相棒15 第10話「帰還」
・・・7話から9話は必ず書きます(汗。
さて毎年恒例の正月スペシャル。右京、冠城、大河内、美彌子という非常に頼りになる面々が揃い、事件は一応の決着を迎えたものの、何ともやるせない事件となりました。
犯行の動機は「無い」というとんでもない事件でした。人を操り支配することに快楽を覚え、定期的に殺人衝動を抱く。そんな人物が、今回はおあつらえ向きの材料が揃っており、それを実行できるだけの頭脳があったから実行した。犯人にとっては遊びに過ぎず、頭も切れるから自分が死刑になるとは思ってもいない。冠城の感情を逆なでするような行動を続け、仮に冠城に殺されていたとしても、彼にとっては最高の楽しみを味わいながらの死となったのでしょう。
警察をからかう遊びを思いつき、いずれ犯人として逮捕されるために自分の犯行の証拠をファイリングする・・・これといった思想もなく、ただただ遊ぶだけ。そんな犯人に対し、右京さんは人間はいつもギリギリの淵に立っており、簡単に壊れ、操れることを知っている。だが、そうした行いを理性をもって踏みとどまり、後悔し、這い上がることができるのもまた人間。犯人はそんな人間そのものの姿を知らない。人間の本当の楽しみを知ることが無い。「哀れな人だ」と嘆き、さすがの犯人も嬉しい時に出る言葉を発することはありませんでした。罪を責めるのではなく、相手が一番求めているところを否定する。これから先の人生を塀の中で過ごす犯人は、あれこれと楽しむ方法を考え、実行できる範囲でやっていく可能性が考えられます。それでも、本当の楽しみは知ることができない。その言葉が響くために、心から楽しめない。右京さんの言葉はずっと残り続けるでしょうね。
しかしまぁ、四方田も武闘派の自分が負けたことを知られたくないがために、麻薬を扱っていた人物に便宜を図るとか、体が大きいのか小さいのか・・・しかも拳銃を携帯していたところを見ると、よほど槙野にやられたことがトラウマだったのでしょう。自分の力では勝てないと悟り、拳銃を持っていたのでしょうね。
右京さんと冠城くんが訪れた町の警察も、最初はやる気が無かったですが、さすがに同僚が殺されて、おまけに捜査にも参加させてもらえない状況を黙って受け入れるほど腐ってはいませんでした。署長がいつしか「右京さん」と呼ぶようになっていたり、全てを明らかにした際に美彌子から「謝罪しないように」と言われていたにも関わらず、捜査の不備を素直に陳謝するという姿勢を見せてくれました。図らずも、犯人の目的であった町の「再生」は行われたわけですね。
右京さんはといえば「罪を憎んで人を憎まず」ということで、美味しいハーブティーを出してくれた槙野が何故故郷である町に戻って来たのか、その理由を突き止めようとしていました。その理由は「利佳子と幸せになるため」。槙野の純粋な思いを「事件を起こすため」という間違った事実で上書きすることだけは避けたかったのでしょう。
冠城くんは、たまたま知り合った骨のあるジャーナリストと、それなりに良い雰囲気になっていましたが、残念な結果に・・・まぁ、録音データを渡した際の雰囲気が凄く怪しかったので、嫌な予感はしていました。
しかし冠城くんは感情のままに犯人を殺すことは無く、ギリギリの淵に踏みとどまれました。一時は右京さんの近くにいる資格はないと考えていましたが、冠城が情報を残していなければ右京も現場にたどり着けなかった。それが真実。冠城くんがああして右京さんに真摯に一礼するというのも珍しいような。
そういえばサラッと米沢さんから鑑識の基礎を教えられたということも明らかになりましたね。
右京さんは特命係に、冠城くんは右京さんのもとに、槙野はいずれ利佳子のもとに。それぞれの「帰還」が描かれた第10話でした。
そして次回からは何やら「終わりの始まり」が始まるようで・・・映画も小野田官房長を思い出す不穏な雰囲気。どうなることやら。
