いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

誰の責任なのか。  who is responsible

2010-07-21 19:47:43 | 日記
 (1)少子化による税収減に恒常的な借金財政から、消費税増税でもしなければ予算編成の
財源を描けない。これを誰の責任でもなく、自然発生的なものかのように、反省も無く厚顔に
国民投資に求める(頼る)から、理解を得られない。

 国家予算ともなると、突出した重点項目偏重に捉われずに「全体の公平感」も必要だ。そ
こで項目毎の歳出見直しでは、なかなか効果的な予算編成が実現しない。
 政府は、11年度予算編成方針として、「各省庁一律10%カット」で歳出の3分の1の確保
を目指す。それでも税収が40兆円を切る見込みで、借金(国債発行)は40兆円台が見込ま
れている。

 会社事業では、先行投資(futures investment)は投資した事業の付加価値、利益率を見
込んでいる。国家予算の先行投資の付加価値は、経済の活性化による税収拡大と個人消費
の拡大だ。景気上昇、消費拡大効果の経済成長の予算編成が基本だ。

 「消費税増税でもしなければ」の前提としての「誰の責任なのか」を明確にするために、
「議員定数、報酬の削減」と「公務員の新規採用抑制による削減」を実施すべきだ。予算に
占める人件費の負担は大きい。これほどの人員と報酬が必要とは思わない。

 議員の場合、一票の格差是正という解決課題があり、公務員の場合、随分と余裕のあるル
ーティン(routine)の人員配置、事務所が目につくばかりだからだ。君たちの事務処理能力は
認めるから、そんなに人はいらない。事業仕分けの効果を反映したものとして、そのためには
「業務改善実施」の検証と、検証を反映したさらなる「業務改善」が基本だ。
 省コストにとどまらず、省エネ効果も見逃してはならない。

 予算編成で「きれいごと」言っても、「誰の責任なのか(who is responsible)」の本質論も誰
も触れないでは、誰にも期待できるものはない。
 今の日本は、1000兆円の累積赤字目前。国債引き受けが国内でおさまらなくなれば、
破たん国家となる日がくる。

 (2)いよいよ最高気温が36度を超える猛暑。10数年前には40度近くの日々が続き、スズ
メも電線から落下する騒ぎもあった。
 今夏の都心では、数百人規模による「打ち水」イベントがあった。一斉に水(自然蓄積水、
工業用水利用)をアスファルトに撒くと4~6度地上温度が下がる効果は実証されている。

 かって、打ち水を街全体で時間を定めて一斉に実施することの効果の学術的な提言があっ
た。また、街づくりでも、海からの風をストレートに街中に運ぶ、導く広い幹線道路づくりも効果
があるという。

 世界は異常高温がやってきた地帯に、逆に雪など降ったこともない国(ボリビア)に大雪で、
凍死者もでている。これが同じ時節の地球だ。地球の悲鳴が聞こえてくるようだ。
 経済成長も地球温暖化防止も、目指す先は同じ。先端技術開発、排熱抑制、再利用の新
エネルギー政策で、温室効果ガス25%削減の社会。

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歩きながらのネット。  walk continuously internet

2010-07-20 19:25:20 | 日記
 (1)駐車場を歩いていると(もちろん駐車した車に向かって)、なにやらひとりビジネス
マンがぶつぶつ独り言のようなことを言いながら、時折笑い声も交えて後ろをついてくる。
 ケータイを使っているわけでもない。どう見ても普通ではない状況に、自然と緊張が走
る。と、そのまま足早に追い越されて、よく見ると耳にはイヤホーン、スーツのどこかに端
末とピンマイクでもあるのか、イヤホーンを通して相手先と仕事上の会話でもしている風だ。
 身辺警護のSP(security police)が使っているヤツだ。

 仕事以外にはケータイを使わない身としては、情報伝達システムも一般社会にここまでき
たのかと思い知らされた。と、同時にそりゃ両手は自由に使えて面と向かって会話している
自然感覚がリラックスを生んで、自由自在の会話が弾む。が、そこまで、歩く時間も惜しん
でも耳にイヤホーンをはさんでIC(integrated circuit)システムにコントロールされてまで
24時間を無機質に生きるのかと、不可思議だ。

