いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

原発の企業裁判論。 theory of corporate judgment of nuclear power plant

2023-01-19 21:20:20 | 日記
 (1)戦後の高度経済成長時代は労働力、労働者を企業の消耗品として扱って、働くだけ働かせて橋、道路、新幹線などの社会インフラをつくり経済効率を高めて経済成長を進めてきたが、近代国家、社会では企業は利益に見合った賃金、収益を労働者に保障して支払い、賃上げで国民生活を楽にして企業の社会性、価値を高める存在のダイナミズム(dynamism)となった。
 今年の経済界新年交礼会でも経営者からは利益に見合った賃上げに取り組む発言が相次いで、賃上げをしない企業には人材は集まらないとの発言もあった時代の変化だ。

 (2)18日に福島第一原発事故にともなう強制起訴による東電旧経営陣3名の控訴審で東京高裁は「事故が回避できたと認めるに足りる証拠はない」(判決趣旨)として「原発に10メートルを超える津波が襲来する予見可能性を認めず」1審判断を妥当として3人を無罪とした。

 (3)東電旧経営陣3名のこれまでの一貫した無罪判決について、経営陣が企業を代表してとるべき法的責任について書いてきたが、今回の高裁判決は控訴趣旨を「後知恵によるバイアス」と決めつけ排除したのは法律論ではなく相当バイアス(bias)な正当防衛論、論理構成であって、今後の原発再稼働の立地自治体、住民の協力、理解には住民の安全保障のない反発への大きな影響力を及ぼすものになるだろう。

 (4)岸田首相は将来の電力供給、カーボンニュートラル実現対策に向けて原発の新増設、リプレース(建て替え)を政策の中心に打ち出しており、立地自治体、住民の協力、理解を得ることにはへい害、支障となることも考えられる高裁判断だ。

 (5)近年の裁判、判断は沖縄基地訴訟などで政府、政権寄りの判断、判決が目に付き司法の独立性に不安も見られて、今回の高裁判断、判決も企業の社会性、価値に入れ込み過ぎたバイアス感が感じられて、これで社会正義、パラダイム(paradigm)を公平、公正に守れるのかとの危惧もある。

 (6)日本も法治国家としての民主主義社会であるが、法治国家の横暴論が目に付き許されていいわけではない。国民主権国家として社会思想の正当性について無関心ではいられない。

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