いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

格別の評価。 exceptional valuation

2018-08-20 20:10:28 | 日記
 (1)財津和夫さんを知ったのは全盛のTulipを解散してソロ活動を始めた時の1991年だった。かみさんが財津さんのディナーショウに行くので、今晩の食事どうすると言われて、ひとりで食事をするのも何だしそれじゃとついて行ったのが縁で、今日まで財津和夫さんの音楽の世界にひきつけられている。

 (2)それまでは英国から独自に資料を取り寄せたりビートルズ一辺倒だったので、日本の音楽にはさして興味はなかった。この間、たしかTulipの名前も1回か聞いたことがある程度のものでしかなかった。

 (3)財津和夫さんを知って、猛烈に勉強した。アマチュア時代の福岡での音楽活動、Tulipとして自主録音、製作した「魔法の黄色い靴」のデモテープをひとり抱えて福岡から東京の音楽事業会社に持ち込み、音楽性の高さ、斬新性がその場で音楽プロデューサーに評価されて、その後メジャーデビューして自らの音楽と時代をきり開いていったフロンティア(frontier)な「生き方」が新鮮で魅力的だった。

 (4)その自ら作詞、作曲する音楽、楽曲は多様で多作、宇宙をイメージしたものからバラッド、ラブソング、社会描写、環境、家族と多岐にわたり、人の心をひきつける。
 しかし、多分、音楽だけの高い評価、魅力、声、歌のうまさ、独自性、斬新性だけなら、こんなに長くも財津和夫さんの世界にひきつけられることはなかっただろう。

 (5)4半世紀も財津和夫さんの世界にひきつけられているのは、まぎれもなくそのフロンティアな「生き方」だ。財津さんが住んでいた福岡はアジアに近く、本人が言うように東京に出ていくのは海外に行くようなものであって、福岡だけで独自の文化圏を構成していたものをひとり自ら製作の音楽デモテープを持って東京に出て自らの音楽と時代をきり開いていった「生き方」は、今のそしていつの若者にも必要なフロンティアな「生き方」であって、それが半世紀近くも前の時代に実践していた若者、財津和夫さんだった。

 (6)心を打たれるものがあった。それが今日までのやはり音楽同様にそれ以上というかフロンティアな「生き方」に財津和夫さんの音楽の世界との長い付き合いとなった。

 (7)同時代のミュージシャンには小田和正さんがおり、互いに認め合う好ライバルでもある。最近ネットコミュニティで騒がしいのが、全国ツアーを開催中の小田和正さんがコンサート中にやはりツアー中の財津和夫さんの話題にふれて、財津が頑張っている、評価、認めてくれる人がいることを喜んで涙したといわれることがある。

 (8)財津さんが昨年大病を患ってその後回復してプロモーターから小矢部での財津さんのコンサートがとてもよかったと聞かされたものだという。
 ともにビッグネームでありながら小田さんの評価、人気に比べて財津さんの評価がそれほどでもないのは正当な評価とは思われないが、小田さんの音楽は一般受けし、財津さんの音楽は玄人受けする専門傾向があり、小田さんにはそれなりの工夫、努力、やり方もあるのだろうが、その小田さんからの財津さんの音楽への格別の評価(exceptional valuation)だった。

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