味、ダイナミズム(dynamism)を失うからだ。
(5)ひとつ間違えば被害選手の生活、生涯に重い負担を負わせる危険行為であり、二度とこのようなことがないよう警鐘として法律上の責任を負わせるというのも考えられないことはない利益ではあるが、スポーツ界全体がこれを契機にフェアプレー責任、コンプライアンスを自覚、履行、遵守することで反省し、出直して自ら律することでスポーツの文化、哲学、パラダイム(paradigm)を守る、持続する能力を示すことが優先されて、大切で必要なことだ。
(6)加害選手が弁護士を伴った昨日にひとり謝罪の会見を開いた。報道の経緯によると、加害選手は危険な反則タックル行為について悩み、反省して同大アメフト関係者に被害選手への直接謝罪やその背景について説明したい意向を伝えたが慰留された結果、単独謝罪会見になったといわれる。
本人は危険な反則タックル行為は監督、コーチの指示だと証言しているが、プレー中の選手の行為責任は送り出した監督がすべて責任を負う立場のものであり、本来は監督が出てきて説明し、謝罪と責任を述べる立場にあった。(本日、選手会見から1日遅れで謝罪会見)。
(7)選手謝罪会見の同席の弁護士は関学大への謝罪の意味もあり加害選手の顔、氏名を公表しての会見であることを強調していたが、責任の取り方も集団スポーツの選手と監督の立場、関係からはそうすべきものではなかった。
今回の「事件」で最も指摘されなければならないのは、日大組織の不適切な対応だ。監督は同大組織の理事でもありしばらく雲隠れして説明対応が遅れたことに対して、主導して説明責任を果たすべく行動を示す立場にあった。
(8)また加害選手の個人としての謝罪会見を回避すべきであって、これに対して日大広報が日大として何も申し上げることがないと他人事のような対応をしているが、おそまつであった。
ひとつのスポーツが世間を揺るがして異常な事態が続いて、被害選手の家族、加害選手だけが矢面に立たされるという悲劇(tragedy)を見せられた。