 (2)知的財産も「使い勝手」が良くないと、価値はない。かっては移動中の緊急な連絡に、
公衆電話を探し回った(そういう時ほど見当たらない。これも不可思議、ではなく単なるあ
せり)ものだが、今や、歩きながらどこにいても通信可能なケータイ時代は多機能で、しか
し、さすがに運転中のケータイ使用は、事故防止のため禁止された。

 知的財産の伝える情報の選別、選択、適性、必要、適応の分類ができない時代でもあ
る。便利なら便利で、どこまでも便利でインターネット(PC)の自制もなく、それ以外のもの
ではなくなる。

 (3)子どもが使用するケータイ、インターネット(PC)の功罪。日本の保護者は、「基本的
には自由で、問題が起きたら対処」と考える人が51%と世界平均29%の2倍弱を占める。
 「保護者が完全に管理する」という人が米、カナダでは61%。
 子どもの教育(しつけ)に関する理念、理想論がそのまま出た結果を見た。

 (4)ケータイ機能というのは、常時、どこにいても相互に通信が可能で、親子の間では安
全、安心の高いアイテム。これが、友達や同世代間でも当然、同じ機能を有することが人格
被害を与えるアイテムになってきて、社会問題化した。
 学校教育現場でインターネット(PC)が授業にかかわってきて、知的興味の旺盛な子ども
には、生活の一部だ。

 授業にはネット化を導入して、家庭、個人では使用するなとは不可思議。米国、カナダの
ように子どものインターネット(オンライン)管理が厳格な国でも、ネット被害はあるという。

 (5)ツールの使用、不使用の問題ではなく、インターネット教育を通しての「効果」を限定し
た知的財産の利用アイム(aim:目的・ねらい)を、社会も教育も「共有」することだ。
 防止策では日本は、また際立って少ないという結果もある。

 自分で自分の生活を管理できる成人と、途上の子どもとの区別化から、一時期のこと、子
どもネット化の徹底した安全モード管理で、効果的なネット安心利用をはかることが求められ
る。成人と子どもの区別化があいまいな現代社会のほうが問題は複雑。

 理想とはいえ、歩きながらネット会話するSPのような生活が日常ではないと知る、子ども
達の知的興味を育てることが大切だ。
 
 

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書籍改革はノンフィクション。 books innovate at the nonfiction

2010-07-19 20:03:12 | 日記
 (1)紙仕様(base)の「本」の特性はまだまだあるので、当然、情報伝達のツールは多様
化したので規模は縮小するのはあたりまえだけれど、存在はする。
 書店の規模の縮小の中には、かっては「購入本があって、書店を訪ねる」消費行動が普
通であったのが、今は単なる「時間つぶし」や、「何か知識欲に応える」本でもないかとの無
目的性の多様な消費行動に移行していることがある。

 消費行動の時間つぶしや無目的性から、書店もエンターテイメント志向(entertainment-
aim)で売り場面積の巨大化でジャンルを問わない多様な書籍分類、数量を揃えて、かえっ
てコアな書籍マニア達にとっては、どこに何があるのか検索も手間取る書籍の氾濫化現象で
随分と利用しにくいブックセンター化が目立つ。

 書店(ブックセンター)にとっても、膨大な書籍をかかえて購買率は低く(せいぜい来店者の
20%と言われる)、売り場面積と収益性比較の費用対効果の低いものだ。
 書店はみだりに売り場面積を拡大して、過剰な書籍数の氾濫で使い勝手の悪さを「演出」
して、消費行動にブレーキをかけ、自ら書店、書籍の持つ知的財産の価値をゆがめている。

 東京の老舗書店では、時間つぶし、目的性をもたない知識欲に応えるためにか、メディア
専門家プロデュースによるジャンル、作家に捉われず自由無造作に並べた書棚群が出現し、
売り上げも40%台を維持しているという。
 コアな書籍マニア達からすれば、その利用勝手の悪さからみれば「演出」以上に東京駅前
のビジネス街というロケーションの優位が購買率を上げているように見える。

