いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

政府の国葬論。 the national funeral theory of the government

2022-07-21 20:06:35 | 日記
 (1)岸田首相が記者会見で安倍元首相の国葬を発表して、ここに来て野党から国葬に異論が聞かれる。話の論点は国葬をすべて国費でまかなうとしたことで、それなら岸田首相の一存、内閣決定で行うのはおかしい、国会で論議して国民の理解を得る手続きが必要という極めて当たり前の話なのだが、松野官房長官の話からは「国民一人一人に政治的評価を強制するものではない」(趣旨発言)とか「国民一般に喪に服することを求めるものではない」といった方向違いの飛躍した論点、論理に向かわせている印象だ。

 (2)戦後の国葬は吉田茂元首相のみで、この時は報道によると「省庁での弔旗掲揚や黙とうにとどまらず職員の午後退庁や歌舞音曲の自粛」まであったといわれる。戦後初の首相であり戦前の国葬令(戦後の47年に廃止)の影響が残っていたものとみられる。

 (3)しかし今は戦後77年を経過して日本はG7国メンバーとして民主主義、自由主義が定着した国だ。そういう時代、社会の中でいきなり戦後2例目となる安倍元首相の国葬実施が岸田首相の口から聞かれたので、やはり政治の世界では異質なもの(国民の反応ははっきりしていない)として受け取られている。

 野党の主張は共産党は国葬に反対だが、その他は税金を使う以上国会論議の手続きが必要という手続論が中心で、松野官房長官がことさらに国民に臣従の強制を求める形式的国葬論への受け取り方への釈明に追われるような理解を与えるものだ。

 (4)戦後の憲法は信教の自由が保障されており、喪に服するかどうかは個人の自由であり、国家であれ誰であれ国民に強制などできないのは自明のことだ。松野官房長官の論理は国葬を全額国費でまかなう国葬手続論から外れて、安倍元首相の政治的評価論、国民すべてが喪に服する形式論に話題誘導の取違いあるいは国会論議を避けたい意図的姿勢がみられる。

 (5)民主主義、自由主義が定着した国民意識では考えられない論理構成で、この期に及んで成熟した民主主義、自由主義、憲法に国民が安倍元首相の国葬にあたって弔旗掲揚、黙とう(あくまで個人の自由だが)などなど強制されるなどと考えるものはそうはいない。

 (6)安倍元首相の事件現場での献花は10万人以上が詰めかけたといわれ政府が国葬にする理由のひとつにしているが、国民に広く愛され、親しまれたということなら国民葬でいものを今は規定、基準もない国葬としたところに政治の保守思想主義の台頭が強く打ち出されている。





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