いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

先生、どうにかできませんか。 teacher , can't you do something for me

2019-02-02 20:39:05 | 日記
 (1)「先生、どうにかできませんか」という切なる願いを残して、小4少女が亡くなった。「ひみつを守る」という学校側の理解、約束に託した小4少女の願い文章は、あろうことか学校側から「お父さんにぼう力を受けた」と先生に訴えたその父親の手に渡されていた。

 (2)初等、中等義務教育は教員の残業過重労働が問題とかになっていて、負担軽減のために業務の外部委託が増えている。学校教育がいつまでたっても「いじめ」への適切な対応、対策ができない事情を教員の過重労働性にして責任転嫁するような、責任転嫁逃れの合理主義教育姿勢が招いた冒頭の残酷無比の結末だ。

 (3)本ブログでも団塊世代の1クラス50人以上の生徒で10数クラス制の時代と今日の1クラス30人で数クラス制の時代の教育環境の問題を書いたが、今日の学校教育が団塊世代の時代より過酷とは思わない。

 両者を比較してみて、教員の生徒に対する「距離」、「関わり方」、「考え方」に根本的な違いがあるだけだ。1クラス50人以上体制の時代では教員は詰まった教室内にも専用デスクを置いて、昼食も生徒と一緒に食事をしていた。

 (4)教員と生徒の距離、関わり、考えが近く、なんでも相談できる信頼、信用、安心があった。1クラス50人以上(10数クラス)体制と同30人(数クラス)体制の教員の根本的違いは資質、能力、熱意、意欲の基本的問題意識だ。

 前述のように教員の残業過重労働を理由に業務の一部を外部発注する今日的教育の合理主義のすり替えがこれまた冒頭例の救いを求める生徒に教育,教育者の役割、使命、責任の尊厳を持って生徒に寄り添えない現実の「危うさ」であり、今日的教員の資質、能力、問題意識の劣化、低下に起因しているものだ。

 (5)一時期教室内での教員の異常行動が全国的に報道されたことがあって、いじめの横行とともに学校教育現場の荒廃、異様性が指摘されたことがある。今でも精神的苦痛に悩み治療休職する教員の数も多い統計がある。

 彼ら、彼女らも救いを求める學校教育現場の犠牲者ではあるが、教育の大切さ、重要性を考えるならば、教員の資質、能力、研究心、向上力、知識欲を育て見極める作業、努力、システム(資質、能力開発トレーニングセンター)は必要な時代だ。

 (6)それでも健全(教員と生徒の信頼、信用、考え方の認識)で資質、能力、知識欲、向上心の高い教員は全国にはまだ多くいるはずだから、学校現場、教員の全知能を結集して学校教育の再生、立て直し、健全化のために団結、決意を示す時だ。

 先生、どうにかできませんか。(teacher , can't you do something)

 (7)日本のノーベル賞学者は政府の教育投資の低さに将来的な先端的研究開発部門の衰退に危機感を募らせているが、もっと根本的、基本的な子供の教育に対する劣化、低下こそ立て直し急務が求められている現実だ。

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