 インターネット、電子書籍の時代に入って、紙ベースの書籍の需要も減少するのは避けら
れない。が、紙ベースの書籍には、記録性、自在性、分離性、即応性、積み上げれば足場に
と、利用価値も多様だ。書籍の購買率減少には、それに応えきれない作家がいなくなったこ
とも原因だ。

 その時は、巨大売り場もいらなければ、過剰な演出もいらない、利用勝手のいい書籍数も
含めて適正なキャパシティの書店となっているだろう。
 知的財産の普及には、当然ながら「使い勝手の良さ」が条件となる。

 (2)本を書き上げるというのは、大変な作業でこれは特異な能力。フィクション(小説)では、
若い書き手も出てきて、内容はともかく時代は継続されている。

 これが「ノンフィクション(nonfiction)」となると、書く前の資料収集、分析だけでもフィジカル
面とあわせて大変な重い作業で、その分、作品の持つ説得力、文章力はすばらしい。
 社会に現実に起きた出来事を題材に一般人が知り得ないプロセス、深層心理にまで解析
する能力は、流行に左右されないジャンルを問わない多くの読者の関心を呼ぶ。

 そのノンフィクションで興味を引くものがなくなった。取り組みが大変な分、書く能力が旺盛
でない今の時代は、元気がない。
 松本清張、大宅壮一の1900年代後半の時代はノンフィクションに、重み、深み、元気があ
った。日本の未解決、疑惑事件を清張史観で見た「日本の黒い霧」は、何度も目を通した。

 「ノンフィクション」が元気になれば、文章力も書籍も読者の興味を起こすことになる。

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今日は。うなぎ。  this is a unagi(eel) , spitch-cocked eel

2010-07-18 20:01:10 | 日記
 来週は土用の丑だし、老舗のうなぎの名店となると混雑は目に見えてる。来週のうなぎの
品質はさぞかし立派なのを揃えてはいるだろうけど、今年は品薄という市場の情報もあって、
梅雨明けの晴天に誘われて、一週間早く連休の中日にうなぎ(eel)を食べに行く。

 本店は別にあるのだが、贔屓(ひいき)の店は都心にある店。別に何々支店とは呼ばずに、
ついてもいずに、本店と同じ銘柄の店。本店は庭付き日本家屋の一戸建てで、都心の店はビ
ルの最上階にある。
 本店は、濃いめの古来の味付けで、都心の店はどちらかというとあっさり目の味付け。この
あっさり目の味付けと焼き具合が合っていて、贔屓にしている。

 「ひつまぶし」の名店として知られているが(ひつまぶしも、それはそれでおいしい。体調に
よってはひつまぶしを選ぶことはある。)、うなぎはやはり、蒲焼き(spitch-cocked eel)。
うなぎは、焦げ目をつけた香ばしい秘伝のタレで、「味」と「香り」を相乗で楽しむ。

 うなぎの味が好きで、楽しみたいならやはり「丼」ものです。二段に分けて一匹まるごと
蒲焼きが丼の中におさめられていて、まず上に乗せられた脂が「じゅうじゅう」いっている
ふっくらタレ充満のうなぎで、白ごはんと一緒に食べて、食べるにしたがって中ごろのある
二段目のうなぎを、今度はタレがしみ込んだごはんと一緒に食べる。
 うなぎの香ばしい蒲焼きの味と香りが堪能できる。味を楽しむには、サンショウは使わな
い。

 ところで、土用の丑のほぼ一週間前の今日、連休の中日ということで混雑もいつも並と期
待して出向いたが、この季節になると土用の丑もなにもない、2時間待ちの列の客入りだ。
 古来からうなぎ好きの日本人です。今日は、たっぷりうなぎの文明観を楽しみました。
 この人の列を見ていると(もちろん、その中にいたわけだけれど)、選ばれたうなぎも大変
だろうなと思う。品質はいつ見ても、食べても特上ものだ。

 うなぎを食べる時には、不思議と自然にいろんなものに感謝しながら食べている。冬でも
うなぎを食べると、身体の芯から汗ばんできて栄養度(エネルギー)の高さは自覚できて、
けっこう値は張るが、たまに投資して食べるものとして洋食系に比較すれば値ごろ感、お得
感、食べ応え感はある。うなぎは費用対効果の高い食べ物だ。