・・・7話から9話は必ず書きます(汗。
さて毎年恒例の正月スペシャル。右京、冠城、大河内、美彌子という非常に頼りになる面々が揃い、事件は一応の決着を迎えたものの、何ともやるせない事件となりました。
犯行の動機は「無い」というとんでもない事件でした。人を操り支配することに快楽を覚え、定期的に殺人衝動を抱く。そんな人物が、今回はおあつらえ向きの材料が揃っており、それを実行できるだけの頭脳があったから実行した。犯人にとっては遊びに過ぎず、頭も切れるから自分が死刑になるとは思ってもいない。冠城の感情を逆なでするような行動を続け、仮に冠城に殺されていたとしても、彼にとっては最高の楽しみを味わいながらの死となったのでしょう。
警察をからかう遊びを思いつき、いずれ犯人として逮捕されるために自分の犯行の証拠をファイリングする・・・これといった思想もなく、ただただ遊ぶだけ。そんな犯人に対し、右京さんは人間はいつもギリギリの淵に立っており、簡単に壊れ、操れることを知っている。だが、そうした行いを理性をもって踏みとどまり、後悔し、這い上がることができるのもまた人間。犯人はそんな人間そのものの姿を知らない。人間の本当の楽しみを知ることが無い。「哀れな人だ」と嘆き、さすがの犯人も嬉しい時に出る言葉を発することはありませんでした。罪を責めるのではなく、相手が一番求めているところを否定する。これから先の人生を塀の中で過ごす犯人は、あれこれと楽しむ方法を考え、実行できる範囲でやっていく可能性が考えられます。それでも、本当の楽しみは知ることができない。その言葉が響くために、心から楽しめない。右京さんの言葉はずっと残り続けるでしょうね。
しかしまぁ、四方田も武闘派の自分が負けたことを知られたくないがために、麻薬を扱っていた人物に便宜を図るとか、体が大きいのか小さいのか・・・しかも拳銃を携帯していたところを見ると、よほど槙野にやられたことがトラウマだったのでしょう。自分の力では勝てないと悟り、拳銃を持っていたのでしょうね。
右京さんと冠城くんが訪れた町の警察も、最初はやる気が無かったですが、さすがに同僚が殺されて、おまけに捜査にも参加させてもらえない状況を黙って受け入れるほど腐ってはいませんでした。署長がいつしか「右京さん」と呼ぶようになっていたり、全てを明らかにした際に美彌子から「謝罪しないように」と言われていたにも関わらず、捜査の不備を素直に陳謝するという姿勢を見せてくれました。図らずも、犯人の目的であった町の「再生」は行われたわけですね。
右京さんはといえば「罪を憎んで人を憎まず」ということで、美味しいハーブティーを出してくれた槙野が何故故郷である町に戻って来たのか、その理由を突き止めようとしていました。その理由は「利佳子と幸せになるため」。槙野の純粋な思いを「事件を起こすため」という間違った事実で上書きすることだけは避けたかったのでしょう。
冠城くんは、たまたま知り合った骨のあるジャーナリストと、それなりに良い雰囲気になっていましたが、残念な結果に・・・まぁ、録音データを渡した際の雰囲気が凄く怪しかったので、嫌な予感はしていました。
しかし冠城くんは感情のままに犯人を殺すことは無く、ギリギリの淵に踏みとどまれました。一時は右京さんの近くにいる資格はないと考えていましたが、冠城が情報を残していなければ右京も現場にたどり着けなかった。それが真実。冠城くんがああして右京さんに真摯に一礼するというのも珍しいような。
そういえばサラッと米沢さんから鑑識の基礎を教えられたということも明らかになりましたね。
右京さんは特命係に、冠城くんは右京さんのもとに、槙野はいずれ利佳子のもとに。それぞれの「帰還」が描かれた第10話でした。
そして次回からは何やら「終わりの始まり」が始まるようで・・・映画も小野田官房長を思い出す不穏な雰囲気。どうなることやら。