(1)戦後の混乱期に起きたことを現代歴史が検証し伝えることは重要な歴史的使命、役割であるが、当時の記録文書が適正に管理され残されていなかったからといって当時の都道府県の管理責任、意識ばかりを責めるには酷というものだ。
戦前の軍事政権、敗戦、戦後の混乱期にまつわる記録文書について後世の歴史に耐えうるように残す意識の高さは重要で貴重なものであり、その自覚、自意識の高さは賞賛されるものではあるが、混乱期にそうでなかったからといって直ちに責められるものではない。
(2)昨今の国会審議で政府機関の公文書作成、管理基準の不備や作成自体がなおざりにされてきたことを受けて、メディアでは戦前、戦後の混乱期の政府、都道府県のかかわる文書記録について検証が進み、たとえば旧日本軍の植民地支配の旧満州に農業移民として送り込んだ満蒙開拓団(約27万人ー報道)の敗戦の混乱で約8万人が犠牲になったとされる歴史事実について、戦後調査を実施した都道府県の資料が14道府県で廃棄したか不明になっていることがわかった。
(3)戦後に調査してまで終戦、敗戦にともなう混乱期の実態を残す貴重な重要な高い意識の歴史資料であったが、戦後73年を経てその途中で貴重な歴史資料が廃棄され不明になっていたことは、都道府県が自ら調査して記録を残す貴重で重要な歴史的検証作業の高い意識が適切に特別に継続、継承されてこなかったというパラドックス(paradox)だった。
都道府県の問題意識、管理意識、伝承意識の欠如ではあるが、政府としても歴史的調査による記録文書の管理、保管、保存について高い意識での適切な方法を策定してこなかった責任はある。
(4)都道府県だけに歴史文書の調査、管理責任をまかせる、押しつけることはできずにその責任は大きすぎて、国として戦後の歴史検証に耐えうる資料として責任を持って一括管理、保存すべきものであった。
日本の政治、政権は「検証する」ことをせずに、先の読めない場当たり的な政策を実施して行き詰まりその都度対応、救済に追われるという連続の歴史だ。
(5)戦後の団塊世代の出現で労働力増強で高度経済成長を支えたが、政府は将来予想される高年令化社会への対策を怠り、社会保障、年金、医療、介護の財源不足を招いて、効果的な対策を打ち出せないでいる。
その都度、政策の検証を実施してきたならば将来的不安、対策に目を向けることができたはずで、今の政治、政権もその意識が極めて低い、国民にそのツケを回すだけの無責任政治が続く。
戦前の軍事政権、敗戦、戦後の混乱期にまつわる記録文書について後世の歴史に耐えうるように残す意識の高さは重要で貴重なものであり、その自覚、自意識の高さは賞賛されるものではあるが、混乱期にそうでなかったからといって直ちに責められるものではない。
(2)昨今の国会審議で政府機関の公文書作成、管理基準の不備や作成自体がなおざりにされてきたことを受けて、メディアでは戦前、戦後の混乱期の政府、都道府県のかかわる文書記録について検証が進み、たとえば旧日本軍の植民地支配の旧満州に農業移民として送り込んだ満蒙開拓団(約27万人ー報道)の敗戦の混乱で約8万人が犠牲になったとされる歴史事実について、戦後調査を実施した都道府県の資料が14道府県で廃棄したか不明になっていることがわかった。
(3)戦後に調査してまで終戦、敗戦にともなう混乱期の実態を残す貴重な重要な高い意識の歴史資料であったが、戦後73年を経てその途中で貴重な歴史資料が廃棄され不明になっていたことは、都道府県が自ら調査して記録を残す貴重で重要な歴史的検証作業の高い意識が適切に特別に継続、継承されてこなかったというパラドックス(paradox)だった。
都道府県の問題意識、管理意識、伝承意識の欠如ではあるが、政府としても歴史的調査による記録文書の管理、保管、保存について高い意識での適切な方法を策定してこなかった責任はある。
(4)都道府県だけに歴史文書の調査、管理責任をまかせる、押しつけることはできずにその責任は大きすぎて、国として戦後の歴史検証に耐えうる資料として責任を持って一括管理、保存すべきものであった。
日本の政治、政権は「検証する」ことをせずに、先の読めない場当たり的な政策を実施して行き詰まりその都度対応、救済に追われるという連続の歴史だ。
(5)戦後の団塊世代の出現で労働力増強で高度経済成長を支えたが、政府は将来予想される高年令化社会への対策を怠り、社会保障、年金、医療、介護の財源不足を招いて、効果的な対策を打ち出せないでいる。
その都度、政策の検証を実施してきたならば将来的不安、対策に目を向けることができたはずで、今の政治、政権もその意識が極めて低い、国民にそのツケを回すだけの無責任政治が続く。