 そこで自然に、感謝して食べている。人とか健康とか人生とか仕事とか、時には運命とか
に。今日は、若いカップルが多い。どちらかというと見るからに旅行客というのがいつもに比
べて少なく、地元の客層が目立つ。

 みんな随分とむずかしそうな顔して食べている。極上ものだからもっと楽しんで笑顔で食
べればいい。この店でも、店の中に入ると昨年までなら中央に天井はおろか客の顔にまで
届きそうな生け花が存在していたが、最近は随分と簡素な枝ぶりに変わってきている。
 不況時代に、節約するとすればまずそういうところからだからだ。

 2時間待ちで、随分と空腹のところお陰でよけいに美味しくて、感謝しながら食べ終えた
のはもう3時をとっくにすぎていた。店の外に出ると、この時間店の外(といってもいすのあ
るビルのフロアー)には、同じくらいの列の客がまだ待つ。

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正当性、根拠がない。 unfounded justice

2010-07-17 20:16:31 | 日記
 (1)健康被害による国、企業の損害賠償では、対象者の認定基準(recognized standard)
の線引きがむずかしい。国も企業もなすすべもなく健康被害を引き起こしておいて、むずか
しいもないものだが、一部国の責任による国民の投資(税金)による損害賠償も含むので、
申告どおりの無制限という訳にもいかずに、「公平の原則」から原因との因果関係と認定基
準の関係はグレーゾーンの範囲内では、たびたび訴訟問題が起きている。
 問題は、その「判定」のスロー・レンジ(slow length)だ。

 (2)1956年に発生した水俣病。チッソ工場の排水にメチル水銀が含まれて、魚介類を介し
て住民の中枢神経に異常が発生して蓄積して、消すことのできない水銀による健康被害を
引き起こした。
 国と企業は責任を認めたが、複数症状の合併症状を条件とする厳しい「認定基準」により、
認定者は症状を訴える患者の30%程度の重症患者にすぎない。(報道)
 国の厳しい「認定基準」は、企業の負担を軽減するもの(報道)と言われてきた。

 (3)今回、地裁は「認定基準」に「医学的根拠、正当性がない」と、指摘されてきた厳しい
「認定基準」の「意図」もあわせて認定基準そのものの見直しを求め、訴えた患者を症状に
見合って健康被害者として認定するよう命じた。
 現在につながる地球環境汚染を「放置」し「誘発」していた54年前の国(行政)と企業
の責任に、あらたに認定基準の見直しでさらに責任の重さを認めたものだ。54年はあまり
に遠い。

 (4)54年もの年月が必要だったのか。環境時代の今だから見直された裁定だったのか。
その間、苦痛の日々の被害者は置き去りにされてきた。多くの被害申請者が認定されず
に、すでに高年令者だ。
 すでに認定されたからどうのという問題ではもちろんないが、被爆被害者認定もそうだが
明らかな国または企業の責任のもとのせめてもの被害者救済は、国が被害当事者を含め
た機関として「集中審理」して判断して、あるいは国民合意のもとに一刻も早くの幅広く「公
平」な対応が求められた。
 54年はあまりにも、遠い。

 (5)青空に綿菓子のような雲が低く浮かんで、アンリ・ルソーの絵のようにあざやかに梅
雨明けです。亜熱帯気候のような集中豪雨の被害も大きく、今夏は天候の急変も多いと
いわれている。
 久し振りの晴天で庭の草花もあざやかな緑色に輝いて、先日晴れ間に切ったばかりの
草花もあっという間に伸びてきている。

 今年上半期は、冬のオリンピックに6月のワールド杯サッカーとワールドな大きなイベン
トを、財津和夫さんのコンサートツアーがつないできた。それぞれに日本人の潜在能力を
示すことができて、何やら政治だけが取り残されている。

 首相が交代したら、政治主導の基本としていた国家戦略室(局)を無用の重複として、
首相の私的なアドバイス的シンクタンク化する。政権交代10か月の間の、同じ構成議員
の民主党政権内でのことだ。
 消費税増税論議のプロセス・カットの道をまた「辿」る。主導するのは「仙」谷官房長官。

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